そうと決まればまずは犯行現場の調査からだ。
往生堂で見張りをしていた千岩軍から話を聞き三人が足を向けたのは、璃月港と陸地を繋ぐ橋のさらに向こう側、丁度七天神像と璃月港の中間に位置する地点だ。長い坂道と石の階段を登った先にあるワープポイントは旅人も利用しており、そこから見下ろす港の風景はこれまで幾度となく名の知れた画匠のキャンバスにおさめられている。
けれど、目的の場所は思い描いていた地点よりもほんのわずかにずれていた。石は石でも人間の足の動きに合わせて人工的に削られたものではなく、璃月元来の盤石が潮風と共に風化してできた足場。好き好んで通る商人はいないと誰もが言うであろう獣道。今では鳥が翼を休めるか、もしくは小動物が運んできた餌を広げるくらいでしか使われていないだろう。子どもの遊び場と言うにはやや人目が少なすぎた。
そこに、もはや見慣れた黒紅の鎧が取り囲んで縄を張っていた。
「旅人か? すまないがここは今封鎖中だ。璃月の外に用があるなら、そこの階段を登って……」
「ちがうちがう、オイラたちはここに用があって来たんだ」
「ここに?」
ぴり、と千岩軍の男の顔に険しさが増す。普段なら気にも止まらないこんな場所に用があるなど、昨夜の事件を知っている人物くらいなものだ。そしてこの事件は、まだ公には発表されていない。掲示板を見て興味本位で尋ねてきた野次馬と扱いが違うのは当然であった。
しかしタルタリヤはその態度に特に臆するでもなく、淡々と目的を告げる。
「昨夜の……ちょうどそこで起きた事件の重要参考人になってる女の子。彼女は俺の身内でね。事件に関して調査して回ってる所なんだけど、現場を近くで見せてもらったりはできない?」
「重要参考人……ああ、あのファデュイの」
男は暫く考えて、おそらくこの場を取り仕切っているであろう中年の兵士に判断を仰ぎに行った。互いに眉を寄せて首を縦にも横にも振ったりする姿を眺めていると、一分もしないうちに男が戻ってくる。
「やはり許可はできない。この場は千岩軍が預かり、何人であろうと中に入れてはならないとの決まりだ」
「やっぱり?」
タルタリヤは事前に予想はしていたと苦笑を浮かべる。
「だが、この縄の外側から眺める程度ならば我々は何も言わない」
すなわち、見なかったことにしてやると言っているのと同義だった。
意外にも千岩軍の対応は突然やってきた旅人らに対して寛容だった。同じ千岩軍でもなければ司法に携わる身でもない、何ならこの璃月の民でもないと言うのに、彼らは規定に引っ掛からないぎりぎりの線まで踏み入れることに目を瞑った。
明らかに軟化した態度の引き金は何だったのだろうとタルタリヤは考えた。尋ねようとも思ったがそれで彼らの気が変わってしまったら面倒だと切り替え、一言礼を述べて縄の一歩手前まで足を踏み出す。
一言で言うと、特に変わったところもない現場だった。むき出しの岩肌には所々赤黒い点が散り、被害者の血痕であると訴えている。決して多くはないが、かと言って少なくもなく。凶器に付着していた量を考えると妥当な塩梅であった。
だが、これだけ。他に特筆するようなものは何もなく、ただ被害者がここで斬られたのだと告げるだけの光景だった。少なくとも、目で見える範囲では。
「相棒、分かった?」
「うん」
「え? え?」
タルタリヤと旅人の間で交わされたやり取りに、パイモンは二人の顔を交互に見ては口をへの字に曲げた。うんと目を凝らし、細かい場所まできょろきょろと視線を配ってみるが、やはり目に入ってくる情報にこれと言って新しいものはない。あっけなく白旗を上げた彼女がタルタリヤに尋ねると、彼は謎かけの答え合わせをするかのようにあっさりと返答した。
「元素視覚だよ」
「元素視覚? ……ああ、そうか! その手があったか!」
それは、神の視線を一身に受けた者のみが使える第二の目。目に見えることのない元素そのものの流れを視覚情報として読み取ることができる力で、神の目を持つ者ならば誰でも使うことができる。唯一、例外として旅人のみが神の目を向けられることなくその力を扱えているのだが、その謎は彼の長い旅路の中で存分に語ってもらうとして。
元素の流れというのも重要な手掛かりの一つだ。目に見える現実が真実を覆い隠しているとしても、目に見えない元素がそれを白日の下に引っ張り出してくることもある。ベールの中を覗き込むことでまた新たな情報が手に入るかもしれない。やけに浮き立った様子で、パイモンも元素視覚を使った。
結論から言うと、元素視覚で見た光景の中に元素の痕跡は存在した。だが……今のこの場で口にするのは、少々憚られた。
「なあ……もしかして、元素視覚で何か分かったのか?」
黙り込んでしまった三人の様子を横から見ていた千岩軍の男が、そっと小声で尋ねてきた。
「……ええっと」
旅人は視線を逸らした。パイモンもどう伝えたらよいか困っているようで、二人揃ってタルタリヤに助けを求める。
そんな顔をされても困る。こっちだってどう説明したらいいのか迷っているんだから。音のない言葉を視線に乗せて二人に返してやると、そこをなんとかと子ども特有のあどけない表情で見上げられた。だから、そんな顔をされても。
すると男は周囲の同僚に聞こえないように一歩近づき、一層声のトーンを落として囁いた。
「……重要参考人の子に不利になるような内容ならば、無理にとは言わない。元素の痕跡は無かったと上にはそう伝えておくよ」
「え?」
旅人は思わず聞き返した。男は今の声が周囲に聞こえていないかどうか確認すると、重々しく続きの言葉を発する。
「実は、以前腕を大怪我した時彼女に助けてもらったことがあってな。金を取るわけでもないのに文句ひとつ言わず治療してくれたあの子が、どうしても犯人だとは思えないんだ」
神妙な面持ちでそう述べる彼が嘘偽りを言っているとは思えなかった。マルタの性格からしても、おそらく彼女は本当に彼の傷を癒したことがあるのだろう。ファデュイの内外問わず頼まれたら誰にでも手を差し伸べたくなってしまう、まさに善性の塊のような彼女のことだ。タルタリヤが知らない間にそんなエピソードを作って来ていたとしても納得はできる。
「俺だけじゃない。あそこに立ってるあいつは前に腕を折られた時に治してもらったし、あっちに立ってるあいつは足を治してもらった。おかげで今も千岩軍として働けてる。彼女がいなきゃ今頃食い扶持に困ってたところだよ」
「……」
「本当は、俺達は彼女が犯人だってこれっぽっちも思っちゃいないんだよ。総務司の中にだってそういう奴は多い。けどこれが俺たちの仕事だしな……」
はあ、とため息をついた彼の顔は、心の底から彼女の身を案じているようだった。彼にとってマルタの存在は相当大きかったのだろう。
腕っぷしが自慢の千岩軍がもう満足に槍を振るえないとなると、辞職するしか道はなかった。千岩軍の後方支援は主に総務司が執り行っているので、前線から退くことはそれすなわち転職を意味する。
だが総務司は璃月七星の下部機関だ。少し槍が振るえる程度で入れる場所ではない。今までろくに学を修めてこなかった頭では、まともな場所に就職できるとも限らなかった。
そんな難しい綱渡りから、マルタが救い出してくれた。縄を切って、渡る必要なんてないですよと腕を引いてくれた。彼女にとっては何てことない炎だったのだけれど、彼にとっては道を指し示す北極星のように思えた。
そうだというのに。彼女に示して貰った道の先で、今、北極星を撃ち落とさんとしている自分がいる。
「だから彼女が冤罪で捕まってるっていうなら、どうか無実を証明してもらえないか。そうじゃないと俺、彼女に申し訳なくて……」
男の吐露を、タルタリヤは黙って聞いていた。
正直心惹かれるような話ではない。タルタリヤの興味を掻き立てるのは硝煙と鉄の匂いだけだ。他人が他人を立てる美談だとか、涙を引き出すような物語の一切合切を切り捨てて生きてきた彼にとって、男の話は関心を引くにも値しない。これならばまだ鍾離の垂れ流す璃月百科を肴にしていた方がよほど愉快だ。
だが、タルタリヤは一人の戦士でもある。幾度の戦場を駆け抜け四肢を失った戦士がどんな屈辱と失望を抱えるのか、タルタリヤは知っていた。彼だってこれまでに何度も生死の淵を彷徨ってきたのだから。
だから、この男の感情を理解はできる。失意の底に沈められた人間を引っ張り上げる彼女は、見方によってはまるで聖女のようにも見えるだろう。
「安心しろ! オイラたちが必ず、マルタの濡れ衣を晴らしてやるからな!」
えへん、と小さな体で胸をはるパイモンを見て、男は胸を撫でおろした。そうか、彼女にもちゃんと自身を擁護してくれる人がいるのだ。ならばもう安心だ。
この人になら、こっそり元素視覚の結果を伝えてもいいのではないか。旅人からそんな視線が飛んできて、タルタリヤは考えた。確かに彼の様子を見るに、総務司に告げ口をするような性格には見えない。彼の戦士としての経験に敬意を表して、教えてやるのも悪くはない。
その前にひとつ、これはほんの些細な興味だった。
「なら、君は誰が犯人だと思う?」
「えっ俺か? うーん……」
タルタリヤの問いに男は顎に手を当てると、数秒後に再び口を開いた。
「やっぱりあの公子って奴がやったんじゃないかな。岩王帝君を殺害したのも公子らしいし」
「よーし相棒、もうここに用はないね。さ、そろそろ行こうか。時間は有限だよ」
太陽ですら目を覆い隠しそうなほどの満面の笑みだった。くるりと踵を返したタルタリヤは男と旅人を置き去りにし、早々に階段を登って行ってしまう。つい数秒前まで男に抱いていた同情はスポーツ選手すら羨む投球フォームで海に投げ捨てた。今頃オセルがむしゃむしゃと頬張っているか、もしくは泥のような味に吐き出している頃だろう。おそらくは後者だ。
千岩軍の男に別れを告げ、旅人とパイモンは遠くなるタルタリヤを追いかけた。その背中に“公子”などと呼びかけなかったのは二人なりの配慮だ。タルタリヤではなく、男に対しての。
七天神像の眼前で、二人の男と一人の少女が言葉を交わしている。しかしそれは岩王帝君に捧げる祈りの言葉などでなく、犯人は結局どのようにして女の子を傷つけたのかという物騒極まりない話であった。
そんな話題を振られても七天神像だって困ってしまう。もっとも、そのモチーフとなった人物は今頃往生堂の一室で優雅に茶をたしなんでいるのだろうが。
「さて、情報整理の時間だ。さすがに千岩軍のいる前じゃ話せないしね」
「うう……あんなにたくさん
元素視覚で見た光景を思い出して、パイモンは頭を抱えた。
犯行現場には、元素の痕跡がこれでもかと残されていた。――
目撃情報と、現場に残った元素と神の目の一致。この二つの情報が総務司に伝われば、マルタは今以上に窮地に立たされるだろう。だから三人は口を閉ざした。無実の証拠を揃えに来たのに、これでは有罪判決を推し進める手札を集めに来たのと変わらなかった。
でも、と旅人は訝し気に疑問を口にする。
「神の目を使ったにしては、少し量が多すぎるような……?」
へえ、とタルタリヤは無言で口角を上げた。
さすが、この子どもは聡い。魔王武装を使った状態の己を打ち負かした時も感じたが、空という旅人はどこか年齢に見合わないポテンシャルを秘めている。見た目で侮ることなかれ。かつてタルタリヤが執行官への道を邁進する中で幾度となく囁かれてきた言葉だが、まさか自分が使う日が来ようとは。ああ、世界ってこれだからおもしろい。
けれどタルタリヤがそれを口にすることはなかった。その代わりに、ちょっとした推理の真似事をすることにした。ディナーの前におやつを掴み食いするような、ちょっとした娯楽を楽しむ気持ちだった。
「凶器は小型のナイフ。なら、現場に炎元素が残っているのは不自然だ。それもあんなに大量にあったのだとしたら、犯行時は相当派手に炎を出したことになるね」
「女の子はナイフと炎のふたつで襲われたってことか? でも、もしもそうなら女の子は火傷を負ってるはずだよな?」
「そればかりは被害者の子の容態を見ないと何とも言えないかな。ただ……」
タルタリヤは言葉を区切って、早朝北国銀行にやって来た父親の言葉を脳内で繰り返した。
「彼女の父親は一度も火傷だなんて言わなかった。だからおそらく、彼女の体にあるのは切創だけだろうね」
つまり、切り傷だけ。血痕の場所と元素痕跡の位置からして、仮に火傷を負った場合それはもう目を覆いたくなるほどの重傷になっているはずだ。だが被害者の命に別状はないと聞いている。仮にそれだけの怪我を負えば総務司だってもっと警戒レベルを引き上げ、こうしてタルタリヤ達が調査する余裕も与えなかったはずだ。それか警告も兼ねて早々に事件を発表していたか。
それに、娘思いの父親のことだ。ほんの小さな火傷であったとしても必ず訴えてくるはず。彼がそれについて一切触れていないのなら、そもそも存在していない確率の方が高い。
ではなぜ現場に大量の炎元素が残されていたのか。被害者を襲う目的ではないのなら、いったい何のためにわざわざ炎を出したのか。旅人は考え、ふと呟いた。
「……もしかして、偽装?」
タルタリヤが目を細めた。そして問いを投げかけた。
「その根拠は?」
「えっと、傷害以外の目的で炎を出すメリットがそれくらいしか思いつかなかったのと、あと……」
一度区切って、そして言葉を選びつつ話を続ける。
「ずっと思ってたんだけど、普通こういう事件の犯人は顔を隠すものじゃないかな。なのにあの男の子はマルタが犯人だって言ってた。犯行時刻は夜で顔が見えづらかったはずなのに」
「うん」
「それでもはっきり顔を覚えてるってことは、犯人は最初から顔を隠していなくて……わざと、顔を見せたんじゃないかな」
大半の事件において、犯人は自分の痕跡を消そうと躍起になる。捜査側と犯人側の関係はまるで鬼ごっこの鬼と子だ。何が何でも逃げ延びたい子は、鬼に見つからないようあの手この手で少しでも情報を隠そうとするものだ。
しかし今回の事件は、その逆を突き進んでいる。顔を出し、元素を隠すどころか大っぴらに振りまいている。あからさますぎて、かえって不審に思うくらいに。
「それってつまり……誰かがマルタを犯人にしようとしてるってことか!?」
嵌められたのだ、マルタは。見えない悪意に。そっと背後から伸びる五指に。水晶のような銀糸ごと絡めとられ、じわじわと首を締め付けられている。
犯人はまず、マルタを装って被害者を襲った。一緒にいた兄が自身の顔を覚えたことを確認し、兄妹が逃げ去った後に現場に炎元素を残した。大体の流れはこんな感じの筈だ。
「でも、いったいどうやって炎元素を残したんだ? 犯人はマルタと同じ炎の神の目を持ってるってことか?」
残留元素にもある程度形状がある。例えばある人物が水スライムを抱きかかえて移動した場合、元素痕はその人物の軌跡をたどって残される。盗みを働いた者がうっかり元素を付着させたまま逃げてしまい、その印を追跡されて捕まった事件はよく聞く話だ。
今回の犯行現場の場合は、被害者の血痕の位置から全方位に向けて拡散されていた。近くの灯篭から火を運んできたとしたら現場と灯篭の間に糸を引くように痕跡が残されている筈なので、発火地点は犯行現場と見てほぼ間違いない。
総務司に伝われば余計にマルタが疑われるような話だ。火種も何も必要とせずにただ願うだけで炎が出せるというのは、神の視線を受けた者だからこそできる特権なのだから。
けれど、そんな元素にも抜け道はあった。
「いや、それに関してはたぶん神の目の属性は関係ないよ。属性どころか神の目の有無もね。そうだな……宝盗団と何度も戦ったことのある相棒なら分かるんじゃないかな」
タルタリヤにそう言われ、旅人とパイモンは先日宝盗団のアジトに足を運んだ時のことを思い出した。
世界各地に点在する彼らの武器は実に多種多様だ。鍬を振りかぶってくる大男もいれば、そのまま拳で殴りかかってくる男もいる。厄介なのは、前衛で戦う男の一歩後ろから支援を行う者たちの対処だ。弩も一撃の威力は小さいものの、放っておけばじわじわとこちらの集中力を削ぎ落してくる。
そしてもうひとつ。何よりも面倒なのが、と考えたところで二人は顔を見合わせた。そして同時に、大きく目を見開いてある言葉を言い放った。
「「元素薬!」」
子どもがテストで100点を取った時の親のような顔で、「当たり」とタルタリヤは笑った。
元素を濃縮させ、神の目を持たずとも元素を扱えるよう人の手が加えられた薬剤。合成台で錬成するオイルも薬剤の一種ではあるが、ここで旅人が指摘したものはそれとはまた別の存在だ。
言い換えれば、元素爆弾。元素を瓶に詰めて密封し、衝撃を与えることで中の元素を勢いよく放出させる道具。宝盗団の一味は炎、水、雷とさまざまな属性を用いて薬剤を作り、戦闘時にはそれを投げて元素を散布していた。
もちろん、無害な範囲にまで威力を落とした薬剤を除き、これらのものは一般には流通していない。裏の事情に詳しい者でなければ元素薬という発想が思い浮かぶよりも先に神の目を疑うはずだ。それを想定して炎元素を残したというのなら、ほとんど悪意による犯行だろう。
「なら、犯人は宝盗団ってことか?」
「いいや、それはどうかな。元素薬を作るのは宝盗団の専売特許じゃないからね。それにもしも宝盗団が犯人だとしたら、現場に元素薬を割った破片が残されていてもおかしくない」
「あの場所にガラスっぽいものは落ちてなかったし、結局犯人は絞り込めないか……」
犯人は炎の神の目を持っているか、もしくは炎の元素薬を使用した。だが元素薬を使ったという証拠がないため、もしもここが争点となるとすれば現状神の目使用の線が優位。現場に赴いて判明したものはこれだけだ。犯人を特定するまでの道のりは未だ途方もない。
まだ不十分だ。尻尾を掴んで引きずり出すには、タルタリヤの望んだ結末を手繰り寄せるには、まだ手札が足りなかった。
「ま、今分かるのはこれくらいかな。時間もないし、そろそろ次の場所に行こうか」
「え、どこに行くんだ?」
パイモンの問いにタルタリヤは月のようにもの柔らかな、それでいてどこか芝居がかった笑みを浮かべた。
「犯行現場を調べたら次は凶器を調べる。探偵小説の定番でしょ?」
ほとんどでたらめに近い、適当に並べただけの言葉だった。ミステリーだなんて、演劇の台本以外で読んだことなどこれっぽっちも無かったので。
そういうわけだから、押収した凶器を見せてもらえるかな。いいえ駄目です、お引き取り下さい。タルタリヤから持ち掛けた交渉は五秒と持たずにあっさり黒星を喫した。
「さすがに駄目かあ」
「むしろなんでいけると思ったんだ……」
総務司の女に追い返され、三人は璃月港を行く当てもなく歩いていた。総務司の人が千岩軍の彼みたいな感じだったらいけると思ったんだけどと述べるタルタリヤは、門前払いをされたというのに全く気落ちする様子がない。硬さだけならヴィシャップにだって負けないメンタルを持っている男だ。喜怒哀楽の“楽”以外の感情を見せたことなど、先日鍾離に一杯食わされた以外に思い当たる節がなかった。
「でも、凶器が調べられないとなると次はどうするの?」
旅人の問いかけに、タルタリヤは口元に手を当てた。
犯行現場は把握済み。凶器の現物は調査不可。被害者に話を聞きに行くのも、まあ無理だろう。命に別状はないとは言えまだ五歳にも満たない少女だ。当分の間はショックで言葉が出ないだろうし、彼女の親が面会を許可しないはずだ。被疑者の身内で、今璃月で最も悪名高いファデュイの“公子”。それだけで拒絶する理由は十分なものだ。
しかたない。そう口にして、タルタリヤは動かしていた足を突如別の方向へ向けた。
「うん? どこ行くんだ?」
「北国銀行だよ。この際現物じゃなくてもいいかなって」
旅人とパイモンは彼の言葉の意味を理解できなかったが、あまりにも平然とそう述べるので流れでつい背中を追いかけてしまった。事の不合理性に気づいたのは北国銀行に到着してからだったが、今さら拒否するのもそれなりに勇気がいる。まあ他に探す当てもないしと自分に言い聞かせて、旅人は送仙儀式中に何度も行き来した扉を通り抜けた。
エントランスの正面に北国銀行の受付嬢が立っており、マルタと同じ仮面で目元を覆い隠している。銀行という信用と金を取り扱う商売なだけあって、新規の顧客以外の対応は懇切丁寧というわけではなさそうだ。その態度と仮面も相まって一見冷淡な印象を受けたが、タルタリヤ曰く彼女はまだ優しい方らしい。ならば北国銀行一の冷血人間は一体誰なんだとふと興味が湧いたが、面白がって紹介されてもそれはそれで困るので口を閉じることにした。
タルタリヤに案内されたのは北国銀行奥のファデュイが駐屯する区画、通称ファデュイ区画だ。正式な名称などないのでタルタリヤが勝手にそう呼んでいるだけで、きっとタルタリヤが璃月を去って後任の者が来た際は別の名称で呼ばれることになるのだろうが。
公子の私室はファデュイ区画の最奥、吸い込まれそうな長い廊下の先にひっそりと佇んでいる。銀行員でも滅多に足を踏み入れない場所に、旅人もパイモンも心なしか緊張していた。二人も事件さえなければ一生足を踏み入れることは無かっただろう。彼らの心情を読み取ったのかそんなに緊張しなくてもいいよという笑い声が前方から聞こえてきたが、そんなことは無理な話だ。
だって、旅人は知っている。天井から吊るされているシャンデリアにも似たランプは、ひとつ売り払うだけで三ヵ月の暮らしには困らないことを。瑠璃百合が一輪だけ挿してあるあの花瓶は、一度オークションに出品されれば目玉が飛び出るほどの値が付けられることを。
どこもかしこも高級品だらけの建物。モラを流通させる商売なだけあって、ここに勤めていると頭の中までモラに置き換わってしまいそうだった。先日タルタリヤがひとつ数十万モラは下らない絹が縫われたソファを自身の血でだめにしたことを知れば、きっと卒倒してしまうだろう。
俺、なんでこんな場所にいるんだっけ。旅人が死んだ目でそう考えていると、とうとう公子の部屋に着いたのかタルタリヤが慣れた様子で扉の取っ手に手をかけた。
「……あれっ、案外普通だな」
「人の部屋を見て開口一番それは喧嘩を売ってると思われても文句は言えないよおチビちゃん」
これまでの内装から一体どんな豪華絢爛な部屋が待っているのかと構えていたが、旅人とパイモンの目に飛び込んできたのは極めて簡素な調度品の数々だった。決して貧相というわけではないが、それでも壁やら棚やらに飾りがあしらわれた部屋の外と比べるとかなり見劣りしてしまう。
「鍾離先生はともかく、俺はこういうのにあまり興味がないからね。衣食住に問題がなくて適度に体裁が整っていればあとは何だっていいさ。それに……」
「それに?」
「椅子も机もどうせ血で汚れるんだから、買い替えやすい方が都合がいい」
「出た、戦闘狂発言」
「ははは、俺が何のために執行官になったと思ってるの」
戦うためだ。心の奥底から湧き出る激情を刃を通じて快楽へと昇華させるためだ。互いが互いの心臓を握り合っている緊張感に陶然と酔いしれるためだ。祖国のためだ何だと言っても、結局のところタルタリヤの根幹はそこなのだ。
その結果どれだけ血が流れようと、例え最終的に刃が突き刺さっているのが自分自身であったとしても構わない。これに関してタルタリヤが求めているのは結果ではなく過程だ。
ファデュイに入るのはそういう明確な目的を持っている者が大半だった。理由あって権力を欲している者、金が必要な者、武力を身につけたい者。経緯も信念も千差万別で、一人一人詳しく話を聞いていては年単位で時間を浪費してしまう程度に皆何かしらの事情を抱えていた。
もちろん中には特に何も考えず、周囲に流されるまま徴兵団に身を寄せた者も数少ないが存在している。大抵の場合家が金持ちで、所詮はコネだ。ファデュイとなってもなおスネージナヤから一歩も出ることはなく、国の闇に触れることも無いまま多額の金だけを受け取っている。そういう奴らからすれば、タルタリヤの在り方はひどく滑稽に見えるのかもしれなかった。
「さてと、俺はちょっと探しものするから適当にくつろいでてよ。そんなに時間はかけないからさ」
タルタリヤはそう言うとクローゼット奥の板を両手で器用に取り外した。所謂隠し収納というやつだ。ファデュイの、それも執行官の部屋なのだからあって当然だとは思っていたが、実際に目にするのは初めてなので旅人はつい瞠目した。
彼は旅人の視線に気づいているのか気づいていないのかよく分からない笑みを浮かべると、中からこれもまた質素な箱を取り出した。横幅は旅人の肩から指先くらいの長さで、パイモンが三人ほど入れそうな大きさがある。持ち上げた時にがちゃがちゃと音が鳴ったので、きっと中に入っているのもある程度の硬さがあるものだ。
彼が蓋を外し、旅人とパイモンが覗き込む。
「なんだろう……武器?」
ダガー、拳銃にナックル、果ては使い方のよく分からない暗器まで。璃月発祥のものとは明らかにデザインも材質も違っていたため、おそらくはスネージナヤ製のものだろう。そんな小型武器が箱一杯に、底が見えない程詰められていた。
共通点としては、それぞれどこかに必ずファデュイのマークが彫られている点だ。
「ファデュイで使われているものの大半は専属の業者が作る特別製でね。数年おきに改良品や新型を配るから、こうやって旧式がたくさん出るんだ」
「つまりこれは、昔ファデュイで使われてた武器ってことか?」
「そうだよ。いやあ集めるのに苦労したよ。上官の目を盗んで懐に入れるのは中々スリルがあって楽しかったけどね」
新式が支給されると、それまで使われていた旧式は大半が回収され廃品となる。どうにか廃棄命令を回避して集めたコレクションが、この箱だ。執行官となった今では旧式を取り寄せるなど造作もないことだけれど、ファデュイに加入したばかりで出世とは程遠かった当時にしてはかなりの成果とも言える。
ほとんど癖みたいなものだった。戦場で信じられるのは己の拳だけ。そして己の拳を預ける得物の存在は、もはや戦友に近い。今タルタリヤが玩具のようにくるくると回して遊んでいるダガーナイフも、かつてこれ一本で死地を駆け巡ったという壮絶な過去がある。その戦友を、新しいものができたから簡単に捨てるというのはちょっとだけためらわれた。
調度品は別にどうだっていい。血に濡れても壊れてもすぐに買い替えればそれで済む。
でも得物は違う。得物だけはだめだ。これは命と直結するもので、戦士にとっては魂と同格のもので、公子タルタリヤを構成する血肉と変わらないのだから。
「さて、どこにしまったかな。これ……いや、こっちだったかな……」
タルタリヤが箱の中身を探っている間、旅人は手持無沙汰だったので彼の様子を見ていることにした。
箱を見つめる彼の姿は相変わらず目に光を灯していなかったけれど、彼にとってはこの箱こそが夢の詰まったおもちゃ箱なのかもしれない。おもちゃ箱の中身が血を極限まで吸い取ったものばかりでなければ良い話でまとまっていたものを。
すると旅人は、ある一点で視線が止まった。
「タルタリヤ、ピアス変えた?」
「えっ今?」
彼の思いがけない疑問に、タルタリヤはつい手を止めて旅人を見返した。
「そういえば、確かに違うような……いつもは赤い石がついたやつだったよな?」
「うん、そうだけど……よく見てるね」
タルタリヤの左耳から垂れる耳飾りは、前回会った時とは全く違う色を示していた。血を宿したような深紅の飾りではなく、石珀から削り取ったような黄金色がタルタリヤの耳で輝いている。赤と黒、そして白を基調とした全身からすると、少しだけ不揃いにも見えた。
タルタリヤはそれを片手で弄り、そして隠すように手で覆った。おそらく、無意識下で。
「毎日同じものばかりじゃつまらないだろ? ……いや、まあ、俺の話はいいんだ。それよりほら、見つかったよ」
そう言ってタルタリヤが箱の中から取り出したのは、一本の短剣だった。銀色の鞘に収められたそれは小柄な旅人の手でも若干小さめに感じる大きさで、パイモン専用の剣と言われても十分に納得できる。特徴をあげるとすれば少々グリップ部分が長いくらいで、あとはいたって普通の短剣だった。
長らく箱の中で放置されていたにしては小綺麗なそれを、タルタリヤは金色の少年に手渡した。
「あっ!」
パイモンが目を見開き、指をさして叫ぶ。
「これ、犯行現場にあったっていう凶器のナイフ!」
彼女の一言で、旅人はつい数時間前の場面を思い起こした。
北国銀行前で仮面を落とし、犯人だと糾弾されるマルタ。正面で今にも殴り掛からんとする父親の姿。そして父親の拳とは反対の手に握られていた、血痕まみれのナイフ。
サイズも形状も全て同じだった。何よりも印象深いのが、刀身とグリップの中間に彫られたファデュイの紋の存在だ。それが決定打となって、凶器と目の前の短剣が頭の中で完全に結びつく。
「公子も同じものを持ってたの?」
「まあね。結構面白いものだったからさ」
愉快そうに細めたタルタリヤの視線が短剣に注がれる。旅人がナイフを返すと、彼の手が鞘とグリップに触れ一気に引き抜いた。
「これがお役御免になったのは今からちょうど三年前。それまでは主に新兵相手に支給されてたんだけど、途中である欠陥が報告されてね」
「欠陥?」
「仕掛けがあるんだよ。確か……」
グリップから見て刀身とは反対方向、柄頭部分の突起を捻りながら外すと、グリップ内部の様子が露わになった。内部はぽっかりと空洞になっており、それを分断するように中心が一枚の板で隔てられている。その他に小さな突起がいくつかあったが、基本的には左右対称の構造だ。
奇妙な構造だ、と旅人は思う。自身も剣士の一人である以上、刀剣についての基本的な知識は頭に入っている。
剣は持ち手である柄と刃であるブレードが別々に製造され、後からそれらを組み合わせて作るものが大半だ。タングと呼ばれるブレード部分の突起をグリップに差し込み、それを柄頭あるいはは握りの部分で固定する。
だから通常、グリップの内部が空洞になっていることはない。そもそも持ち手部分の重量と操作性は比例の関係だ。内部が空のグリップでは軽すぎてまともに扱えないだろう。歴戦の猛者ならばともかく、戦士としては未熟な新兵を対象とした短剣にしてはやや不可解だ。
旅人の考察は見事に的中していた。ならば柄が軽すぎるのが欠陥ということか。旅人がそう尋ねるが、タルタリヤは首を横に振って否定する。そして握りの部分を指差し、上機嫌に告げる。
「このグリップ内の空洞、実は元素薬を入れるためのものなんだ。左右で半分に分かれてるから、最大二種類の元素薬を注げるようになってる」
「な、なんかすごいな……」
「で、ここのファデュイのマークを左右どちらかに回すことで元素薬を外に放出できる仕組み」
四方に分かれた四つの丸い窪みのうち、タルタリヤの人差し指がその一番上に引っ掛けられた。そのまま円を右に回転させると、かちゃりと小さな音が内部から聞こえる。今は元素薬が抜き取られているため何も起こらないが、おそらく今の動作で内部の元素薬が外に吐き出されるのだろう。
「旅人の仲間にも、自分の得物に元素を纏わせて戦う奴がいたりしない? それと同じようなことをしようとしたのがこの短剣ってわけ」
「じゃあ、これがあれば神の目がなくとも元素の力を利用しながら戦えるってわけだな!」
「うん、理論上はね」
「……理論上?」
聞き捨てならない言葉が聞こえた気がする。旅人が言及すると、タルタリヤは待ってましたと言わんばかりに内部を分断する板を指し示した。
「実は欠陥っていうのはこの板のことでね。これ、使ってみると案外脆かったんだ」
あはは、と陽気に笑う執行官の姿に頭を抱えた。なんとなく、その一言で察しがついてしまった。旅人はもうそれで十分だったのだが、パイモンが理解していない顔だったのでタルタリヤのファデュイ面白トーク――もとい、ファデュイのやらかしエピソードは続く。
「板が歪んだせいで中の元素薬が混ざる事故が頻発して……具体的には水元素と雷元素が混ざって使用者が感電したり、ああ、過負荷反応で吹っ飛んだナイフが敵の脳天に突き刺さった話もあったか。あれは俺も報告書読んで大笑いさせてもらったよ」
「な、なんてものを作ってるんだファデュイーー!?」
だって、ファデュイという組織はいかれた連中の集まりだ。変人は変人を好むし、自然とそういう奴らが寄り固まって個から衆へと移り変わる。“愚人衆”だなんて名前がつけられるくらいなのだから、頭の中身がぶっ飛んでいてもおかしくはない。
そして、その組織に居心地の良さを感じている自分も大概頭がいかれていた。
「まあ、そういうわけでこのナイフは三年前に製造停止になっていて、それ以降に入隊した新兵はこれの存在すら知らない」
「じゃあ、犯人は三年前にファデュイに入ってた人ってことになるね」
ここに来て初めて犯人の影に一歩近づけた。さすがに輪郭を捉えるまでは行かなかったけれど、影も形もはっきりしていなかった頃よりはずっといい。
「……ちょっと待てよ? なら今回の事件、ファデュイの仕業って考えるのが一番妥当じゃないか!?」
「ははは、それはないよおチビちゃん」
笑いながら否定。根拠はと訊かれ、物的証拠はないけれどと前置きをしてから続きを述べる。
「ファデュイは傷害になんて収めない。確実に息の根を止め、犯行を見た者も全員始末する。死体も綺麗に片付けるから事件が発覚することもない。例え発覚したとしても、それは殺人事件じゃなくて
まるで経験してきたかのような口ぶりだった。深海の瞳に光がさすことは一度もなく、海の底で暗流が蠢くように細められる。
畢竟、忘れていたのだ。一人の少女を救うという大義名分があると言っても、この男がファデュイであることは何も変わらないのに。
だって、一度は璃月港を渦に呑ませようとしていた男だ。罪のない人々を虐殺しようとした男だ。神を奪おうとした男だ。璃月に来る前も、きっとそこは変わらない。執行官の地位に昇り詰めるまでの間に何人もの命を奪って、何人もの人生をぐしゃぐしゃにした。彼の手は血に濡れてかぶれきっているし、彼の首を欲する人々だけで行列ができる。
それは、ある種の警告のようでもあった。
己がファデュイであるということを忘れるなと。
今の愉快な協力関係も、女皇の思し召しひとつでどうにでもなるのだと。
そしてそれは、璃月でぬるま湯に浸かりまくっている彼女だって例外じゃないのだと。
パイモンが小さく悲鳴をあげ、旅人の背中に隠れる。驚かせちゃったかなと笑うタルタリヤの瞳は徐々に温度を取り戻し、つい数分間のやりとりが幻のようにいつもの不敵な色に変わった。
その口から“冗談”という言葉が発せられることは終ぞ無かったが。