暗い森に響く優しい歌 - text
意識を指先に集中させる。深く、深く、それでいて最小限に。周囲に風が舞い起きる。ブロンドの髪が風に揺れる。蝋燭を火をつけるように、蝋燭に火をつけるように、と念じながら……放つ!「ぅあ……っ!」
繊細な動きとは対象に、ゴオッと火柱が上がった。咄嗟に周りを囲っていた結界を解き、後方に下がってからまた結界を張る。火柱が結界に閉じ込められる形になったため炎の影響が周囲に出ることはないが、いかんせんコントロールが難しい。「この炎、どうすれば……」と焦りながらも、彼女は見ていることしかできない。つまりは、炎を出したは良いが引っ込んでくれないのだ。
「……魔法のセンスは相変わらずだな、ナマエ」
「パ、パーシヴァル様!」
ふいに背後からかけられた声にパッと振り向くと、そこにはやれやれと若干呆れた顔のパーシヴァルが立っていた。
「熱心なのは良いが、あまり騒ぎを起こしてくれるなよ」
「も、申し訳ありません……ですがあの、これ、消し方が……!」
徐々に広がってゆく火柱に、ナマエは戸惑うばかりだった。結界すら凌ぎそうな程に轟々と燃え盛る炎をどうにかしなければと思うのだが、この炎の手網は既にナマエの手から離れている。現に結界はピキピキと軋み始め、ナマエの頬を冷や汗が伝った。
「……まず肩の力を抜け。何も考えるな」
その時、視界の炎がなにかに遮られた。ナマエの額と頬に何やら冷たいものが触れているのが伝わる。そしてすぐ頭上から、耳ざわりの良い音の響きを感じた。紛うことなき、パーシヴァルの声である。そう、ナマエは現在、彼に背後から抱きしめられている状態にあった。
パーシヴァルはナマエの目元を自らの手で覆い、反対の手で肩を抱く。この光景だけを見ると、なんともまあ"そういうこと"と勘違いしそうな者も現れそうなものだが、当然のことながらナマエにそんな気はない。
ナマエはパーシヴァルの臣下であり、言わば上司と部下の関係である。パーシヴァルがまだフェードラッヘ王国黒竜騎士団副団長であった頃──すなわち、ナマエがまだ一人の女騎士であった頃に出会い、それからとある事件をきっかけに共に行動するようになった。もっとも、その"とある事件"については今は割愛するが。
パーシヴァルの言葉通りに気持ちを落ち着かせると、不思議なことに炎はみるみるうちに小さくなり、やがて蝋燭を全て燃やし尽くしてしまったかのように消えてしまった。ナマエの周囲に舞っていた風もいつの間にか止み、彼女は力尽きたようにたらん、と伸ばしていた両手を下ろす。
「……申し訳ありません、パーシヴァル様。お手を煩わせてしまい……」
「俺に気を使うよりも、早くその炎を扱うことに慣れろ。その様子では、いずれ山火事でも起こしかねないならな」
「……ど、努力します」
炎が収まったことにより結界を解いたナマエが、ゆっくりと彼に向き直る。炎が消えたにも関わらず表情の晴れないナマエに、パーシヴァルは口を開いた。
「……ペンで線を引く想像をしろ」
「……え?」
「蝋燭に火をつけるというイメージは、言葉で言うには簡単だが存外難しい。炎を一点のみに集中させるからな」
あれだけの火柱を出現させたナマエがすぐに炎を絞って火を灯すのは、限りなく不可能に近い。それならばまずは火柱から炎に、出現させる形状の変化に慣れた方が良いという、パーシヴァルの判断だった。
「ペンで線を引く……炎を地面に走らせるってことでしょうか……?」
「……まあ、精々精進することだな。俺はグランの元へ行く。お前はどうする?」
「私はグラン様に買い出しを頼まれていたので、一度街に降りてから戻ろうかと」
「そうか、あまり遅くなるなよ。……ランスロットがうるさいからな」
ランスロットはナマエが騎士になるきっかけとなった人物であり、兄妹のように育ってきた仲だ。そのためランスロットはナマエに対して若干過保護な部分があり、時にはパーシヴァルの頭痛の要因ともなっている。
「……ランスロット様は、何かと心配性な方ですからね」
しかしナマエは、パーシヴァルもランスロット同様、何かと文句を言いながらも自分を気にかけていることを知っている。当然本人は否定するので、あえて指摘はしないが。背を向けて山道を降りるパーシヴァルを一瞥すると、もう少し頑張るかとナマエは腕をまくった。
ナマエは本来、炎などの一般的な魔法の使い手ではなく、"結界魔法"を専門とする一族である。結界魔法とは、その名の通り結界を張り、その内と外を断絶する魔法だ。発動条件は、円を描くこと。地面でも紙でも、言ってしまえば人物だって良い。円を描くことで、その円上に見えない壁を作り出すことができる。
ただし戦場において、悠長に円など描いている暇はない。そのため戦闘には不向きとされ主に陣地作成の手段として扱われていたが、騎空団の一員として旅をする以上、自力で戦う術を身につける他ない。そこで手当たり次第に魔法の練習をしているというわけだ。
「まあ、今のところ見込みゼロなんですけど……」
もちろん、騎士を語る以上、結界魔法だけがナマエのスキルではない。剣術では男女の力の差に悩まされたが、その分弓術の精密さに優れていた。索敵能力も非常に優秀で、おもに遊撃体として戦場を駆け回っていた記憶が大半を占める占める。なら弓術を極めれば良いのではという意見はごもっともだが、それでも意志を曲げないのがナマエである。
「仕方ありませんね。やはりグラン様に頼まれていた買い出しを先に終わらせるべきでしょうか……っ!?」
その瞬間、ただならぬ殺気を感じたナマエは咄嗟に身構えた。周りは気に囲まれているため、もし相手が近くに潜んでいたといてもわからない。どこから襲われても対処できるように充分警戒を払いながら、剣の柄を握りしめ抜刀する。
静寂がナマエを包む。たがその静寂が、逆にナマエの不安を掻き立てていった。と、その時。ナマエの手に何かが掠った。少量の血が流れているが、致命傷までは程遠い……とはいかなかった。
「こ、れは……」
数秒後に、ナマエの視界がふらりと揺れた。草木も、視界の端に見える自分の靴もが二重三重に重なり、一点に捉えることが出来ない。手が震え、足取りもおぼろげで、立っていることすら困難になる。思わず膝をつき、どうにか状況を理解しようと思考を巡らすが、その思考さえも上手く回るすことが出来なかった。
とうとう地面に倒れたナマエの目に、何かの人影が映ったのは覚えている。自分に向かって伸ばされる手と、不快な笑い声が頭を満たし、そこでナマエの意識は落ちた。
目を開けると、そこはついさっきまでと変わらない風景のように見えた。しかし、時間帯が違う。今この場において、ナマエを照らすものは無い。夜の森で一人置き去りとは、また危険なことをしてくれる。まずは立ち上がろうとして、断念した。突き刺すような痛みを感じて見てみると、ふくらはぎのあたりに深い傷ができていた。今もドクドクと血は収まることをしらず、地面に血溜まりを広げている。当然立ち上がることはできそうにない。
しかし、そうなると事態は少々面倒になる。あの時刻から出血を続けていたということは、ナマエの体はもう限界に近いはずだ。最悪の場合、ここで出血死しかねない。騎空団の誰かがナマエの不在に気づいてくれれば良いのだが。
「よお、やっとお目覚めか」
突如として降り掛かった声に、ナマエは意識をそちらに集中させた。現れた男性は、20代後半〜30代前半のように見えた。
直感でわかった。この人物が、元凶だと。
「貴方が私をここに?」
「だったら?」
「理由を教えて欲しい。どうしてこのような事を?」
ナマエの脳内に、この男の顔はない。全くの初対面というわけだ。「決まってンだろぉ!?」と男が悪態をつく。
「パーシヴァルの野郎をぶっ殺すためだよぉ!!」
「……パーシヴァル様を?」
「そうだよ、あいつがいなかったら、オレの団は潰れなくて済んだんだ。あいつのせいで、今のオレは無一文! 明日食べることにもやっとな生活に逆戻りだ!」
「……それで、こんな真似を」
まあ、単なる逆恨みというやつだろう。昔、パーシヴァルがまだフェードラッヘにいた頃、大規模な盗賊捕縛作戦が行われたことがある。盗賊による被害が拡大し続けていたため実行したものだが、おそらくこの男は、その時の残党だろう。自分だけ逃げ延びたは良いが手下は全員捕えられ、団を再建する資金はなく、毎日ものを盗み盗まれの繰り返し。
「……可哀想な人」
「ああ!?」
「私を人質に取ったところで、パーシヴァル様が駆けつけると思いましたか? 命じられたから、共にいるだけの存在です。……私は、家臣にはなれない」
「はっ、そんなハッタリが効くかよぉ! あのパーシヴァルが、惚れ込んだ女を放っておくわけねえだろぉ!?」
どうやらこの男は、ナマエをパーシヴァルの想い人だと勘違いしているらしい。それでこんな面倒くさいことになっているようだ。
「正面から戦っても勝ち目がないから、人質を盾に戦う……弱小者の考えですね。聞くに値しない」
「っんだとぉ!?」
「私はパーシヴァル様の家臣じゃない。ましてや想い人だなんで、冗談じゃない。言わば、金魚の糞なの」
でもね、とナマエは続ける。
「金魚の糞には、金魚の糞なりの矜持があるの」
見るもの全てを凍てつかせるような瞳で、ナマエは言い捨てた。男が何をする気だ、と身構えるが、もうそんなもの関係ない。おそらく、このままでは騎空団の皆はこの事態に気づかないだろう。ならば、無理矢理にでも気づいてもらうまでだ。上手く出来るだろうか。練習なんて一度もしていないことだ。
「ペンで線を引く、ペンで線を引く……」
うわ言のように呟くが、そんなイメージがすぐに出来るはずがない。ならば、もう少し変えてみよう。ナマエに一番近いイメージに置き換える。結界魔法の円を描くように、そっと、そっと……。
「……っ!」
ナマエが震える手で地面をバン、と叩いた瞬間、ナマエと男の十位に炎が燃え盛った。ただし、今度は火柱ではない。残念ながら、まだパーシヴァルの教えのとおりに炎を出すことは出来ない。ペンで線を引くイメージができなかったのだ。
そのためナマエが行ったのは、ペンで線を引くのではなく、普段出している結界をそのまま燃やすイメージだった。想像通り、炎は二人の周囲にぐるりと円を描き、まるで炎の壁のように、外からも内からも行く手を阻んでいる。
「……お前、正気かよ……っ、まさか、心中する気か……っ!?」
「……っええ、これでも皆が気づかなかったら、きっと私と貴方はここで一緒に死ぬんでしょうね」
でも、それでも良い。金魚の糞には、金魚の糞なりの矜持がある、と先程言った。どうせ死ぬのなら、せめて主の役になってから。主の脅威を、ひとつでも減らしてから。そうして、安らかに死のう。……もっとも、この炎の中で安らかに死ぬことは難しいが。
「い、嫌だ、死にたくない! 助けてくれ!」
「駄目よ。貴方はここで私と死ぬの」
炎から逃れようとナマエに懇願するが、全てが無意味だ。なぜなら、この炎はナマエにもどうすることもできないのだから。酸欠で朦朧とする頭で、なんとなく昔の出来事が蘇る。血溜まりの中にぺたりと座り込む少女。彼女に差し出す手があった。
(……ランスロット様。あの時、私を見つけてくれたこと。今でも、感謝して……)
その時だった。
「何を諦めている、ナマエ」
轟々と燃え盛っていた炎が、突如として消え去った。否、吸収された。白銀と真紅の鎧が、ナマエの目の前に着地する。赤みのかかった茶色の瞳が、こちらを見つめた。
「俺には家臣を守る義務があるが、家臣も俺に尽くす義務がある。俺の許可なしで勝手に諦めることも、勝手に死ぬことも許さん」
「パーシヴァル、様……」
一体どこから。その疑問は、すぐに解決した。三人の上空に、何やら影が浮かんだのだ。
「ナマエさーん! パーシヴァルさーん!」
ナマエとパーシヴァルの行動拠点である騎空団。その中心人物とも言える少女、ルリアが、空に浮かぶ船から手を振っていた。その隣には、団長であるグランも立っている。
さらに。
「ナマエ!」
グランの反対側には、ランスロットが心配そうにナマエを見つめていた。騎空艇が高度を下げるとランスロットもそこから飛び降り、ナマエに駆けつける。
「ランスロット。名前を騎空艇に連れてゆけ」
「わかってる。もう大丈夫だ、ナマエ。すぐに手当してやるからな」
「パーシヴァル様、ランスロット様も、何故……」
「団長が、ナマエが帰ってこないと言ってな。慌てて街を走り回ってもどこにもいないし、仕方なく騎空艇から探してたら、丁度森に炎が上がるのが見えたんだよ」
パーシヴァルが一番に見つけたんだ。ランスロットが笑顔を浮かべてそう述べる。その姿に、ナマエは今までのことがすべてどうでもよくなってしまった。
ランスロットの笑顔が守ることができるのならば。グランとルリアの旅路の果てを見届けることができるのならば。……パーシヴァルの背中を追うことができるのならば。たった一人が手を差し伸べて、たった一人が自分を背中に剣をとる。それだけのことに、なぜだか涙が滲んだ。
「っ……ごめん、なさい……パーシヴァル様……ランスロット様」
小さく呟いた言葉が彼らに聞こえたかどうかはわからない。ランスロットはナマエの頭を撫でると、ナマエの背中と膝の裏に手を差し入れ、抱き上げる。ランスロットがナマエを連れて騎空艇に戻ったことを確認すると、パーシヴァルは男を見据えた。
「お、前は……パーシヴァル! ち、違う! これは……っ」
「……もはや交わす言葉も必要ないな」
怯える男を前に、パーシヴァルは容赦なく炎を滾らせた。
「俺の家臣を……ナマエを傷つけたこと。焼かれるだけで済むとは思うな」
「……ん」
瞼を開けると、いつもと変わらない風景が飛び込んできた。柔らかなシーツに、軽く、それでいて程よく温まった毛布。完璧な設備とは言い難いが、それでも慣れ親しんだ寝具たちだ。
まずは着替えよう、と体を動かした瞬間、両足に鋭い痛みが走った。それから体のあちこちに鈍痛が駆け巡り、一気に昨日の出来事を思い出させる。
とりあえず、騎空団の皆に迷惑をかけたことを謝らなければ。そう思っていると、ドアが2回、ノックの音を響かせる。
「はい」と返事をすると、数秒間を置いてからドアが開いた。
「起きていたか、ナマエ」
「! ……ランスロット様」
「そのままでいい。まだ傷も塞がっていないんだからな」
立ち上がろうとしたナマエを、ランスロットが制す。
ランスロットの持つトレイの上には、綺麗にカットされた林檎が並んでいた。兎を模した形が、なんとも可愛らしい。
「ヴェインが切ってくれたんだ。たぶん、今はあまり食欲が湧かないだろ?」
「は、はい。ありがとうございます」
ランスロットから林檎を受け取ると、ひとつつまみ、口に運ぶ。咀嚼するたびに甘酸っぱい果汁が舌を満たした。以前フェードラッへで1度だけ食べた高級林檎には及ばないが、これもなかなかに美味いものである。
「……あの時。死んでも良いって、そう思ったんです。」
「……ナマエ」
「そのせいで、ランスロット様やパーシヴァル様、騎空団の皆にも迷惑をかけてしまいました。でも、私は……っ」
何と言えば良いのだろう。嫌わないで? 見捨てないで?全部、自分の我儘に違いない。
「ナマエ」
言葉を見つけられずにいるナマエの頭に、そっと手を置くランスロット。慈愛に満ちた瞳は、真っ直ぐにナマエを捉えていた。
「俺は今国を離れているが、それでも騎士であることに変わりはない。パーシヴァル同様、民を守る義務がある。……けど、命を賭して守った民にそんな顔をされては、俺も騎士失格だな」
「そんなことっ……ランスロット様は、立派な騎士です」
「なら、笑ってくれないか。泣いて謝られるより、笑ってくれた方が俺は嬉しい。……これは、パーシヴァルも同じだと思うぞ」
普段は籠手に隠された男の手が、ナマエの髪を撫でる。柔らかな金糸は指と指の間にするりと入り込み、やがて落ちた。ほんの少しだけ近くなった距離に、ナマエは頬を紅潮させる。
「……はい。ありがとうございます、ランスロット様。私を……助けてくれて」
決して満面ではないけれど、控えめに咲いた花に、ランスロットもつられて笑みをこぼした。
「全く、素直じゃないな。本当は俺が来る前に来ていたんだろ?」
「……」
パタン、と扉を後ろ手に閉めたランスロットはその隣、部屋の中からは死角になる位置に背中を預けていた人物──パーシヴァルに声をかける。
「あいつのことだ、どうせ何もかも自分の荷にして閉じこもるだろうからな」
「そんなこと言って、やっぱりナマエが心配だったんだよな」
「……おい、ランスロット」
からかうように口角を上げるランスロットにパーシヴァルが牽制をするが、返ってきたのは「わかったわかった、冗談だよ」というそんな気持ちなど微塵も感じさせないような言葉だけだった。
「お前が奥手なのは知ってたが、のんびりしてると先を越されるぞ?」
「ふん……それは、お前の経験談か?」
「……彼女の仕えるべき人が俺であろうとお前であろうと、彼女は今でも俺の部下だ。そこは何も変わりはしない」
かつて自分に向けられていた敬慕が今は全く別の人物に向けられていることを考えると、少しばかり押し潰されそうな気持ちにはなるのだが。ましてやその人物が、今現在目の前にいるかつての同僚とすれば、なおさら。だから、昨夜……彼女が横たわっている姿を見て、心臓が止まるかと思った。
「でも、譲る気はないんだろ?」
「──ああ、当然だ」
昼間、ナマエが一人で山に登ったと聞いて、いても立ってもいられずすぐに後を追った。頬に汗を伝わせ、真剣な眼差しで炎と対峙する彼女の姿に、一瞬、目を奪われてしまったのだ。すっぽりと両腕に収まった感触を、忘れることなどできそうもない。もっとも、彼女自身はただの"炎を収めるために必要な行為"としか認識していないだろうが。
「お互いに道は長い、か……」
この胸に残る感情を彼女に伝える術を彼らはまだ持っていなかった。