ラストリゾート 上 - text

 正しき休暇の使い方とは一体何だっただろう。

 ここ暫くは文字通り命を賭けたプロジェクトに忙殺されていたせいで、以前の自分がどのような余暇を過ごしていたか記憶が芳しくない。愛くるしい創造物たちと戯れようにも、ここはピアポイントから遠く離れた夢の地ピノコニーだ。スターピースカンパニー幹部であるアベンチュリンの顔と名はすっかりファミリーの重要人名録に刻まれてしまっているので、派手に享楽にふけることもままならない。できることと言えば療養と称して惰眠を貪るか、馴染み深いスターピースラジオを漫然と聞き流すくらいだった。

 行動自体が制限されているわけではない。アベンチュリンのピノコニーでの任務を引き継いだトパーズとジェイドが目的を完遂するまでの間この地を離れることはできないが、夢境の世界ではその限りではない。けれどアベンチュリンの期待に反し、黄金の刻、熱砂の刻、黄昏の刻と、ピノコニー中のありとあらゆる観光地を巡ってみたものの、生憎とこの手の施しようのない退屈を潤すには至らなかった。


(これが俗に言う燃え尽き症候群ってやつかな)


 大博打に勝った瞬間の興奮。そして興奮の後にやってくる僅かな落胆。アベンチュリンの脳は、その落胆のターンに見舞われているのだ。実際、夢境でのアベンチュリンは虚無の一撃によって確かに燃え尽きてはいる。

 この日、黄金の刻のカジノに足を踏み入れてみたのは単なる気まぐれだった。スリルのない、失うものなどたかが知れている賭け事であっても、少しは時間潰しになるだろうと考えていた。

 結論から言えば、予想通りアベンチュリンの大勝ちだった。彼と同じ卓についてしまった者たちは皆青ざめ、中には身ぐるみまで綺麗に剥がされて摘み出される寸前の者までいる。


「さて……どうなさいますか?」


 ディーラーの一言で大半のプレイヤーは棄権を示した。これ以上の負けはいくら幸せな夢の中でも挽回が難しい。泣きながらテーブルを離れる彼らを眺めて、アベンチュリンは少しやり過ぎたかと自省した。あまり勝ち続けては、今度はアベンチュリンがカジノを追い出されかねない。今もディーラーの他に複数人のスタッフの目が自分に向けられているのを感じている。このあたりが潮時だ、とアベンチュリンがフォールドしようとしたその時だった。


「ベットだ」


 ざわ、とテーブルを囲うようにできていた群衆がどよめいた。アベンチュリンも思わずそちらに目をやる。
 最初は仕立てのいいスーツを着ていた男だったが、負けが続いたせいで今身に付けているものは下着くらいしかない。当然手元には一枚もチップが残っていなかったが、彼はやけに堂々とした振る舞いでゲームに乗った。

 そしてこちらも当然のことながら、ディーラーはやや難色を示しながら言い放った。


「お客様。失礼ですが、チップが残っておられないご様子。他に換金できるお手持ち品はございますか?」
「あるぜ。俺にはただの紙っきれだが、人によっちゃそっちの兄ちゃんのチップ全部を足しても買えねえもんがな」


 そう言って男はアベンチュリンの前に積まれた山のようなチップに目を向けると、ゲームを開始してからずっと握りっぱなしだった左手をゆっくりと開いて見せた。折り曲げてくしゃくしゃになった紙が露わになる。


「それは……コンサートのチケットかい?」


 アベンチュリンの問いに彼はかぶりを振る。


「ロビンのコンサート十回分よりももっと価値のあるもんさ。今度、黄金の刻で闇オークションが開かれるのか知ってるか?」
「いいや。僕の記憶違いかな? その手のオークションは黄金の刻じゃなくて黄昏の時で開かれるものだとばかり思っていたけど」


 男はアベンチュリンとの間にあった空席を詰め、カジノのスタッフに聞こえないよう耳打ちをする。


「そりゃ骨董品だの芸術品だのを集めたやつだ。こっちは……ファミリーに知られるとちょいと面倒なもんさ」


 なるほどそういう系か、とアベンチュリンも声を絞って返した。


「それはまた随分珍しいものを持ち出してきたじゃないか。それで? オークションってことは目玉商品が用意されてるんだろう? 何が出るんだい? 天才クラブ#81ルアン・メェイ女史の研究資料? それともスターピースカンパニーの内部告発文書かな?」


 アベンチュリンは一切信用していないことを隠す気もなく、つらつらと述べては鼻で笑った。ファミリーが社会を揺るがすほど大きな犯罪をみすみす見逃すとは思えない。どうせ力のない裏稼業同士が物品を交換するためだけに開く小さな集会のようなものだろう、と軽く見ていた。

 だが男はにやりと笑うと、再度アベンチュリンにのみ聞こえるように言う。


「それが――エヴィキン人らしいんだ」
「…………!」


 アベンチュリンがこのカジノに足を踏み入れてから、初めてポーカーフェイスを崩した瞬間だった。


「……エヴィキン人? ありえない。彼らは第二次カティカ・エヴィキン絶滅事件で全滅した。……そうだろう?」
「それが生き残りがいたんだってよ。詳しいことは知らねえが、何年か前にもカンパニーと博識学会が詐欺に遭った事件の犯人がエヴィキン人の生き残りだったってニュースが出てたじゃねえか。狡猾な奴らなんだから、狡猾な手段で生き延びていたっておかしくねえよ」


 目の前にいる人物こそが件の詐欺事件の犯人生き残りであることなど露知らず、男はぺらぺらと論説する。アベンチュリンはそれを半分ほど聞いたところで思考を巡らせた。


(ありえない。エヴィキン人の生き残りは僕一人だ。これはカンパニーも断言してる)


 可能性があるならば、カンパニーの調査が不足していたこと。もしくはジェイドがアベンチュリンに嘘をついていたこと。けれど、カンパニーに属し些か内部事情に詳しくなった今考えてみても、それらの可能性は極めて低い。第一、アベンチュリンが『十の石心』に就いてすぐの頃自ら調べてみたこともあったが、結果は全て無駄に終わってしまっていた。

 けれど――もし、何らかの手段で、それこそアベンチュリンの思いもよらない方法で虐殺を生き延びた人間がいたのなら。


「……わかった、賭けに乗ろう。君もそれでいいかな?」
「……お客様がそれでよいのでしたら。それでは、宣言を」


 ディーラーが尋ねると、アベンチュリンはサングラスの奥で不敵に笑った。


「もちろん――オールインだ」





 
 黄金の刻は眠らない夜の夢境だ。ビルにかかる巨大広告は三日ごとに入れ替わり、空を流れるスフェロイドからスウィート・ドリームシロップの香りのムエットが降り注ぐ。街頭モニターからロビンの歌声が響くと、UFOバーガーの宣伝を貼り付けた看板までも飛び跳ねて喜ぶ。遠くでは特大スラーダが活火山のように噴出した。

 一言で言えば騒がしい。けれど、身を隠すにはちょうどよかった。

 美しい夢を行き交う人々の間を縫いながら、アベンチュリンはくしゃくしゃにシワのついた紙切れを見つめた。チケットに記された情報によれば、オークションは12システム時間後、この黄金の刻で行われるらしい。同行者はチケットを所持する本人一名につき二名まで。ファミリーの監視を掻い潜って行われる闇取引だとはとても信じられないほど、簡素でありきたりなデザインだったが、偽造されたルーサン家のサインがそれを何よりも証明している。

 アベンチュリンはこの一枚のチケットを、12システム時間後まで安全に保管しなくてはならない。加えて、例の目玉商品エヴィキン人についての情報も仕入れる必要がある。

 さて、何から手を付けるか――と思案した矢先。

 アベンチュリンの手からチケットが消えた。


「……は?」


 一瞬にして質量の消えた手のひらを開いてみるが案の定何もない。視線を前に向けると、アベンチュリンに背を向けて走り去る少女がいた。彼女が左手に握っているのは間違いなく、たった今アベンチュリンの手元から消えたチケットだ。


「……この往来の中で堂々と泥棒かい? 大胆に出たね」


 アベンチュリンはそう目を細めると、自分のコインをピンと親指で弾き飛ばした。コインは空中でくるくると回転し、放物線を描いて地面に落ちる。しかしコインの運動はそこで留まることなく、なおも回りながら地面を転がり進んでいた。途中、タイルの凹凸にぶつかり進路を変えながらも並ぶ人々を追い越し、対面する人々とすれ違い、雑踏をほとんど奇跡のような確率で掻い潜って転がっていく。

 そしてコインが少女の前に飛び出したとき、ようやく彼女の行く道を塞ぐように止まった。彼女は足元に突然現れたコインを警戒し振り向くと、コツコツと革靴を鳴らして近づくアベンチュリンを確認する。彼女はこのコインがアベンチュリンのものだと確信していたようで、人混みに紛れるのを諦めさっと脇道に消えた。


「……………………えっ? な、なんで!? 昨日まで……」


 アベンチュリンが角を曲がった時、目に入ったのはチケットを握りしめたまま立ち往生する彼女の姿だった。彼女の前にはネオンに輝くバリケードが築かれ、それにはこう書かれている――『工事のため立ち入り禁止』。

 少女は自身に近寄るアベンチュリンにハッと気づくと、数歩下がって身構える。けれどその瞬間、握っていたチケットがもぞもぞと唐突に動き始めた。ひとりでに動く紙切れを捕まえようと少女は両手でわたわたと押さえ込もうとするが、その努力も虚しくチケットはするりと彼女の手の隙間から這い出て、まるで小鳥のように羽ばたく。ぱたぱたと空中散歩を楽しんだチケットが向かった先は、アベンチュリンの手のひらだった。


「すまないね、レディ。僕は大事なものには保険をかけておく主義なんだ。『完全紛失防止ナノミーム』……さっきオーディ・ショッピングセンターで買った時は半信半疑だったけど、なかなかいい性能じゃないか。ピノコニーの夢境の中限定なのが惜しいくらいだよ」


 これを施したものは失くしても絶対に戻ってくる、と店員に太鼓判を押されて購入したが、見事チケットはアベンチュリンの手元に帰ってきた。どういう仕組みなのかは知らないが、夢の世界で原理を考えても仕方ない。

 アベンチュリンが余裕のある笑みを見せると、少女は地面を踏みしめる足にさらに力を込めた。

 そこでようやく、少女の容貌がはっきりと確認できた。小柄で、年齢はおよそ十歳そこそこに見える。彼女が仙舟人などの長命種族でない限り、アベンチュリンよりも年上ということはないだろう。目元をライダーゴーグルで覆っているため、かんばせを拝むことはできなかったが。


「安心してくれ。僕には君を取って食おうなんて気はないし、ファミリーに突き出すつもりもない。ただ……君がこのチケットを狙っていた理由は気になるかな」
「オークションのチケットを狙う理由なんて、オークションに行きたいから意外にある?」
「銀河中を探せばあるんじゃないかい? 例えば転売とかね。けど、君は単なる金稼ぎのためにチケットを狙ったわけじゃない……そうだろう?」


 金銭的価値のあるものなどこのピノコニーの中にいくらでもあるはずだ。わざわざファミリーに目をつけられるリスクを冒す必要はない。

 ならば、彼女もこのオークションに用があって強行手段を取ったのだろう。


「君も、目玉商品狙いなのかい?」


 アベンチュリンが尋ねると、彼女は案外素直に答えてくれた。


「そう」
「その目玉商品が一体何なのか知っている?」
「まあね」
「何のために?」
「…………………………」


 その問いに少女は答えなかった。より正確には、答えようにも言葉が詰まった、が正しいかもしれない。少しいい悩んだ末に、小さく口を開く。


「……興味本位?」


 そう、悪事を白状するような声で彼女は言った。

 直感的にアベンチュリンが感じたのは、それが全てではないという結論だ。おそらく嘘は述べていないが、言葉通りに捉えてはあまりに多くの情報を逃しすぎている。

 何年も前に絶滅したとされているエヴィキン人は人身取引市場では桁違いの値がつくだろう。常識を持った一般人がただ見てみたいという単純な好奇心のみで手を伸ばせる世界ではない。その常識のタガが外れている人間をアベンチュリンは知らないわけでもないが、目の前の少女が彼らと同じとは考えにくい。


「もうひとついいかな。君の『興味』っていうのは……」


 その時、少女の真横のガレージがガタリと揺れた。刹那、グラフィティアートや張り紙のあるシャッターを突き破り、ノイズだらけのテレビが勢いよく飛び出す。二本足で走る怒り顔のテレビは、いわゆるナイトメア劇団というやつだ。

 けれど、重要なのはそのナイトメア劇団が、まさに少女の側頭部に直撃しそうなことだった。


「! 危ない――」


 アベンチュリンは咄嗟に足を踏み出していた。液晶が少女の頭に到達する直前でその腕を掴み、ぐいっと己の方へ引き寄せる。……途中、うっかり手を離してしまい遠心力で少女が吹っ飛んだ悲鳴が後方から聞こえたが、ナイトメア楽団に轢かれるよりは数倍軽い怪我で済むだろう。そのせいで、彼女のゴーグルの留め具が壊れたことも知らずに。

 件の走るテレビはアベンチュリンや少女のことなど気にも留めず一直線に走り去っていく。服に汚れがついたとクリーニング代を請求したい気分だったが、あれでは何を言っても聞く耳を持たないだろう。仮にあれが行く先で騒ぎを起こしたとしても、それはファミリーが対処すべき問題だ。アベンチュリンはとんだ災難だとため息をつき、少女の方へ振り返った。


「大丈夫かい? 怪我、は――」


 言葉を失うとはまさにこのことかもしれない。立ち上がった少女を見て、アベンチュリンはサングラスの奥の瞳をこれでもかと見開いた。


「いきなり何……? 夢境では怪我なんてしないんじゃないの……」


 少女は鬱陶しげに壊れたゴーグルをつまみ、顔にかかった髪を払う。

 オーキッドの帳に浮かぶネオンブルーの珠玉。色の変化する宝石のようにも、壊れた機械のノイズのようにも見える。

 吸い込まれそうなほど美しいと称される瞳が、少女の両目にはめ込まれていた――アベンチュリンのそれと同じ、エヴィキン人の証たるそれが。


「……! 君、その目……!」
「!? え、え……!?」


 態度が一変したアベンチュリンに、少女は肩を跳ねて後ずさった。サングラスで顔を隠した男が突然迫ってきたら、一般的な女性は誰であれ恐怖を感じるだろう。そんな単純な考えに至る余裕すら今のアベンチュリンにはなく、この場を部下に発見されでもしたら翌日にはカンパニー中に噂が広まっていたかもしれなかった。


「もっと……もっとよく、見せてくれないか……!」
「〜〜〜〜〜〜〜!」


 切迫した表情のアベンチュリンが少女の頬に手を添え、ぐっと顔を近づけた。色気など微塵もない、老人が書籍に顔を近づける時のそれだ。常に日が沈みネオン街と化している黄金の刻では自然光が存在しないため、よく観察するには物理的に距離を詰めるしかないという点はあるものの。


 ぶわりと全身に鳥肌を立てた少女は反射的に片手を上着の中にさし込んだ。内ポケットに忍ばせたを使おうかと迷い、指をかけた瞬間。


「…………………………姉、さん…………」
「……」


 アベンチュリンの呟きで、少女はポケットから手を離した。





「さっきは失礼したね。せめてものお詫びだ。遠慮せず好きなだけ頼んでくれていいよ」
「……いい。そんなに食べても意味ないし」


 通りに面したオープンテラスのバルに、向かい合って座るアベンチュリンと少女の姿があった。少女の目の前には肉や野菜、スナックまでもがこれでもかと挟まれ、さらに原色のソースがかけられている目に悪い彩りのバーガーが鎮座している。この無秩序が詰まった料理はピノコニーならではと言えるかもしれない。対してアベンチュリンの方にはノンアルコールシャンパンが一杯だけと、この席が少女のために設けられたことは明らかだった。

 本当に謝罪の意があるのか疑いたくなるほど毅然とした態度のアベンチュリンである一方、少女は居心地が悪そうにハンバーガーに視線を落としていた。落ち着かないのか先ほどからそわそわと腕をさすっている。


「もしかして、ピノコニーのハンバーガーは嫌いだったかい? 別のを頼もうか」
「ち、違う。そうじゃなくて。…………わたし、場違いじゃない?」


 少女の指摘は的を得ていた。そう格式高くはないバルとはいえ、この辺りはピノコニー内でも特に富裕層をターゲットにした一帯だ。カンパニー高級幹部のアベンチュリンが同伴しているからすんなりと入店できたものの、ピノコニーでは見慣れない薄汚れたワンピースの身なりである彼女では本来近づくことすら叶わない。現に周囲の客は皆ブランド製のドレスやスーツに身を包み、極め付きに正面にはひと際目立つ容姿の男が座っているせいで、少女の存在が浮いてしまっていることは否めない。


「気にすることはないさ。この店にはドレスコードも、格式ばったマナーも存在しない。ただほんの少し、人よりも金を余らせてる人間が集まってるだけだからね」
「あんたもそうなの?」
「さあ、どうだろう? ただひとつ言うなら……余る金はあっても、暇をしてる金はないかもね?」


 アベンチュリンの財布の中は濁流だ。大量の金が入ってきては、大量にどこかに消えていく。右から左へと大金を動かせるような財力に、少女はうんざりしたように眉を寄せた。


「まあいいけど。わたしがこの店の食材を食べつくしたとしても、きっとあんたの懐は痛くも痒くもないんだろうし」
「言っただろう? 遠慮しなくていいって。わかってもらえたなら嬉しいよ」


 にこりと微笑んだアベンチュリンを無視して、少女はふいっとそっぽを向くとやっとバーガーにかぶりついた。


「……!」
「………
………」

 途端に少女の目が輝いたのをアベンチュリンは見逃さなかった。彼女の態度からして、おそらくピノコニーに来る前もこのような食事とは無縁だったのだろう。少しだけ、幼い日の自分を重ねてしまった。そんな彼女が、一体どうやって高級リゾート地への滞在費を捻出しているのかという疑問はあるが。


「さて、ここからは世間話程度に聞かせてくれ。まず、君の名前は?」
「……知ってどうするの?」
「君を呼ぶときに困るだろう?」
「何回も名前を呼ぶような関係になりたいってこと……?」
「それは君次第かな」


 彼女は相当慎重な性格のようで、アベンチュリンがどれだけ態度を物腰穏やかに接しても警戒を解かない様子だった。例えるなら野良猫を拾ったような気分だ。


「ああ、そういえばまだ僕が名乗っていなかったね。僕はアベンチュリン。カンパニーの戦略投資部に所属してる……と言っても、今は休暇中だけどね」
「…………………………ナマエ」
「いい名前だ。これからよろしく、ナマエ」


 アベンチュリンは軽い挨拶として片手を差し出したが、彼女はぎゅっとバーガーを握ったまま離す気はない。仕方ない、と肩をすくめて手を下ろす。カンパニー戦略投資部の、しかも十の石心の握手を拒否するなど、一体どれほどの信用ポイントを得る機会を棒に振ったかも知らずに。子供の相手というのは難しい。


「まずは君の話をしよう。……君は、ツガンニヤ-Yに生まれたエヴィキン族で間違いないかい?」
「合ってるけど、少し違う」


 彼女は意外にもすんなり答えた。


「わたしはエヴィキン人の血を引いてるけど、ツガンニヤの外で生まれたからツガンニヤ人じゃない。わたしが生まれた星はつい最近、……戦争で滅んだの」
「なら君は、難民としてピノコニーに?」
「……そうなるね」


 アベンチュリンも今までその可能性を考えなかったわけではない。もしかしたら、虐殺が起きるよりも早くにツガンニヤを離れたエヴィキン人たちがどこかで生き延びているかもしれない。カンパニーすら手の届かない辺境の星でひっそりと、子を産み育てていてもおかしくはない。


(…………いや………………)


 それはありえないと、これまで幾度と推論を積み重ねたアベンチュリンの見識が叫んでいた。

 ツガンニヤ-Yは科学力に乏しい荒廃した星だ。カンパニーの手を借りずに宇宙へ飛び立つなど不可能。だからこそ、アベンチュリンは自分が最後の生き残りだとほぼ確信していたのだ。

 けれど、彼女が嘘を言っているようにも、その瞳が偽物であるとも思えない。だからこそ不可解だ。


「なら君の目的は、オークションに出品された仲間を救うことかい?」
「その前にあんたの話を聞かせて」


 ナマエは肯定も否定もせず、アベンチュリンの問いを遮った。


「あんたもオークションに出品されたエヴィキン人の噂を聞いてピノコニーに来たの?」


 答えを間違えれば今ままでの行いが全て水の泡だ、というのは一目瞭然だった。ナマエと名乗る少女の探るような視線は、カンパニーに属して以来何度も向けられてきた。


「いや。元々はカンパニーの仕事でピノコニーに来たんだ。オークションのことを知ったのはついさっき偶然チケットを手に入れてからだ。そして出品されたエヴィキン人を探る理由だけど……これで、わかってもらえるかな」
「!」


 アベンチュリンはかけていたサングラスをすっと外す。彼女は目を皿にして驚いた。


「わ、わたしと一緒の目……! あんたもエヴィキン人だったの?」


 高揚する彼女にアベンチュリンは静かに首を縦に振った。その反応は予想していたものだ。事実、アベンチュリンだって彼女の瞳を見たときは取り乱してしまったのだから。


「でも、ツガンニヤ-Yのエヴィキン人はすでに絶滅したって……」
「そうだね。……僕以外は、全員死んだ。おそらくだけど」
「………………」


 一瞬の静寂が流れる。

 事件の詳細を知らないということは、やはり彼女がツガンニヤ-Yの外で生まれたというのは本当らしい。それが確定しただけでもアベンチュリンには十分すぎる情報だった。

 すると彼女は、何か思い立ったようにアベンチュリンに疑問をぶつけた。


「ねえ! あんたがツガンニヤ出身のエヴィキン人なら、ユイシャを知らない?」
「ユイ……シャ?」
「エヴィキン人の女の人! 彼女はツガンニヤで生まれたって言ってた」


 アベンチュリンは覚えている限りの記憶を遡ってみるが、ナマエの言う『ユイシャ』という名の女性に心当たりはない。残念ながらとかぶりを振ると、彼女は「そっか……」とバイカラーの双眸に影を落とした。


「もしかして、オークションに出品されたエヴィキン人というのがその?」
「そう。ユイシャ。……わたしの、お母さんかもしれない人」


 息が止まった。首筋の烙印がズキンと痛んだ気がした。

 彼女の母親がオークションに出品されることになった経緯は大いに想像がつく。もしかすると、彼女よりもアベンチュリンの方が詳しいかもしれない。かつては、アベンチュリン自身が当事者だったのだから。


(……………………………………)


 アベンチュリンカカワーシャに60タガンバの値がつけられた時、すでに姉はこの世を去っていたことだろう。鎖に繋がれた弟を見て、彼女は星の下でどう思っていただろうか。奴隷の身に落ちた不幸を嘆き血の涙を流しただろうか。それとも生きているだけでも幸運だと地母神に感謝を述べただろうか。

 だけどひとつだけ、はっきりと分かる。これは彼自身もそうだが――仮にカカワーシャと姉、どちらか一人が奴隷に落ちたとしても、残った一人は自分の全てをチップに変えてでも必ず救い出す。なぜならエヴィキン人は、必ず仇を討つ民族なのだから。


「……君自身は、ユイシャに会ったことはないのかい?」
「うん。わたしは親に会ったことがないから。お母さんがツガンニヤ-Yで生まれたエヴィキン人っていうのは、周りに聞いたの」


 ナマエはアベンチュリンの問いかけに正直に答えた。


「だからわたしは、オークションに出品されたエヴィキン人を逃すためにピノコニーに来た。彼女を助けて、彼女が本当にわたしのお母さんなのか確かめる。あんたの目的も、その、理解できなくはないけど…………」
「…………ああ。わかった。今回は君に譲ろう」


 アベンチュリンがそう告げると、彼女は心底安心した様子で胸を撫で下ろした。既にチケットの強奪に失敗しているので、実力差は十分すぎるほど理解しているのだろう。それでも手段がなければ、彼女はきっと無謀とも呼べる行為に出ていたのは確実だ。


「ところで君、ユイシャを救出する具体的な策はあるのかい?」


 途端に彼女は動きを止めた。ぎくりと体をこわばらせ、瞳を左右に動かしている。
 その反応だけで、アベンチュリンはなるほどと察した。


「………………無策か…………」
「……仕方ないでしょ! わたしは昨日ピノコニーに着いたばかりなの!」


 頬をほんのり赤らめて反論した彼女だったが、それはアベンチュリンから半笑いを引き出すにしか至らなかった。この様子では、仮に彼女がアベンチュリンからチケットを奪えていたとしてもユイシャ奪還の可否は語るまでもない。

 そのため、アベンチュリンはある提案を持ちかけることにした。


「なら、取引しよう。僕を君のパトロンにするっていうのはどうだい?」


 パチンとアベンチュリンが指を鳴らす。彼女は思いもよらなかった話に瞬いた。


「あ、あんたがわたしと一緒に来てくれるってこと……?」
「ああ。まあ、チケットを持っているのは僕だから、君が僕の同行者として入場する形にはなるけどね。盗むというのも不可能ではないだろうけど、今からじゃ時間が足りない。だから、ユイシャを買い戻す費用は僕が負担しよう。その代わり僕もユイシャと話がしてみたい。お互い、悪い話じゃないだろう?」


 チケット一枚につき二名までの同行者は認められている。その枠にナマエを入れることで、彼女も正式にオークションに参加することが可能だ。

 非の打ち所のない、悪くない提案だとアベンチュリンは自負していたが、彼女は顔を真っ青にして首を横に激しく振った。初対面ではへそ曲がりな子供という印象だったが、案外表情豊かであるらしい。


「む、無理無理無理! 世間的には絶滅してるはずのエヴィキン人だよ? 一体どれほどの値段になると思ってるの……!?」
「60タガンバくらい?」
「60赤銅コインタガンバって……あんた、もしかしてわたし以上に世間知らずだったりしない?」
「………………………………」


 限りなく実体験に基づいた予想だったが、彼女には怒られてしまった。カンパニーの重役として日々銀河中を駆け回り、罵詈雑言を浴びた回数は数え知れないが、まさか『世間知らず』などと罵倒される日が来るとは夢にも思わず、アベンチュリンはここがホテルの客室であれば躊躇なく腹を抱えて笑っていたことだろう。ふっと彼から滲み出た微笑みが自分への嘲笑だと感じたのか、彼女はさらに口を硬く結んで睨みつけた。


「いやいや、すまないね。悪気はなかったんだ。謝るよ」
「……別に。あんたって見るからに金持ちのボンボンそうだし。カンパニーってそんなに実入りがいいの?」
「さすがに総監までなれば福利厚生は手厚い、とだけ言っておこうかな」
「意外。まだ若そうに見えるのに、結構偉い人だったんだ」


 ふうん、と彼女は軽く眉を上げてバーガーを一口頬張った。

 彼女を観察するうちに、わかったことがある。

 まず、彼女はカンパニーの名前は知ってはいるものの、その実情をよく知らない。

 先ほどあえて総監の身分を明かしたが、彼女はたいして気に留めていないらしい。肩書きに左右されない実直な性格というより、単純にスターピースカンパニーという超巨大企業の存在をよく理解できていないように見える。この調子ではアベンチュリンが名乗った戦略投資部という名称についてもいまいちピンときていないだろう。

 だとすれば、彼女の故郷はカンパニーの市場開拓部ですら足を踏み入れたことのない未開拓の辺境の星という可能性が高い。それこそ、かつてのツガンニヤ-Yのような。

 けれど、そちらに関しても新たな疑問はある。もしも本当に辺境惑星出身だったとして、どうやってピノコニーにやってきたのかという点だ。

 アスデナ星系に位置する宴の星は、今や銀河中の富裕層がひとときの夢を追い求めて集う高級リゾート地だ。宿泊費だけでも馬鹿にならず、大半の人間はピノコニーにたどり着く前に夢破れてしまう。戦略投資部の不良債権回収業務で鍛えられたアベンチュリンの鑑識眼が述べている。彼女に、宴の星に長く滞在できるほどの支払い能力はない。


(なら、密航者か……?)


 ありえない話ではない。ホテルレバリーのドリームプールを介さず夢境に侵入する手段が皆無というわけではなかった。当然不許可では犯罪行為であり、ファミリーに発見されれば即つまみ出され相応の裁きを受けるだろうが、このピノコニー内に相当数の密航者が潜んでいるというのは事実として存在する。どうであれ、ただの客人であるアベンチュリンには関わりのないことだったが。


「それで、どうかな? 考えはまとまったかい?」
「…………たしかに、費用を全部負担してくれるなら一番穏便に目的を果たせそうだし……」


 ナマエはぶつぶつと呟いて脳内をひとつひとつ整理していく。今のところ、アベンチュリンの提案が最も安全で、最も成功率が高い。後の問題は、この男を信用し切れるかどうかだったが。


「………………まあ、いいよね。どうせ――――なんだし」
「……? 何か言ったかい?」
「なんでもない。あんたの言う通りにする。よろしく、パトロン」
「……できれば、アベンチュリンと呼んでもらえると嬉しいんだけどね」


 ナマエはすっと手を差し出した。先ほどは拒否しておいて変わり身の早い子供だとアベンチュリンは思ったが、これくらいの神経の太さならば余計は心配はいらないだろうと微笑み、握り返す。


「さて。協定も結んだことだし、早速準備に取り掛かろうか」
「準備? 何するの?」
「ちょっとしたショッピングだよ。レストランにはレストランの、オークションにはオークションのドレスコードというものがあるからね」
「……見窄らしくて悪かったね」
「そういうわけじゃない。ただ、無意味に目立つのは避けたいというだけの話だよ」


 アベンチュリンが慌てて言葉を補うも、ナマエは「フォローになってない!」と眉を寄せてぷいっとそっぽを向いた。

 高価な腕時計や繊細なアクセサリーの数々、鏡のように磨かれた靴と、アベンチュリンの装いは誰がどう見ても一切金に不自由のない成金セレブのそれだ。対してナマエは、明らかに下流階級丸出しのワンピースと砂まみれのブーツ。この二人が並んで共にオークション会場に行くのはあまりに不自然すぎる。

 一般的な骨董品や美術品を扱うものとは違い、今回は人身売買を行う闇オークションだ。アベンチュリンとナマエの他にどのような人間が銀河中から集まってくるかわからないが、おそらくはアベンチュリンと似たり寄ったりな富豪が大半だろう。なるべくなら周囲に合わせた方が余計な摩擦を生まずに済む。

 けれど、言い方が悪かった。アベンチュリンが続けて言葉を探すも、その時グラスを数本トレーに乗せたウェイターがナマエに歩み寄る。


「レディ。食後に当店自慢のクラフトスラーダはいかがですか?」


 空になった食器を見たウェイターがストローのささったグラスをナマエに見せる。オレンジ色の液体の中で小さな泡がいくつもしゅわしゅわと下から上にのぼっていた。おそらく彼女がスラーダを目にしたのはこれが初めてだったのだろう。ナマエは一度不安そうにアベンチュリンに視線を向けたが、アベンチュリンが静かに頷くと「ひとつちょうだい」とウェイターからグラスを受け取った。

 ナマエは初のスラーダを物珍しそうによく観察したあと、意を固めてストローに口をつける。

 その瞬間、アベンチュリンは「あ」とひとつの懸念に行き着いた。

 彼女の故郷はおそらく資源に乏しい星だ。その場所では果たして、『炭酸飲料』というものは存在していただろうか。

 答えはあっという間に出た。アベンチュリンが忠告する間もなくナマエはスラーダを飲み――まるで線香花火を口に含んだかのような顰めっ面を作り出したのを見て、アベンチュリンは堪えきれずに吹き出した。





 カーテンを開く。


「ああ。思った通り、君は濃い色のドレスの方が映えるね。髪の色とも合ってる」


 カーテンを開く。


「少し大人びた印象になるけど、悪くないね。オークションに行くならこっちの方が適しているかもしれないな」


 カーテンを開く。


「おや! やっぱりこういうのは試してみないとわからないな。君の雰囲気とは少し系統が違うと思っていたけど、着てみると瞳の色と合っていてとても似合っているよ。これはなかなか決め難いな……」


 アベンチュリンは試着室の前で顎に手を当て、至極真面目に考えた。


「よし。全部買おう」
「だ〜か〜ら〜! そういうのはいいんだって!」


 鏡とカーテンに囲まれた空間でナマエが思わず叫んだ。当のアベンチュリンはなぜそんなことを言い出すのかときょとんとした顔でナマエを見つめている。試着に立ち会っている店員が苦笑する中、ナマエはむっとした表情で腕を組んだ。

 それを見たアベンチュリンはなるほどわかったぞと言いたげな顔で口を開く。


「安心してくれ。これも協定内だからね。ここの支払いは全額僕が出すよ」
「そうじゃない! 二着も三着も買っても意味ないでしょ!? 11システム時間後に一回着るだけなのに!」


 ナマエの反論を受けてもなお、アベンチュリンは納得できていない様子だった。ピノコニーで有名なハイブランド店のドレスを三着も手に入れられるのだから、彼女には得しかないはずだ。


「11システム時間後しか着なければいけない決まりはないだろう? 16システム時間後でも32システム時間後でも、ピノコニーを出てからも好きな時に着るといい。これは僕から君へのプレゼントなんだから」
「…………………………」


 アベンチュリン自身には何もおかしなことを言ったつもりはなく、率直な考えだった。それどころか、本気で彼女にドレスを贈りたいとも思っていた。距離を深めたいと感じたのが計画のためなのか、あるいはカカワーシャに残っている郷愁が暴れているのかは自分でもわからない。同じ瞳を持つという、か細い糸で繋がれたアベンチュリンとナマエはバディと呼ぶには浅く、だけど一時的に協力する他人と呼ぶには結びつきが深すぎた。

 だがアベンチュリンは心のこじ開け方は知っていても、子供の心を自然に開く方法など専門外だ。知っているのは、プレゼントが最も簡単で手っ取り早い手段ということくらいなものだった。

 けれど、それを聞いたナマエの表情は曇り、美しい宝石の瞳に影を落とす。その視線が一瞬店員に向けられ、また床に落とされた。おそらく何か事情があるのだろうが、第三者のいる場所では話せないのだろう。


「……必要ない。最初に着た一着だけで十分だから」


 それだけ告げると、ナマエは試着室のカーテンを勢いよく閉めてしまった。一方的に会話を打ち切られたアベンチュリンはそれ以上追求することは叶わず、「……君がそう言うなら、無理強いはしないけど」と力なく答えるしかなかった。

 帷越しに彼女が問いかける。


「あんたって、そうやっていつも人に物を押し付けてるの?」


 アベンチュリンは心外だと言いたげな顔で肩をすくめた。


「別に物で人を釣るのが趣味なわけじゃない。でも、仕事で遠くの星に行った時ジェイドにお土産を買うことはあるよ。彼女は常に忙しいから、ほとんどは郵送か人伝てで渡してもらうけどね」
「ふぅん……」


 それから試着を終えるまで、彼女は一言も発さなかった。アベンチュリンの返答が不満だったのか、そうでないのかもアベンチュリンにはわからない。再びカーテンを開いた時には彼女は元の服に着替え終わっていて、涼しい顔で店員にドレスを手渡していた。

 ――そうしてアベンチュリンが、ナマエが二度見するほどの信用ポイントを涼しい顔で一括払いした後。二人は続けて黄金の刻のメインストリートを歩いていた。

 すれ違う人々は皆念願の夢の世界に夢中で、アベンチュリンとナマエの二人など気にも留めていない。ピノコニーに来たばかりだというナマエは頭上を飛ぶスフェロイドやライトアップされた巨大広告もちらりと流し見する程度で、それよりもファミリーの監視を警戒していることが窺えた。


「ねえ。あとは何を買うの?」
「まだドレスを買っただけだから、他には靴と……アクセサリーもいくつか必要かな」


 つまり、あの飽きるほどの試着と購入を何回も繰り返す事は必須だった。ナマエはどことなく足が重くなるのを感じた。


「……本当に一着だけで良かったのかい? 遠慮する必要はなかったのに」


 アベンチュリンは左手に下げたショップバッグに目をやって尋ねる。

 ナマエは僅かに瞳を揺らすと、周囲をきょろきょろと見渡し始めた。近くにファミリーの人間がいないと確認できると、「ちょっと屈んで」とアベンチュリンに頼む。彼が言われた通りにすると、ナマエは密かに耳打ちした。


「わたしが密航者だってこと、もう気づいてるでしょ?」


 アベンチュリンはナマエから顔を離し、短く「ああ」とだけ返す。彼女はとっくに予想していたようだった。


「今ホテルのドリームプールで寝てるわたしは、生身じゃなくてホログラム体なの。本体は今もピノコニーの外で眠ってる。そのホログラム体も長い間維持できないから、夢境の中で何を買おうとわたしが持ち帰ることはできないんだよ」


 彼女は違法な手段でホテルに侵入したデータの存在だ。アベンチュリンが現在彼女に触れることができているのは、共感覚夢境がそう錯覚させているだけにすぎない。一定期間が過ぎればドリームプールで寝ている体ごと泡となって弾け飛び、遥か遠い星空の下で目が覚める。彼女にとっては、ホテルに足を踏み入れた瞬間から夢は始まっているのだ。

 だから、アベンチュリンの好意には全く意味がない。ピノコニーで彼が何を与えてくれたとしても、最終的には全てホテルの客室に置き去りにする未来が待っている。彼女がショッピングに乗り気でなかったのはそういうことか、とアベンチュリンはようやく合点がいった。


「なら君は、ユイシャをオークションから連れ出した後どうするつもりだったんだい?」


 彼女が一瞬押し黙って、こう答えた。


「ユイシャ本人から客室番号を聞き出して、ホテルから連れ出す。停泊してる船のどれかに隠れさせて、わたしはピノコニーから消える。その予定だったけど……今はあんたがホテルにいるから、あんたが正当な購入者としてユイシャを連れ出して」
「……それで君は、予定通りホログラムを消すつもりかい?」
「わたしが自発的に消さなくても、期限が来れば勝手に消える。そういうシステムになってる。だから、現実世界でのわたしのことは考えないで、夢境でのオークションだけに集中して」


 アベンチュリンという協力者ができた今、オークションの後のことなど些細な問題でしかないのだ。ナマエがユイシャと顔を合わせられるのはおそらくほんの一瞬だろうが、元々それら全てを覚悟した上でピノコニーに来ている。元から、ナマエはユイシャと共にピノコニーを出る気などなかったのだ。

 アベンチュリンには、それに僅かな疑問はあった。けれどそれを口から出すということは、彼女の決意や覚悟に唾をかけるようなものだ。パトロンに徹すると決めた身が口を出すべきことではない。


「……いいよ。ユイシャは僕が責任を持って預かろう。…………ところで君、スマホは使えるかい?」
「? 一応、機能は問題ないはず」


 ナマエはポケットからスマホを取り出してアベンチュリンに見せた。もちろんこのスマホ自体もホログラムだがデータは同期されており、夢境の中であるため操作感も現実世界のものと遜色ない。

 アベンチュリンは「少し貸してくれないか」とナマエからスマホを受け取ると、慣れた手つきで画面をタップし文字を打ち込んでいく。全てが完了しピロンと通知音が鳴ると、彼はあっさりナマエに返した。


「僕の連絡先を追加しておいた。ピノコニーを出たらそこに連絡してみるといい。君のいる場所までユイシャを送り届けるよ」


 あくまで僕は資金援助役でしかないからね、と彼はチャーミングに片目を閉じる。銀河を股にかけるスターピースカンパニーならば決して不可能なことではない。仮にアベンチュリンが動けなくとも、日々未知なる星を目指して『開拓』の道を進む友人がいる。これは、その道標となるものだ。


「…………気が向いたらね」


 ナマエは数秒何かを考えていたが、そう呟くとふいとアベンチュリンから顔を背ける。その先で、あるものがナマエの目に留まった。アベンチュリンもその視線の先を追う。

 あるのはアイスクリームのワゴンだった。小麦色のコーンの上にピンクやオレンジなどのカラフルなアイスクリームが三段も五段も乗っている。特筆すべきは、そのアイスクリームがワゴン周辺にふわふわと浮いていることだった。夢境の中なのだからアイスクリームが浮いていても変だとは感じないが、まだピノコニーに不慣れな彼女には特別珍しいものかもしれない。アベンチュリンはとっくに見慣れてしまったので、ナマエがじっと見つめるまで視界にも入っていなかった。


「アイスクリームが気になるかい?」
「? アイスクリームって、何?」


 返ってきた疑問に、そこからかとアベンチュリンは意表を突かれた。だがすぐに、それまでの情報から解を弾き出す。アイスクリーム等の嗜好品を日常的に食せる文明レベルの星など、宇宙規模で見ればそう多くはない。


「どう説明したらいいかな……クリーム状にしたミルクを凍らせた冷たいスイーツなんだけど」


 ナマエの様子を伺うが、あまり想像できていないようだ。人生で一度も口にしたことがないのだから仕方ない。アベンチュリンは早々に説明を諦め「食べた方が早いと思うよ」とワゴンまで足を伸ばすと、ナマエは素直にその後ろを歩いた。

 浮いているアイスクリームたちは新たな客を認識すると、すかさずナマエの前まで飛んで一列に並んだ。まるで犬が尻尾を振るように上下に揺れている。遅れて、フレーバーの説明と価格が書かれているメニュー表の立て看板もトコトコと足音を立ててやってきた。


「なんて書いてるの?」


 メニュー表に視線を合わせて屈んだナマエがアベンチュリンに尋ねる。どうやら彼女の故郷は識字率も低いらしい。


「左から『素晴らしき黒歴史』『子犬の甘噛み』『残業夜景』……だって」
「ピノコニーって変な食べ物しかないの?」


 スラーダに苦い経験のあるナマエが怪訝な目をアイスクリームたちに向ける。あれは彼女が炭酸の刺激に慣れていなかっただけで他はそうでもないと言いかけたが、生地から魚の頭が飛び出たグロテスクなケーキが脳内を掠めアベンチュリンは言おうとしていた言葉を引っ込める。あれを初見で臆せず食べられるのは相当肝の据わった人間か、無謀なチャレンジャーのみだ。


「さすがに食べられないほど不味いことはないと思うよ……たぶんね」
「……………………………………」
「………………わかった、僕も食べるよ……パトロンに味見役をさせるなんて、君は将来大物になるんじゃないか……?」


 食べた方が早いと勧めた手前、アベンチュリンは後には引けなかった。比較的どんな味が来ても軽微なダメージで済みそうな『子犬の甘噛み』と『残業夜景』を購入すると、『子犬の甘噛み』をナマエに差し出す。

 アベンチュリンは迷わず『残業夜景』に口をつける。案外警戒していたほどの刺激は訪れず、ほろ苦さの後柑橘類に似た甘さが口に広がった。悪くないどころか、美味と言える類だ。土産話として持って帰れるくらいに。
 それはナマエも同様だったらしく、おそるおそる口をつけた彼女の表情はみるみるうちに破顔していった。満足した様子にアベンチュリンは少し気を緩める。

 他者の顔を見て安心を得たのはいつぶりだろう。遠い昔、姉の誕生日に好物の木の実を持って帰ったことがある。その時と同じ気持ちだ。そう考えると、ナマエと姉もなんだか似ているように思えてきた。


(……いや……似ているようというか……)


 そっくりだ。横から見ると瓜二つだ。まるで生き写しのように。


(…………まさかね)


 心に浮かんだ可能性を、そんなはずはないと振り払う。ただの勘違いだ。アベンチュリンだって、もう姉の顔を鮮明に思い出せるわけではない。自分の記憶の中にあるエヴィキン人の女性が姉くらいなものだったから、無意識に重ねてしまっているのだろう。幼稚だ、と自分でも思う。だが、幼稚でもいいと思う自分もいた。

 あっという間にアイスクリームを食べ終えてしまったナマエは、メインストリートを歩いていた頃よりもだいぶ落ち着いた表情で「次はどうするの?」と聞く。


「この際、休日を享受するのもいいかもしれないね……」
「休日?」
「休日を享受することは世人に許された権利のひとつだ。僕も、君もね」
「……オークションの準備はどうするの?」
「もちろん準備は万全に行うけど、あまり気を張りすぎても意味はないからね。それに――」


 アベンチュリンが最後の一口を嚥下し、手についたクリームをぺろりと舐めとる。

 ふと遠くを見つめると、ステージを取り囲む集団が目に入った。中心で一人でに楽器が音楽を奏で、リズムに乗って踊る人々は楽しそうに笑っている。スクリーンに映るクロックボーイが手を振ると、頭上の風船が割れて銀テープが舞った。

 夢境では誰もがスポットライトを浴びて生きている。苦悩を脱ぎ捨て、快楽を手にする。ここはそういう楽園だ。


「ここではみんながステージに上がれるチケットを持ってる。なのに人知れず蚊帳の外で消えていくなんて、寂しいだろう?」


 彼女は物を持ち帰れない。存在の痕跡すら残せない。手にできるのはたった数日の、夢のような記憶だけ。ならアベンチュリンに施せるものはそれくらいしかなかった。

 ナマエはアベンチュリンの言葉の真意をあまり理解しておらず、よくわからないがアベンチュリンが少し休憩したいと受け取ったようだ。


「どこか行きたい場所はないかい? してみたいこととか」
「……じゃあ、ツガンニヤの話を教えて」


 想定外の答えにアベンチュリンは一瞬息を止めた。ざわざわと血管の中を糸が通っていくような感覚だ。
 おそらく、彼女には本当の意味で休日を楽しむ気は一切ないのだろう。ツガンニヤについて尋ねたのはオークションに向けた事前学習でしかない。だけど、アベンチュリンは快く承諾した。


「いいよ。そうだな……ツガンニヤには、星神信仰の代わりに地母神っていう独自の信仰対象があって……」
「手のひら合わせをよく家族とやったんだ。こう、お互いの手のひらを合わせて……」
「エヴィキン人はターコイズ隕石を装飾品にするのを好んだんだ。もうツガンニヤのターコイズ隕石を見れることはないだろうけど、他の星のターコイズなら市場に流通してるから、ピノコニーを出たら見に行ってみるといい……」





 戦火が家を焼き、草木を燃やし、人々や動物を塵にした。

 逃げてくる途中、たくさんの怒号を聞いた。「■■■のやつらめ! 火を使うなんて、どれだけ卑劣なんだ!」

 一方で、こんな叫びも聞いた。「■■■■■の野郎! 火で敵味方まとめて自滅する魂胆かよ! 死ぬならお前らだけ一人で死ね!」

 事実、どちらが火を放ったかなんてわかるはずもない。だけど互いに、相手が先に火を使ったと憎み合っている。本当に一人で死ぬのは、勝手に戦争を始めた大人ではなく無辜の民だというのに。

 破片や銃弾が散乱する地面を火傷だらけの足で走り続けて、とうとう体力が尽きた。瓦礫の陰に身を隠し、仰向けに寄りかかる。鈍色の空が雲なのか、それとも煙なのかも判断できなかった。ただひとつ、ここが己の墓場になるだろうことだけはぼんやりとわかっていた。

 意識を失うほどの時間が流れた頃。空からやってきた黒い服を着た人間が告げた。


「エリオの脚本には、私たちは間に合わないと書かれていた」

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