ラストリゾート 下 - text
詰まるような息苦しさと共にナマエはばっと目を開く。体が極端に重い。深く息を吸って吐くを何度か繰り返し、ようやく呼吸が落ち着いてきた。気を失ってどれほど経っただろう。長い夢を見ていたような気がするが、内容はさっぱり思い出せない。けれど己の状態を見るに悪夢には違いないので、思い出せないのはかえって僥倖かもしれなかった。
硬い床で倒れていた体を起こす。足や腹の上に倒壊した建物の破片や埃が乗っていたが、幸運にも怪我に至りそうな危険物は周囲には落ちていない。気絶している間もチケットは固く握りしめていたらしくじんじんと痺れているが、それ以外はかすり傷しかないことを確認するとふらりと立ち上がって状況を整理した。
「ここは……倉庫?」
ナマエが寝ていたのはちかちかと照明が点滅する、打ちっぱなしのコンクリートで囲まれた部屋だ。上を見上げると遠くの天井に穴が空いていて、かすかに光が差し込んでいる。高さにしておよそ二フロア分以上はあるだろう。オムニックの攻撃で足元が崩壊し、ここまで落ちてきたのだ。夢境の中でなければ大怪我では済まなかったかもしれない。
壁際には錆びた鉄の棚と木箱が雑に配置されていた。存在ごと忘れられたように人の手が入っておらず、木箱の蓋はそれ自体の檜皮色よりも埃の灰色の方が濃く見える。部屋から顔を出して様子を伺ってみるが、人影ひとつ存在していなかった。
「……どうしよう。どこに行けば外に出られるかな……」
あの騒動ではオークションは中止だろう。アベンチュリンに扉を閉められ会場内の様子は不明だが、中から聞こえていた悲鳴ははっきりと思い出せる。
「……そうだ。アベンチュリン」
彼の指示通りホテルに戻るのは、こうなってしまっては難しい。なら彼と合流するのが最も安全だ。唯一の出入り口が崩壊してしまったのなら、彼もまだこの建物内に取り残されているかもしれない。
ナマエは手元のチケットに目を落とした。
「『完全紛失防止ナノミーム』って、回数制限あるのかな……」
試しにチケットを手放してみる。すると、チケットは水辺で跳ねる魚のようにピチピチと数回しなり、かと思うとパッと飛び上がって蝶のようにひらひらと飛んでいった。まだ主人をアベンチュリンと認識しているらしい。あれについて行けば彼と合流できるだろう。
ナマエは足を踏み出そうとしたその時、チケットを手放したはずの手のひらに何か硬い感触が残っていることに気がついた。
「……あれ? これ…………」
よく観察しようとしていたが、少し目を離した隙にチケットは近場の曲がり角に消えてしまった。ここで見失っては大変だ。ナマエは一旦思考を打ち消し、駆け足でチケットを追いかけた。
アベンチュリンが対峙するナイトメア劇団の頭上にダイスをお見舞いしてやると、このホールで立っているのはとうとうアベンチュリン一人だけになった。ひとまずの危険が去り、ふう、と彼は息を吐く。万全の状態ならバグを起こしたからくりなど、目を瞑ってコインを指で回しながらでも軽くあしらえるのだが、今のアベンチュリンにはその力の大元となる基石がない。
加えて、一人で送り出してしまったナマエの行方が気がかりだ。緊急時で焦っていたとはいえ、戦う手段を持たない一般人の子供に向かって「暴走した機械を無理矢理振り切って突破しろ」とは、冷静になった今考えるとなんて無茶苦茶な指示だと反省する。
それでもあの時、彼女にシアター内を見せるわけにはいかなかった。暴走したオムニックたちが客や商品を無差別に殺し、血で染め上げた光景――その中には、彼女がニアと呼んでいた少女も含まれていた。
もはやオムニックの姿を保つことすらやめたナイトメア劇団の猛追を凌ぎつつ、アベンチュリンは我先に逃げたオークショニアの後を追い地下劇場のさらに地下へと潜った。オークションは当然中止。彼が金よりも命を優先するならばその足で非常口へ。もしも命よりも金を優先するならば、最も金銭価値のある目玉商品の無事を確認しにいくだろう。どちらにしろ、アベンチュリンが求めているものだ。
けれど、下層フロアの構造はアベンチュリンの想像の数倍は複雑だった。どういう抜け道を使ったのか男の姿は早々に見失い、その間にもナイトメア劇団は次々と襲いかかってくる。煩わしいことこの上ない。
「これじゃあジェイドが来ても呆れて帰ってしまうかもしれないな……」
彼女が多額の信用ポイントと交渉材料を引き連れてここに到着しても、肝心の競売自体がこの有様ではどうしようもない。アベンチュリンが事件に巻き込まれている、とカンパニーへ伝えられるだけ幸いだと思いたい。
アベンチュリンが溜息をつきながら角を曲がったその時、正面から自分に向かって何かが向かってくるのを感じた。咄嗟に障壁を張ろうと指先がピクリと動くが、その正体を見た瞬間アベンチュリンは目を丸くした。
「いた! アベンチュリン!」
ひらりと羽ばたいたチケットがアベンチュリンの手に収まる。それと共に、送り出したはずの子供が下ろし立てのドレスを埃まみれにして走ってきた。
「……ナマエ!」
全身ボロボロの彼女はアベンチュリンの前に来て止まると、ぜえぜえと息を切らして中腰になる。その姿を見た瞬間、アベンチュリンに全身の血液が沸騰するような感覚が走った。
「怪我を、したのかい?」
「え?」
ナマエは一瞬、言われている意味がよくわからなかった。彼の緊張を孕んだ硬い声色と、全身を針で刺されたような表情が自身のドレスに向けられていることに気づき、ああと納得する。
「違う違う!
ナマエは恨み節を唱えるようにびんとアベンチュリンのチケットを指さした。役目を果たし事切れたように沈黙する紙切れ相手に腹を立てても意味はないと早々に察したのか、無傷を強調するため両手をぴんと真横に伸ばし、左右に体をよじる。ようやく見た目のわりには軽傷だと理解したアベンチュリンは今日一日で一番長い溜息を吐き、傍らの壁にぽんと肩を寄せた。ドクドクと暴れていた心臓がゆっくりと落ち着きを取り戻す。
「あ、あの。ごめん、ね。あんたの指示通り、ホテルに行けなかった……」
「……いや。武器を持たない民間人の君を一人で行かせてしまった僕の判断ミスだ。気にする必要はないよ」
「そ、それとね」
「?」
彼女は大層気まずそうに、おずおずと握った両手を差し出した。ぎこちなく、一本ずつ指を開いていく。
指の隙間から出てきたのは、中央に亀裂の入った指輪だった。センターストーンの砂金石は濁った水のように輝きを失っている。
「チケットと一緒に持たせてくれたやつ。きっと、落ちた時に割れちゃったんだと思う……だっ、大事な、もの、だっ、た…………?」
「……」
まるで震える雛鳥のように、彼女は上目遣いでアベンチュリンを見上げた。あれほどの値段のドレスをぽんと買える人間が所持している指輪の価格など考えたくもない。弁償を要求されたらナマエでは一生かかっても返せるかどうか怪しいだろう。
初対面のアベンチュリンから堂々とチケットを盗んでいった時と比べ随分と縮こまってしまった姿に、アベンチュリンは耐えきれずにふっと笑った。
「確かに大事なものだね。命と同等に扱え、とは言われたけれど」
「そっ……! そん、なに…………?」
「でも、いいんだ。壊れたということは、これは無事に役割を果たしたんだろう」
アベンチュリンはナマエの手のひらから指輪を摘み上げた。ぱらりと砂金石の砂粒が床に落ちる。お疲れ様と労うように軽く握ると、砂金石はアベンチュリンの指の中で完全に砕けた。
「君が無事なら、それでいい」
真っ直ぐと、己と同じ瞳を持つ子供を見下ろす。彼女はぎょっと息を止めると、どこか歯痒いようにぷいっと目を背けた。あまり褒められることに慣れていないのだろう。彼女を見ているとどうしても過去の自分を想起してしまうが、姉に頭を撫でられ溶けそうなほど顔を綻ばせていた単純な自分とは、そういう部分においてまるで正反対だ。
「感動の再会をあっさり終わらせてしまうのは名残惜しいけど、時間がない。ナマエ。今すぐ地上へ戻って立て直すか、このままユイシャを探すか。君が決めてくれ」
「……アベンチュリンはどうするの?」
「僕は君のパトロンだからね。君の決定に従うさ」
彼女は黙り、しばらく考えた。だが大方の決断はとっくに下していたらしい。
「ユイシャを探す。手伝って」
そしてアベンチュリンも、その選択を予期していた。そうこなくちゃね、と短く返して深く頷く。
「っていうかアベンチュリン、あんた戦えたなら最初に言っておいてよ。無駄に心配しちゃったじゃん」
「あれ? 言ってなかったかい? つい知ってるものだと思っていたよ……まあ、それはさておき、問題のユイシャの居場所は……」
「――ああ。いえいえ。それには及びません。そういう面倒なやり方はどちらにとっても不毛でしょう?」
ナマエとアベンチュリンの会話に突然割り込んできた声に一瞬で緊張感が走る。バッと声のした方に視線を向けると、つい先ほどまで舞台上でガベルを振るっていたオークショニアが部屋の対角に立っていた。傍には運搬用の機械に乗った黒い棺のような箱が添えられている。ほとんど無意識のうちに、アベンチュリンはナマエを隠すように一歩前に出た。
「おや? 奇遇だね。今から君に会いに行くところだったのに、まさか君の方から来てくれるなんて」
「はい。私もお会いしたいと思っていたんですよ、カンパニー戦略投資部のアベンチュリンさん。それと……」
一目でアベンチュリンがカンパニーの高級幹部である彼だと看破したオークショニアに厳しい視線を向ける。だが彼の飄々とした表情は一切崩されず、その視線はそのままアベンチュリンからナマエの顔へとスライドした。うっとりと、まるでショーケースの宝石を見つめるような恍惚とした表情を浮かべて。
「ナマエ。君が客席に座っていた時はまさかと目を疑ったよ。星核の暴走、二国間の戦争、スウォームの災害という三重の災いを、一体どうやって生き延びたんだい? もしかして、全てが終わった後死骸に群がるハイエナのようにやってきた星核ハンターと何か関係があるのかな?」
「……星核ハンターと…………?」
アベンチュリンが懐疑の目を彼と、ナマエに順に向ける。彼女はアベンチュリンに視線を返すことも、答えることもなかった。ドールのような顔立ちに収まる二つの大きな瞳は男をただじっと見つめている。
「……思い出した。あんた、大人たちの中にいたよね。ニアを攫ってオークションに出品したのはあんた? どうして、このオークションを開いたの?」
「ニア……? ……ああ、あの『レベッカの子』か。彼女への印象は特にないな。オークションを開いたのはただの資金調達さ。優秀なパトロンを得る前に全員殺してしまったのは惜しいけど、君を逃すわけにはいかなかったんだ。ユイシャを誰かに売るつもりは毛頭なかったが、他は消えても困らない。レベッカも、レベッカの子供たちも、君という『ユイシャの子』が健やかに育つための舞台装置でしかなかったからね。子供の情操教育には友人関係の構築が最適だろう?」
「……っ、そのためだけに、あんな場所を作ったの? あんたの金のために、いらなくなったニアの死体を売った?」
「そうだよ」
彼はあっさりと頷いた。
「カルベルカ・ネロは一年を通して惑星全体を濃い酸性雲が覆う、カンパニーの市場開拓部ですら調査を後回しにした星だ。そしてその星の国家元首らは両国共に馬鹿しかいなかった。孤児を利用した生物兵器の実験だと嘯けば喜んで力を貸したよ。だから私は、ツガンニヤ-Yから運良く逃げ延びたユイシャを保護し、カルベルカ・ネロの軍事研究施設を隠れ蓑に自分の研究を進めたんだ。エヴィキン人の復興という、美しき試みをね」
「……!」
ぞわりと戦慄を覚えたのはナマエだけではない。アベンチュリンはズキリと目の裏が痛むように眉を寄せた。
「……今、なんだって? エヴィキン人の復興?」
「ああ。ここにいるユイシャは、正真正銘ツガンニヤ-Y出身のエヴィキン人だ。そしてナマエは、ユイシャが産んだ次世代のエヴィキン人の最初の一人。
男は棺の蓋にするりと指を滑らせる。まさに壊れ物に触れるような手つきだった。
貴重。そのたった一言で、彼がナマエをどう扱っているかが窺える。じゃらりと、アベンチュリンの脳裏で錆びた鎖を引き摺る音がした。
「さあ、ナマエ。開けてごらん。君の母親の顔を、見てみたいだろう?」
やめた方がいい、とアベンチュリンは咄嗟に口を開きかけた。まだあの男の真意がわからない。だがそれが言葉になる前に、男が語り終えるよりも早くナマエは一歩踏み出した。
今見なければ。今確かめなければ、きっと鈍色の空の下で後悔することになる。
ナマエには時間がない。それはナマエ自身がよく理解している。いつ
男が蓋の留め具を外し、三、四歩後ろに下がる。男と入れ替わりでナマエは棺の目に立った。ドクンと跳ねる心臓をそのままに、蓋に手をかけ、ずらす。
不安に駆られながら、隙間を覗き込んだ。
「――――ひっ!」
瞬間、ナマエは飛び退いた。後方にたたらを踏んだ足に力が入らず、支える間もなく尻もちをつく。「ナマエ!」と叫んだアベンチュリンが急いで駆け寄るも、彼女は呆然と棺を見上げて激しく震えていた。まるで幽霊や、悍ましい怪物でも見たような顔で。
アベンチュリンがぐっと険しい表情で男を非難するが、彼は飄々とした態度で受け流していた。それどころか、君もどうぞと言うように手のひらを差し出す余裕すら見せている。おそらくこれは、彼にとっては自分の研究成果を発表する場でしかないのだろう。蛆虫が這うような不快感がアベンチュリンの背筋に流れたが、ナマエが何を見たのか確かめるのが先だ。
ナマエがほんの少し開けた隙間では全貌がよく見えない。アベンチュリンは蓋に手をかけると、勢いよくそれを外した。
「…………ユイ、シャ?
棺の中には、ミイラとなった女の体が横たわっている。
奴隷だった頃のアベンチュリンよりもさらに痩せ細った全身には包帯が巻かれていた。隙間からナマエと同じ色の髪の束が幾つか飛び出しているが、その容貌は全くと言っていいほど想像がつかない。体の至る箇所から管が伸び、棺の内側に繋がれている。唯一包帯が巻かれていないのは顎のあたりだが、おそらく皮膚と見られる部分は赤黒く変色していた。この様子ではきっと全身が同じ様子だろう。これでは彼女が本当にエヴィキン人なのかも判別がつかなかった。
そもそも、彼女が生きているのかすらも。
「生きているよ。これでも、生殖機能に問題はないんだ」
アベンチュリンの思考を読み取ったように男が先に答えた。
「私がユイシャを保護した時にはすでに植物状態だったんだ。それから間もなく一度生命活動は終えてしまったけれど、継続的に脳波と同じ周波数の電気信号を流し『まだ生きている』と体に誤認させることで、生命体の子孫を残す本能を刺激して子を宿すことに成功したんだ! その研究過程によって顔がこうなってしまったのは残念、だけれ、ど……」
ぺらぺらと舌を動かしていた男がアベンチュリンの顔を近くで見て突如止まった。瞬きもせず見開かれた両目が、未だ混乱を隠しきれずに揺れるアベンチュリンの双眸を凝視する。
金糸の髪と、吸い込むような二色の瞳。
エヴィキン人の、証。
「君……もしかして、35番君かい?」
「――――――――――――ッ!」
アベンチュリンの心臓が電流を流されたように跳ねる。
そう人に呼ばれたことなんて、ここ数年一度もなかった。これからもないと思っていた。
同時に古い記憶が呼び起こされた。手枷が嵌められた両手と鎖で繋がれた足首の氷のように冷たい感触。烙印を押されヒリヒリと痛む首筋を癒すこともできない
「ああ、ああそうだ、君は35番君だ! 君の主人は親切な人でね! 君の体液を採取するのを、たったの80タガンバで許してくれたんだ! 覚えているかい? 昔、一度だけ会ったことがあるんだけど――」
男の両手がアベンチュリンの腕に伸びる。いや、あの時は足だった。牢にやってきた数人がアベンチュリンを取り囲み、首や四肢を押さえ、ボロ切れ同然の服に手をかけた。
「――――――っ、触るな!」
パンッ、とアベンチュリンが男の手を振り払う。倒れかけた体を寸前で足が支え、そうしているうちに数歩距離をとっていた。それでもぼろぼろと涙をこぼすナマエを庇うように立っていたのは、ほとんど本能に近いものだったのかもしれない。
けれど激しく拒否されてもなお、男はきょとんとした顔でアベンチュリンとナマエを見ていた。何がそんなに不快だったのかと言いたげな顔で。狂っている、とアベンチュリンは直感的に思った。
「おや、お気に召さなかったかい? ユイシャとナマエの研究には君も大きく関わっているのに」
「…………………………は…………?」
雫を落とされた水面のように、アベンチュリンの思考に波紋が広がった。咄嗟に棺に目を向ける。やっとアベンチュリンが気づいてくれたと、男は歓喜に震え上がった。
「そうさ! 彼女たちの受胎には君の体液を使ったんだ! やはり、純血じゃなければ完全な復興とは言えないだろう?」
さも素晴らしい行いをしたとでも言うように彼は両手を合わせた。
鼓膜を破るような耳鳴りがする。それはまるで、調和の呪いをかけられた時のような。アベンチュリンは思わず額を押さえた。
「……なら、ナマエは…………彼女は、僕の…………」
これまで何度もナマエがかつての姉の姿と重なって見えていたのは、単なる同族への感慨などではなく。
「正真正銘、生物学的に見ても君の子さ、35番君。でも……本当は、初めからわかっていたんじゃないか?」
「――――――――――」
親と子。父と娘。それがアベンチュリンとナマエを結ぶ、変えようのない関係だ。本人らの意志や、認識に関わらず。
ナマエがアベンチュリンを見上げる。茫然自失寸前の蒼白な顔ではくはくと口を動かす。きっと名前を呼んだのだろう。アベンチュリン、と。それが声となって口から発せられることはなかったが。
鈍器で殴られたような衝撃を受けているのはアベンチュリンも同様だった。自分に子ができていたなんて実感があるはずもなく、どこか他人事だ。その直後に襲ってきたのは、無理矢理採取された体の一部が勝手に生殖に使われていたという吐き気を催す嫌悪感。
しかし、アベンチュリンが最愛の姉の顔を見間違えるはずもない。ナマエの顔は確かに、アベンチュリンの姉にそっくりだ。エヴィキン人の瞳もちゃんと埋まっている。それこそが、アベンチュリンとナマエに血縁関係がある何よりの証だ。
すると、男はそういえばと何かを思い出したように声を上げた。
「ナマエ。君がピノコニーにいるということは、君の体は現実でまだ生きているんだよね? ホテルにいるのかい? それともまだカルベルカ・ネロに?」
「………………」
「だとしたら、彼女をどうする気だい?」
「もちろん回収するとも! カルベルカ・ネロではユイシャと他の子たちを連れて宇宙に逃げ出すので精一杯でね。地上に逃げた君は諦めるしかないと思っていだんだが……だけど、生きているとわかったのなら話は別だ! 今すぐホテルとカルベルカ・ネロをくまなく探せば、君を回収できるかな?」
うっとりと頬を染める男にアベンチュリンは全身の毛が逆立った。この男がカルベルカ・ネロの取り残されたナマエを捕らえ何をさせようとするかなど容易に想像がつく。おそらくはあの棺の中身の二の舞だ。
「っ、無駄だ。彼女の身はカンパニーが保護している。君にカンパニーの戦艦を突破できるとでも? 今の話が全て真実だとすると、君は博識学会の定めた研究倫理規定を少なくとも三つは違反している犯罪者だ。君に存護の大槌を受け止める覚悟はあるかい?」
「カンパニー? ハッタリをかけるならもっとマシな材料があったな、アベンチュリンさん。言っただろう。カルベルカ・ネロは酸性雲のせいで市場開拓部も十年間足を踏み入れられていない星だ。戦略投資部の君が隣にいること自体が、彼女がカンパニーに保護されていない証拠なんだよ」
仮にカンパニーの市場開拓部がカルベルカ・ネロの異変にいち早く気づきナマエを保護していたとしたら、今ナマエと共に行動しているのはアベンチュリンではなく市場開拓部の人間のはずだ。市場開拓部と戦略投資部の確執は銀河全域に知れ渡っているほどなのだから、わざわざ手柄をアベンチュリンによこすはずがない。ならばナマエは未だどこの勢力にも発見されておらず、アベンチュリンとは夢境の中で偶然出会ったと見るのが妥当だった。
とんだ食わせ物だ、とアベンチュリンは舌を鳴らした。研究者なのだから頭が回って当然なのだが、今はそれが何よりも恨めしい。
「ナマエ、君は今すぐ逃げるんだ」
男に聞こえないようアベンチュリンが囁く。だが彼女はゆるゆると首を横に振った。
「む、り……無理だよ、アベンチュリン…………」
それが足が震えてできないという意味だと解釈したアベンチュリンは、くるりと振り返って彼女の手首を掴んだ。そのままぐいと引っ張って立たせ、来た道を駆け戻る。
「! 待ちなさい……!」
男が右腕を振ると天井が割れ、ナマエの体格の三倍以上はあるナイトメア劇団が轟音を立てて着地した。二足歩行の竜型で、これまで遭遇したブラウン管テレビよりもさらに凶悪さが増している。それは一体のみでは収まらず、二体三体と矢継ぎ早に降ってきた。
アベンチュリンはこの行動を予測していたのか、同時に男に向かってダイスを投げる。ダイスは男の靴にぶつかると、次の瞬間大量のコインをばら撒いて爆発した。部屋を出る直前、おまけとばかりに出入り口付近の棚を薙ぎ倒す。彼はナイトメア劇団を自分の手駒にしていたようだが、これである程度の足止めにはなるだろう。
「走るんだ! 君は今、カルベルカ・ネロにいるんだろう!? あの狂った研究者が君を捕らえに来る前に、現実に戻って身を隠すんだ!」
階段を走りながらアベンチュリンが叫ぶ。アベンチュリンに手を引かれて追いかけるナマエがつんのめりそうになりながら叫び返した。
「身を隠すって、どこに!?」
「どこでもいい! 奴の手の届かない場所、君が生き延びられる場所に!」
「そんなのどこにもない! ――だってわたし、もうすぐ死ぬんだよ!」
アベンチュリンの手から力が抜けた。通路を走っていた足を止めて、振り向く。彼女は両目に大粒の涙を溜めて、アベンチュリンの立つ何段か下から真っ赤な目で見上げていた。
「わたしの現実での足、火で焼けてもう一歩も動かせないの! カンパニーだって来れなかったんだもん! あんな星に誰かが助けに来てくれることなんてない! それなのに、一体どこに逃げたらいいの……!?」
堤防が決壊するように、これまで彼女が胸の内に堰き止めていた感情が一気に溢れ出した。止まらない涙で頬をぐしゃぐしゃにして、誰も答えられない疑問をアベンチュリンにぶちまけた。まるで自分が抑えられなくなった幼子のように。
「スウォームが押し寄せてきた時、みんなわたしに逃げろって言った。でもどこにも逃げられない。逃げ場なんてない。死が次はわたしの番だって言うなら……それならいっそ、ここで夢を見ながら死んだ方がいいに決まってる……」
「……それで、君はピノコニーに来たのかい? ユイシャと会って話をするためじゃなくて、君自身が苦痛を感じずに死ぬために?」
疑問はずいぶん前からそこにあった。ナマエが最初に明かした計画では、ユイシャをオークションから救出した後の工程が妙に杜撰だった。肝心のユイシャをどうホテルから逃すかについては隠れられそうな船が停泊しているかという運頼みで、アベンチュリンと出会い、正式にホテルに宿泊している協力者を得ていなければ成立できなかったほどに。
ナマエ本人はその理由を『ホログラム体には期限がある』と述べていた。
もしやその期限とは、現実の彼女が死ぬまでの時間だったのではないだろうか。
だとすれば、最初からナマエには夢境を出る気などなかった。ユイシャの件はあくまで残された時間の中でしておきたかった些細な心残りでしかなく。
彼女の本当の目的は、現実の自分が息絶える最期の瞬間まで夢境で過ごすこと。火傷の激痛も飢餓の苦しみも全て無かったことにして。
「……確かに、君の立場ならそれが最も賢いやり方なんだろう。否定はできない」
アベンチュリンは静かに口を開いた。
目の前で死ぬ人間はこれまで大勢いた。満足な最期を迎えられる者はごく僅かで、大抵はアベンチュリンの悪夢に登場するほどの苦悶の表情を浮かべながら命を散らしていった。中にはアベンチュリン自身へ向けて恨み言を吐いていた者もいた。彼女もその列に加わるだけだ。特別大したことじゃない。
大したことじゃ、ないが。
「だけど……僕は、君が生き残ることに賭ける」
階段を一段ずつ下り、ナマエの左手を取る。抵抗しない腕をそのままゆっくりと持ち上げ、自身の右の手のひらと合わせた。かつて、姉が自分にやってくれたように。
「君は必ず生き残り、悪逆を退け、他者の思惑を打ち破り、最後には勝利を手にする」
「……勝利って何?」
「君の幸福だよ、ナマエ。もし自分の行くべき場所がわからないのなら、ピアポイントを目指すといい。頼れる人がいないのなら僕のところまでおいで。そこで僕は、君の勝利を約束するよ」
ナマエの両目が見開かれる。涙で潤んだエヴィキンの瞳は、まるで金平糖のようだった。
「君は死にに行くんじゃない。ほんの少しの間、宇宙を漂う迷子になるだけだ」
「……もし、誰も助けに来てくれなかったら?」
「助けは来るよ。必ず。僕はリスクのない賭けに興味はないけど、勝算のない賭けはしない主義なんだ。僕には地母神の加護がある。きっと、君にもね」
地母神に愛された子だと母と姉は言った。そのさらに子なら、地母神も一瞥くらいはしてくれるだろう。もしかすると、彼女はもう祝福されているのかもしれない。星核、戦争、スウォームという三重の災いをすでに生き延びているのだから。
「……もし、あんたが賭けに負けたら」
ナマエはアベンチュリンと合わせていない方の右腕でごしごしと目元を擦った。
「その時は、遠路はるばるカルベルカ・ネロまで来て、わたしとニアのお墓を作ってくれる? 人伝てじゃなくて直接来て、その綺麗なスーツを泥と灰まみれにするの」
「……君、パトロンにそんなことまでさせるのかい? ハハ……まいったよ。僕のこのファッションが、一体どれほどの信用ポイントになると思ってるんだい?」
「それが嫌なら、わたしが賭けに勝てるよう地母神に祈ってたら?」
苦笑していたアベンチュリンはナマエの一言で口を開いたままはたと止まる。意表を突かれた彼を見て、ナマエはにんまりと、まだどこかぎこちなく口角を上げる。
その直後、ナマエの後方の壁が音を立てて崩れた。アベンチュリンの妨害工作を突破することを諦めたナイトメア劇団が壁を突き破ってきたのだ。ガラガラと落ちる瓦礫と煙の向こう側から鉄屑の牙がナマエの首筋目がけて襲いかかる。ナマエとの会話で対応が遅れたアベンチュリンが咄嗟に障壁を張ろうとするが、間に合うかは五分五分の距離だ。
「あ――」
危ない、と叫びかけた時、彼女はアベンチュリンから手を離して破ったドレスの間に差し込み、がらくたの方に向き直った。
彼女が足のベルトから取り外したのは小型の銃だった。カンパニーや銀河中の警備組織で運用されているものに比べるとややチープなデザインで、どちらかと言えばガンアクションゲームに登場しそうなデザインだ。
銃口をナイトメア劇団に向け、照準を頭部に定める。自身の命を狙う機械人形にも、銃を手に持つことも、彼女は物怖じしなかった。
さも玄関の扉を開けるような感覚で、引き金を引く。
「そういえば、あの時彼女に渡した
聖堂の椅子に腰掛け、顔が半分消えた石像を見上げながらカフカが尋ねた。中央の通路を挟んだ椅子には、石像など全く気にするそぶりも見せない銀狼が椅子に座ってスマホを連打している。ちょうどゲームがキリよく終わったようで、彼女はリザルト画面を適当にスキップしながら答えた。
「ファミリーの連中も馬鹿じゃない。前に私が使った侵入方法は対策されてるだろうし、入ってきた密航者を外に出さないようにするプロテクトをかけられていても不思議じゃない。だから、もしあの子が自分の意思で目覚めたいと思った時、そのプロテクトを突破する必要がある……そんな時に使うのが、あの
銀狼は得意げに足を組んで楽しそうに笑った。
「着弾地点に仕込まれたプログラムを出会って五秒で解析、崩壊させるウイルスを仕込んである。緊急脱出用の強制ログアウトボタンみたいなものだと思っていい」
「あら、意外ね。君、彼女が自分から目覚めようとすると思っていたの?」
「さあ? そのあたりは正直興味ない。これはあの子じゃなくて、ピノコニーでの任務を完遂したホタルへのちょっとした労いみたいなものだし。……まあ、急だったから威力の数値を書き換えるのを忘れていたけど」
故郷はスウォームに食い尽くされ、同胞は死に、滅びゆく星でただ一人生き残ってしまった彼女にピノコニーという選択肢を与えたのは
仮にスターピースエンターテインメントの記者が一連の会話を聞けば、鼻息を荒げて記事を書いていただろう。星核ハンターも、たまには私情に流されるのだ、と。
「銀狼は、運の揺り戻しって信じる?」
カフカが銀狼に目を向ける。
「あるんじゃない? たとえ限定ガチャで大爆死しても、次のシーズンでは神引きをしたりするし。それがどうかした?」
「あの子はきっと、揺り戻しが強いのよ」
そう言ってカフカは再び聖像を見上げる。紛争により傷ついた聖者の像は、この星に紛争を持ち込んだ星核ハンターの来訪にも沈黙を貫いている。
「身が細切れになりそうなほど不幸を溜め込んだ後に、常人なら人生で一度も経験できないような奇跡が訪れる。そういう運命の下で生きている。どこかの星神が一瞥したせいかもしれないし、単にそういう体質なだけかもしれない。この先も死ぬまで続くでしょうね。それこそ、最初の不幸を打ち消せるほどの幸運の持ち主がすぐ近くにいれば、話は変わってくるでしょうけど」
「そんな人間がいる? いたら次のガチャを代わってもらいたいくらい」
「そんな人間に出会えることも含めて、彼女の奇跡の一部なのよ。きっとね」
カフカはやけに確証めいた物言いをした。銀狼がへえ、と眉を上げる。
「あの子が生きてカルベルカ・ネロを出られると本当に思ってるんだ」
「言ったでしょう。『カルベルカ・ネロのペルド・フラティカ人は全滅する』って。エリオの脚本は、絶対よ」
ビュウ、と吹き込んだ突風がナマエの顔面を叩いた。
ナマエの皮膚を裂く寸前だった牙は影も形もなく朽ちている。竜型の機械は首から胴にかけて、体の大半を抉るように円形の大穴を開けていた。活動を停止したがらくたがガラガラと音を立てて崩れ落ちる。
大穴はがらくたのずっと先まで続いている。たった一発の小さな銃弾のはずなのに、まるで砲弾のような威力だ。鉄骨の壁を何枚も打ち抜き、数十メートル離れた外壁に開けた穴からピノコニーの夜景が見えていた。そこを中心として、天井や壁をまるで電気回路のような光が縦横無尽に走り広がる。ナマエが撃ち抜いた大穴以外はどこも破損していないのに、パキンパキンとガラスにヒビが入るような異音を放っている。
「驚いた。星核ハンターのハッキング技術には脱帽だけど……今は、見なかったことにするよ」
ダイスを投げようとしていた手を下ろして、アベンチュリンはやれやれと苦く笑った。ここはピノコニー。夢の中。重要指名手配犯との関連性も、そんな夢を見たと鼻で笑い飛ばせる。
たった一発で弾切れの銃を投げ捨て、ナマエはアベンチュリンを振り返った。コツコツと革靴の音を鳴らして彼が近づいてくる。まるで大切な写真に触れるように、ぽんとナマエの肩に手を乗せた。
「行っておいで」
アベンチュリンの短く淡白な別れの言葉に、ナマエは無表情で頷いた。そして再び大穴へと向き直り、床を蹴る。
その直後、アベンチュリンの背後からばたばたと足音がした。
「ナマエ……! 貴様、私の館に何をした!」
「感動の別れもさせてくれないのかい? ……子供の前だから、あまり手荒な真似はしてこなかったけど……」
それ以上、アベンチュリンの言葉はナマエの耳には届かなかった。けたたましいほどの機械音とコインの音が混ざり合って、自分が鳴らす足音すらも聞こえない。だけど振り返らず、時折飛んでくる金属片を躱しながら瓦礫の散乱する部屋でなんとか足場を見つけて進んでいく。
けれど、それはナマエにとってはとても簡単なことだった。だって、ここには火の手は存在しない。足だってこんなにも自由に動く。
黄金の刻の夜空が近づく。その時、ナイトメア劇団から弾け飛んだ装甲の欠片がアベンチュリンの障壁をすり抜けて飛んでいった。空気抵抗でも勢いを殺せないまま、ナマエの後頭部目がけて一直線に突き進む。
外壁の縁に立ったナマエは、まるでベッドに沈むかのように体を反転させて傾けた。錆びた装甲がナマエの鼻先を掠め、鉄砲玉のようにピノコニーの夜空に飛び出していく。
ナマエの体も、ほとんど同時に宙に投げ出された。風と雲がナマエの四肢を受け入れ、破れたドレスを上に靡かせる。「雲?」と疑問に思って首を動かすと、逆さになったナマエの頭上――地上には、黄金の刻の壮観な風景が広がっていた。
自分はシアターの地下を進んでいたはずだ。けれど今ナマエが飛び降りたのは、オーディ・ショッピングセンターやエディオンパークから遥か遠く離れたビルの上層階。おそらくナマエが星核ハンターから渡された
人が砂粒程度のサイズになる距離でも、黄金の刻の様子がよくわかる。ビルにかかる巨大広告は三日ごとに入れ替わり、空を流れるスフェロイドからスウィート・ドリームシロップの香りのムエットが降り注ぐ。街頭モニターからロビンの歌声が響くと、UFOバーガーの宣伝を貼り付けた看板までも飛び跳ねて喜ぶ。遠くでは特大スラーダが活火山のように噴出した。
それは、ナマエがこれまで見た中で一番美しいと、自信を持って言える光景だった。アベンチュリンが連れて行ってくれたあの店が見えなかったのは、少し残念だけれど。
まるで落下するナマエを受け止めるネットのように、空間に電子の亀裂が開いた。ナマエは恐れることなく、亀裂の中に身を投じる。亀裂はナマエのつむじから爪先までをすっぽりと覆うと、最後におまけとばかりにぽんと花火を打ち上げあっけなく消えた。
オークショニアだった男諸共ナイトメア劇団を一掃し終えたアベンチュリンは、大穴から見えた指名手配犯の顔をデフォルメした電子花火に目をやって呟いた。
「君の計略が露見しないことを、祈っているよ」
目を覚ます。
体感一秒にも満たない旅が終わった。瞼を開けたナマエの視界に飛び込んだのは、美しい夜景ではなく黄昏の空だ。黄金の刻は常に夜であったため、太陽の光を浴びるのは随分と久しぶりな気がした。
ナマエはぼんやりとした意識で目だけを動かし周囲を確認する。眠る前と変わらず、周囲には焦げ臭い瓦礫の山しかない。
そしてふと、ナマエは自身の足の感覚がないことに気づいた。反射でそちらに目を向けようとするが、視界の端に赤黒い皮膚がちらりと映り込んだことでやめた。現実での怪我は着実に悪化している。わかっていたことだが、それを直視するのはあまり気分の良いものではない。
驚きも混ざった、力の入らない口元で薄く笑みを浮かべる。
『いっそ、どんなに痛いことをされても眠り続ける薬とかないかな!? 紙で指を切っちゃった時も、寝てしまえば一瞬で塞がってるでしょう?』
(どんなに痛んでも眠り続ける……案外、ニアの言う通りだったのかもね)
両足の火傷はナマエが寝ている間に痛覚を刺激するレベルをとっくに過ぎていた。おかげで目が覚めた今、火傷の苦痛は最小限で済んでいる。医者が見れば卒倒ものだろうが、少なくともナマエにとっては幸運だった――狙った幸運、ではあるが。
怪我が一番痛む直前に眠り、痛覚が死んだ後に目を覚ます。ニアの意見を参考にした、シンプルかつとても素晴らしい計略だ。ピノコニーほどの強固な夢でなければ、おそらく通常の方法では苦痛が勝って眠りにつけないだろう。何日も激痛に喘ぎ、気力を使い果たして死期を早めていたに違いない。ピノコニーでの旅は期待通り立派に鎮痛剤の役割を果たした。
本当は、星核ハンターからピノコニーの話を聞いた時に立てた急拵えの計略なんて放棄して、娯楽の世界で終わりを迎えてもよかった。エヴィキン人の研究サンプルとして回収されるくらいなら、そっちの方がまだマシだと本気で思っていたけれど。
(……ここからピアポイントって、どれくらい離れてるんだろう?)
ピアポイントを目指すなら、結局のところ起きなくては始まらないので。計略は続行することにした。
その時、ナマエの腹が悲鳴を絞り出すような音を発した。ここ数日間何も飲み食いしていないのだから当然だ。ナマエの顔と同じサイズのハンバーガーも舌の上で弾けるスラーダも全て夢の中の出来事で、あの時の満腹感はまやかしでしかない。
けれど、何とか生きている。とても絶望的ではあるけれど。
(……アベンチュリンとの賭けはどうかなぁ)
ナマエが瞼を下ろす。変わらない空をいつまでも眺めていても仕方ない。
苦痛を忘れるため、ほんの少しでも延命するため眠りについたとして。目を開いた時に助けが来なければ本末転倒だ。だから再び、今度はいつも通りの眠りについて、その時を待つ――はずだった。
ナマエの耳が、風切りとは違う種類の音を微かに拾った。ゴオオと何かが燃えているようにも聞こえるが、この星で燃えそうなものは死体くらいしか残っていない。けれど、それはだんだんと大きくなり、距離を詰めているのがわかる。
瞼を上げる。
視界いっぱいの黄昏の空の中、薄いシフォンのような雲を割って星がひとつ流れた。流れ星は蒼色の軌跡を描いて地表へと落ちてくる。宇宙空間を泳いでいるのではない。確実に、この星へと向かってきている。
その正体が目視できる距離まで来た時、ナマエはエヴィキンの瞳をまるで本物の宝石のように輝かせて見張った。
あれは、宇宙船だ。
「ねえ、そこの人――もし言葉が通じるなら、水と食べ物を少し分けてくれない? あと、その立派な船で連れて行ってほしい場所があるんだけど……」
「小さなレディ。荒涼の果てで咲き誇る花のような美しさの前では、もはやどのような言葉も言い表すに足りません。ですが先に、ひとつお聞かせください――」
「――貴方は、『純美の女神イドリラ様の美貌は世界に並ぶものなし』と誓いますか?」
静謐な空気の漂う小さなラウンジで、カリカリとペンを走らせる音だけが響いている。休憩、もしくは軽作業用のテーブルと椅子のみの簡素な設備だが、ナマエが留守を預かるには十分な空間だった。真横のガラス窓に映る雲ひとつない快晴には目もくれず、ナマエは手元の自由帳が真っ黒になるほど熱心に何かを書き込んでいる。来訪者がいても気づかないほどの集中ぶりで果たして留守番の役目を正しく担えているかどうかは、留守を任せたこの船の主の判定によるところが大きいが。
ナマエが紙を変えようとペンを置いた時、ラウンジの扉が開き一人の男が入ってきた。
「ただいま戻りました、ナマエさん。突然船を任せてしまい申し訳ありません」
「アルジェンティ。帰ってきたんだ」
華やかな白銀の甲冑をこしらえた、燃える薔薇のような長髪の彼はナマエの手元の自由帳に目を向けると、穏やかなかんばせをより一層和らげて提案する。
「どうやら、僕が羅浮へ行っている間も文字の練習を続けておられたご様子。区切りのよいところでそろそろ休憩されてはいかがでしょう?」
「……ありがとう。そうするよ」
「いいえ。お礼を言うのは僕の方です」
ナマエはページを捲ろうとしていた手をスマホに移動させ、教材アプリを閉じる。ミミズが暴れたような筆跡がびっちりと残る紙がアルジェンティの視界に映った。『スラーダ』『素晴らしき黒歴史』『子犬の甘噛み』『残業夜景』、それから『アベンチュリン』――どれもアルジェンティの記憶に新しい文字列だ。アルジェンティの視線の先に気づいたナマエが、少々気恥ずかしそうに紙を寄せた。
「名前を覚えたいんだ。そうだ、アルジェンティも教えてよ」
「僕でよいのですか? それでは僭越ながら、ペンをお借りしても?」
ナマエが頷いてペンを手渡すと、彼はページを捲った真っ白なページにさらさらとペンを走らせる。それまで書いていたどの単語よりも長いそれを見て、ナマエはおおと感嘆の声を漏らした。
「これで、アルジェンティって読むの?」
「いいえ。純美の女神イドリラ様です」
「あんたの名前じゃないの?」
ナマエが驚いて素っ頓狂な声を出すが、彼は非常に清々しく満足そうな顔で佇んでいた。彼と過ごす宇宙の旅はそれほど長くはないが、ナマエの直感はすでに『彼は通常運転だから諦めろ』と囁いている。その直感に従いナマエはペンを持ち直すと、彼の筆跡の真下に線を引いていく。まさに純美を体現する整った字の下で、またしてもミミズが暴れた。
「どう? 読める?」
「もちろんです。ああ、素晴らしい。純美を讃え、その道行に賛同してくださった貴方の弛わぬ努力は何よりも美しい。貴方との旅は瞬きのように短いものですが、きっと僕は何度も貴方に感服させられてしまうことでしょう」
「………………………………」
讃えた覚えはない。それから賛同した覚えも。ただでさえ瀕死の状態で子供には難しい講説をされても、半分以上聞き流して復唱することしかできなかった。
だがひとりぼっちの惑星でナマエを見つけたのがこの男、通りすがりの純美の騎士アルジェンティだったということは、ナマエに降りかかった幸運のうちのひとつなのだろう。「美しきレディ。純美の騎士の名に懸けて、僕は必ずや貴方をピアポイントまで送り届けます」とナマエの手を取ったその姿は、まさに絵本の中の高潔な騎士そのものだ。その過程でなぜか純美を讃えることになってしまったが、ナマエにとっては些末なことだった。
ちなみに、通信環境が整い次第すぐにアベンチュリンに状況報告をしたところ、「純美の騎士に助けられただって!?」と聞いたこともない大声で驚かれたのは余談だ。
「ま、まあそれはいいとして……わたしも後で羅浮を見てみたいな。まだ人混みで
ナマエとアルジェンティの目が同時に彼女の足に向く。
ナマエを救出したアルジェンティが真っ先に向かったのは宇宙ステーション・ヘルタだ。聞いた話によると、カルベルカ・ネロから最も近く、かつナマエの足を治療できるほど高度な医療技術を持った星が宇宙ステーションであったらしい。それでも数回の跳躍は挟む必要があるため、ナマエは己の故郷がどれほど辺鄙な場所にあるのかと気づくと同時に、そんな場所を純美の騎士が訪れたことがほとんど奇跡に近いことを改めて実感した。結局、処置が遅れた影響で関節付近を蝕んでいた火傷は皮膚移植手術を行なってもなお後遺症としてナマエの足に居座り続けることとなったが。
宇宙ステーション製の人間工学に基づいた車椅子は座り心地は抜群だが、乗りこなすにはコツが必要だ。本来ならあと二月ほどは治療のために宇宙ステーションに滞在することを医師に提言されていたが、本人たっての希望で本格的なリハビリはピアポイントに着いてからという話にまとまった。
「別に全く動けないわけじゃないから、……迷惑なら、いいけど」
「迷惑だなんてとんでもない。ぜひご一緒させてください。実は僕もつい先程までとある式典に出席していたので、あまり観光に時間を使えていなかったのです」
「そうなんだ。ならちょうど良かった。実はね、すごくいいものをアベンチュリンに教えてもらったんだ」
「いいもの……ですか?」
アルジェンティが聞き返すと、ナマエはふふとスマホを唇に当てて目を細めた。まるでとっておきの宝物をこっそり見せるような顔だ。
「お店でものを買うときにね、スマホの画面を見せて四桁の数字を入力するとと信用ポイントがなくても物が買えちゃうの。こんなに便利ならみんなも使えばいいのに、どうしてみんな使わないんだろうね?」
「……」
「特別急いでピアポイントに行かなきゃいけないわけでもないし、これでアベンチュリンに羅浮のお土産でも買ってあげようかと思って」
「…………」
それはいわゆる、カード決済というものではないでしょうか。アルジェンティはそう喉まで出かかったのをぐっと堪えた。アベンチュリンに教えてもらったのなら、その引き落とし先はただひとつだろう。ならば、自分の金を使ってどこで何を購入されているかは彼には全て筒抜けのはずだ。
アルジェンティは丸ごと飲み込んだ上で、「きっと喜ばれますよ」とだけ伝えた。子供が自分で考えた粋な計らいに水をさすなど絶対にあってはならない。
そろそろ出発しましょうかとアルジェンティが車椅子のハンドルに触れたとき、彼女は「そうだ」とふと何かを思い出したように懐を探った。
「忘れないうちに聞いておきたいことがあるんだ。これ、なんて書いてあるかアルジェンティはわかる?」
そう言って、彼女は後ろを振り向きつつアルジェンティにひとつのカードを手渡した。
それは透明なケースに収まったタグだった。ケースの端は焼け焦げ、一部は溶け落ちてもいる。間違いなく、長らくナマエのワンピースにつけられていたものだ。とても着続けられる状態になかったその服も宇宙ステーション滞在時に処分してしまったので、ナマエがカルベルカ・ネロから持ってきた所持品はこれしか残っていない。
アルジェンティは一目でそれが何なのか理解した。彼が荒野で彼女を発見したとき、傍に落ちていたのを拾ったのは彼だからだ。当然、何が書かれているかもアルジェンティには全て分かる。
「………………」
アルジェンティはタグを受け取り読み上げるかと思うと再び彼女の正面に回り込む。朝露に光るオリーブのような瞳をナマエの視線と真っ直ぐかち合わせ、胸に手を当てた。
「ナマエさん。僕は純美の騎士の名にかけて、今から読み上げることに嘘偽りがないと誓いましょう」
少し間を置いて、彼が口を開く。
「……『母体名:ユイシャ。コード:
「………………」
「ナマエさん。貴方が宇宙ステーションで受けた検査では、貴方は
「…………………………」
一瞬、ナマエの呼吸が止まった。まるで時間が流れていることさえも忘れてしまうような数秒の後、彼女は目を伏せる。
「ふ、ふふ……結局、あの場にいた大人たちは全員気づかないまま死んだんだ。エヴィキン人が高い社交性を備えているなら、彼女の方がよほど
普段滅多に笑顔を見せない彼女が、肩を揺らして小刻みに息を吐いていた。複雑な生い立ちが示す彼女の心情はアルジェンティには察するに余りある。
エヴィキン人は生まれつき美しい容姿と特徴的な瞳を持ち、高い社交性を備えていると、カルベルカ・ネロの施設にいた大人たちは唱えていた。ならばそれは、日陰で読めもしない読書に耽るような陰湿で疑い深い自分なんかよりも、死んだ彼女にこそふさわしい。だというのに、あの研究を主導していた男でさえも気づかなかったとは。
「失礼を承知でお尋ねしますが……貴方とご友人は、一体いつから入れ替わっていらっしゃったのです?」
「……もう何年も前から。検査で同時に髪を切った後、お遊びでお互いのタグを入れ替えたの。わたしたちは全員文字が読めなかったから、タグに書かれているのが自分の名前だなんて知らなかったし。そのうち誰かが気づくかなと思ってたんだけど、でも大人たちも全員気づかなくって。それからはずっとわたしがナマエ」
彼らが最期まで気づかなかった理由が二人の顔が似ていたせいか、あるいは全員エヴィキン人の瞳にしか興味がなかったせいかはあの世に行ってみないとわからない。けれど、社交的な彼女のことだ。きっと今頃ナマエよりも一足先に聞き出しているだろうな、とは思う。
ナマエはユイシャの子ではない。
この銀河に、あの男が研究に心血を注いだ次世代の純血のエヴィキン人は存在しない。とても憐れなことに。
だが自分がナマエを名乗り続ける限り、それは大きな釣り針となり、やがて目的の獲物がかかるだろう。
「できれば、このことは内緒にしていてほしいな」
親友と同胞の死体を弄んだ男に再会できるように。
このささやかな計略が、決して露見しないように。
ナマエはそっと人差し指を立て、指の側面で口元に触れた。その表情はわずか十を過ぎたばかりの子供とは思えないほど、どの瞬間よりも大人びている。目元に嵌め込まれた二色の宝石がぎらりと輝きを増していた。たとえ母親が入れ替わっていても、父親が誰かはその宝石が証明だ。
「……他でもない貴方の願いです。この秘密は僕の墓地で共に眠ると約束します」
短い付き合いでも「殺しても死ななそうだ」と思ってしまう彼の墓場はナマエには想像できなかったが、きっとその気持ちに嘘はないだろう。アルジェンティが首を縦に振ると、ナマエは「ん」とようやく満足そうな微笑に戻った。
「じゃあこの話はこれでおしまい。わたし、ネットで見かけた飲み物が飲みたいんだけど……」
ナマエがスマホで写真を見せようとしたその時、窓の外を何かが横切った。ふわふわと翼で浮遊するその姿はナマエの動体視力では捉え切れなかったが、ただの鳥にしては上下運動が激しかった気がする。アルジェンティは今の一瞬でもその正体がわかったようで、すっと船の搭乗口に歩いて行った。
ものの数分もしないうちに戻ってきた彼の両腕には、ひとつの箱が抱えられていた。
「ナマエさん宛にカクウン運輸経由で荷物が届いたようです」
春の日差しのような微笑みを向けながら彼はナマエに箱を手渡した。周囲と比べても高身長に分類されるアルジェンティが持つとそうでもないが、ナマエが持つと顔が半分隠れてしまうのでより大きさが際立つ。
「え、わたし宛? わたし、羅浮に知り合いなんていないんだけど……」
「それがどうやら、送り主は羅浮の方ではないようでして……」
そう言われたところで、送り状に書かれている送り主が誰なのかナマエにはまだ解読できない。「誰が送ってきたの?」と聞いても、「箱を開ければすぐにお分かりになるかと」と笑うばかりで一向に答えてはくれなかった。このまま押し問答をしていても埒があかないので、ナマエは仕方なく膝に箱を乗せ封を切った。
輸送箱の中には綺麗にラッピングされたギフトボックスが緩衝材に包まれて入っていた。外装にシルクリボンが巻かれ、それが交わるポイントで結ばれている。やけに小洒落た包装にナマエは首を傾げながら、リボンを解き蓋を開けた。
「……………………………………」
ドレスだ。アベンチュリンがオーディ・ショッピングモールで購入し、終ぞ夢境から持ち帰ることができなかったバーガンディー色のドレスと寸分違わず同じものが、皺ひとつなく畳まれて箱に収まっていた。
ナマエは顔を引き攣らせながらよく観察すると、他にも手のひらサイズの箱が添えられているのを発見した。こちらも質素ながら上品な外装で、今度は臆することなく紐を引っ張り中身を確認する。
「おや……そちらはターコイズのバングルでしょうか? 素晴らしい。僕は多くの星を巡ってきましたが、これほど滑らかで色鮮やかなものは見たことがありません。美しい宝石は美しい人が着けてこそ……ともすれば、この宝石はまさに貴方のような方の手に収まるために生まれてきたのでしょうね」
隣でアルジェンティが垂れ流す賛美を無視し、ナマエはバングルを手に取った。サイズはわざわざ子供の手首に丁度良いように調整されており、送り主の細かな気遣いが見て取れる。こんな贈り物もとい、貢ぎ物をしてくる知人に心当たりは一人しかない。ナマエは外箱をテーブルに置くと引き換えによけていたスマホを鬼の形相で引っ掴み、車椅子を自ら動かし始めた。
「ちょっと連絡してくる!!」
ほぼ骨と皮だけになってしまった細い腕で懸命にハンドリムを回す背を、アルジェンティは笑顔を見送った。ここで移動の補助を申し入れるような無粋な真似はしない。水入らずの時間というやつだ。
壁一枚隔てた別室に移動したナマエは、扉がきちんと閉まっているのを確かめると性急にスマホのアイコンをタップした。数回のコールの後、予想よりも早く通話が繋がる。
『――やあ、ナマエ! 君から連絡が来たってことは、荷物は受け取ってもらえたみたいだね』
「……だから、別に必要ないって言ったのに!」
ナマエが叫ぶと、アベンチュリンは通話越しにからからと笑った。彼の背後では絶えず人の声が聞こえているので、おそらく今は仕事中なのだろう。とっくにピノコニーを出ているらしいので、休暇が終わって早々どこかの星で任務に当たっているのかもしれない。
『そう無下にしないでほしいなぁ。君が夢境を出た後、路地に打ち捨てられてた服を見た僕がどんな気持ちになったかわかるかい?』
「それはまあ、気分のいいものじゃないだろうけど……」
『そう、つまりは気分の問題だ。僕はこう見えて完璧主義だからね。一度贈ったものはきちんと相手に届けられないと気が済まなくて夜も寝られないんだよ。………………それとも……迷惑だったかな?』
最後に付け加えられた問いにナマエは言葉を詰まらせた。あんな高価なものを突然持たされるこっちの身になってほしいと訴える準備は万端だったのに、急に控えめになられては出鼻を挫かれてしまう。
「めっ………………迷惑では、ないけど……」
ごにょごにょと尻すぼみにナマエが言うと、通話相手は『それはよかった!』と急激に声色を変えた。完全に彼のペースに呑まれていた。エヴィキン人は高い社交性を備えている――迷信じみた馬鹿馬鹿しい話だと思っていたが、あながち間違いではないのかもしれない。
『君は今仙舟にいるんだろう? 急ぐ旅でもないし、せっかくならゆっくり見て回るといい。それこそ、リゾートで休日を楽しむみたいにね。純美の騎士が一緒にいるなら何も心配はいらないさ』
「リゾートならピノコニーでもう十分……」
ナマエが呆れたように言いかけたが、通話の向こう側で聞こえたアラーム音に遮られる。それとほとんど同時に、アベンチュリンと一緒にいるのだろう人間が複数人喚くのも耳に入った。
『そ、総監〜! もう持ち堪えられません!』
『解除まであとどれくらいかかりますか!?』
『あ、しまったあと十秒しかない。……ナマエ、突然だけど赤と青のコード、君ならどっちを切る?』
「よくその状況で通話に出ようと思ったね!?」
耳を澄ませると、かすかに爆発音のようなものが混ざって聞こえなくもない。通話越しでは向こうの状況把握もできないが、おそらく彼が自分の命運をルーレットにかけていることだけは瞬時に理解できた。「え、み、右側にある方!」と焦りのあまり彼の問いとはややずれた回答をすると、その瞬間アラーム音とアベンチュリンの声が消える。数秒の無音を挟み、ナマエがまさかと思いかけたところで彼は肩の荷が降りたように息を吐いた。
『ふう、危ない危ない。お〜い君たち、爆弾は解除したから戻ってきてもいいよ〜。……おっと、騒がしくてすまないね。実はピアポイントに戻って早々急ぎの案件で他の星に飛ばされたんだけど、色々あってまさか現地でデスゲームに参加させられることになるとは思わなかったよ。それにしても、やっぱり君は運がいい! ……ああ、いや、このタイミングで君からの通話を受け取った僕の運がいいことになるのかな?』
「ツッコまないよ、わたし」
運とトラブルは一蓮托生の恋人のような関係だ。だからアベンチュリンが強運を発揮する時、必ずと言っていいほど華麗にトラブルと踊っている。けれどナマエはそんな死神とのダンスは歓迎しかねるので、深く追求はしなかった。
「……ねえ、さっきの話だけど」
『うん? どの話だい?』
「休日がどうとかの話。ピノコニーからずっとそんな感じで、あんたは疲れないの?」
ナマエが呆れたように聞くと、彼はあっけらかんと笑って答えた。
『僕の人生はまだ長い投資の半ばだからね――休日なんて、夢の中だけで十分さ!』