会社員荒北


「すンません!」

突然頭を下げた荒北さんに目を丸くする。ハンカチで手を拭きながら女子トイレから出てきたわたしを待ち構えていたかのような…いや実際待っていたのかもしれないけど。場所も場所の上、人もちらほらいる所でそんなことをされた日にはどうしたもんか。

「あ、荒北さん?」

状況が全く飲み込めないわたしの前で、尚も彼は頭を下げ続ける。いったい何事…。

「ちょ、荒北さん!」

やめてください、と慌てると、彼はようやく頭を上げた。ばつの悪そうな荒北さんを近くの小会議室へ押し込んで、ふうと一息つく。それにしても状況が見えない。

「あの、わたし荒北さんに謝られるようなことしましたっけ…?」

「オレ、けっこう失礼なことしてたんで…」

失礼なこと、と言われても、わたしにはなにも思い当たることがない。なにか失礼なことなんてされたっけ?見かけたら声をかけてくれたり、たまにご飯に誘ってくれたり、なんだかんだ仲良くしてくれてありがたいと思ってるくらいなのに。

「えっと、わたしには思い当たることがないんですけど…」

「勝手に後輩だと思ってタメ口だった、っつーか…」

「え、そんなの別にいいです、けど?」

「や、よくねェ、す」

今日初めて先輩だと知ったのだ、と荒北さんは言った。たぶん彼がそう勘違いしたのは、わたしのせいも大きいんだと思う。

「それって、わたしが新人っぽかったからですよね?」

「いや、その…あー…」

ああ、もう。なんて嘘のつけない人なんだろう。

「仕事もできないっぽいし?」

「そんな、ことは…」

しどろもどろになる彼がかわいらしくて、笑っちゃいけないと思いながらも顔が緩む。荒北さんの思った通り、わたしはどうやらそんな風に見えるらしい。そのほうが楽っちゃ楽な場面もあるから、いまさらイメージを変えようという気はないけど、変に子ども扱いされたりするのは正直めんどくさい。そう考えるとどっちもどっちだな。

「荒北さんのせいじゃないし、失礼だとか思ってないので気にしないでください。むしろ気にさせてしまってすみません」

部署の違う荒北さんがそう思うのはしかたない、と告げたら、彼はなんだか怖い顔をした。

「いいわけねェよ」

「?」

「先輩っつーのもあるけど、あんたすげー仕事できるだろ」

そう言われてきょとん、としてしまう。

「え、そんなことないですよ」

「いーやある」

「う、うーん?よく言って普通だと…」

どこからそうなったのかさっぱりわからないけど、荒北さんの中でわたしは仕事ができるということになってしまったらしい。
もしかして先輩後輩どうより、わたしを過小評価していたことに心苦しさを感じたとか?過小評価ではない気もするけど。

「自分でわかってないだけで、」

と、ここで荒北さんは言葉を切った。

「いや、もしかして周りも気づいてねェのか?」

あごに手を置いて、なにやら考え込んでしまった彼に、素直に感心してしまう。よく他人のことなのに真剣になれるなあ、と。
以前から、まっすぐな人だとは思っていた。無理に自分をよく見せようとしないからか、怒っても笑っても悔しがっても、見ていてなんだか清々しい。
何をどう間違って荒北さんがそんなことを思ったのかは置いておいて、とりあえずわたしのことをこんなに考えてくれていることは素直にうれしい。

あ、やばい、と思ったときには、じわりと目の前がにじんだ。
自分ではそこまで思っていなかった――思わないようにしていたけど、どうやらわたしは誰かに認めてもらいたかったようだ。仕事はできて当たり前、と思ってはいる。いるけど、誰かが見ていてくれるというのはこんなにうれしいものなのか。

「荒北さん、ありがとうございます」

口をついて出た言葉に、いまだに何やら考え込んでいた荒北さんが顔を上げた。ぽかんとした彼にはきっとなんのことだかわかっていないんだろう。わたし自身うまく説明できる気がしないから、申し訳ないけどしばらく宙ぶらりんなままでいてもらおう。きっといつか、今日のことをちゃんと説明できる日が来るだろうから。


「靖友?他部署の前でこそこそ何してるんだ?」

「…うっせ新開、どっか行け」

「まあいいけど、深空さんなら部長に仕事頼まれて出かけたぞ?」

「はあ⁉なんでみんなアイツに仕事押しつけンだよ!」


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