会社員荒北


木曜の就業時間が終わり仕事にひと段落ついて、さて帰ろうと立ち上がったところで、「蒼ちゃん」と名前を呼ばれた。
なんとなく嫌な予感がしたのは、隣の部署のこのふくよかな男がわたしのところに来るのは、なにか仕事を頼みにくるときが大半だからだ。

「なんですか?」

まあそんなことはおくびにも出さず、猫被りの笑顔を向けると、その人は相変わらずどこか胡散臭い笑いを浮かべていた。

「うちの部署、休みの日は直通番号転送してるんだけどさ」

彼のいる部署が、休みの日にはローテーションで顧客からの電話を受けるため、転送をかけているというのはなんとなく知っていた。知っているけどそれがどうした、というのが本音だ。

「でさ、明日俺有休取ってるから、転送先の番号登録、この次長の番号に変えといてくれない?転送は明日の帰りに次長がするからさ」

この、と渡されたメモには携帯の番号が書いてある。

「登録だけなら今からでもできますよ?明日じゃないといけないんですか?」

わざわざ明日と頼むくらいだからなにかしら理由はあるんだろうけど、と思いながらもとりあえず尋ねる。

「いやー、別に今から俺がやって帰ってもいいんだけど、めんどくさいからやってくれないかなーって」

わたしの頬がひく、と引き攣ったのとほぼ同時に、

「クソだな」

と吐き捨てるような声が飛んできて、わたしと彼が声のした方を見ると、そこには荒北さんが立っていた。

「げ、荒北…」

「お前、自分がめんどくせーと思ってることを押しつけよーってわけだ」

「え、あ、いやぁ…」

「しかもパソコンも落として帰ろうと思ったところを狙って声かけたと」

「そういうわけじゃ…」

淡々と事実を突きつける荒北さんの目がすっと一際細くなった。

「マジふざけてンだろ」

それでなくても背の高い荒北さんが顎を上げたから、見下された格好になってとても怖い。当事者の彼はわたし以上だろう。

「や、やっぱ俺がやるから!ごめんね!」

しばし視線をせわしく動かした後、彼はくるりと向きを変えて逃げるように行ってしまった。わたしの手にメモを残したまま。
これはどうすれば…。と思ったのがばれたのかばれてないのかは知らないけど、荒北さんが紙の端をつまむ。するりとわたしの手から離れたそれは、次の瞬間くしゃりと丸められてしまった。そしてゴミ箱へ。

「…いいんですか?」

「いいだろ。ほら帰ンぞ」

すたすたと歩きだす荒北さんの背中を、なんて男前なんだろうと思いながら追いかけた。


「荒北さんのおかけで本当に助かりました!」

「おお…そりゃよかったな」

「荒北さんってヒーローみたいですね」

「…どっちかっつーとヒールだって言われるけどな」
(やべえ、なんだその顔、かわいすぎンだろ)


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