リアリストの苦悩


後ろから軽い足音とともに自分の名前が呼ばれた。
その限定的な響きに慌てて振り向くと、廊下を見覚えのある女がかけてくる。

「まきちゃん」

追いついた、とオレの前で笑うのは、レースのときに度々会う彼女だった。

「?お前は確か東堂の、」

「ちょっと、あんなやつとひとまとめにしないでください」

嫌そうに眉根を寄せた彼女は東堂の幼馴染だと、煩いアイツに以前聞いてもいないのに半ば無理矢理聞かされたことを思い出す。
東堂ん家の旅館に、子どものころから家族旅行でお世話になっていたらしい。
まとめるなも何も、オレは東堂と一緒にしか会ったことないんだっての。

「で、東堂の、なに」

「や、嫌なら言わないっショ…」

「………ヤだけど言って」

苦虫を噛み潰したような顔をして見つめてくるから、仕方なく口を開く。
こういうときに限って誰も通りかからないのは、授業をさぼろうなんて思った罰なのか。いや、罰というより人気のない場所を選んで通った自分のせいか。

「…東堂の女、ショ」

「やっぱりそうくるか…。言っとくけど、わたしはあんな煩いのか静かなのかわかんないやつより、断然まきちゃん派だからね」

首をかしげて覗き込んでくる彼女にどきりと跳ねた心臓を、前髪をかき上げてごまかす。
性格はともかく、走りのことを言ってんなら変なヤツだ。

「学校でまきちゃんと話してるなんて、変な感じだね」

「あ、そういやうちの生徒…だったっショ…?」

苦しすぎる嘘をついた。
彼女がうちの生徒なのは、ずっと前から知っていた。もう、ずっと前からだ。
会うのはいつも私服ばっかだったから、同じ学校の同じ学年だって知らなくても……いや、やっぱり苦しいか。

「確かに学校で話したことも同じクラスになったこともないけど、3年間知らなかった?」

「わ、悪かったショ…」

口先で謝りながら、何をやってんだと頭を抱える。
最初に彼女と話したのも東堂を介してで、ここでもライバルなのかと呆れたもんだ。
ライバルというよりは、もう東堂のものなのだろうと思っていた。
今日までは。

そんなオレの内心なんか知らない彼女は、気にした様子もなくけろりとしている。

「まあいいよ。他人に興味ないんだろうなって思ってたから」

そう言い終わるのと、チャイムが鳴るのが同時だった。


× × ×


「よかったのかヨ、授業サボって」

誰もいない図書室。
窓に面したテーブルに並んで座ったところで尋ねると、彼女は素直に頷いた。
静かだ。

「…なんでオレが他人に興味ないと思ったっショ」

「…わたしと似てるんじゃないかなって思って」

机に突っ伏した彼女は顔だけこちらを向けて、どことなく悲しそうに微笑んだ。
近い距離が気恥ずかしくて頬杖をついて少しでも距離を開けたつもりが、体を彼女に向ける結果になったおかげで恥ずかしさが倍増する。

「まきちゃん、現実主義者?」

「あ、ああ、まあ…」

「本当は夢も希望も持ちたいけど、それが叶わなかったとき心が壊れちゃう気がしてそれができない。怖いよね」

「……」

「なーんて、わたしがそうだからまきちゃんがそうだってわけじゃないか。しょせんは違う人間なんだから」

同じ人間なんかいるわけがない。当たり前だが本当の意味で理解してるヤツは多くないだろう。
その考えまで同じヤツに会えるとは思わず、笑いが込み上げ空を仰ぐ。

「クハ、その通りだ」

今度は彼女は満足そうに微笑んで目を閉じた。
柔らかな日差しが照らすその肌に触れたいなんて考えがよぎって、慌てて頭を振る。

「そ、そういや、オレに用があったんじゃなかったっショ?」

「んー…東堂がね、まきちゃんと電話繋がらないから様子見て来いって」

「アイツ、煩いっショ…」

「ま、そんなのどうでもいいんだけど、まきちゃんの隣はすごく居心地がいい気がしてたから、ついでだからそれを確かめに」

おいおい、そんなこと誰にでも言ってるんじゃないだろうな。期待させて落とすなんてことされたら、たまったもんじゃない。
と思いつつも結果を促すと、彼女は体を起こすとうーんと伸びをしてこちらを向いた。
へらりと笑って酷なことを口にする。

「まあ、サシで話したこともない人の隣が居心地いいわけないよね」

「…だろうな」

「でも、もう少し一緒にいればよくなるのかも」

「それはただ慣れただけで、オレだからってことにはならないっショ」

「奇遇だね、わたしもそう思う」

もう期待してやるかと突き放すと、当たり前のように肯定された。
どうしろってんだ。


「でも、相手がまきちゃんならわたしはどっちでもかまわないよ」

「…は…?……深空それどういう、」

「あ、わたしの名前知ってたんだ?」


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