会社員新開


会社にいくつかある資料室の中でも比較的狭いここ第5資料室が、今日のわたしの業務スペースだ。
来月他県に新しく支社ができるのだが、そこにストックする資料の準備を依頼されたのが昨日のこと。事務の数人で手分けして、過去の業績やらマーケティング関連やらその他もろもろの書類準備に今朝から取り掛かったというわけだ。

部屋の真ん中に据えられたテーブルに、パソコン、筆記具、大量の書類を広げ朝から籠ること早6時間半。軽いノックの後にドアが開いたのは、ここまでの進捗状況を見るとなんとか今日中に作業を終えられそうだと安堵したところだった。

「あ、やっぱり深空さんか」

「新開さん?お久しぶりです」

入ってきた新開さんは相変わらずのさわやかさだった。
同じ部署だった彼が異動したのは3か月ほど前のことだ。毎日顔を合わせていた人物がいなくなるというのは淋しいもので、部でもいまだに話題に上る。それでなくても女子の話の中心になることも多いというのに。

わたしの座るテーブルの前へ来た彼はにこやかに話し始めた。

「今日は営業部がここ1日使ってるんだって?」

「はい」

「で、今日は何引き受けたんだ?」

「今度新しく支社ができるんで、そこにストックする資料の準備を」

ちらと横目で書類の山を確認して、彼は苦笑した。

「新開さんは探しものですか?」

「ああ、実績検証後マーケティングリサーチだってさ」

その資料探し、と1度大きく伸びをして奥の棚に向かった彼は、背表紙の文字を追って視線を流していく。長い指が1冊の資料を抜き取りぱらぱらとページをめくる姿は、見とれてしまうくらい絵になった。
ふとぼんやりしている自分に気づき、仕事の続きに取り掛かる。
ファイリングした書類を年月別にボックスに入れ、その背表紙にパソコンで作成した内容物一覧を張り付けた。

「これ作ったの、おめさんじゃないだろ?」

いつの間にか戻ってきていた彼がわたしの横で覗いているボックスは、既に作成が完了しているものの1つで、年月を見れば確かにわたしが作ったものではなかった。それは午前中に2時間ほど手伝ってくれていた後輩が作ったものだが、それを彼が知っているはずはない。

「あ、そうです。よくわかりましたね?」

「深空さんがこんなミスするはずないからな」

呆れたような表情を見せる彼の手元を見れば、見事に外見と中身が相違していた。頭を抱えるを体現する日がこようとは思わず、どっと疲れが押し寄せる。
突っ伏して「はああ」と息をつくわたしの頭に、ふわと重みを感じた。慰めるようにぽんぽんと優しく触れられる。その大きくてあたたかいてのひらは、柔らかな木漏れ日のようだった。
テーブルに腰かけた彼の手が自分に伸びているのを確認して尚そのまま撫でられているなんて、思った以上に疲れているのを実感した。

「言いたくはないけど、今の部署の子達ももうちょっと細かいところまで気にかけて仕事してほしいんだよな」

わたしの頭から手を放して、彼は腕を組んだ。顔を上げたわたしをよそに、むむ、と眉間にしわを寄せる。色男は何をしても様になる、は健在らしい。

「新開さんでもそんなこと思うんですね」

「そりゃまあ…つくづく深空さんの偉大さを痛感してる。きれいに整理されてた資料が懐かしいよ」

「…そんな大した人間じゃないですよ」

そう言いながらも、自分の仕事を認めてくれている人がいるのは素直にうれしかった。
事務という仕事上褒められることも認められることもほとんどないのは仕方ないが、自分と関係ないところで仕事が増えた今日みたいな日は、誰かに甘やかされたくもなるというものだ。

「指摘したりしないんですか?」

「うーん、注意したその時はいいんだけど、しばらくするとまた戻っちまうし、かといってきつく言いすぎると雰囲気悪くなるだけだし、難しいな」

その言葉にある人物が浮かんだ。

「ふふ」

「なんだ?」

「や、それしちゃう人もいるなあと思って」

「靖友か」

頷くと彼も笑う。きっと同じような光景を思い出しているんだろう。……少しだけ表情が陰った気がしたけれど、光の加減に違いない。

パソコンに視線を戻すと、少し前に感じたあたたかな重みが再度頭を撫でた。

「あんまり無理すンなよ?」

「……。新開さんはよく心配してくれましたよね。なんだか懐かしいです」

「おめさんはオレがベタベタに甘やかしてやるよ。これからもな」

魅力的な垂れた瞳が柔らかく細められている。
以前からわたしが疲れているときはあれこれと世話を焼いてくれた。それをただの優しさだと言い聞かせてきたけど、今日のわたしはそれもできないくらい本当に疲れているようだ。

「じゃあ、今日……ゴハン、連れてってください…」

やっぱりいいです、という言葉をすぐに出せるように用意していたわたしの前で、彼は相好を崩した。
いつもの飄々とした大人の雰囲気を壊して、子どものようにくしゃりと笑う彼にどきりとしたのを、わたしはうまく隠せているだろうか。


「新開ィ、今日メシ、」

「悪いな靖友、今日はパス!!」

「……なんだァアイツ?急いでる割にやけに機嫌よさそうじゃねェのォ」

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