アプリケーション起動


 女の子は毎日忙しい。
 癒してほしい。甘やかされたい。
 そう思ったって、いいじゃない。


仕事が終わって家に着いて、軽くシャワーを浴びた。今日は自炊する気にもならなくて、コンビニで買ったサラダとカップ焼きそばが晩ごはんだ。
侘しいっちゃ侘しいけど、女の一人暮らしだって毎日毎日ちゃんと家事してるほうが稀なんじゃないだろうか。
テーブルに買ったものを並べて、一口放り込んだサラダを咀嚼しながらスマホをいじる。テレビは音楽番組を流しているけど、これはもうBGMだ。

あれ、こんなアプリ取ったっけ?

でかでかとPの一文字だけ書かれたそれは、今は使っていないアプリを置いているページにあった。
焼きそばをちゅるちゅるすすって、覚えのないアプリを起動させる。

――ピィィィィ

突然モスキート音のような小さな高い音がしたような気がして、軽い不快感にごくんと唾を飲み込んだ。

「おい」

「っ!? 」

ふいに背後からかけられた声に反射的に振り向くと、そこには見知らぬ男が立っていた。黒髪に少し長めの短髪、三白眼の目つきは鋭い。
こういうとき人はどんな反応ができるんだろうか。そしてするべきなんだろうか。少なくともわたしは一瞬思考が停止したかと思うとすぐにいろんなことが頭を巡った。
誰だ、とかなんで、とか鍵かけたはず、とか逃げられるだろうか、とか武器は箸くらいしか、とか。あら、意外に冷静?
見つめ合うことしばし。

「おい…」

「……、…」

再度声をかけてきた男を見つめたまま、叫ぼうにも声が出ないことに今更ながらに気づく。これはニュースとかになるんだろうか。強盗殺人とか。もしかしたら強姦殺人、なんてまさか。
目を閉じてしまいたいけどその間になにが起こるのか怖い。

「…あの。できれば。殺さないで。いただけると…」

意を決した言葉は面白いほど震えていた。

「おい。おめー勘違いしてンぞ…」

男が呆れたような困ったような表情で頭をかいた。
あれ、よく見たらちょっとかっこよくない?

「とりあえず落ち着いて箸置け」

「え、あ、ああ…」

いつの間にやら箸の先を突きつけるように握りしめていた。男から視線をそらさず箸をテーブルに置く。そんなわたしと2歩の距離まで近寄った男はそこでしゃがみこんだ。不良の良くするあれだ。

「…それで、どこのどちらさまでしょうか」

「おめーが呼んだんだろーが」

「え、…呼んだ?え?」

「それだよ」

それ、と顎でテーブルの上を示されてもなんの話やら。ばらばらと散らばってるのは全て見知ったものばかり。どんなものか想像もできないけど、この人が言うようなものはうちにはないはずだ。てか、普通一般家庭にそんなものないのでは。
きょろきょろしていると「しょうがねーな」と立ち上がった男がわたしのスマホへ指を置いた。
わたしは警戒しながらも、害意はなさそうだとそれを黙って見守る。

「これ」

「これ?」

「立ち上げただろ、アプリ」

「アプリ…?ああ、あのピーってやつ」

「見てみろよ」

すでにロックがかかっているスマホにパスワードを打ち込むと、アプリの起動画面が現れた。
ころんとした可愛らしいフォントで説明書のような文面が浮かんでいる。

「えっと、『これは女性を潤す為のアプリです。試作段階ですが、ぜひ貴女にご利用いただきたく、誠に勝手ではございますがインストールさせていただきました。』」

と、ここでわたしはん?と思う。それって犯罪なのでは…。
す、と文字が消えて、次の文章が浮かび上がる。

「『つきましては、感想や改良点等お聞かせいただければ幸いでございます。それでは、ピューネくんライフが貴女のしあわせとなりますことを、心よりお祈り申し上げます。』」

フォントに似合わずなんだか硬い文章だ。結局なんのアプリ?
そう思っていると、文字が消えてクリーム色の背景に変わった。水色の四角が1つ、画面の下1/4のちょうど真ん中に現れる。四角の中にはArakitaと筆記体が並んでいた。

「なんだこれ、あ、ら、き、た…?」

指で触れると、履歴書のようなものがふわりと浮かび上がった。氏名、性別、血液型、身長、体重、云々かんぬん…あと写真。
その写真と目の前の男はどう見ても同一人物だ。

「…えっと、あらきた、さん?」

「おー」

わたしは頭を抱えた。どういうこと?

「あの、名前やらなんやらのプロフィールはわかったんですが、結局なに?」

「だから、そこに書いてあるピューネくんってのがオレ」

「はあ…あ、ピューネくんってもしかしてあの某シーエムのあれですか…?」

「まァな、下手すりゃ著作権引っかかンぞっつったんだけど、なにしろネーミングセンスねーからな」

「…そうなん、ですか」

誰が、とはなんとなく聞けなかった。

「荒北さんがピューネくんで、ピューネくんは女性のためのアプリ、なんですよね…?ってことは、荒北さんはアプリってことに、え?」

「合ってンぞ」

「え?アプリ?荒北さんが?人ですよね?え?」

「人じゃなくて、あー、プログラム、だな」

「プログラム…?ゲームとかパソコンとかそういう?え、そうなると今の技術ってもうなんでもあり…」

「まァできるヤツもいる、っつーことなんじゃねーの?よくわかんねーけど」

なんかもう頭ぶっ壊れそうなんですけど。なにが起きているの、わたしのありきたりな人生に。

「ンな捨てられた犬みてーな顔してンじゃねーよ」

わたしなんかより数段困った顔をした荒北さんが、首をかしげる。

「当たり前だわな、そうですかなんざ言える状況じゃねーか。……あ。アプリ、落としてみ」

なにか思いついたらしい荒北さんが、アプリ画面の左上を示す。そこにはcloseの文字。ぽちりと押すと、画面が黒くなると同時にまたピィィィィと甲高い音がして、瞬きの間に目の前の荒北さんが消えた。

消えた…。
まじか。まじですか。たしかにこれでやっぱり生身の人間でした、なんてことになったら本気でやばい人だったわけだけど、これはこれでまた…。
しばらく目をつぶってどうしようか考えて、スマホに目を落とす。

startと書かれたタイトルページには、『がんばるあなたに癒しと潤いを… ピューネくんがお届けします』と少々乙女チックすぎるロゴが入っている。初回はこのスタートボタンを知らず押してしまっていたらしい。
ごくりと唾を飲み込んで、ボタンを押した。

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