It can't be...


朝のチャイムが鳴って、生徒が教室に吸い込まれた後の学校の廊下は、どこか寂しいような不安なような、そんな気分にさせる。

前を歩く教師の後ろで、蒼はそっと息を吐いた。人生初の転校。今までに何度か転校生を迎えたことはあったけれど、あの時の彼らはこんな気持ちだったのかと、蒼はようやく理解していた。

当たり前のように教室の中へ入っていく教師に、心の準備もさせてもらえないままその後に続く。転校生の噂は行き届いているらしく、自分に集中する好奇の視線を避けるように、蒼は床を見つめた。「女の子だ」「制服違う」と生徒たちがさざめく。その声を聴きながら、あと1日制服ができるのが早ければここまで目立たなかったのにと、恨めしく思った。
騒めく生徒たちを眺めた教師は、「静かに」と宥め蒼を紹介した。

「深空蒼です。よろしくお願いします」

促されるままそう頭を下げて、まじまじと見つめる多くの瞳に戸惑う。どこを見ていいかわからず室内を見回すと、後ろの席の男子が机に突っ伏しているのが見えた。背中が上下して、眠っているのだとわかる。みんなこうだったらいいのにと、蒼は笑顔を作りながら本日何度目かわからないため息を落とした。

「席は…あそこだ」

指差されたのは先ほど見ていた男子生徒の隣だった。言われるままその席へ腰を下ろす。
「新開」と呼ばれた声に隣の背中がぴくりと反応した。顔を上げた彼に「転校生に教科書見せてやるように」と言われた彼が、初めてこちらへ視線を向ける。

「…転校生?」

「…深空蒼です、よろしく…」

「オレは新開隼人。よろしくな」

未だにとろんとした瞳のままの自己紹介だった。

そこからのことはあまり覚えていない。
どうにか転校初日を終え家に帰ってきた蒼がわかるのは、とても疲れたということだけで、授業の内容も同級生たちとの会話に自分が何と答えたのかも記憶になかった。隣の彼はといえば、教科書だけ蒼へ渡すと、あとはほとんど寝ていたというありさまだ。

その夜、ちゃんとあの場所に馴染めるだろうかと、新しい制服を眺めながら蒼は眠りについた。


× × ×


翌朝、緊張しているのか随分と早く目が覚めた。
特段することもなく、だらだらと家にいても不安と緊張に押しつぶされそうなので、蒼は学校へと向かった。

どうにかたどり着いた教室には誰もいなかった。やはり早かったかと思いながら席に座り、真新しい教科書を机へつっこむ。
どうにもバランスが悪い制服のリボンが気になり、ここでもすることのない蒼は鞄から鏡を引っ張り出して机上に置いた。

しばらくして、がら、と開いた教室のドアに、リボンをいじっていた手を止め、顔を上げる。

「おはよ、深空さん」

「お、はよう…」

早いな、と懐こい笑みを見せて、彼は隣りの席へカバンを置いた。

「しん、かい、くんこそ、早いね」

昨日聞いた名前を引っ張り出し、つっかえながらも言葉を紡ぐと、蒼を見下ろす新開はその瞳を細める。

「オレは朝練あるから、早かったらだいたいこの時間」

「部活?」

「そ」

柔和な雰囲気だが意外にもしっかりした体躯を認めて、もう一歩踏み込むことのできない蒼は、運動部なんだろうなあ、と一人納得するにとどまる。
くすり、と喉の奥で笑う音に我に返り、焦点を合わせた新開の視線を追った。そこにはバランスの悪いリボンが、自身の首にぶら下がっている。
頬に熱が集まり、蒼は床を見つめて言い訳をするように口を開く。

「あ、の、これ、は」

「苦手?」

なにが、とは言わなかったが、それは明確で。

「どうしても、うまくいかなくて…」

次第に小さくなる声が新開に届いたかはわからなかったが、「昨日のリボンは?」と首を傾げたところを見ると、どうやら伝わっているようだ。それにしても、昨日着ていた制服にリボンがついていたかどうかなんてよく覚えているな、と昨日の彼の様子を思い出し変に感心してしまう。

「あ、昨日のは…もう形が作ってあって、ボタンで止めるだけ、だったから」

「ああ、パチッと止めるやつ」

「うん、そう」

立ったままだった新開が足を踏み出し、蒼は反射的に立ち上がり身を引いた。もともと半歩程度しかない距離を詰めた彼の手が、蒼へと伸びる。
しゅるりと解かれるリボンと、目の前に迫った彼。状況に思考が追いつかず、蒼は瞬きを繰り返した。

その間にも、自分より大きな手が器用にリボンを結んでいく。たった1本の紐がきれいにリボンの形にできあがっていく様を、蒼は手品でも見るかのように眺めた。
ちらりと見上げてみれば、その先には整った顔が間近にあり、それが気恥ずかしく蒼は慌てて視線を戻した。
昨日はわからなかったが、もしかして彼はけっこうかっこいいのではないかと、蒼は一人悩む。

「よし、できた」

そんなことなどわかるはずもなく、最後に位置と長さを確認し、新開は満足そうに笑む。

「あ、ありがと、う」

「どういたしまして。制服、似合ってる」

「…あ、ありがとう」

ぽふんと頭に乗せられた大きく固い手の感触は、否が応でも彼が男だということを意識せずにはいられない。
なぜか嬉しそうにも見える新開の笑顔を見ながら、どくどくと強くなる自分の心音が、頭の中まで響くような気がした。まさかという予感が、胸の鼓動と共に蒼の頭をよぎる。
まさか、まだ出会って、24時間も経っていないというのに――。


「リボンできそう?」

「、え!? あ、ごめん、どうだろ…」

「じゃ明日もこの時間」

「…え?」

「待ってる」

「う、うん」


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