「はぁ…癒される…。」


朝早く起きてストレッチで体をほぐす。シャワーを浴びて、集中ケア用の少し高価なシャンプーとトリートメントで髪を洗い、丁寧に乾かしてさらさらつやつやに。通販でつい買っちゃった朝食替わりのスムージーは意外とおいしい。全然できていなかったネイルケア、やすりでぴかぴかに磨いて。それが終わったら、好きな音楽を聴きながら小顔ローラーで顔周りをコロコロする。

副社長は多忙ゆえ、秘書の私もそれだけあわただしく日夜動き回っている。そして今日はやっと得られた休日。昨夜から決めていた今日の予定、それは「自分のケアをする」ことだ。身だしなみを整えることも、秘書業の一環。

何にも追われない時間はひどくゆっくりに感じた。私以上に様々な仕事とプレッシャーを抱える副社長は、きちんと休めているだろうか?余裕そうに笑う彼の顔を想像する。日頃から疲れなど見せないけれど、きっと色々溜まっているに違いない。朝寝坊でも、ぐうたらでも構わない。とにかく休んでほしいな、と思った。


ピンポーン


突然鳴ったインターホンに、脳裏に映した副社長はふつりと消える。今日は来客の予定などない。不思議に思いつつも玄関へ走った。「はぁい」と緩く返事をしてドアを開けると、そこには副社長本人がいた。え、なんで?一瞬驚いたように目を見開いて私の姿を見、その後不機嫌そうに眉間に皺を寄せた。


「お、おはようございます…?」
「不用心だ。ロックぐらいしろ。相手を確かめる前にドアを開けるな。その恰好で出るな。暴漢だったらどうする。」


私のあいさつは不機嫌な副社長の小言たちで消される。マンションのエントランスがオートロックだから防犯については気を抜いていたので耳が痛い。副社長がなぜ部屋の前まで来れたのかについては、まぁ、副社長だからということにして…。恰好というのは、私の今の部屋着のことだろう。ホットパンツのような丈の短いショートパンツに、キャミソール。フワフワでモコモコな素材な着心地が良く、気に入っているものだ。

「邪魔するぞ」と一言でずいと室内に入り込んできた副社長に、私は後ずさって迎え入れることしかできない。気付いた頃にはドアは閉まっていて、ご丁寧に副社長が後ろ手で鍵までかけていた。


「…ふむ、手狭だが綺麗にしてあるのだな。」
「手狭ですか…これでも一般市民にしては良い暮らししてると思いますけど…。」


神羅ビルから少し離れたところにあるマンションの5階、広めの1LDKのここが私の住まいだ。良いお給料のお陰で、同世代の一人暮らしにしてはかなり贅沢な部屋。けれど、副社長の目で見ると確かに手狭に感じるのかもしれない、と部屋をぐるりと見回して思った。


「急にどうなさったんですか?」
「出かける。支度をしろ。」
「はい?」


私はキッチンに入り、すでに副社長用にコーヒーの準備を始めている。カウンターキッチンのお陰で、リビングのソファに我が物顔で座る副社長が見えて苦笑いが零れた。ソファ前のローテーブルに置きっぱなしだった小顔ローラーを不思議そうに手に取るので、「そのボールで顔をコロコロすると小顔になりますよ」と言えば、怪訝そうにしながらも頬をコロコロし始める。あなたはそんなことしなくても彫刻かと見紛うほどシャープな顔でしょうに。


「明日の晩、取引先の創業20周年記念パーティーがある。なまえにも出席して貰いたい。」
「はぁ、承知しました。」
「その為のドレスを俺が選ぶ。だから早く支度しろ。」
「急ですね!?え、えと、30分時間ください!」


副社長の前にコーヒーを出した後、慌てて私は寝室に滑り込んだ。急いで着替えて、簡単にメイクをする。シャワーを浴びていたお陰で、髪は軽くまとめて結うだけでそれなりにすることができた。クローゼット横の全身鏡でチェックすれば、仕事の時より少し気の抜けた自分が写って、まぁこんなものかな、と納得した。メイクが薄いとどうもやる気が無さげに見える。…ていうか、私、副社長にすっぴんを見られた…?


「副社長、準備できたのですが…あの、これまでの私の姿は忘れていただけませんか…?」


寝室からそろりと出る。副社長は相変わらず小顔ローラーで頬をコロコロしながら、飲み終えたコーヒーのカップをカウンターに置いているところで、くるりと振り向いた。私は懇願するように忘れてくれと言うが、副社長は口の端を上げて笑うだけだった。小顔ローラー、気に入ってますね。


「ノーメイクに際どい姿をか?無理だ。」
「なんでですか!」
「お前のそういう姿を見られる男は俺だけだからな。」
「う…、副社長にも見られたくなかった…。」
「気にするな。ほら、行くぞ。」


私はしょぼくれながらも、玄関へ向かう副社長を追いかけた。そういえば、副社長もいつもよりラフだ。黒のタートルネックに袖を7分丈くらいになるよう持ち上げて、ライトグレーのチノパンは彼の足の長さをより際立てている。背中、広いな…と考えてから、ぶんぶんと頭を振って邪念を振り払った。





*





ところ変わり、高級な洋服店の広い個室。私は入るなりさまざまなパーティー用のイブニングドレスに袖を通させられ、そのたびに副社長から舐めるような視線を向けられている。背中が腰あたりまでざっくりと開いたものや、太ももの上まで深くスリットの入ったものなど、着せられるものはどれも際どいものばかりで、そのたびに私は羞恥心で顔が熱くなった。

そして今着せられているのは、肩や胸元が丸見えになったミントグリーンのドレス。少し前かがみになれば谷間が見えてしまいそうで、フォーマルな席でこれは少し合わないのでは、と不安になる。試着を手伝ってくれた店員さんが試着室のカーテンをシャッと開けると、目の前のソファで長い足を組んでいた副社長の鋭い視線が刺さった。少し驚いたようにこちらを見つめた後、立ち上がる。無言でこちらに向かってくるのが怖い。


「驚いた。思っていた以上だ。」
「え、あの、」
「これは俺と2人の時だけ着せることにしよう。」
「ちょっと、副社長?」


うんうんと満足げに頷いて、「予定外だが、これも貰おう」「ありがとうございます」などと私を置いてけぼりに店員さんと話を進めている。まぁ、副社長が気に入ったのなら良いか…副社長が買ってくださるわけだし…。

そう、今回の買い物はすべて副社長がポケットマネーを出してくれる。初めは忍びないと遠慮していたが、ちらりと見えた桁数がやたら多い値札や、こうやって休日に着せ替え人形をさせられていることを考えると、お言葉に甘えてしまってもいいやという投げやりに近い気持ちになった。


「なまえ、これが最後だ。」
「はぁい…。」


副社長の言葉と共に、店員さんが用意していたドレスをまた持ってきた。ラベンダー色のそれに袖を通してみると気付く。それまでに着ていたものたちとは圧倒的に露出が少なく、上品で、私の見た目にぴったりと合致するものだった。体のラインは出ているが決して下品ではなく、副社長のセンスの良さを体感する。着替えを手伝ってくれている店員さんも、「大変お似合いです」とにっこり微笑んで褒めてくれた。


「ルーファウス様は初めから、お客様にはこちらを選ぶおつもりだったようですよ。」
「そ、そうなのですか?」
「よくお客様を見ていらっしゃるのですね。どんなお召し物が似合うかご理解なさっているようで。」


私を、見ている、よく…。

ぼっと顔が熱くなるのを感じる。いや、勘違いしてはいけない、私は秘書だから、必然的に目にする機会が多いのだ。ただそれだけだ。合わせるようにと指示があったであろうハイヒールに履き替えて、再び副社長の前に姿を見せる。副社長は私をじっと見つめた後、得意げに笑った。


「俺の見立ては間違っていなかったな。良く似合う。」
「ありがとうございます。とっても素敵なドレスです!」
「なまえが着てこそだ。」


彼のからかいに、勘違いしてしまいそうだ。





*





「ありがとうございます。こんなに買っていただいて…。」
「気にするな。」


結局、ドレス2着とそれらに合わせた靴を2足買っていただいてしまった。きっと私が見たら眩暈がするほどの値段なのだろうけれど、さすが副社長はけろっとしていた。

大きな車の後部座席に並ぶ私と副社長。彼は窓の外を見て、頬杖をついている。わずかに眉間に皺を寄せて口角を下げている様子から、何か思いつめているようだ。こういうとき、彼はだいたい余計な干渉を嫌う。私はこれ以上話しかけることを遠慮し、窓の外を見ることにした。


以後は沈黙のまま、車が私のマンションの前まで到着する。副社長と運転手にお礼を言って降りようとしたところで、ずっと黙っていた副社長が私を制した。そして、運転手に少し席を外すよう言う。何かあったのだろうか?少し不安に思いながら、扉にかけた手を引っ込めて彼のほうに身体を向き直った。


「あの、どうされましたか?」
「…なまえに改めて確認したいことがある。」


真剣な面持ちの彼に私は緊張する。


「なまえ、これから先、何があっても俺に付いてきてくれるか?」


それは、確認と言うよりも彼からの願いに聞こえた。自分に付いてきてほしい、何があっても離れないでほしいと。真剣な副社長の瞳はいつもの余裕な色などなく、むしろ不安に揺れている。いつの間にか私の手を握っていた彼の大きな手には力が入っており、少し痛みを感じるほどだ。

タークスとして恥ずべき大失敗を犯した私を責めるでなく、優しい言葉をかけてくれたこと。戦闘することがトラウマになった私を拾って、秘書というポジションを与えてくれたこと。私の秘書としての働きを見て、認めてくださっていること。感謝してもしきれないくらいの恩を私は副社長からいただいている。


「私はずっと貴方に尽くすと、秘書を仰せつかった日から心に決めています。何があってもそれは変わりません。」
「なまえ…。」
「私はいつでも貴方の後ろにいます。ですから、副社長は堂々と貴方のしたいことをしてください。」


力強く握ったその手に自分のものをさらに重ねる。私の決意が伝わるように、しっかりとそのブルーの瞳を見つめて。こんなに弱くなった私が彼の支えになれるかは分からない。しかし彼が望んでくれるなら、私は喜んで傍にいたいと思っている。それに個人的な想いが含まれるかどうかは、今の私には分からない。


「フッ、心強いな。頼んだぞ。」
「はい、もちろんです!」
「そんななまえに、もう一つ。」


握りあった手を解き、副社長が私のことを抱きしめてきた。彼の突然の行動に身体が硬直する。肩の上から腕を回されて、そしてそれはすぐに離れた。首元に感じる、わずかにひんやりとした感触。窓を鏡代わりに見ると、私の首元にはネックレスが光っていた。シルバーのチェーンに下がった、キラキラとまばゆく輝く一粒の宝石。透き通った薄いブルーのそれは、まるでずっとここにあったかのようにぴったりと私の首元におさまっていた。


「あの、これは…。」
「着けていてほしい。」
「こんな素敵なもの、よろしいのですか…?」
「ああ。…うん、よく似合う。」


デコルテをなぞり、ネックレスに指をひっかけて、副社長は満足げに笑った。