月夜は永遠に
恐ろしい夢を見た。
夢の中で私はただのOLだった。朝起きて、出社して、1日ディスプレイに向かい、夜になったら自宅に戻る毎日。楽しみは友人とのランチと、たまにディナーでワインを飲むこと。それから、休日のスイーツカフェ巡り、ウィンドウショッピング、エトセトラ。煌びやかなパーティーも、血生臭い命のやり取りもない、代わり映えのしない日々を享受するだけの、安穏とした生活。それで幸せだった。夢の中の私は、それが、幸せだと、思っていた。だから、それが、恐ろしかったのだ。
「る、ぅ」
掠れた声で小さく名前を呼んだけれど、ルーは規則正しく寝息を立てるだけだった。月明かりが差し込む寝室はひどく静かだ。同じシーツに包まる彼の、胸板にゆっくりと手を当てた。どくり、どくりと脈打つ鼓動を感じて、ああ、生きている、なんて、当たり前のことを考える。じんわりと熱をもつ瞼。視界がゆるゆると歪んで、瞬きをするとほろりと頬を伝う涙。るー。声にならない声で、貴方の名前を呼んで。それだけでこんなにも、胸が掻き毟られるほど、愛おしいのに。忘れることなんてできるはずもない。忘れたくない。忘れたら、きっと、私は私で無くなってしまう。
「るー、るー、」
「ん……どうした……?」
寝起きの低い声。優しく柔らかいその声が私だけのものだと思うと、愛おしさでどうにかなってしまいそうだった。ぽろりとまた涙が零れて、シーツに暗い染みを作る。しなやかな筋肉のついた胸板に、そっと頬を寄せた。どくり、どくり、耳元で聞こえる心音。ルーの大きな手のひらが、私の髪をさらりと撫でて、それから背中に回された。ぐ、と抱き寄せられて、素肌が密着する。するり、脚まで絡め取られ、身動きができなくなってしまった。甘い拘束。私の名前を呼ぶその声ですら、私を捕らえて離さない。
「夢を、」
「ん?」
「夢を、見たの」
「悪夢か?」
こくりと頷くと、ルーは「そうか」と言ってまた私を撫でた。あたたかい手のひら。私を落ち着かせようとするその動きに、高ぶっていた感情がだんだんと凪いでいくのがわかる。はあ、と小さく息を吐くと、最後の雫がぽろりとこぼれ落ちた。ルーの手が、耳を伝って、私の頬に添えられる。促されるまま見上げると、透き通るようなアイスブルーが私を見つめていた。親指が、ふに、と唇に触れる。そこで初めて、唇を噛み締めていたことに気がついた。まるで私を叱るかのように、ゆっくりと往復する硬い指先。私だけが知っているその温度が愛おしくて、キスをするように唇を押し付けると、彼は満足そうに目を細めた。
「るー、」
「ん、なんだ?」
「ルーも、悪夢、見たりするの?」
美しい瞳が、意外そうに見開かれる。無防備なその表情は、ぱちりと瞬きをする間に微笑へと変わった。衣擦れの音を響かせて、ルーが私にゆっくりと覆い被さる。降ってきた唇を、目蓋を下ろして享受する。指先と同じく、熱い唇だった。私だけが知っている温度、私だけの唇。ふわり、と羽のように軽いそれが、優しく私に口付ける。二度、三度。ちゅ、という可愛らしいリップ音が、この男性から出ていると思うと、ぞくぞくするのはなぜだろうか。
「お前を手に入れた時から、覚悟はできている」
「ん、るぅ、」
「何が立ちはだかろうとも、お前を手放すことはない」
「あ、まって、るー、っふぁ、」
「たとえ神に背いても、お前を愛そう」
熱い口付けと、強い抱擁に、すべて呑まれてしまった。背中に腕を回して抱き締める。この広い背中に、どれだけのものを背負っているのだろうか。神に背いてしまえば、行き着く先など決まっている。離さないように、離れないように、指先に力を込めた。病めるときも、健やかなるときも、たとえ地獄に堕ちたとしても。夢すらも、私たちを分つことなど、出来はしない。永遠に、貴方と共に。
***
「るー、」
小さく漏れた愛おしい声に、口元が綻ぶ。優しくシーツをかけると、彼女がくるりと寝返りをうった。さらりと流れる髪と、露わになる白い肌。小さな背中の、所々に見られる古傷は、彼女の勲章でもあった。ゆっくりと、消えない傷一つひとつに指を這わせる。彼女を傷つけてきた者たち全てを、闇に葬ってきたけれども。胸に渦巻くどす黒いこの感情が、晴れることなど一時もなかった。きっと。この世界で彼女と二人きり、たった二人きりになって初めて、俺はまっさらな心地で彼女を抱きしめることができるのだろう。す、と肩甲骨を撫でると、ぴくりと震える身体。深く寝入っている彼女に気づかれないように、そこに小さくキスを落とした。それから、思い切り、柔い肌を吸い上げる。じゅる、という水音。唾液を絡めてから、ゆっくりと身体を起こす。赤黒い疵。白い肌にそれはよく映えた。反対側、同じ位置にも、もう一度。目覚めない彼女は、知ることなどないだろう。夜な夜な俺が、こうやって、彼女を、縛り付けていることに。鬱血痕を爪先で引っ掻いて、くく、と喉の奥で笑う。きっと天使が居たのなら、此処から羽が生えているはずだ。それを丁寧に引き千切ったら、此処には疵が残るだろう。天界に戻る術を失えば、堕ちてくるしかない。俺の腕の中に。
「死すら、俺たちを分つことなど、出来はしまい」
お前は、永遠に、俺のものだ。
夢の中で私はただのOLだった。朝起きて、出社して、1日ディスプレイに向かい、夜になったら自宅に戻る毎日。楽しみは友人とのランチと、たまにディナーでワインを飲むこと。それから、休日のスイーツカフェ巡り、ウィンドウショッピング、エトセトラ。煌びやかなパーティーも、血生臭い命のやり取りもない、代わり映えのしない日々を享受するだけの、安穏とした生活。それで幸せだった。夢の中の私は、それが、幸せだと、思っていた。だから、それが、恐ろしかったのだ。
「る、ぅ」
掠れた声で小さく名前を呼んだけれど、ルーは規則正しく寝息を立てるだけだった。月明かりが差し込む寝室はひどく静かだ。同じシーツに包まる彼の、胸板にゆっくりと手を当てた。どくり、どくりと脈打つ鼓動を感じて、ああ、生きている、なんて、当たり前のことを考える。じんわりと熱をもつ瞼。視界がゆるゆると歪んで、瞬きをするとほろりと頬を伝う涙。るー。声にならない声で、貴方の名前を呼んで。それだけでこんなにも、胸が掻き毟られるほど、愛おしいのに。忘れることなんてできるはずもない。忘れたくない。忘れたら、きっと、私は私で無くなってしまう。
「るー、るー、」
「ん……どうした……?」
寝起きの低い声。優しく柔らかいその声が私だけのものだと思うと、愛おしさでどうにかなってしまいそうだった。ぽろりとまた涙が零れて、シーツに暗い染みを作る。しなやかな筋肉のついた胸板に、そっと頬を寄せた。どくり、どくり、耳元で聞こえる心音。ルーの大きな手のひらが、私の髪をさらりと撫でて、それから背中に回された。ぐ、と抱き寄せられて、素肌が密着する。するり、脚まで絡め取られ、身動きができなくなってしまった。甘い拘束。私の名前を呼ぶその声ですら、私を捕らえて離さない。
「夢を、」
「ん?」
「夢を、見たの」
「悪夢か?」
こくりと頷くと、ルーは「そうか」と言ってまた私を撫でた。あたたかい手のひら。私を落ち着かせようとするその動きに、高ぶっていた感情がだんだんと凪いでいくのがわかる。はあ、と小さく息を吐くと、最後の雫がぽろりとこぼれ落ちた。ルーの手が、耳を伝って、私の頬に添えられる。促されるまま見上げると、透き通るようなアイスブルーが私を見つめていた。親指が、ふに、と唇に触れる。そこで初めて、唇を噛み締めていたことに気がついた。まるで私を叱るかのように、ゆっくりと往復する硬い指先。私だけが知っているその温度が愛おしくて、キスをするように唇を押し付けると、彼は満足そうに目を細めた。
「るー、」
「ん、なんだ?」
「ルーも、悪夢、見たりするの?」
美しい瞳が、意外そうに見開かれる。無防備なその表情は、ぱちりと瞬きをする間に微笑へと変わった。衣擦れの音を響かせて、ルーが私にゆっくりと覆い被さる。降ってきた唇を、目蓋を下ろして享受する。指先と同じく、熱い唇だった。私だけが知っている温度、私だけの唇。ふわり、と羽のように軽いそれが、優しく私に口付ける。二度、三度。ちゅ、という可愛らしいリップ音が、この男性から出ていると思うと、ぞくぞくするのはなぜだろうか。
「お前を手に入れた時から、覚悟はできている」
「ん、るぅ、」
「何が立ちはだかろうとも、お前を手放すことはない」
「あ、まって、るー、っふぁ、」
「たとえ神に背いても、お前を愛そう」
熱い口付けと、強い抱擁に、すべて呑まれてしまった。背中に腕を回して抱き締める。この広い背中に、どれだけのものを背負っているのだろうか。神に背いてしまえば、行き着く先など決まっている。離さないように、離れないように、指先に力を込めた。病めるときも、健やかなるときも、たとえ地獄に堕ちたとしても。夢すらも、私たちを分つことなど、出来はしない。永遠に、貴方と共に。
***
「るー、」
小さく漏れた愛おしい声に、口元が綻ぶ。優しくシーツをかけると、彼女がくるりと寝返りをうった。さらりと流れる髪と、露わになる白い肌。小さな背中の、所々に見られる古傷は、彼女の勲章でもあった。ゆっくりと、消えない傷一つひとつに指を這わせる。彼女を傷つけてきた者たち全てを、闇に葬ってきたけれども。胸に渦巻くどす黒いこの感情が、晴れることなど一時もなかった。きっと。この世界で彼女と二人きり、たった二人きりになって初めて、俺はまっさらな心地で彼女を抱きしめることができるのだろう。す、と肩甲骨を撫でると、ぴくりと震える身体。深く寝入っている彼女に気づかれないように、そこに小さくキスを落とした。それから、思い切り、柔い肌を吸い上げる。じゅる、という水音。唾液を絡めてから、ゆっくりと身体を起こす。赤黒い疵。白い肌にそれはよく映えた。反対側、同じ位置にも、もう一度。目覚めない彼女は、知ることなどないだろう。夜な夜な俺が、こうやって、彼女を、縛り付けていることに。鬱血痕を爪先で引っ掻いて、くく、と喉の奥で笑う。きっと天使が居たのなら、此処から羽が生えているはずだ。それを丁寧に引き千切ったら、此処には疵が残るだろう。天界に戻る術を失えば、堕ちてくるしかない。俺の腕の中に。
「死すら、俺たちを分つことなど、出来はしまい」
お前は、永遠に、俺のものだ。