ピリッとした刺激に、意識が浮上した。小指よりもずっとちいさな範囲に広がる鋭い痛み、鉄の味。下唇が裂けたのだと、寝ぼけた頭で認識した。眠気で開かない瞼は、眼球を隠したまま。

少し古いホテルのスイートルーム。効きの悪いエアコンは一生懸命温風を吐き出しているが、室内をあたためきれずにいる。分厚い布団と他人の体温にくるまった身体はぽかぽかと暑いくらいなのに、冷たい空気を吐き吸う鼻はひんやりとしていた。

それにしても、裂けた唇が痛い。寝る前に塗った保湿リップは、室内の乾燥に耐えられなかったみたいだ。指で塗るタイプの薬用のそれは、「俺が塗る」と言い張って聞かなかった男のしなやかな人差し指も潤わせた。ゆっくり丁寧に塗りたくられた保湿成分は、すぐに彼の唇に奪われた。塗っては唇を合わせ、少し離してまた塗って。繰り返してるうちに舌が絡まりあって、ベッドにエスコートされて、もつれあって、色々、あれこれ。

そうそう、唇が痛いんだった。数時間前の照れ臭くて愛おしい時間を思い出している場合ではない。だめだと分かっているけれど、一度くらいは。そう思って傷口をなぞろうと舌を出す。自分の唇に触れるはずなのに、なぜか、別の柔らかいものに先に到達した。


「っん…」


ふに、と一瞬サンドされる私の舌。それはやがて熱いぬるりとしたものに絡めとられて、ザラザラ感のない舌裏をくすぐられた。ぞわぞわと背筋を走る何か、じんと熱くなる顔。それは、ルーが私を誘うときにするキスの癖だった。


「は、ん、んん、」
「……可愛いな」


あの裂けた痛みは、乾燥で少しめくれた唇の皮を彼が歯で捕らえて剥いだのだと、咄嗟に理解した。寝ている私に口付けて、皮が主張していることに気付いて、齧って、剥いで、食べたのかな。美味しくないんだから、吐き出してくれていればいいけど。

ルーはまだ、私が寝ていると思っているようだ。音を乗せない吐息だけの囁き声で「可愛い」と「愛している」を何度も呟くのは、起こさない配慮かもしれない。そんなの、唇の皮を剥ぐ刺激で台無しなのに。ばかみたいに素直な私の身体は、彼が一言一言を紡ぐたびに心臓が跳ねて、幸福感が溢れて、涙が出るかと錯覚するほど喉が熱くなる。


「なまえ」


それは、この世のどんなロマンチックな口説き文句よりも甘い響きを含んだ、特別なワードのように感じられた。たった一言、彼が私の名前を呟くだけで、こんなにも胸が痛い。


「るー…」
「ああ、ここにいる」


寝たふりをして、彼の胸に擦り寄った。耳から頬に伝わる拍動は、彼が生きていることを感じさせて、なんだか嬉しかった。

額にキスを落とされる。大きな手のひらがとん、とん、と私の背中を優しく叩く。ルーの柔らかい匂いに包まれて、私は再び眠りに落ちた。