わたしのこと
早朝のリフレッシュフロア。まだ人も少ない時間帯は穏やかで、カフェテリア店員の私は比較的ゆっくりと仕事をこなしていた。食器の返却カウンターに来たマグカップを洗っていると、遠くからコツコツとハイヒールの音が聞こえ始めた。いつもの朝に、いつもの人だ。
「おはようございます、なまえさん!」
「おはようございます。今日もお元気ですね。」
注文カウンターに来た美しい女性は、副社長秘書のなまえさん。いつもパリッとしたタイトスカートとジャケットを着こなし、ハイヒールで颯爽と歩く姿は一見近寄りがたい雰囲気を醸しているが、毎朝寄ってくれる彼女はとても穏やかで物腰の柔らかい素敵な人。密かに私の憧れている人だ。
「いつもの、ブレンドとカフェラテですか?」
「ええ。お願いします。」
「はい!少々お待ちください!」
奥で会話を聞いていた同僚がコーヒーを淹れ始める音を聞きながら、私はなまえさんの会計を進めた。ちゃりん、とギル硬貨を受け取ってレジを操作が終わったころ、奥から出来上がったコーヒーを受け取ってなまえさんに手渡した。意外にも、なまえさんはネイルをしておらず短く切りそろえてあった。元タークス、なんていう噂は本当なのかな、とふと思った。
「お待たせしました!今日も頑張ってくださいね。」
「いつもありがとうございます。また来ますね!」
なまえさんは両手にカップを持ち、私ににこりと笑いかけてくれた。その細められたキラキラした瞳が眩しくて、ギュッと胸元で手を握り、私は震える声で「また、お待ちしています…」と言うことしかできなかった。なまえさんがひらりとカウンターに背を向けて歩き出すと、つやつやの髪からほんのりと香水が香って、甘すぎないのに女性らしいムスクの香りはなまえさんによく似合うと思った。
なまえさんの背を目で追っていると、リフレッシュフロアの入口に立つ真っ白いスーツの男性に気付いた。副社長だ。遠くからでも分かる映える見た目の彼は、カフェテリアから出ていくなまえさんを見つめている。カップを気遣いながらまっすぐ副社長に向かい、その隣に立ってコーヒーを渡し会話するなまえさんと副社長は、その周りだけ別世界のように輝いていた。
「ハァ〜…絵になる〜。」
「目の保養だよね〜。」
ため息混じりに漏れた言葉に、奥にいた同僚がいつの間にか隣でカウンターに頬杖をついて2人を覗き込み、うっとりと返事をした。
「付き合ってたりとかしないかな?」
「まさかぁ…でも恋人同士だったらすごくお似合いだよね。」
「お願いだから付き合ってて〜。」
私たちの声は聞こえていないだろうと、遠慮なしで噂話をする。もし副社長となまえさんが恋人同士だったとしたら…と勝手に想像した。世界一の企業の副社長と有能な秘書。容姿端麗で完璧な2人のラブロマンスは、きっと映画や舞台の題材になるほど華やかなのだろう。相変わらず立ち話をする2人は、穏やかに笑いながらやがてエレベーターに消えていった。
*
「おはようございます、副社長。」
「あぁ。いつも悪いな。」
「仕事ですから。」
カフェテリアの店員さんたちの視線をびしびしと感じる。カウンターから乗り出すようにしてこちらを見ながらキャッキャと話に花を咲かせる彼女たちはとても楽しそうだ。背筋をしゃんと伸ばして顎を引き、副社長に向き合う。人の目を気にするが故の行動だ。ブレンドコーヒーが入ったほうのカップを副社長に手渡すと、彼は一口飲んでふっと笑う。彼の落ち着いたタイミングを見計らって体をエレベーターのほうへ向け、そのまま2人で乗り込んだ。
「はぁ〜!」
「相変わらず外面の良さは女優並みだな。」
「褒め言葉と受け取っておきます〜。」
目的階を押した後、エレベーターの壁に寄りかかって力を抜いた。その私を面白そうにくつくつと笑ってコーヒーを飲む副社長。何をしていても絵になる人だ。じんわり私の左手を温めるカフェラテを飲むと、ほわぁと少し安らいだ気持ちになった。あの店員さんたちはコーヒーを淹れるのがとても上手だ。
何を隠そう、本当の私はシャキッとしたバリバリの有能秘書ではない、騒がしいし落ち着きがないし間抜けだ。なんでこんなことを演じているかと言えば、ナメられないため、そして副社長に見合う秘書であるよう見られるためだ。こんな二面性を持っている私を知っているのは、副社長とタークスの面々だけである。
「レノが言っていたが、お前の社内での評判はデキる女として上々らしいぞ。良かったな。」
「やった!って、何笑ってるんですか…?何がおかしいんですか!」
「ふはは、見事に周りを騙していやがると思ってな。レノも笑ってたぞ。」
「レノ今度会ったらまじシバく。」
「ほら、エレベーター開くぞ。」
「はっ!」
慌てて壁から背を離し、まっすぐ前を向いた。ポーン、という音と共に副社長室のある階に到着すると、エレベーター待ちをしていた社員複数人がいたので、きゅっと口角を上げて目を細めて挨拶する。
「おはようございます。」
「「おはようございます!」」
斜め前を歩く副社長が堪える様に喉を鳴らして笑っているが聞こえない。今の私はデキる有能秘書なのだ、突っかかってはいけない。
副社長室に着くと、すぐにカップとバッグを自席に置いて副社長からジャケットを受け取りハンガーにかける。ベスト姿になった彼は、いつもならそのままデスクに腰を落ち着けるというのに、コーヒーのカップをデスクに置いてすぐにこちらへやってきた。後ろにぴったりと付いた彼に、ビシリと固まる私の体。ジャケットを掛ける手に一回り以上大きい手が重なり、反対の手が私のお腹に回って締め付けられた。
「さっきの店員、俺達が付き合っていてほしいらしい。」
「は、あ?えぇ?」
「聞こえてただろ?」
プラチナの毛先が頬にあたってくすぐったいし、何より近い。副社長の顔が肩に乗っている。心臓がバクバク跳ねてちょっと吐きそう…。ちら、とこちらを向いたせいで高い鼻も頬に当たるし、息が耳にかかる。体を離そうと身を捩るけれど、細身の癖に力のある副社長はびくともしなかった。
「そういう関係もありだと思わないか?」
「そそそういう…とは?」
「こういう関係だ。」
大慌ての私をお見通しの彼はくつくつと笑っている。ぐるりと体を反転させられ、壁のほうまで追いやられて逃げ道を塞がれた。片手は私の顔の横に手をつき、もう片手は私の腰に、いわゆる壁ドンの形になる。「こういうときはデキる女を演じないんだな。いや、できないのか。」と笑う彼はひどく色気があって呼吸がうまくできない。
「俺のものになれよ。」
「か、かんが」
「考えておきます、か?ダメだ今決めろ。」
「う…」
「早く答えを出さないと…」
そう言うなり、副社長は目を伏せて顔を近づけてきた。鼻先同士が触れると、少し顔が傾いて更に近づく。こんな時だというのに、まつ毛長いなとか、鼻高いなとか、余計なことを考えている。ていうか大パニックだ。無理無理無理。近い、かっこいい、いい匂いする、無理!ギュッと目を瞑って唇が触れるのを覚悟する。
「…?」
顔に彼の息はかかるのに、いつまで経っても降ってこない温もり。不思議に思って片目だけゆっくり開けると、あろうことか彼はにやりと笑ったまま薄目で私の顔をじっと見つめていたのだ。なんということだ。
「ふ、ふふ。期待したか?可愛いな。」
「なっなななな!」
大変楽しそうで何よりだよ!不貞腐れて、「もう離してください!」と筋肉で少し盛り上がった胸元に両手を当ててぐいと突っぱねる。彼は小さな笑い声を隠しもせず、少し腕の力を緩めた。
「副社長〜!先日依頼のあった例の調査の件すけ…ど…」
「……レノ。」
「あー、これは…また午後くるぞ、と!」
「ちょちょちょっと待って勘違い、レノ!!」
「お邪魔しました〜。」
突然ノックもなしに副社長室の扉が開いて、ひょっこりと顔を出す赤毛。壁際で密着する私たちを見るなり、驚き、ニヤ〜っと笑い、企むような表情をして足取り軽やかに去っていった。
レノに見られた羞恥心と、タークス内で広まってしまうであろう浮つき話を想像した恐怖で、へたり、と副社長の胸元に頭をぶつけた。対して彼は微塵もダメージを受けていない様子で、髪を梳くように頭を撫でた。でも、とりあえず、「俺のものになれよ」の返事はうやむやになったっぽい。
「おはようございます、なまえさん!」
「おはようございます。今日もお元気ですね。」
注文カウンターに来た美しい女性は、副社長秘書のなまえさん。いつもパリッとしたタイトスカートとジャケットを着こなし、ハイヒールで颯爽と歩く姿は一見近寄りがたい雰囲気を醸しているが、毎朝寄ってくれる彼女はとても穏やかで物腰の柔らかい素敵な人。密かに私の憧れている人だ。
「いつもの、ブレンドとカフェラテですか?」
「ええ。お願いします。」
「はい!少々お待ちください!」
奥で会話を聞いていた同僚がコーヒーを淹れ始める音を聞きながら、私はなまえさんの会計を進めた。ちゃりん、とギル硬貨を受け取ってレジを操作が終わったころ、奥から出来上がったコーヒーを受け取ってなまえさんに手渡した。意外にも、なまえさんはネイルをしておらず短く切りそろえてあった。元タークス、なんていう噂は本当なのかな、とふと思った。
「お待たせしました!今日も頑張ってくださいね。」
「いつもありがとうございます。また来ますね!」
なまえさんは両手にカップを持ち、私ににこりと笑いかけてくれた。その細められたキラキラした瞳が眩しくて、ギュッと胸元で手を握り、私は震える声で「また、お待ちしています…」と言うことしかできなかった。なまえさんがひらりとカウンターに背を向けて歩き出すと、つやつやの髪からほんのりと香水が香って、甘すぎないのに女性らしいムスクの香りはなまえさんによく似合うと思った。
なまえさんの背を目で追っていると、リフレッシュフロアの入口に立つ真っ白いスーツの男性に気付いた。副社長だ。遠くからでも分かる映える見た目の彼は、カフェテリアから出ていくなまえさんを見つめている。カップを気遣いながらまっすぐ副社長に向かい、その隣に立ってコーヒーを渡し会話するなまえさんと副社長は、その周りだけ別世界のように輝いていた。
「ハァ〜…絵になる〜。」
「目の保養だよね〜。」
ため息混じりに漏れた言葉に、奥にいた同僚がいつの間にか隣でカウンターに頬杖をついて2人を覗き込み、うっとりと返事をした。
「付き合ってたりとかしないかな?」
「まさかぁ…でも恋人同士だったらすごくお似合いだよね。」
「お願いだから付き合ってて〜。」
私たちの声は聞こえていないだろうと、遠慮なしで噂話をする。もし副社長となまえさんが恋人同士だったとしたら…と勝手に想像した。世界一の企業の副社長と有能な秘書。容姿端麗で完璧な2人のラブロマンスは、きっと映画や舞台の題材になるほど華やかなのだろう。相変わらず立ち話をする2人は、穏やかに笑いながらやがてエレベーターに消えていった。
*
「おはようございます、副社長。」
「あぁ。いつも悪いな。」
「仕事ですから。」
カフェテリアの店員さんたちの視線をびしびしと感じる。カウンターから乗り出すようにしてこちらを見ながらキャッキャと話に花を咲かせる彼女たちはとても楽しそうだ。背筋をしゃんと伸ばして顎を引き、副社長に向き合う。人の目を気にするが故の行動だ。ブレンドコーヒーが入ったほうのカップを副社長に手渡すと、彼は一口飲んでふっと笑う。彼の落ち着いたタイミングを見計らって体をエレベーターのほうへ向け、そのまま2人で乗り込んだ。
「はぁ〜!」
「相変わらず外面の良さは女優並みだな。」
「褒め言葉と受け取っておきます〜。」
目的階を押した後、エレベーターの壁に寄りかかって力を抜いた。その私を面白そうにくつくつと笑ってコーヒーを飲む副社長。何をしていても絵になる人だ。じんわり私の左手を温めるカフェラテを飲むと、ほわぁと少し安らいだ気持ちになった。あの店員さんたちはコーヒーを淹れるのがとても上手だ。
何を隠そう、本当の私はシャキッとしたバリバリの有能秘書ではない、騒がしいし落ち着きがないし間抜けだ。なんでこんなことを演じているかと言えば、ナメられないため、そして副社長に見合う秘書であるよう見られるためだ。こんな二面性を持っている私を知っているのは、副社長とタークスの面々だけである。
「レノが言っていたが、お前の社内での評判はデキる女として上々らしいぞ。良かったな。」
「やった!って、何笑ってるんですか…?何がおかしいんですか!」
「ふはは、見事に周りを騙していやがると思ってな。レノも笑ってたぞ。」
「レノ今度会ったらまじシバく。」
「ほら、エレベーター開くぞ。」
「はっ!」
慌てて壁から背を離し、まっすぐ前を向いた。ポーン、という音と共に副社長室のある階に到着すると、エレベーター待ちをしていた社員複数人がいたので、きゅっと口角を上げて目を細めて挨拶する。
「おはようございます。」
「「おはようございます!」」
斜め前を歩く副社長が堪える様に喉を鳴らして笑っているが聞こえない。今の私はデキる有能秘書なのだ、突っかかってはいけない。
副社長室に着くと、すぐにカップとバッグを自席に置いて副社長からジャケットを受け取りハンガーにかける。ベスト姿になった彼は、いつもならそのままデスクに腰を落ち着けるというのに、コーヒーのカップをデスクに置いてすぐにこちらへやってきた。後ろにぴったりと付いた彼に、ビシリと固まる私の体。ジャケットを掛ける手に一回り以上大きい手が重なり、反対の手が私のお腹に回って締め付けられた。
「さっきの店員、俺達が付き合っていてほしいらしい。」
「は、あ?えぇ?」
「聞こえてただろ?」
プラチナの毛先が頬にあたってくすぐったいし、何より近い。副社長の顔が肩に乗っている。心臓がバクバク跳ねてちょっと吐きそう…。ちら、とこちらを向いたせいで高い鼻も頬に当たるし、息が耳にかかる。体を離そうと身を捩るけれど、細身の癖に力のある副社長はびくともしなかった。
「そういう関係もありだと思わないか?」
「そそそういう…とは?」
「こういう関係だ。」
大慌ての私をお見通しの彼はくつくつと笑っている。ぐるりと体を反転させられ、壁のほうまで追いやられて逃げ道を塞がれた。片手は私の顔の横に手をつき、もう片手は私の腰に、いわゆる壁ドンの形になる。「こういうときはデキる女を演じないんだな。いや、できないのか。」と笑う彼はひどく色気があって呼吸がうまくできない。
「俺のものになれよ。」
「か、かんが」
「考えておきます、か?ダメだ今決めろ。」
「う…」
「早く答えを出さないと…」
そう言うなり、副社長は目を伏せて顔を近づけてきた。鼻先同士が触れると、少し顔が傾いて更に近づく。こんな時だというのに、まつ毛長いなとか、鼻高いなとか、余計なことを考えている。ていうか大パニックだ。無理無理無理。近い、かっこいい、いい匂いする、無理!ギュッと目を瞑って唇が触れるのを覚悟する。
「…?」
顔に彼の息はかかるのに、いつまで経っても降ってこない温もり。不思議に思って片目だけゆっくり開けると、あろうことか彼はにやりと笑ったまま薄目で私の顔をじっと見つめていたのだ。なんということだ。
「ふ、ふふ。期待したか?可愛いな。」
「なっなななな!」
大変楽しそうで何よりだよ!不貞腐れて、「もう離してください!」と筋肉で少し盛り上がった胸元に両手を当ててぐいと突っぱねる。彼は小さな笑い声を隠しもせず、少し腕の力を緩めた。
「副社長〜!先日依頼のあった例の調査の件すけ…ど…」
「……レノ。」
「あー、これは…また午後くるぞ、と!」
「ちょちょちょっと待って勘違い、レノ!!」
「お邪魔しました〜。」
突然ノックもなしに副社長室の扉が開いて、ひょっこりと顔を出す赤毛。壁際で密着する私たちを見るなり、驚き、ニヤ〜っと笑い、企むような表情をして足取り軽やかに去っていった。
レノに見られた羞恥心と、タークス内で広まってしまうであろう浮つき話を想像した恐怖で、へたり、と副社長の胸元に頭をぶつけた。対して彼は微塵もダメージを受けていない様子で、髪を梳くように頭を撫でた。でも、とりあえず、「俺のものになれよ」の返事はうやむやになったっぽい。