ツォンが連れてきたなまえという女、第一印象は抜群に良い女だと思った。スタイル良しの美人で、シャキッとしているのに物腰が柔らかい。一片の隙も見せない仕事のできそうな女だと。初めてツォンと共に挨拶に来た時も、緩やかに笑みを浮かべて、丁寧なお辞儀をしてきた。新人とは思えないほど完璧だった。

なまえがタークスに入って数か月、ツォンから彼女の働きぶりを聞いた。短剣を両手に戦う彼女はとにかく強く、スパイやハニートラップも難なくやってのけるという。彼女はタークスのために生まれてきたような女だと、ツォンにしては珍しく褒めていた。「不満も愚痴も漏らさないという点に関しては、同僚として少し心配ではありますが…」と言葉を濁す彼は余程なまえを気に入っていたらしい。

副社長になって少し経った頃、俺はなまえを秘書に引き抜いた。きっかけはなまえの任務失敗だ。単独で反神羅グループのスパイに入った彼女は敵の一人に正体を勘づかれ、監禁の上ひどい拷問とレイプを受けたのだ。レノとルードが救出に向かった時には、彼女はボロボロの姿で意識を失っていたらしい。なまえの仕事が杜撰だったわけではない、敵が一枚上手だった。それだけのこと。しかし、体や心だけでなくタークスとしてのプライドもズタズタにされた彼女は、以来戦闘行為をひどく嫌うようになり、退院直後に異動願を出したのだ。

本当はなまえを傍に置いておきたかっただけなのかもしれない。タークスから異動させるだけだったら、山ほどある内勤の部署にやればいいだけだ。しかしそうしなかったのは、無意識になまえを気にしていたということなのだろう。秘書課の人間はどいつも親父の手付きばかりで嫌悪感を覚えるし、自分の仕事の管理は自分でできる。だから秘書など付ける気も無かったが、なまえであれば、と思った。


「なまえ、あと15分で会議じゃないのか。」
「うわわ、あと5分、いや3分!1本だけ電話かけさせてください!」


今目の前にいる彼女は、慌てた様子で時計を見、ハキハキとした声で兵器開発部門の人間に電話をかけはじめた。一見すれば隙の一切ないクールな有能秘書、しかし実際の彼女はそうではない。


「お待たせしてすみません!行きましょ!」
「ああ。出席者は?」
「ハイデッカー氏と、治安維持部門の職員3名ですね。」
「チッ…面倒だな…。」
「わかります。あの人いつもすぐ怒るので、職員の方かわいそうですよね〜。」


なまえは間延びした声で俺に同調した。先ほどの電話の時とは大違いだ。このデキる感の一切ない無防備さ、子供っぽさ、それが彼女の本当の姿。それに気づいたのは秘書にした日の夜からだった。




*




「本日から秘書を仰せつかりました、なまえです。」
「ああ、知っている。」
「至らぬ点もあるかと存じますが、よろしくお願い致します。」
「ああ。……固いな。」
「申し訳ありません、性分でして…。」


「なまえを秘書にする」とヴェルドに言った翌日の夕方、彼女は荷物をまとめて副社長室にやってきた。荷物をデスクに置くよう指示すればきびきびとそのようにし、「応接テーブルで話そう」と言えば彼女はテーブルの近くへ行くだけでソファへ座ろうとはしなかった。固い表情、周囲を警戒する鋭いオーラ、そしてダークスーツ。彼女は秘書らしさのかけらもなく、むしろ「副社長の護衛に就くタークス」でしかなかった。


「さて、明日から君に頼む仕事のリストだ。」
「…これだけですか?」
「それだけだ。」


副社長命令としてなまえを正面のソファに座らせ、リストを手渡した。リストは余白のほうが目立つほどシンプルで、箇条書き3行しかない。「私の後ろで秘書のように振舞う」「電話の取次ぎ」「たまにコーヒーを淹れる」。なまえは拍子抜けしたように少し目を見開いた後、こくりと頷いた。


「ところでなまえ、このあと夜予定は?」
「特にありませんが…」
「食事に行こう。アルコールは得意か?」
「えっ、あ、えと、嗜む程度です。」


ぴんと背筋を伸ばして固い姿勢を一切崩さないなまえは、余裕が無さそうにも見える。時間経過とともに慣れてくるだろうとも思うが、悠長に待つのも性分ではない。手っ取り早く緊張をなくすため、すぐに車と店の手配をした。




*




神羅本社からほど近いビルの最上階、間接照明だけが照らすほの暗いVIP御用達のバー、観葉植物がパーテーション代わりになっている個室のような空間の、夜景が良く見えるカウンター席。対面では緊張するだろうと並んで座る俺となまえの前には、ワインとグラスが二つといくつか軽食が置いてある。アルコールを交えたお陰でだんだん彼女は固い表情をほどいてきていた。


「どうしてこんな仕事少ないのですか?」
「身の回りのことは自分でできる、基本的には私の後ろで秘書面してくれれば良い。」
「…副社長がそれで良いと仰るのであれば。」


なまえは腑に落ちないような様子で、眉間に皺をよせ唇を少しとがらせている。その横顔は心なしか幼く見えて、少し笑いがこみあげた。


「構わん。護衛など体を張る場面はタークスに任せるし、万が一のことがあっても私が戦える。」
「……私も、戦えます。」
「なまえはもう戦う必要は無い。」


隣のなまえが、カウンターに置いた両手をぎゅっと握るのが見えた。「元タークスなのに情けない」とでも思っているのだろう。しかし、トラウマを植え付けられるほど手酷く拷問を受けた女にこれ以上戦闘させるなど、俺の趣味ではない。秘書にする以上は彼女にもタークスの護衛を付ける。


「辛い体験をしたばかりだろう。戦うだけが仕事ではない。」
「…っ、お気遣いありがとうございます…。」
「何なら俺の前でならもっと気を抜いても良いのだがな。」


少し残ったワインを飲み干すと、なまえは自然な動作でボトルを持ち俺のグラスへ注いだ。ちら、と彼女の顔を覗き見ると、彼女も俺の顔を見ていた。酒のせいか、さっきの会話のせいか、なまえの目が潤んで少し赤くなっていた。何となくずっと見ていたくなって、じっとその顔を見つめる。これがなまえのハニートラップだったとしたら、並の男なら簡単に落とすことができるのだろう。ふい、なまえは先に俺から目を逸らした。目と同じく赤くなっている耳に心を擽られた。


「なんだか、緊張しますね。」


ふふふ、と微笑んだなまえは自分のワイングラスを持ち、ぐいっと飲んだ。


「……なまえ、飲みすぎではないか?」
「そんなことありませんよぉ〜。」


先の会話から1時間ほど経った頃、なまえは早いペースでワインを飲み進めて完全に出来上がっていた。会話が途切れるたびに、手持無沙汰を紛らわすように多めの量を飲んでいたのが原因だろう。すっかり気が抜けたなまえは、俺の想像以上に蕩けて無防備になっていた。呂律も全然回っていない。


「げんめつしました?ほんとの私はこんなんですよ〜。」
「いや。」
「ぶっそうなよのなかですから、なめられたらおしまいだとおもって!」


ぐっと両手でファイティングポーズを取るなまえはへらりと笑った。何度か微笑む姿を見たことはあったが、このように腑抜けた笑顔を見せてくるのは初めてだ。


「物騒な世の中だから、そんな男の前でヘロヘロになっていると襲われるぞ。」
「わたしつよいからだいじょーぶです!」
「ほう?」


戯れのつもりで、拳を握ったなまえの右手首を掴んでこちらへ引き寄せてみる。さすが元タークス、普通の人間よりは力があるようだが、所詮は酔っぱらった一人の女。あっという間に体制を崩した。ぼすっと音を立てて俺の胸元に上半身を落とした彼女は、「あれ〜?」と言いながら首を傾げている。


「全然強くないじゃないか。」
「ふくしゃちょうがつよすぎるんですよぉ!」


がばっとなまえが俺の首元にあった顔を上げると、鼻先同士がつきそうなほど近づいた。完全に俺を信頼しきり無防備になった彼女は、また気の抜けた笑いを向けてくる。

何か特別な意図があったわけではない。ただの衝動。単純に酔った女が、それも飛び切りの美人が、本来ならば警戒しなければならない場面でヘラヘラしている。至近距離にいるせいで、彼女の香水ではない自然の甘い香りが鼻腔を擽り、衝動に身を任せて唇を奪った。


「、ん?」


一瞬で顔を離すと、状況を理解していないなまえのいつもより垂れた瞳がこちらを見ていた。その顔に何だか腹が立って、またキスをする。今度は先ほどよりも深く、長く。啄みながらうっすら目を開けて彼女を見ると、なまえはギュッと目を瞑っていた。心に眠っていた征服感が満たされたような気になり、キスをしながら口角が上がるのを抑えられない。ぐしゃり、となまえが握りしめる俺のシャツの部分だけ、強く皺ができた。「ぁ、ふ…ん…」と上ずった吐息混じりの声が漏れている。

暫くなまえの唇を堪能して、顔を離す。なまえはさっきよりも赤い顔をして、またへらりと笑った。


「ふくしゃちょうも、おとこですねぇ。」


そう言うなりなまえの瞼が落ちて、俺の胸元ですぅすぅと寝息を立て始めた。無防備にも程がある。襲われても仕方ない。「ナメられたらおしまいだ」と豪語する割に行動が伴っていない。仕方なく俺は眠る彼女がずり落ちないよう肩に手を回して支え、残ったワインを飲み干して迎えの車を呼んだ。

その日は俺の部屋に泊めたが、熟睡しきる女を叩き起こして事に及ぶ気にもなれずそのまま朝まで寝かせた。




*




「ふ…」
「何かございましたか?」
「いや、昔のことを思い出していた。」


現在、会議室に向かう廊下。突然笑い出した俺に「秘書モード」になったなまえが問いかけてきたので、正直にそのまま答える。


「なまえが秘書になった日の夜のことだ。」
「ひっ!」


エレベーターに乗り込む。中は俺達2人だけ。気を抜いた彼女はみるみる顔全体を真っ赤にして慌てだした。俺と同じ場面を思い出したのだろう。手に持ったバインダーをうちわ代わりに、顔の火照りを冷まそうと風を送っている。


「忘れてくださいよぉ…。」
「何を言う。そのお陰で今お前も素が出せるようになったじゃないか。」
「そうですけど…。」
「悪い記憶ではない。俺にとってはな。」


エレベーターが開く。ポン、となまえの背中を軽くたたいて一言耳打ちし、先にエレベーターを降りた。その一言に大慌てのなまえは「秘書モード」を取り繕おうとしているようだが、顔は赤いままで少し滑稽で愛嬌がある。


「次に俺の部屋へ泊まる時は眠れないと思えよ。」