大人とはこずるい生き物で、自分の感情をひた隠して真逆の行動をとることができる。慣れれば慣れるほどそれは自然になる。嫌いな相手にもイイ顔して、弱みを見せるふりをして。そうやって身体で得たたくさんの獲物はこっそり高値で売りさばく。私の仕事、情報屋とはそうやって生きていくものなのだ。

LOVERESS通りにあるバーの奥のほう、入口から見えないカウンター席の隅の隅。そこが私とレノの「いつもの場所」だった。数か月前に出会った私たちは、ここで飲んで、適当なホテルに入って、そういうことをする。そんなことをほぼ毎晩している。

私の目的はただひとつ。レノから神羅の情報を奪って、顧客のアバランチに売り渡すこと。タークスともなればそれはそれは高価なものがたくさん頂けるのだろう。しかし彼はどんなに酔わせても、どんなに身体を許しても、一切その口が重要な情報を滑らせることはなかった。

燃えるように鮮やかな赤毛、切れ長のギラギラしたアクアマリン、目のやり場に困るほど気崩したダークスーツ。そのうちはしなやかで、逞しくて、力強い。飄々としているのにいつも何か考えているようでミステリアス。知れば知るほど離れがたくなる、レノはそんな魅力を持った男だった。


「レノは何飲んでるの?」
「いつものやつだぞ、と。」
「じゃあ私も同じものを。」


カウンター越しのバーテンダーにそう告げると、上品なその人はその場でお酒を作り始めた。そのテキパキとした動きを見ながら、私はレノの隣に座ろうとする。この店の椅子は少し高い。慣れたように差し出されたレノのその手を取り、座るのを手伝ってもらった。彼の手はゴツゴツと大きく筋張っていて多くのマメの痕がある。その手に胸が高鳴るようになったのはつい最近のことだ。

絶対にあってはならないことだった。情報を奪うためのターゲットに心を奪われることなど今まで一度も無かったというのに、レノという男はあまりにも魅力的で、恰好が良すぎたのだ。ずるい、なんでこんな男に、ただのターゲットなのに。何度も雑念を振り払おうとして、そのたびに失敗した。さりげなく見せてくる優しさも、ベッドでの飴と鞭も、狡猾に光る瞳も、私はそれに触れるたびにバカみたいに反応してしまって、平常心でいられなくなる。

本当に、一刻も早く口を割ってほしかった。そして離れたかった。そうでないと、私が私でなくなってしまう気がした。こずるい大人でいられなくなってしまう気がした。





「で?今日は俺から何を盗むつもりなのかな、と。」


それはひどく唐突だった。私のカクテルと彼のそれを合わせて一口飲んだところで、どこか冷たさを帯びた声でレノは私にそう問いかけてきたのだ。カウンターに肘をつき私の顔を覗き込むようにして、こちらの心のうちを明かそうとしているようだった。ひんやりとする背筋、焦りを見せないよう、私は微笑む努力をする。


「レノの心、盗めるなら盗みたいかな。」
「そりゃ高くつくぞ、と。」
「そうなの?」
「ああ。…あんたの情報料くらいだな。」


いつからそれを。思わず出そうになった言葉を飲み込んで、じっと見つめるそれを見つめ返す。


「あんた情報屋だろ?」
「…突然何の話?」
「とぼけてんなよ、なまえチャン。」


カウンター席は隣との間隔がせまい。彼の長い腕をもってすれば私を捕らえることなど簡単で、するりと腰に腕を回された。顎をもう一方の手で掬いあげられて、至近距離で見つめあう。彼の瞳に映る私は、思わず笑ってしまうくらいに焦った表情をしていた。いつの間にこんな腑抜けてしまったのだろう。情報屋にあるまじきその自分の分かりやすさに嫌気がさした。


「ナメてたかもしれねぇけど、俺タークスだぜ?なまえちゃんのことなんか少〜し調べればあっという間に分かっちゃうんだぞ、と。」
「…っ」
「アバランチと裏で繋がってることも、まだ情報を一つも渡せてねぇことも。それが何でかも分かってる。」


にやり、と余裕の笑みを浮かべたレノはそのまま顔を私の耳元に寄せて、耳たぶを犬歯で噛んだ。痛みと快感の狭間で揺れる強さのそれに思わず身震いする。耳の裏側に舌を這わされれば、抗うすべもなく口から小さな喘ぎが漏れてしまった。


「俺のこと好きになっちゃったんだろ?」
「あっ…ぅ」


図星だった。「どんな些細な情報でも構わない」という条件の契約であったにも関わらず、私はアバランチに対してたったの一つも売れていない。私の売った情報でレノに何かあったら、そんな気持ちが邪魔をして、つい収穫なしと回答してしまう。そこまで見通しているなら私から逃げればいいのに、何故彼は毎晩このバーで私と会うのか?疑問には思うものの、耳を愛撫し続ける彼に乱されて、それ以上考えることができなかった。


「俺はあんたを逮捕して、今まで情報屋として何をしてきたか、拷問して吐かせることもできるんだぞ、と。」
「…う…。」
「でも可愛いなまえちゃんにそんなことはしたくねぇ。だから取引しようぜ。」


ようやく耳元から顔を離すが、顔同士は未だ鼻先がぴったり付くほどの距離。互いの息がかかる。涙でぼやける視界のままレノを見つめると、彼はさらに笑みを深くした。


「アバランチとの契約は破棄。今後は神羅のために動く。その代わり、」


ぐい、と後頭部を引き寄せられて唇を奪われた。気を抜いていたため、彼の舌は難なく私の口を割り開いて、ぬるりと私のそれと絡まる。歯列を舌先でなぞられれば腰がぞわぞわして、彼の首元にしがみついてしまった。じゅる、ちゅ、と音を立ててキスをしていてもBGMのジャズと他人の話し声にかき消されているし、奥まったこのスペースは他の誰も気にすることはなかった。


「なまえちゃんへの報酬は俺。心も体もぜーんぶあげちゃうぞ、と。」


唇が離れ、唾液の糸がぷつりと切れる。てらてらとしたままの唇で言うその報酬が、私のぼーっとした頭ではひどく魅力的に感じてしまった。誘惑のような甘言。しかし、このまま頷いてしまってよいのだろうか?冷静に考えればそんな契約は破綻している気がする。そうして大して回ってもいない頭で逡巡していると、しびれを切らしたレノがまたしても行動を起こした。

「返事は?」


ふに、と唇に中指をあてられて、そのまま口内に侵入させられた。ぐいぐいと舌を押され、上顎を撫でられ、口の端から涎が零れるほどぐちゃぐちゃにされる。その指を思いきり噛んで抵抗することすらできないのは、やはり私が彼に異常なほど好意を抱いてしまっているからだ。

指に口を蹂躙されてはYESもNOも答えられない。それなのに意地悪な顔をして笑う彼にすら見惚れてしまって、いよいよ私には選択肢すら用意されていないと思い知らされた。


「契約成立、と。末永く愛してやるよ、なまえチャン。」


一生逃げられない。でも、今はそれも幸せかもしれないと思い始めていた。