エスナで治療不可の媚薬
扉を隔てた向こう側。
ユニットバスとトイレがある筈のそこから噛み殺すような吐息が聞こえ始めてから、もう30分が経とうとしている。息は荒くなる一方で、苦しそうな呻き声まで聞こえてきたものだから私は頭を抱える。手には一応、キーピック。内側から施錠されているこの扉を破ってしまうのは、私には造作もないこと―なのだけれど。
この中にいる銀髪の彼のことを思うと、この扉をくぐっても良いものか判断がつかなくなる。
でも聞こえてくる呼吸音は本当に苦しそうで、万が一アレに未知の毒性があったらと思うと放っておくこともできない。もう一度。あともう一度だけ呼びかけて返答がなかったら、この扉の鍵を暴いて様子を見に入ろう。
意を決して、彼の名前を呼ぶ。
「エスティニアン!大丈夫!?」
はっ、とエスティニアンがひと際大きく息を吐く音が聞こえる。私は突入に備えて、キーピックの束から適切な形のパーツを探り始めた。…どうして、こんなことに…。
* * * * *
もうすぐ日付も変わろうという時刻にラザハンへ呼び出され、首を傾げながらエスティニアンと到着した豪奢なお宿。錬金術師たちからはご丁寧に部屋番号まで通達されており、なんだろうねと中身のない会話をしながらその部屋に足を踏み入れた。アウラ族の錬金術師が部屋のなかに備え付けられた大きなベッドに脚を組んで座っている。手元には電子タブレット。足元には重厚なアタッシュケース。…それにしてもこの人、脚が長い。
「遅くに悪いな」
「いいや。気にしてないぞ」
錬金術師の気遣いにエスティニアンが皮肉っぽく言う。私はそれに苦笑いしながら、用事があるならばさっさと済ませてしまおうとすぐさま本題に触れた。今日は外任務がどちらもあったので疲労感が強い。早く帰りたいのが本音だった。
「それで、頼み事というのは?」
「ああ。…率直に言うが、実験動物になってもらいたい」
それはあまりにも率直だった。エスティニアンに意味が分かるかという気持ちを込めて視線を遣ると、エスティニアンは俺にもさっぱり、という顔で私を見下ろした。錬金術師は私たちの様子に小さな笑みを浮かべ、足元のアタッシュケースを拾い上げるとこちらへ歩み寄ってくる。テーブルにそれを乗せる仕草は軽々としていて、見た目ほど中身は詰まっていないらしい。
テーブルの上で照明に照らされる金属製のそれには、デミールのマークがでかでかと描かれている。ともすればマッドとも言える好奇心旺盛なサイエンティストが住む、デミールの遺烈郷。もうすでに良い予感はしない。
「これに見覚えは?」
錬金術師が何やら操作を行うと、ぷしゅっとシリンダーから空気の抜ける音がしてケースが開いた。そのスペースのほとんどは緩衝材で埋められていて――真ん中に鎮座するのは、黄色い液体を湛えた細長いガラス容器。あの日、首筋から払い落としたものとまったく同じものだった。
「…私が打たれた媚薬ですね…」
その言葉に、エスティニアンが驚いた様子で私を見た。
「そうだ。…だが、厳密には違う。これは改良版らしい」
錬金術師の言葉に、今度は私が驚く番だった。錬金術師は伏し目がちにその薬品を見つめたままで、製作者から聞いただろう情報をそのまま説明してくれる。
「あのギャングの残党から昨日押収された、魔法成分抜きの…エスナやケアルといった類では解除不能という代物のようだ」
彼の黒曜石のような瞳が、そうっと私を捉える。
「ウチの術師たちが…強化前のこれに耐えたお前に、興味津々でな」
私は思いっきり嫌な顔をしてしまった。けれどこれはお仕事のお話なので、配慮などされる筈もない。
「お前を検体にしてこれを試したいと言うので一度は断ったんだが…交換条件を渡された」
検体に、というところで話が終わると思っていたので私は思わず安堵してしまった。媚薬打たれて実験体だなんて、そんなの本当に動物以下の扱いを受けること間違いなしだ。生きて戻される保証だって無い。
「つがい相手は誰でも構わないから、この薬を使用したレポートを寄越せ、だそうだ」
…つがい?待って、この人いま、なんて言った?
「つまり…どういうことだ…?」
呆然とする私の代わりに、エスティニアンが恐る恐る確認してくれる。錬金術師の表情は依然として変わらない。
「この薬を使用して、ヤれ。そしてレポーティングしろ」
いや言い方!噛み砕きすぎ!クールな顔から飛び出した衝撃発言に思考を真白に飛ばしていると、エスティニアンが首を横に振りながら錬金術師に詰め寄った。彼の脚がテーブルに触れて、がたんと鳴った。
「お前、その条件呑んだのかよ」
「あまり食い下がると混入されるからな」
この会話がいま里の外で行われているせいか、錬金術師のその発言はかなり本音に近そうだった。確かに欲しい“材料”がどの組織にいようが関係ないのだ、あの術師たちにとっては。ひょいと攫って、実験施設に隠して、さっさと解毒剤出しておしまい。どうしても私を渡せないとなれば、彼らは指先ひとつでそんな強行手段も選べてしまう。
よって、錬金術師は実現可能なレベルの条件で妥協し、私の身柄だけは最低限保障してくれた…という形になる。
「…映像で残せだの、監視下でさせろだの。全部却下したんだ、これでも」
錬金術師の表情に僅かな疲れが滲む。思っていた以上に術師たちとやりあってくれたらしく、私とエスティニアンはその事実にたじろいでしまった。彼はかなり頑張ってくれた。あとは、私たちが…ヤるかどうか、という話になってしまう。
「…なんで俺なんだ?つがい、誰でもいいんだろ」
エスティニアンにそう言われて、そういえば確かに、と思った。エスティニアンから私への気持ちは、相応しいTPOを見つけられないまま聞けずにいる。私の恋人でもないこの男を名指ししたことに首を傾げると、錬金術師は迷わずに口を開く。
「ああ、誰でもいい。即ち、俺でもいいということだ」
展開は思わぬ方向へと転がった。ぎょっと目を見開けば錬金術師が私を見下ろし、にこ、と微笑む。それから革手袋に包まれた指先を伸ばし、私の髪に触れた。錬金術師は指先に私の髪をひっかけたまま、エスティニアンへと改めて視線を振る。私は錬金術師の夜のお誘いの仕方を目撃してしまった気がして身体ががちがちに硬直し、エスティニアンのほうを向くことができない。…それにしてもこのオスラ、顔がいい。
「俺が代わろうか」
錬金術師が、エスティニアンに言う。ちょっと楽しげなのはなぜなのか。けれどこれにハイと言われるのもイイエと言われるのもなんとなく怖くて、私は素早く錬金術師の手を握った。錬金術師の瞳が驚いた様子で私を見て、エスティニアンは、なっ、と言った。手袋の上を、するすると髪が滑り落ちる。
「…むしろ私と変わってくれませんか」
「諦めてくれ」
私の関係ないところでエスティニアンと錬金術師でまぐわってくれないかと思ったけど駄目だった。お赤飯炊きながら酒場で待っていたかったのに…。私の発言を聞いてなぜか安堵した様子の錬金術師が、脱力するように頭を垂れたエスティニアンを見遣る。一拍の間をおいて顔を上げたエスティニアンは、吹っ切れた顔をしていた。
「わかったわかった!その役目、請け負った」
それを聞いてから撤収するまでの彼のスピードは物凄かった。媚薬は飲め、捨てるとバレる、メモ用の端末は置いていく、提出は今週末。それだけ告げて、あっという間にいなくなってしまった。エスティニアンは彼の背中を見送ってからすぐに、部屋のなかをあちこち見回り始める。その動作で盗聴器や隠しカメラがないか探っていることに気が付いて、私も慌ててそれに加わった。念のため、だ。彼のことは信用しているが、錬金術師たちのことは今回だけはエスティニアンも私も全面的に信用していない。
「……さて、」
見回りを終えたエスティニアンが私を見るので無意識的に肩が緊張してしまう。このあと起こるだろう事態を思えば、見知った顔に緊張してしまうのも自然な反応…だと、思う。エスティニアンはすぐにそれに気付いて、へらへらと笑ってみせてくれた。いつものそれに、少なからず安心感を覚える。
「ンなガッチガチになるなよ。俺に策がある」
そう言いながら、エスティニアンがケースから薬の容器をひょいと手に取った。ショットガンの薬莢くらいのサイズ。暖かい色の照明を受けて、黄色い液体がちゃぷんと揺れる。それなりに綺麗に整えられたこの部屋の中で見るそれは、上等な蜂蜜酒のようだった。
「別に、これどっちが飲んだっていいんだろ?」
エスティニアンはそれを軽く掲げて、照明に透かしながら黄色い液体を見つめる。確かに、ふたりで半分こするような量には見えない。
「俺が飲んで、治まるまで抜いてくる」
エスティニアンの親指は彼の背面のバスルームを指し示していた。開けっぴろげで遠慮のない物言いが、この場面においては色気が無くてとてもありがたい。なるほど、と頷く私を見てエスティニアンが言葉を続ける。で、お前は…。
「前にコレを打たれた時のレポートを詳細に書いて、提出」
確かに、報告はレポートのみで良いというところまで錬金術師が粘ってくれたので文面では幾らでも適当なことが書けてしまう。宝条はこれを飲んだりしないだろうから整合性の確認はできないだろうし、エスティニアン自身もこれを一人で飲んで体感することでレポートを記録すること自体はできる。
錬金術師は最初から、別に性行為を遂げずともこれをクリアできる環境にしてくれていたのだ。
「実践したことにしちまおうぜ。どうせ、こんなん錬金術師たちの興味満たすだけの指示だろ」
そこまでやれる彼もすごいし、汲み取れるエスティニアンもすごい。私はただ一点だけ拭い去れないままの不安をおずおずと口にする。
「それ…やばいよ…大丈夫なの…?」
打たれたら体が熱くなって、動けなくなって、すべてが快感になってしまう。誰かに触れてほしくて気が狂いそうになって、縛られてなきゃ私だってどうなってたか分からない。あの凄まじい経験を、これからこの男は自ら追体験するのだ。ちょっとだけ乱れたエスティニアンを―私の乱れたところを見られた腹いせもあるが―見てみたい気もするが、こいつは私に巻き込まれてここにいるのだと思うとシンプルに可哀想だと思った。しかも私に飲ませないようにという配慮や、そういう雰囲気になってしまわないようにという気遣いまでして貰っているのが感じられて、とても申し訳がない。
けれどエスティニアンはそんな心配をよそに、ニヤリと笑う。
「へえ、相棒がどうにかしてくれんのか」
しません!という意味を込めて首を横に振れば、エスティニアンは笑った。こうやって笑うエスティニアンを、石の家や戦場で何度見送っただろう。感謝の言葉は戻ってから伝えようと思って呑み込み、代わりに、気を付けてね、と声に出した。エスティニアンが踵を返し、バスルームへと消えていく。
「開けんなよ」
そう言い残して扉が閉まり、がしゃん、と鍵のかかる音がした。
* * * * *
…呼びかけて、5分経過。応答なし。
私は気合を入れるように息を吐いて、バスルームの扉の前にしゃがみ込んだ。エスティニアンのことだから、ちょっと無理だなーぐらいの体調ならうるさいだの気にすんなだの言いそうなのに、ここまで応答がないのはさすがにおかしすぎる。開けんなよ、という言葉を裏切る形になってしまうが…仕方ない。人命が最優先だ。
選んでおいたパーツを3本。順番に鍵穴に差し込んでひねれば、あっさりと開錠の音がした。すぐにドアノブを下ろし、そろそろと押し開きながら室内の様子を伺う。
そこは部屋の内装に合わせた、シンプルモダンなバスルームだった。扉を開いてすぐ左手が広めの洗面台で、そちら側の壁一面が鏡になっている。その鏡面のなかに、蹲る銀のシルエット。槍は立てかけられベルトやブーツは適当に放られていて、水色のシャツ姿のそれはトイレの便座に肘を預けて背を丸めている。泥酔時のエスティニアンを相手に同じような光景を何度か目撃したことがあるが、今回は事情が違う。
慌てて扉をすべて押し開けて、肉眼で彼の背中を捉える。忙しなく空気を取り込もうとする肺の大きな動きが、彼の背から伺えるほどだった。
エスティニアンが気配に気づいて、少しだけ頭を持ち上げる。そうして見えてきた彼の横顔は、首筋まであかい。半開きの唇は濡れ、辛うじて開いている瞳は潤んでいる。先程まで心配の種だった筈の吐息は、視覚からの情報のせいで性的なものに脳内変換されてしまい足が竦んだ。こんなに色っぽい異性を、初めて見た。
「お、まえ…ッ」
エスティニアンが威嚇するように眉根を寄せ、鋭い眼光で私を睨む。こんな場面を見られた羞恥とか、入るなと言ったのにとか、きっと彼の中でいま色んな感情が渦巻いているに違いない。しかし彼の膝は依然として冷たそうなタイル張りの床にくっついたままで、それ以上の言葉を私に対して発するような余裕も無さそうだった。私を追い返せないぐらい弱り切ってるくせに、よくそんな顔ができたものだ。
まずは状況から確認しようと言い回しを選ぶ。さっきのエスティニアンみたいに、飾らないものがいいだろう。
「何発ほど…?」
それを聞いたエスティニアンはちょっと口元を緩め、ぐりぐりと首を左右に振った。彼の特徴でもある長い髪が、シャツ越しでもわかるくらい浮き出た肩甲骨の間でさらさらと揺れる。
「…まだ…」
「ゼロ発!?」
びっくりして大きな声が出てしまった。あれから40分くらい経つのに媚薬入りでゼロ発って、体質的に余程の遅漏か“手”でイケない体質の人じゃなきゃありえない。私なんか、腿を触れ合わせただけで気が遠くなりそうだったのに。あの時の強い快感を思い出したところで、ふと思い立つ。ということはつまり、エスティニアンは一度もイケないまま、でもイくしかないから自分のものを扱き続けていた…?出口の見えない強い快感のなかを、ぐるぐる彷徨う感覚だろう。道理でこんなに真っ赤になって蕩け切っている訳だ。
前の緩んだスラックスと、その向こうに回された右腕。便座の上でだらりとする左手の内側にはぬめる、光。あの薬を投与されたときの私の心は、エスティニアンを目にしてからずっと叫んでいた。はやく、さわってほしい。
確信めいた予感が閃き、私は迷ってしまう前にとバスルームに足を踏み入れた。脱衣所を兼ねたトイレ前の空間はそこそこ広い。違ったら申し訳ないけど、試さずにエスティニアンを苦しませ続けるよりはマシな筈だ。
だるそうに私を見上げるエスティニアンの背中に近づいて、一気にしゃがみ込むと彼の背中に自分の身体をくっつけた。汗でじっとり濡れた襟ぐりに顔を埋めて、なるべく見ないようにしながら右手をエスティニアンの前へと回す。私の呼吸が首筋に触れてしまったのか、エスティニアンの背中が跳ねた。その感覚、すごく身に覚えがある。申し訳ない。
「………ちょっとごめん!」
彼の右手首をなぞればエスティニアンの肩が震え、私を振り払おうと背中が僅かに動いた。しかし緩慢としたそれは抵抗としての意味を為さず、私の指先はあっけなく目的とするものまでたどり着いてしまう。人差し指と親指で軽く輪を作り、慎重に当てて―ぬめる先端を、緩やかに握り込んだ。
「な、…あ…っ!?」
異議を唱えようとしたらしいエスティニアンの唇から喘ぎ声のようなものが出て、私もエスティニアンも同時に驚いてしまった。エスティニアンは肩から力を抜き、便座に額をぶつける。めちゃくちゃに恥ずかしそうだ。いや、こんなの恥ずかしくて当然である。
ここはもう、エスティニアンの人権のためにも何も言わずにさっさと遂げてしまった方がいいかもしれない。観念して動かなくなったエスティニアンの肩口に額を当てながら、私は手元の映像をイメージする。
つるりとした触り心地の先端を撫で、指先にぬめりをまとわせる。そのままくすぐるくらいの強さで握りながら、手を下へと滑り下ろしていく。血管の浮いたそれは、熱い、し、おおきい。掌の中のそれに今更心臓が騒ぎ始めるけれど、ここまで来たらあとはもう終わらせるしか道はない。
エスティニアンの首筋が粟立って、熱い息が漏れる。ぽたぽた落ちてくる汗が妙に扇情的で心音が高まる。私はなるべく彼が驚いてしまわないように、ゆっくりと右手を上下に動かし始めた。鈴口から早々にとろりと緩い液体が出始めて、絡ませながら徐々に手の動きを速める。握り方を強くしたらくびれた部分を通るたびにニチャニチャといやらしい音が立ち、そのたびにエスティニアンの肩が揺れる。漏れ出ていた吐息はやがてフーッという細いものになる。唇を噛んでいるらしい。これはこれで、ちょっと動物的な感じで非常に…えろい。
吐精は突然だった。急にエスティニアンの背中が緊張して、ぶるりと大きく震えたので慌てて左手を先端のほうへと回す。思った通り、左の掌に生温い液体がぶつかった。右手で緩やかに扱きながら、左手でその先を包むようにして生温い液体が止まるのを待つ。扱く動きに合わせて4回ほど吐いた後、エスティニアンの背中の筋肉が弛緩した。終わった、らしい。
「やっぱり…私もそれ打たれた時、触られたいってなったから…」
言い訳のように言いながら、エスティニアンの背中から身体を離す。熱くてじっとりしたものにくっついていたから、離れてみると外気が意外なほどに涼しい。両手をエスティニアンの服や体に触れさせないようにゆっくり引き戻すと、右手はぬるぬるに光っていて、左の掌には白濁した高粘度の液体が溜まっていた。エスティニアンから吐き出された欲の塊。エスティニアンが振り向いて、私の視線を追う形でその白い液だまりを見つける。
「…自分で触るんじゃ、ダメなやつ…か…も」
続きの言葉を紡ぎながら、その欲の塊からエスティニアンの眼へと視線を動かす――が、その青緑色の虹彩に明らかな色欲を見つけて腰が戦慄した。
この仮説はいま、私が証明してしまったところだ。この媚薬効果による欲情は、他人と接触しないと解消することができないようにされている。その、矛先は、いま。
エスティニアンが身体をこちらに向けて、顔を近づけてくる。両手が埋まり、タイルの床に尻もちをついた私に逃げ場なんて無かった。
「悪い」
低く掠れた声で詫びられて、唇が重なった。柔らかく湿った感触が、味わうように私の唇を挟む。エスティニアンの右手が私の頬に触れたと思ったら親指が私の唇の端を割って口内へ入り、歯の間へと押し入ってきた。汗の味かカウパーの味かわからないけれど、しょっぱい。その隙間に熱くざらついた舌が滑り込んできて、いよいよ耐え切れなくなって目を塞ぐ。閉じることが許されない唇と無防備な口の中を、エスティニアンの下が撫ぜるように這う。上顎を舌先でくすぐられて、歯列がなぞられて、舌同士がじゃれあうように絡み合う。キスって、こんなにきもちいい交渉だったっけ。いつの間にやらずるずるとお尻が滑って、タイルの冷たさが背中へと移る。
ぬるついた舌と一緒に送り込まれた唾液を零さぬよう嚥下したとき、舌の奥に強烈な甘さを感じて瞠目した。呑み込んだ喉が灼けるように熱くなって、この事態をなんとか知らせようとエスティニアンの眼を見る。エスティニアンは名残惜しそうに私の唇を軽く舐めてから、少しだけ顔を離した。舐められた唇もまた、甘くなっている。
「…薬、甘かった…?」
息も絶え絶えに尋ねれば、エスティニアンは一瞬思考する。
「…蜂蜜みてえだった」
それを聞いて、そうだあの甘味と風味は蜂蜜だ、と合点した。と同時に、胃のあたりから込み上げる熱に笑いが漏れた。普通の毒にしては痛みがなくて、しびれ薬にしては身体の感覚がはっきりとある。そのあとに訪れる症状は、脱力感と眩暈と…動悸の筈だ。
「………やばい」
肌の感覚が尖り始め、じんわりと背筋に汗がにじむ。動悸はどんどん早くなって、身体が熱くて、世界が滲み始める。覚えがありすぎるその感覚に、私は掌の精液のことも忘れて自分のシャツの胸元を握り込んだ。精の香りがして、くらくらする。私の変化を真上で見ていたエスティニアンが、状況を察知してか唇の端で笑った。私はもう誤魔化しの利かなくなった赤い顔で、あの日のようにエスティニアンの赤色を見上げる。今回ばかりは、触れてもらえそうだった。
「効果…経口で移るっぽい」
* * * * *
そこからは、お互い獣のようだった。
冷たいタイルの上で性急に下の布だけ取っ払われて、ワイシャツとブラは雑にたくし上げられている。皴になるとか、汚れるとか、もうなんでもいい。エスティニアンの指がぐちゃりと湿り切ったそこに触れて、私は堪えきれずにエスティニアンの腰に引っかかったままのベルトを掴んで引き寄せた。慣らすとか、ヨくするとか、お行儀の良いことはしなくていい。おへそに付きそうなくらい充血してそそり立つそれにねっとりと視線を這わせ、エスティニアンの眼を見る。合図としては、これで十分なはずだ。
エスティニアンが唇のはじっこを歪める。笑ったのか、歯を食いしばったのか。表情を伺いみる余地はなく、私の腰が乱暴に掴まれた。食い込む指すら気持ちいい。子宮のあたりがじくじく疼いて、早く受け入れようと下肢に潤いを送る。
あてがわれたエスティニアンのそれも先走りで少し濡れていて、すんなりと摩擦なく侵入した。押し広げられて無理やり侵入される感覚に、視界がちかちか瞬いた。思わずのけぞらせた首に、エスティニアンの唇が降りてくる。
「…は、…」
エスティニアンが湿った息を吐いて口を開ける。そのまま、鋭い犬歯で私の首筋を噛んだ。同時に腰が一気に進められてしまい、先端がとてつもない強さで奥をごりゅんと突く。視界が白んで、腰が跳ねた。
「ああ…ッ!」
漏れたのは悲鳴だった。予測以上の快楽がもたらされ、脳が、子宮が、全身が震えて悦んでいる。エスティニアンもまた媚薬に浮かされながら侵入した私の中がお気に召したらしく、興奮した様子を隠しもせずに、呼吸を荒くしたまま私につけた噛み痕に舌を這わせている。
「お前も…もう無理だろ」
唇を首筋へ動かして、エスティニアンが言った。腰は既に律動を始めていて、ベルトの金具がタイルに当たるたびにかちゃかちゃ音を立てる。快楽に蕩けた脳で、私は頷いた。もうむり。気持ちよすぎて、人の形を保っていられない。
「こっからはぜんぶ…薬のせいだ」
それは、ここから先の性交でどれだけ乱れてぐちゃぐちゃになってもいいよ、という免罪符だった。もちろん、自分への言い訳でもあるだろう。だって、こんな風に始まってしまってはもう止まれるわけもない。お互いに、理性を置いてけぼりにした身体が叫んでいるのがわかる。気持ちいい。もっとほしい。
エスティニアンの腰の動きが、深いところで速くなる。繰り返し弱いところを出っ張りで擦られて、意識が飛びそうになる。
「ひっ、アッ、うう…んっ…」
動きに合わせてはしたない声が漏れる、留められない。
その出っ張りはエスティニアンにとっても弱いところのはずだった。さっき掌で擦ったとき、明らかに反応が違ったから分かる。霞がかった視界でエスティニアンを見たら、眉間に皴を寄せ、視線を連結部に固定したままで口を半開きにしていた。この男もまた、快楽に蕩けている最中らしい。
「…やべえ」
エスティニアンが低く呟いたと思ったら、私の下腹部―ちょうど、擦られて気持ちいいあたり―に掌底を当てて、軽く押した。中でイイところがより強く擦られ、背筋が浮いて思考に火花か飛び散る。
「ひゃ…ッ!?」
なに、その、テクニック!さっきよりも強い快楽に内腿ががくがく震え出す。素直な反応に気を良くしたらしいエスティニアンは私の腰を少し高めに持ち上げると、一層強くその部分を責め始めた。ぐちゃぐちゃ水の音がして、ぐぽぐぽと出入りの音がする。私の中がどれだけぎゅうぎゅうエスティニアンを締めているかが分かって、急に恥ずかしくなった。
「だ、だめ、それっ…やばい…ッ」
このままでは気をやってしまうかもしれない。首を横に振ると、エスティニアンは動きを止めないままで笑った。銀の髪という派手な見た目にそのドエスな笑い方は、怖いくらい似合っていた。
「素直に…ッ、イイって…言えよ」
思いがけない言葉に腰が甘ったるく痺れた。理性にしがみつこうとしていたほんの僅かな人間性が、諦めた顔で手を引っ込める。気持ちいいなら、どこまでもいっちゃいなよ。だって今夜は全部、薬のせいなんだもの。
「あ、ッ…いい…き、もち、いい…よお…」
素直に言ってみたそれはとても良い促進剤となった。抉られる快感を正当に脳の髄まで受け入れたら、心までもが気持ちよくて仕方ない。取り繕おうとしていた表情も思考も気持ちよさにすべて溶かして、律動に合わせて私からも腰を動かしながら快感を貪る。
「はは…えっろ…」
そう言いながら赤い舌で自分の唇を舐めるエスティニアンのほうこそえっろいので、どんなふうに見られていようが、もう羞恥心のようなものはまるで湧かなかった。あまりに気持ちがよくて、もうこれは現実じゃないんじゃないかという気さえしてくる。
一定のリズムで突かれ続けてじわじわ高まってきた波が、急激に形を変えた。身体中の筋肉が、その波に攫われてしまわないよう一気に緊張する。背中が浮いて、エスティニアンの腕に縋りついた。
「やッ、もう、も、…いっちゃ……ッ!!」
ぎゅうと目を閉じて、最高の快楽を震えながら味わう。――人生で最高かも知れない、特大のオーガズムだった。
「…ッぶね…」
エスティニアンが動きを止めて、背中を丸めて俯いた。さらっと流れてきた彼の長い髪が、興奮であかくなった彼の頬をより扇情的に演出する。いま、中がどれだけ収縮しているかが自分でもわかる。臀部で感じるエスティニアンの腿はスラックス越しでも震えているのが分かって、精を吐き出さずになんとか堪えているのだろうと思った。
エスティニアンが、ゆっくりと腰を引く。出て行こうとするそれに焦って、エスティニアンの手を引いた。エスティニアンは汗だくになりながら、びっくりした顔で私を見た。
「…やだ、もっと」
息は跳ねたまま、心音も早いまま。だけど興奮が醒めない。熱も収まらない。下腹部はまだじゅくじゅくして、もっと気持ちよくなろうよと囁いてくる。エスティニアンは眉を顰め、ちょっと怒った顔をした。分かってる。見た目と素行から誤解されやすいけど、誰よりも誠実で真面目なあなたがいま、何を考えているのか。私はエスティニアンのそんなところが本当にすきだ。
「おい、ゴム…」
「も、いいよ…」
やっぱり、そんなことだと思った。食い気味に発せられた私の言葉に、エスティニアンは目を見開いた。ごくん、とその喉仏が上下する。私のことばかりこんな奈落の底に落としておいて、自分ばかり文明人のままでいるのはずるい。あと、もうひと押し。もっと乱れるエスティニアンが見てみたい。
「エスティニアンの…奥にちょうだい…」
アダルトビデオの外では使われないセリフベスト10に入るそれは、声に出すのに少々勇気が必要だった。私だって、後先を全く考えていない訳じゃない。エスティニアンの子供なら、生んだって育てたっていい――いや、嘘だ。そこまで深いことはいま、考えていない。私で滅茶苦茶になるこの男のことが見たい、本当にそれだけ。
エスティニアンの瞳に鋭い光が差す。こわい、と思った時には思いきり奥を突かれていた。ばちゅん、と肉のぶつかる音がする。
「ンあっ!!」
絶頂直後にその快感は痛いほどで、エスティニアンの腕に爪を立てて飛びそうになった意識を踏み止まらせる。でも、エスティニアンは止まらない。荒く息を吐いて、眉間に皴を寄せたまま、私の腰を両手で強く抑えて腰を打ち付けている。その必死な顔に胸がときめいて、余計に感覚が尖ってしまう。
「アッ、ああっ!やっ、…ひッ」
やばい、先が奥に到達するたびにイきそうになる。動物のように啼き声を上げて快感から逃れようとするけれど、あまりにもえぐい腰の動きがそれを許してくれない。狭くてどう擦ったって気持ちいいその中を、余すことなく擦り上げていく。腹上死、という単語が脳裏をよぎった。ありえる。媚薬で理性を失った獣たちの交尾は、人間の身体には耐えられないのかもしれない。
「孕んじまえよッ…そのまま…!」
エスティニアンの唇が弧を描いて、瞳が鋭く細められて。その声色は戦闘時の荒っぽさを想起させた。汗を滴らせながらそんなことを言われたら、私のなけなしの人間性がただの雌へと成り下がってしまう。現に、私は思考とは関係のないところで既に頷いてしまっていた。目がハート、とはこのことだと思う。このまま種付けされて、あなたのものにされてしまいたい。この雄に、服従してしまいたい。
ひと際高い快感の波が、またぐわりと襲い掛かってくる。
「ああっ!またイッ……―っ!!」
二度目の絶頂はとにかく必死だった。失神したらもう戻ってこれなさそうで、でもこの夜を手放してしまうのがもったいなくて。必死にやり過ごそうとしたら、がつんと奥を叩かれて思考が真白に弾ける。見上げた先には、意地の悪い顔。
「ひゃ…あっ、アッ!イッて…る…のに…ぃ!」
ひと際狭くなった中を、エスティニアンがよりスピードを速めて出入りする。生理的な涙がぼろぼろ零れて、エスティニアンのワイシャツをぎゅうと握る。それが射精のためのラストスパートであることを、私はなんとなく感じ取っていた。許容外の快楽にただただ啼き喚いていたら、エスティニアンが息を呑んで背筋を震わせる。律動が一番奥で止まり、一拍ののち、エスティニアンのそれが内側で鼓動した。
エスティニアンがいま、私の子宮に鈴口をぴたりとつけて、吐精している。
十分に吐き終えてから、ぐちゃぐちゃで形を留めているかも怪しい私のそこから、エスティニアンがゆっくりとそれを引き抜いた。バスルームの照明に、上を向いたままのぬるついた凶器が照らし出される。萎える様子のないそれに、私はひっそりと死を覚悟した。
「…治まらねえ」
エスティニアンが苦笑いをして、腿のあたりに引っ掛けたままだったスラックスを脱ごうと動き始める。私は今のうちに少しでも休憩しようと全身を脱力させ、冷たいタイルに五体を投げた。中から溢れただろう精液が尻を伝って落ちていくどろりとした感触は、月経中に何度か経験したことのあるそれだった。
息が徐々に整ってきて、ふとエスティニアンの様子を仰ぎ見る。ワイシャツを身体に引っ掛けただけとなったその姿の向こうに便器が見えて、肩を震わせて静かに笑ってしまった。あんなに立派なベッドがあるのに。そういえばここ、バスルームなんだった。
媚薬に流されるままどろどろのセックスをして。中にまで出されたあと。ふたりきりのバスルームで。…くしゃくしゃになった服に包まれたまま、見つめ合っている。気持ちを確かめるのにこんなにも相応しいTPOは、きっと他にない。
「ね、エスティニアン。私のことどう思ってる?」
エスティニアンはそう質問されることが分かってたみたいに、にやっと笑った。
「好きだ」
知ってただろう?と言わんばかりのそれに私は照れ臭くなって何も言えなくなり、ただ笑った。エスティニアンも笑った。本音がするりと簡単に出てきてしまうのもきっと媚薬の効能だ。自白剤としての利用価値あり。そう、レポートに書こう。
エスティニアンに引っ張り上げられて、手を突かされたのはすぐそこの洗面台だった。良く磨かれた鏡面に、欲情しきった女の顔。目が潤み、赤面し、髪が乱れている。着用しているかっちりしたデザインの黒いジャケットの内側でワイシャツは乱雑にめくれあがり、デコルテあたりにあるブラジャーがそれを落ちないように支えていた。ひどい有様。羞恥が突然込み上げてきて鏡から目を背けると、エスティニアンが私の真後ろにくっついた。
そっとジャケットを脱がされ、視界の隅に映る女のシルエットが真白くなる。エスティニアンもシャツだけは脱いでいないせいで、揃いの部屋着でも着ているかのような錯覚を覚えた。全て脱がされないのはたぶん、この男の趣味だろう。オフィスで見る私の面影を少し残すことで、背徳感と言うスパイスをも味わおうとしている。
エスティニアンの長い指が私の腰あたりを緩く掴んで後ろへと引いた。それに従って脚を数歩後退させると、エスティニアンに向かって尻を突き出すような恰好になった。エスティニアンに臀部を緩くなでられて熱い吐息が漏れる。このままイったら死ぬ!とまで思うくらい十分快楽を貰ったはずの下腹部が、新たな刺激を期待してじんと疼いた。私の身体もまだ、媚薬の支配下にあるらしい。
エスティニアンの先端が、入り口を探る。さっきよりも慎重に、ゆっくりと侵入を始めたそれに首を逸らせて息を漏らしたら、淫靡な表情を湛えた女が鏡面に映ってしまった。鏡越しに、エスティニアンがにやにやとしている。本当に、良い趣味がおありのようで。
一応、私にもこれまでに性交経験はある。そしてその中でも特に弱い――否、特に好きな体位が後ろからなのでエスティニアンの先端がゆっくり奥まで届いたとき、胸が騒めいた。これ、やばいかも。
「あ…ッ!?」
とん!というたった一度の衝突で腰にびりびり快感が走り、前のめりに倒れそうになって片手を鏡面へと突いた。やっぱりやばい!脊椎に鳥肌が立つような快感が、エスティニアンが腰を動かすたびに背筋を走り抜ける。半端に開いたままの口が閉じられない。出入りされるたびに、私自身の蜜と先ほど吐き出された精が綯い交ぜになってぐちゃぐちゃと音を立てた。常識的ではないそれに、頭の芯がぐらぐらと茹る。ああ。エスティニアンとの赤ちゃん、できちゃうかもしれないのに。
「泡立ってる」
エスティニアンが囁くように言って口角を少し上げた。今夜のうちで彼のことはだいぶ分かってきた。あの顔は、冷静っぽく見えるけどめちゃくちゃに興奮している顔だ。
急に腰の動きが速くなり、水音よりも肉のぶつかる、ぱん!という音のほうが大きくなった。ゴリゴリと無遠慮に突き上げられ、玩具のように扱われる雑さが逆に快感を助長する。鏡に映った私の胸が、律動に合わせてふるふると揺れている。
「ンうっ!…あッ!…これッ…すき、ぃ…っ」
だから、もっと。快感を大脳のすべてで受け止めながら伝えたら、エスティニアンが私の背中に覆いかぶさるように身体を折り畳んだ。背中に触れた素肌が熱い。彼の腕が後ろから私をぎゅっと抱きしめるついでに、利き手で私の胸を鷲掴んだ。ぴったり密着しながら行われるピストン運動は気持ちいいどころの騒ぎじゃなくて、バックハグという状況やすぐそこで揺れる銀髪、耳をくすぐるエスティニアンの吐息というすべての要素が快感に変換されてしまって死にそうになった。ただでさえエスティニアンのことが好きなのに。こんなにくっつかれて、気持ちよくされて、エスティニアンでいっぱいにされて。
「う、だめッ、あ、すき…っ、すき、…す、きッ…」
感情の逃げ場がなくなり、うわ言のように好きの言葉を繰り返す。それを聞いたエスティニアンが私の顎を掴んで強引に横を向かせたかと思うと、かぷ、と大口で私に口づけた。私の喘ぎ声ごと食べられてしまい、なにも考えられない。あらゆる粘膜が同時に犯されて、膝ががくがく震えた。
エスティニアンの口から蜂蜜味がしなくなり、私はほぼ飛び去っていた理性を手繰り寄せてエスティニアンの唇を甘く噛んだ。エスティニアンの瞳が私の眼を覗いて、何か言いたげなのを察知して唇を開放してくれる。腰の動きも、緩やかに治まった。
「…ぇすてぃにあ、もしかして、もう…」
媚薬効果、消えた?舌ったらずになりながらもそういう意図で尋ねたら、エスティニアンは少しきょとんとしてから、私に尋ね返してきた。
「お前は?」
つまり、エスティニアンはもう媚薬効果が切れていることを体感できているらしい。私はといえば、まだ完全に媚薬が抜けている訳でもなさそうだが―この心拍が薬の効果なのか、この男に向けたものなのかが判別がつかなくなっていた。
「…ずっとどきどきしてる…」
どう答えるべきか迷ってそう伝えた。エスティニアンが、ふ、と笑いを零す。
「そりゃあ…俺もだ」
「ひゃ…ッ!?」
照れ隠しに律動を再開されて、思わず上げた悲鳴はまたすぐにエスティニアンに食べられてしまった。
* * * * *
そうして満足するまで快感を貪って、二人そろって布団に飛び込んだのは夜明けも近い真夜中のことだった。
* * * * *
こんこん。控えめなノックの音で目が醒めた。昨夜のあれこれで服をどろどろにしてしまった私は布団を肩まで被ったまま壁際を向いて、狸寝入りを決め込むことにする。隣の気配はするりと布団を抜け出して、扉へと向かっていった。
開いた先には、錬金術師がいるようだった。エスティニアンの要請通りに二人分の着替えとアフターピルを持ってきてくれた錬金術師は、扉を開けてすぐにエスティニアンのことを見るなり大きなため息をついた。中でいいよと言ったのは私のほうなのだけれど、そう言いだせる度胸は無い。エスティニアンのほうも何も言い訳しなかった。
錬金術師がいなくなったら起き出して、まず謝ろう。そしてレポートには、媚薬使用の際にはコンドームを常に携帯すべし、とでも書いてあげるべきかもしれない。
ユニットバスとトイレがある筈のそこから噛み殺すような吐息が聞こえ始めてから、もう30分が経とうとしている。息は荒くなる一方で、苦しそうな呻き声まで聞こえてきたものだから私は頭を抱える。手には一応、キーピック。内側から施錠されているこの扉を破ってしまうのは、私には造作もないこと―なのだけれど。
この中にいる銀髪の彼のことを思うと、この扉をくぐっても良いものか判断がつかなくなる。
でも聞こえてくる呼吸音は本当に苦しそうで、万が一アレに未知の毒性があったらと思うと放っておくこともできない。もう一度。あともう一度だけ呼びかけて返答がなかったら、この扉の鍵を暴いて様子を見に入ろう。
意を決して、彼の名前を呼ぶ。
「エスティニアン!大丈夫!?」
はっ、とエスティニアンがひと際大きく息を吐く音が聞こえる。私は突入に備えて、キーピックの束から適切な形のパーツを探り始めた。…どうして、こんなことに…。
* * * * *
もうすぐ日付も変わろうという時刻にラザハンへ呼び出され、首を傾げながらエスティニアンと到着した豪奢なお宿。錬金術師たちからはご丁寧に部屋番号まで通達されており、なんだろうねと中身のない会話をしながらその部屋に足を踏み入れた。アウラ族の錬金術師が部屋のなかに備え付けられた大きなベッドに脚を組んで座っている。手元には電子タブレット。足元には重厚なアタッシュケース。…それにしてもこの人、脚が長い。
「遅くに悪いな」
「いいや。気にしてないぞ」
錬金術師の気遣いにエスティニアンが皮肉っぽく言う。私はそれに苦笑いしながら、用事があるならばさっさと済ませてしまおうとすぐさま本題に触れた。今日は外任務がどちらもあったので疲労感が強い。早く帰りたいのが本音だった。
「それで、頼み事というのは?」
「ああ。…率直に言うが、実験動物になってもらいたい」
それはあまりにも率直だった。エスティニアンに意味が分かるかという気持ちを込めて視線を遣ると、エスティニアンは俺にもさっぱり、という顔で私を見下ろした。錬金術師は私たちの様子に小さな笑みを浮かべ、足元のアタッシュケースを拾い上げるとこちらへ歩み寄ってくる。テーブルにそれを乗せる仕草は軽々としていて、見た目ほど中身は詰まっていないらしい。
テーブルの上で照明に照らされる金属製のそれには、デミールのマークがでかでかと描かれている。ともすればマッドとも言える好奇心旺盛なサイエンティストが住む、デミールの遺烈郷。もうすでに良い予感はしない。
「これに見覚えは?」
錬金術師が何やら操作を行うと、ぷしゅっとシリンダーから空気の抜ける音がしてケースが開いた。そのスペースのほとんどは緩衝材で埋められていて――真ん中に鎮座するのは、黄色い液体を湛えた細長いガラス容器。あの日、首筋から払い落としたものとまったく同じものだった。
「…私が打たれた媚薬ですね…」
その言葉に、エスティニアンが驚いた様子で私を見た。
「そうだ。…だが、厳密には違う。これは改良版らしい」
錬金術師の言葉に、今度は私が驚く番だった。錬金術師は伏し目がちにその薬品を見つめたままで、製作者から聞いただろう情報をそのまま説明してくれる。
「あのギャングの残党から昨日押収された、魔法成分抜きの…エスナやケアルといった類では解除不能という代物のようだ」
彼の黒曜石のような瞳が、そうっと私を捉える。
「ウチの術師たちが…強化前のこれに耐えたお前に、興味津々でな」
私は思いっきり嫌な顔をしてしまった。けれどこれはお仕事のお話なので、配慮などされる筈もない。
「お前を検体にしてこれを試したいと言うので一度は断ったんだが…交換条件を渡された」
検体に、というところで話が終わると思っていたので私は思わず安堵してしまった。媚薬打たれて実験体だなんて、そんなの本当に動物以下の扱いを受けること間違いなしだ。生きて戻される保証だって無い。
「つがい相手は誰でも構わないから、この薬を使用したレポートを寄越せ、だそうだ」
…つがい?待って、この人いま、なんて言った?
「つまり…どういうことだ…?」
呆然とする私の代わりに、エスティニアンが恐る恐る確認してくれる。錬金術師の表情は依然として変わらない。
「この薬を使用して、ヤれ。そしてレポーティングしろ」
いや言い方!噛み砕きすぎ!クールな顔から飛び出した衝撃発言に思考を真白に飛ばしていると、エスティニアンが首を横に振りながら錬金術師に詰め寄った。彼の脚がテーブルに触れて、がたんと鳴った。
「お前、その条件呑んだのかよ」
「あまり食い下がると混入されるからな」
この会話がいま里の外で行われているせいか、錬金術師のその発言はかなり本音に近そうだった。確かに欲しい“材料”がどの組織にいようが関係ないのだ、あの術師たちにとっては。ひょいと攫って、実験施設に隠して、さっさと解毒剤出しておしまい。どうしても私を渡せないとなれば、彼らは指先ひとつでそんな強行手段も選べてしまう。
よって、錬金術師は実現可能なレベルの条件で妥協し、私の身柄だけは最低限保障してくれた…という形になる。
「…映像で残せだの、監視下でさせろだの。全部却下したんだ、これでも」
錬金術師の表情に僅かな疲れが滲む。思っていた以上に術師たちとやりあってくれたらしく、私とエスティニアンはその事実にたじろいでしまった。彼はかなり頑張ってくれた。あとは、私たちが…ヤるかどうか、という話になってしまう。
「…なんで俺なんだ?つがい、誰でもいいんだろ」
エスティニアンにそう言われて、そういえば確かに、と思った。エスティニアンから私への気持ちは、相応しいTPOを見つけられないまま聞けずにいる。私の恋人でもないこの男を名指ししたことに首を傾げると、錬金術師は迷わずに口を開く。
「ああ、誰でもいい。即ち、俺でもいいということだ」
展開は思わぬ方向へと転がった。ぎょっと目を見開けば錬金術師が私を見下ろし、にこ、と微笑む。それから革手袋に包まれた指先を伸ばし、私の髪に触れた。錬金術師は指先に私の髪をひっかけたまま、エスティニアンへと改めて視線を振る。私は錬金術師の夜のお誘いの仕方を目撃してしまった気がして身体ががちがちに硬直し、エスティニアンのほうを向くことができない。…それにしてもこのオスラ、顔がいい。
「俺が代わろうか」
錬金術師が、エスティニアンに言う。ちょっと楽しげなのはなぜなのか。けれどこれにハイと言われるのもイイエと言われるのもなんとなく怖くて、私は素早く錬金術師の手を握った。錬金術師の瞳が驚いた様子で私を見て、エスティニアンは、なっ、と言った。手袋の上を、するすると髪が滑り落ちる。
「…むしろ私と変わってくれませんか」
「諦めてくれ」
私の関係ないところでエスティニアンと錬金術師でまぐわってくれないかと思ったけど駄目だった。お赤飯炊きながら酒場で待っていたかったのに…。私の発言を聞いてなぜか安堵した様子の錬金術師が、脱力するように頭を垂れたエスティニアンを見遣る。一拍の間をおいて顔を上げたエスティニアンは、吹っ切れた顔をしていた。
「わかったわかった!その役目、請け負った」
それを聞いてから撤収するまでの彼のスピードは物凄かった。媚薬は飲め、捨てるとバレる、メモ用の端末は置いていく、提出は今週末。それだけ告げて、あっという間にいなくなってしまった。エスティニアンは彼の背中を見送ってからすぐに、部屋のなかをあちこち見回り始める。その動作で盗聴器や隠しカメラがないか探っていることに気が付いて、私も慌ててそれに加わった。念のため、だ。彼のことは信用しているが、錬金術師たちのことは今回だけはエスティニアンも私も全面的に信用していない。
「……さて、」
見回りを終えたエスティニアンが私を見るので無意識的に肩が緊張してしまう。このあと起こるだろう事態を思えば、見知った顔に緊張してしまうのも自然な反応…だと、思う。エスティニアンはすぐにそれに気付いて、へらへらと笑ってみせてくれた。いつものそれに、少なからず安心感を覚える。
「ンなガッチガチになるなよ。俺に策がある」
そう言いながら、エスティニアンがケースから薬の容器をひょいと手に取った。ショットガンの薬莢くらいのサイズ。暖かい色の照明を受けて、黄色い液体がちゃぷんと揺れる。それなりに綺麗に整えられたこの部屋の中で見るそれは、上等な蜂蜜酒のようだった。
「別に、これどっちが飲んだっていいんだろ?」
エスティニアンはそれを軽く掲げて、照明に透かしながら黄色い液体を見つめる。確かに、ふたりで半分こするような量には見えない。
「俺が飲んで、治まるまで抜いてくる」
エスティニアンの親指は彼の背面のバスルームを指し示していた。開けっぴろげで遠慮のない物言いが、この場面においては色気が無くてとてもありがたい。なるほど、と頷く私を見てエスティニアンが言葉を続ける。で、お前は…。
「前にコレを打たれた時のレポートを詳細に書いて、提出」
確かに、報告はレポートのみで良いというところまで錬金術師が粘ってくれたので文面では幾らでも適当なことが書けてしまう。宝条はこれを飲んだりしないだろうから整合性の確認はできないだろうし、エスティニアン自身もこれを一人で飲んで体感することでレポートを記録すること自体はできる。
錬金術師は最初から、別に性行為を遂げずともこれをクリアできる環境にしてくれていたのだ。
「実践したことにしちまおうぜ。どうせ、こんなん錬金術師たちの興味満たすだけの指示だろ」
そこまでやれる彼もすごいし、汲み取れるエスティニアンもすごい。私はただ一点だけ拭い去れないままの不安をおずおずと口にする。
「それ…やばいよ…大丈夫なの…?」
打たれたら体が熱くなって、動けなくなって、すべてが快感になってしまう。誰かに触れてほしくて気が狂いそうになって、縛られてなきゃ私だってどうなってたか分からない。あの凄まじい経験を、これからこの男は自ら追体験するのだ。ちょっとだけ乱れたエスティニアンを―私の乱れたところを見られた腹いせもあるが―見てみたい気もするが、こいつは私に巻き込まれてここにいるのだと思うとシンプルに可哀想だと思った。しかも私に飲ませないようにという配慮や、そういう雰囲気になってしまわないようにという気遣いまでして貰っているのが感じられて、とても申し訳がない。
けれどエスティニアンはそんな心配をよそに、ニヤリと笑う。
「へえ、相棒がどうにかしてくれんのか」
しません!という意味を込めて首を横に振れば、エスティニアンは笑った。こうやって笑うエスティニアンを、石の家や戦場で何度見送っただろう。感謝の言葉は戻ってから伝えようと思って呑み込み、代わりに、気を付けてね、と声に出した。エスティニアンが踵を返し、バスルームへと消えていく。
「開けんなよ」
そう言い残して扉が閉まり、がしゃん、と鍵のかかる音がした。
* * * * *
…呼びかけて、5分経過。応答なし。
私は気合を入れるように息を吐いて、バスルームの扉の前にしゃがみ込んだ。エスティニアンのことだから、ちょっと無理だなーぐらいの体調ならうるさいだの気にすんなだの言いそうなのに、ここまで応答がないのはさすがにおかしすぎる。開けんなよ、という言葉を裏切る形になってしまうが…仕方ない。人命が最優先だ。
選んでおいたパーツを3本。順番に鍵穴に差し込んでひねれば、あっさりと開錠の音がした。すぐにドアノブを下ろし、そろそろと押し開きながら室内の様子を伺う。
そこは部屋の内装に合わせた、シンプルモダンなバスルームだった。扉を開いてすぐ左手が広めの洗面台で、そちら側の壁一面が鏡になっている。その鏡面のなかに、蹲る銀のシルエット。槍は立てかけられベルトやブーツは適当に放られていて、水色のシャツ姿のそれはトイレの便座に肘を預けて背を丸めている。泥酔時のエスティニアンを相手に同じような光景を何度か目撃したことがあるが、今回は事情が違う。
慌てて扉をすべて押し開けて、肉眼で彼の背中を捉える。忙しなく空気を取り込もうとする肺の大きな動きが、彼の背から伺えるほどだった。
エスティニアンが気配に気づいて、少しだけ頭を持ち上げる。そうして見えてきた彼の横顔は、首筋まであかい。半開きの唇は濡れ、辛うじて開いている瞳は潤んでいる。先程まで心配の種だった筈の吐息は、視覚からの情報のせいで性的なものに脳内変換されてしまい足が竦んだ。こんなに色っぽい異性を、初めて見た。
「お、まえ…ッ」
エスティニアンが威嚇するように眉根を寄せ、鋭い眼光で私を睨む。こんな場面を見られた羞恥とか、入るなと言ったのにとか、きっと彼の中でいま色んな感情が渦巻いているに違いない。しかし彼の膝は依然として冷たそうなタイル張りの床にくっついたままで、それ以上の言葉を私に対して発するような余裕も無さそうだった。私を追い返せないぐらい弱り切ってるくせに、よくそんな顔ができたものだ。
まずは状況から確認しようと言い回しを選ぶ。さっきのエスティニアンみたいに、飾らないものがいいだろう。
「何発ほど…?」
それを聞いたエスティニアンはちょっと口元を緩め、ぐりぐりと首を左右に振った。彼の特徴でもある長い髪が、シャツ越しでもわかるくらい浮き出た肩甲骨の間でさらさらと揺れる。
「…まだ…」
「ゼロ発!?」
びっくりして大きな声が出てしまった。あれから40分くらい経つのに媚薬入りでゼロ発って、体質的に余程の遅漏か“手”でイケない体質の人じゃなきゃありえない。私なんか、腿を触れ合わせただけで気が遠くなりそうだったのに。あの時の強い快感を思い出したところで、ふと思い立つ。ということはつまり、エスティニアンは一度もイケないまま、でもイくしかないから自分のものを扱き続けていた…?出口の見えない強い快感のなかを、ぐるぐる彷徨う感覚だろう。道理でこんなに真っ赤になって蕩け切っている訳だ。
前の緩んだスラックスと、その向こうに回された右腕。便座の上でだらりとする左手の内側にはぬめる、光。あの薬を投与されたときの私の心は、エスティニアンを目にしてからずっと叫んでいた。はやく、さわってほしい。
確信めいた予感が閃き、私は迷ってしまう前にとバスルームに足を踏み入れた。脱衣所を兼ねたトイレ前の空間はそこそこ広い。違ったら申し訳ないけど、試さずにエスティニアンを苦しませ続けるよりはマシな筈だ。
だるそうに私を見上げるエスティニアンの背中に近づいて、一気にしゃがみ込むと彼の背中に自分の身体をくっつけた。汗でじっとり濡れた襟ぐりに顔を埋めて、なるべく見ないようにしながら右手をエスティニアンの前へと回す。私の呼吸が首筋に触れてしまったのか、エスティニアンの背中が跳ねた。その感覚、すごく身に覚えがある。申し訳ない。
「………ちょっとごめん!」
彼の右手首をなぞればエスティニアンの肩が震え、私を振り払おうと背中が僅かに動いた。しかし緩慢としたそれは抵抗としての意味を為さず、私の指先はあっけなく目的とするものまでたどり着いてしまう。人差し指と親指で軽く輪を作り、慎重に当てて―ぬめる先端を、緩やかに握り込んだ。
「な、…あ…っ!?」
異議を唱えようとしたらしいエスティニアンの唇から喘ぎ声のようなものが出て、私もエスティニアンも同時に驚いてしまった。エスティニアンは肩から力を抜き、便座に額をぶつける。めちゃくちゃに恥ずかしそうだ。いや、こんなの恥ずかしくて当然である。
ここはもう、エスティニアンの人権のためにも何も言わずにさっさと遂げてしまった方がいいかもしれない。観念して動かなくなったエスティニアンの肩口に額を当てながら、私は手元の映像をイメージする。
つるりとした触り心地の先端を撫で、指先にぬめりをまとわせる。そのままくすぐるくらいの強さで握りながら、手を下へと滑り下ろしていく。血管の浮いたそれは、熱い、し、おおきい。掌の中のそれに今更心臓が騒ぎ始めるけれど、ここまで来たらあとはもう終わらせるしか道はない。
エスティニアンの首筋が粟立って、熱い息が漏れる。ぽたぽた落ちてくる汗が妙に扇情的で心音が高まる。私はなるべく彼が驚いてしまわないように、ゆっくりと右手を上下に動かし始めた。鈴口から早々にとろりと緩い液体が出始めて、絡ませながら徐々に手の動きを速める。握り方を強くしたらくびれた部分を通るたびにニチャニチャといやらしい音が立ち、そのたびにエスティニアンの肩が揺れる。漏れ出ていた吐息はやがてフーッという細いものになる。唇を噛んでいるらしい。これはこれで、ちょっと動物的な感じで非常に…えろい。
吐精は突然だった。急にエスティニアンの背中が緊張して、ぶるりと大きく震えたので慌てて左手を先端のほうへと回す。思った通り、左の掌に生温い液体がぶつかった。右手で緩やかに扱きながら、左手でその先を包むようにして生温い液体が止まるのを待つ。扱く動きに合わせて4回ほど吐いた後、エスティニアンの背中の筋肉が弛緩した。終わった、らしい。
「やっぱり…私もそれ打たれた時、触られたいってなったから…」
言い訳のように言いながら、エスティニアンの背中から身体を離す。熱くてじっとりしたものにくっついていたから、離れてみると外気が意外なほどに涼しい。両手をエスティニアンの服や体に触れさせないようにゆっくり引き戻すと、右手はぬるぬるに光っていて、左の掌には白濁した高粘度の液体が溜まっていた。エスティニアンから吐き出された欲の塊。エスティニアンが振り向いて、私の視線を追う形でその白い液だまりを見つける。
「…自分で触るんじゃ、ダメなやつ…か…も」
続きの言葉を紡ぎながら、その欲の塊からエスティニアンの眼へと視線を動かす――が、その青緑色の虹彩に明らかな色欲を見つけて腰が戦慄した。
この仮説はいま、私が証明してしまったところだ。この媚薬効果による欲情は、他人と接触しないと解消することができないようにされている。その、矛先は、いま。
エスティニアンが身体をこちらに向けて、顔を近づけてくる。両手が埋まり、タイルの床に尻もちをついた私に逃げ場なんて無かった。
「悪い」
低く掠れた声で詫びられて、唇が重なった。柔らかく湿った感触が、味わうように私の唇を挟む。エスティニアンの右手が私の頬に触れたと思ったら親指が私の唇の端を割って口内へ入り、歯の間へと押し入ってきた。汗の味かカウパーの味かわからないけれど、しょっぱい。その隙間に熱くざらついた舌が滑り込んできて、いよいよ耐え切れなくなって目を塞ぐ。閉じることが許されない唇と無防備な口の中を、エスティニアンの下が撫ぜるように這う。上顎を舌先でくすぐられて、歯列がなぞられて、舌同士がじゃれあうように絡み合う。キスって、こんなにきもちいい交渉だったっけ。いつの間にやらずるずるとお尻が滑って、タイルの冷たさが背中へと移る。
ぬるついた舌と一緒に送り込まれた唾液を零さぬよう嚥下したとき、舌の奥に強烈な甘さを感じて瞠目した。呑み込んだ喉が灼けるように熱くなって、この事態をなんとか知らせようとエスティニアンの眼を見る。エスティニアンは名残惜しそうに私の唇を軽く舐めてから、少しだけ顔を離した。舐められた唇もまた、甘くなっている。
「…薬、甘かった…?」
息も絶え絶えに尋ねれば、エスティニアンは一瞬思考する。
「…蜂蜜みてえだった」
それを聞いて、そうだあの甘味と風味は蜂蜜だ、と合点した。と同時に、胃のあたりから込み上げる熱に笑いが漏れた。普通の毒にしては痛みがなくて、しびれ薬にしては身体の感覚がはっきりとある。そのあとに訪れる症状は、脱力感と眩暈と…動悸の筈だ。
「………やばい」
肌の感覚が尖り始め、じんわりと背筋に汗がにじむ。動悸はどんどん早くなって、身体が熱くて、世界が滲み始める。覚えがありすぎるその感覚に、私は掌の精液のことも忘れて自分のシャツの胸元を握り込んだ。精の香りがして、くらくらする。私の変化を真上で見ていたエスティニアンが、状況を察知してか唇の端で笑った。私はもう誤魔化しの利かなくなった赤い顔で、あの日のようにエスティニアンの赤色を見上げる。今回ばかりは、触れてもらえそうだった。
「効果…経口で移るっぽい」
* * * * *
そこからは、お互い獣のようだった。
冷たいタイルの上で性急に下の布だけ取っ払われて、ワイシャツとブラは雑にたくし上げられている。皴になるとか、汚れるとか、もうなんでもいい。エスティニアンの指がぐちゃりと湿り切ったそこに触れて、私は堪えきれずにエスティニアンの腰に引っかかったままのベルトを掴んで引き寄せた。慣らすとか、ヨくするとか、お行儀の良いことはしなくていい。おへそに付きそうなくらい充血してそそり立つそれにねっとりと視線を這わせ、エスティニアンの眼を見る。合図としては、これで十分なはずだ。
エスティニアンが唇のはじっこを歪める。笑ったのか、歯を食いしばったのか。表情を伺いみる余地はなく、私の腰が乱暴に掴まれた。食い込む指すら気持ちいい。子宮のあたりがじくじく疼いて、早く受け入れようと下肢に潤いを送る。
あてがわれたエスティニアンのそれも先走りで少し濡れていて、すんなりと摩擦なく侵入した。押し広げられて無理やり侵入される感覚に、視界がちかちか瞬いた。思わずのけぞらせた首に、エスティニアンの唇が降りてくる。
「…は、…」
エスティニアンが湿った息を吐いて口を開ける。そのまま、鋭い犬歯で私の首筋を噛んだ。同時に腰が一気に進められてしまい、先端がとてつもない強さで奥をごりゅんと突く。視界が白んで、腰が跳ねた。
「ああ…ッ!」
漏れたのは悲鳴だった。予測以上の快楽がもたらされ、脳が、子宮が、全身が震えて悦んでいる。エスティニアンもまた媚薬に浮かされながら侵入した私の中がお気に召したらしく、興奮した様子を隠しもせずに、呼吸を荒くしたまま私につけた噛み痕に舌を這わせている。
「お前も…もう無理だろ」
唇を首筋へ動かして、エスティニアンが言った。腰は既に律動を始めていて、ベルトの金具がタイルに当たるたびにかちゃかちゃ音を立てる。快楽に蕩けた脳で、私は頷いた。もうむり。気持ちよすぎて、人の形を保っていられない。
「こっからはぜんぶ…薬のせいだ」
それは、ここから先の性交でどれだけ乱れてぐちゃぐちゃになってもいいよ、という免罪符だった。もちろん、自分への言い訳でもあるだろう。だって、こんな風に始まってしまってはもう止まれるわけもない。お互いに、理性を置いてけぼりにした身体が叫んでいるのがわかる。気持ちいい。もっとほしい。
エスティニアンの腰の動きが、深いところで速くなる。繰り返し弱いところを出っ張りで擦られて、意識が飛びそうになる。
「ひっ、アッ、うう…んっ…」
動きに合わせてはしたない声が漏れる、留められない。
その出っ張りはエスティニアンにとっても弱いところのはずだった。さっき掌で擦ったとき、明らかに反応が違ったから分かる。霞がかった視界でエスティニアンを見たら、眉間に皴を寄せ、視線を連結部に固定したままで口を半開きにしていた。この男もまた、快楽に蕩けている最中らしい。
「…やべえ」
エスティニアンが低く呟いたと思ったら、私の下腹部―ちょうど、擦られて気持ちいいあたり―に掌底を当てて、軽く押した。中でイイところがより強く擦られ、背筋が浮いて思考に火花か飛び散る。
「ひゃ…ッ!?」
なに、その、テクニック!さっきよりも強い快楽に内腿ががくがく震え出す。素直な反応に気を良くしたらしいエスティニアンは私の腰を少し高めに持ち上げると、一層強くその部分を責め始めた。ぐちゃぐちゃ水の音がして、ぐぽぐぽと出入りの音がする。私の中がどれだけぎゅうぎゅうエスティニアンを締めているかが分かって、急に恥ずかしくなった。
「だ、だめ、それっ…やばい…ッ」
このままでは気をやってしまうかもしれない。首を横に振ると、エスティニアンは動きを止めないままで笑った。銀の髪という派手な見た目にそのドエスな笑い方は、怖いくらい似合っていた。
「素直に…ッ、イイって…言えよ」
思いがけない言葉に腰が甘ったるく痺れた。理性にしがみつこうとしていたほんの僅かな人間性が、諦めた顔で手を引っ込める。気持ちいいなら、どこまでもいっちゃいなよ。だって今夜は全部、薬のせいなんだもの。
「あ、ッ…いい…き、もち、いい…よお…」
素直に言ってみたそれはとても良い促進剤となった。抉られる快感を正当に脳の髄まで受け入れたら、心までもが気持ちよくて仕方ない。取り繕おうとしていた表情も思考も気持ちよさにすべて溶かして、律動に合わせて私からも腰を動かしながら快感を貪る。
「はは…えっろ…」
そう言いながら赤い舌で自分の唇を舐めるエスティニアンのほうこそえっろいので、どんなふうに見られていようが、もう羞恥心のようなものはまるで湧かなかった。あまりに気持ちがよくて、もうこれは現実じゃないんじゃないかという気さえしてくる。
一定のリズムで突かれ続けてじわじわ高まってきた波が、急激に形を変えた。身体中の筋肉が、その波に攫われてしまわないよう一気に緊張する。背中が浮いて、エスティニアンの腕に縋りついた。
「やッ、もう、も、…いっちゃ……ッ!!」
ぎゅうと目を閉じて、最高の快楽を震えながら味わう。――人生で最高かも知れない、特大のオーガズムだった。
「…ッぶね…」
エスティニアンが動きを止めて、背中を丸めて俯いた。さらっと流れてきた彼の長い髪が、興奮であかくなった彼の頬をより扇情的に演出する。いま、中がどれだけ収縮しているかが自分でもわかる。臀部で感じるエスティニアンの腿はスラックス越しでも震えているのが分かって、精を吐き出さずになんとか堪えているのだろうと思った。
エスティニアンが、ゆっくりと腰を引く。出て行こうとするそれに焦って、エスティニアンの手を引いた。エスティニアンは汗だくになりながら、びっくりした顔で私を見た。
「…やだ、もっと」
息は跳ねたまま、心音も早いまま。だけど興奮が醒めない。熱も収まらない。下腹部はまだじゅくじゅくして、もっと気持ちよくなろうよと囁いてくる。エスティニアンは眉を顰め、ちょっと怒った顔をした。分かってる。見た目と素行から誤解されやすいけど、誰よりも誠実で真面目なあなたがいま、何を考えているのか。私はエスティニアンのそんなところが本当にすきだ。
「おい、ゴム…」
「も、いいよ…」
やっぱり、そんなことだと思った。食い気味に発せられた私の言葉に、エスティニアンは目を見開いた。ごくん、とその喉仏が上下する。私のことばかりこんな奈落の底に落としておいて、自分ばかり文明人のままでいるのはずるい。あと、もうひと押し。もっと乱れるエスティニアンが見てみたい。
「エスティニアンの…奥にちょうだい…」
アダルトビデオの外では使われないセリフベスト10に入るそれは、声に出すのに少々勇気が必要だった。私だって、後先を全く考えていない訳じゃない。エスティニアンの子供なら、生んだって育てたっていい――いや、嘘だ。そこまで深いことはいま、考えていない。私で滅茶苦茶になるこの男のことが見たい、本当にそれだけ。
エスティニアンの瞳に鋭い光が差す。こわい、と思った時には思いきり奥を突かれていた。ばちゅん、と肉のぶつかる音がする。
「ンあっ!!」
絶頂直後にその快感は痛いほどで、エスティニアンの腕に爪を立てて飛びそうになった意識を踏み止まらせる。でも、エスティニアンは止まらない。荒く息を吐いて、眉間に皴を寄せたまま、私の腰を両手で強く抑えて腰を打ち付けている。その必死な顔に胸がときめいて、余計に感覚が尖ってしまう。
「アッ、ああっ!やっ、…ひッ」
やばい、先が奥に到達するたびにイきそうになる。動物のように啼き声を上げて快感から逃れようとするけれど、あまりにもえぐい腰の動きがそれを許してくれない。狭くてどう擦ったって気持ちいいその中を、余すことなく擦り上げていく。腹上死、という単語が脳裏をよぎった。ありえる。媚薬で理性を失った獣たちの交尾は、人間の身体には耐えられないのかもしれない。
「孕んじまえよッ…そのまま…!」
エスティニアンの唇が弧を描いて、瞳が鋭く細められて。その声色は戦闘時の荒っぽさを想起させた。汗を滴らせながらそんなことを言われたら、私のなけなしの人間性がただの雌へと成り下がってしまう。現に、私は思考とは関係のないところで既に頷いてしまっていた。目がハート、とはこのことだと思う。このまま種付けされて、あなたのものにされてしまいたい。この雄に、服従してしまいたい。
ひと際高い快感の波が、またぐわりと襲い掛かってくる。
「ああっ!またイッ……―っ!!」
二度目の絶頂はとにかく必死だった。失神したらもう戻ってこれなさそうで、でもこの夜を手放してしまうのがもったいなくて。必死にやり過ごそうとしたら、がつんと奥を叩かれて思考が真白に弾ける。見上げた先には、意地の悪い顔。
「ひゃ…あっ、アッ!イッて…る…のに…ぃ!」
ひと際狭くなった中を、エスティニアンがよりスピードを速めて出入りする。生理的な涙がぼろぼろ零れて、エスティニアンのワイシャツをぎゅうと握る。それが射精のためのラストスパートであることを、私はなんとなく感じ取っていた。許容外の快楽にただただ啼き喚いていたら、エスティニアンが息を呑んで背筋を震わせる。律動が一番奥で止まり、一拍ののち、エスティニアンのそれが内側で鼓動した。
エスティニアンがいま、私の子宮に鈴口をぴたりとつけて、吐精している。
十分に吐き終えてから、ぐちゃぐちゃで形を留めているかも怪しい私のそこから、エスティニアンがゆっくりとそれを引き抜いた。バスルームの照明に、上を向いたままのぬるついた凶器が照らし出される。萎える様子のないそれに、私はひっそりと死を覚悟した。
「…治まらねえ」
エスティニアンが苦笑いをして、腿のあたりに引っ掛けたままだったスラックスを脱ごうと動き始める。私は今のうちに少しでも休憩しようと全身を脱力させ、冷たいタイルに五体を投げた。中から溢れただろう精液が尻を伝って落ちていくどろりとした感触は、月経中に何度か経験したことのあるそれだった。
息が徐々に整ってきて、ふとエスティニアンの様子を仰ぎ見る。ワイシャツを身体に引っ掛けただけとなったその姿の向こうに便器が見えて、肩を震わせて静かに笑ってしまった。あんなに立派なベッドがあるのに。そういえばここ、バスルームなんだった。
媚薬に流されるままどろどろのセックスをして。中にまで出されたあと。ふたりきりのバスルームで。…くしゃくしゃになった服に包まれたまま、見つめ合っている。気持ちを確かめるのにこんなにも相応しいTPOは、きっと他にない。
「ね、エスティニアン。私のことどう思ってる?」
エスティニアンはそう質問されることが分かってたみたいに、にやっと笑った。
「好きだ」
知ってただろう?と言わんばかりのそれに私は照れ臭くなって何も言えなくなり、ただ笑った。エスティニアンも笑った。本音がするりと簡単に出てきてしまうのもきっと媚薬の効能だ。自白剤としての利用価値あり。そう、レポートに書こう。
エスティニアンに引っ張り上げられて、手を突かされたのはすぐそこの洗面台だった。良く磨かれた鏡面に、欲情しきった女の顔。目が潤み、赤面し、髪が乱れている。着用しているかっちりしたデザインの黒いジャケットの内側でワイシャツは乱雑にめくれあがり、デコルテあたりにあるブラジャーがそれを落ちないように支えていた。ひどい有様。羞恥が突然込み上げてきて鏡から目を背けると、エスティニアンが私の真後ろにくっついた。
そっとジャケットを脱がされ、視界の隅に映る女のシルエットが真白くなる。エスティニアンもシャツだけは脱いでいないせいで、揃いの部屋着でも着ているかのような錯覚を覚えた。全て脱がされないのはたぶん、この男の趣味だろう。オフィスで見る私の面影を少し残すことで、背徳感と言うスパイスをも味わおうとしている。
エスティニアンの長い指が私の腰あたりを緩く掴んで後ろへと引いた。それに従って脚を数歩後退させると、エスティニアンに向かって尻を突き出すような恰好になった。エスティニアンに臀部を緩くなでられて熱い吐息が漏れる。このままイったら死ぬ!とまで思うくらい十分快楽を貰ったはずの下腹部が、新たな刺激を期待してじんと疼いた。私の身体もまだ、媚薬の支配下にあるらしい。
エスティニアンの先端が、入り口を探る。さっきよりも慎重に、ゆっくりと侵入を始めたそれに首を逸らせて息を漏らしたら、淫靡な表情を湛えた女が鏡面に映ってしまった。鏡越しに、エスティニアンがにやにやとしている。本当に、良い趣味がおありのようで。
一応、私にもこれまでに性交経験はある。そしてその中でも特に弱い――否、特に好きな体位が後ろからなのでエスティニアンの先端がゆっくり奥まで届いたとき、胸が騒めいた。これ、やばいかも。
「あ…ッ!?」
とん!というたった一度の衝突で腰にびりびり快感が走り、前のめりに倒れそうになって片手を鏡面へと突いた。やっぱりやばい!脊椎に鳥肌が立つような快感が、エスティニアンが腰を動かすたびに背筋を走り抜ける。半端に開いたままの口が閉じられない。出入りされるたびに、私自身の蜜と先ほど吐き出された精が綯い交ぜになってぐちゃぐちゃと音を立てた。常識的ではないそれに、頭の芯がぐらぐらと茹る。ああ。エスティニアンとの赤ちゃん、できちゃうかもしれないのに。
「泡立ってる」
エスティニアンが囁くように言って口角を少し上げた。今夜のうちで彼のことはだいぶ分かってきた。あの顔は、冷静っぽく見えるけどめちゃくちゃに興奮している顔だ。
急に腰の動きが速くなり、水音よりも肉のぶつかる、ぱん!という音のほうが大きくなった。ゴリゴリと無遠慮に突き上げられ、玩具のように扱われる雑さが逆に快感を助長する。鏡に映った私の胸が、律動に合わせてふるふると揺れている。
「ンうっ!…あッ!…これッ…すき、ぃ…っ」
だから、もっと。快感を大脳のすべてで受け止めながら伝えたら、エスティニアンが私の背中に覆いかぶさるように身体を折り畳んだ。背中に触れた素肌が熱い。彼の腕が後ろから私をぎゅっと抱きしめるついでに、利き手で私の胸を鷲掴んだ。ぴったり密着しながら行われるピストン運動は気持ちいいどころの騒ぎじゃなくて、バックハグという状況やすぐそこで揺れる銀髪、耳をくすぐるエスティニアンの吐息というすべての要素が快感に変換されてしまって死にそうになった。ただでさえエスティニアンのことが好きなのに。こんなにくっつかれて、気持ちよくされて、エスティニアンでいっぱいにされて。
「う、だめッ、あ、すき…っ、すき、…す、きッ…」
感情の逃げ場がなくなり、うわ言のように好きの言葉を繰り返す。それを聞いたエスティニアンが私の顎を掴んで強引に横を向かせたかと思うと、かぷ、と大口で私に口づけた。私の喘ぎ声ごと食べられてしまい、なにも考えられない。あらゆる粘膜が同時に犯されて、膝ががくがく震えた。
エスティニアンの口から蜂蜜味がしなくなり、私はほぼ飛び去っていた理性を手繰り寄せてエスティニアンの唇を甘く噛んだ。エスティニアンの瞳が私の眼を覗いて、何か言いたげなのを察知して唇を開放してくれる。腰の動きも、緩やかに治まった。
「…ぇすてぃにあ、もしかして、もう…」
媚薬効果、消えた?舌ったらずになりながらもそういう意図で尋ねたら、エスティニアンは少しきょとんとしてから、私に尋ね返してきた。
「お前は?」
つまり、エスティニアンはもう媚薬効果が切れていることを体感できているらしい。私はといえば、まだ完全に媚薬が抜けている訳でもなさそうだが―この心拍が薬の効果なのか、この男に向けたものなのかが判別がつかなくなっていた。
「…ずっとどきどきしてる…」
どう答えるべきか迷ってそう伝えた。エスティニアンが、ふ、と笑いを零す。
「そりゃあ…俺もだ」
「ひゃ…ッ!?」
照れ隠しに律動を再開されて、思わず上げた悲鳴はまたすぐにエスティニアンに食べられてしまった。
* * * * *
そうして満足するまで快感を貪って、二人そろって布団に飛び込んだのは夜明けも近い真夜中のことだった。
* * * * *
こんこん。控えめなノックの音で目が醒めた。昨夜のあれこれで服をどろどろにしてしまった私は布団を肩まで被ったまま壁際を向いて、狸寝入りを決め込むことにする。隣の気配はするりと布団を抜け出して、扉へと向かっていった。
開いた先には、錬金術師がいるようだった。エスティニアンの要請通りに二人分の着替えとアフターピルを持ってきてくれた錬金術師は、扉を開けてすぐにエスティニアンのことを見るなり大きなため息をついた。中でいいよと言ったのは私のほうなのだけれど、そう言いだせる度胸は無い。エスティニアンのほうも何も言い訳しなかった。
錬金術師がいなくなったら起き出して、まず謝ろう。そしてレポートには、媚薬使用の際にはコンドームを常に携帯すべし、とでも書いてあげるべきかもしれない。