ニーナのドレス選びから一夜明けた日の夕方、俺はツォンの運転する車で美容室前へ来ていた。着替えとヘアセットを終えて美容室から出てきた彼女は、車の前に立つ俺の姿を認めるとにっこり笑ってこちらへ向かってきた。俺が選んだラベンダーカラーの上品なドレスを着こなし、緩やかにウェーブさせた髪はまとめて後れ毛を揺らす。


「秘書として連れて行くのが勿体ないな。」
「?」
「今からでも遅くはない、婚約者として出席するか?」
「えっ、いやいや!何を仰いますか!」


素直な感想だった。「秘書」として紹介すれば、安心した他の男が狙いに来かねない。であればいっそ「神羅カンパニー副社長の婚約者」としてしまえば、誰も手出しはできないだろう。しかし彼女は「恐れ多い!」と顔を横に振るばかりだった。

もともと映える容姿の彼女が華やかな雰囲気を漂わせているため、通りを少し歩くだけで周囲の人間が彼女をチラチラと見ている。男の目が多いな。ニーナを迎えるようにして背に手を回すと、彼女は少し頬を染めて驚いたようにこちらを見た。俺はその視線に気づかないふりをして周囲をぐるりと睨む。


「ふ、きちんと着けていて感心だ。」
「副社長からの贈り物ですから!」


彼女の首元で輝くネックレス。透明度の高いブルーの宝石はダイヤモンドだ。希少性が非常に高く一般市場には滅多に出回らないそれは、少し前に知り合いの宝石商から買い付けたものだった。「ルーファウス様の瞳のようですね」と胡散臭い笑顔を貼り付けておべんちゃらを言う男にはあまり良い気はしなかったが、珍しいものだと言うので気分で買った。それがこんなところでネックレスとして昇華するとは思わなかったが。

嬉々としてそれを着けているが、ニーナ、男が女にアクセサリー(とりわけネックレス)を贈る意味を知っているのか?俺にとってそれはニーナを縛り付ける首輪。白銀のチェーンがお前の首を縛り付け、俺の瞳のような宝石がギラリと周囲に向けて威嚇する。

仕事はできる、気遣いも人当たりの良さも見た目も一級、少々抜けているところもあるがそれもまた愛嬌がある。そんな彼女など、放っておけば引く手あまただ。ニーナは昨日俺に忠誠を誓った大切な秘書、何があっても手放したくはない。俺に尽くすとは言ってくれたが、万が一の対策をしておきたかった。まぁどこへ行ったとしても力づくで連れ戻すつもりではいるが。

とは言え、こんな執着の意図を含んでいるということは知らなくて構わない。それを知って俺から離れられるくらいなら、何も知らないままその首輪を着けていてくれ。

俺とニーナを車に乗せるためドアを開けて待っていたレノが、ニーナの首元を見るなり「…ずいぶん束縛の強いご主人サマだな、と」と俺にしか聞こえないように呟く。レノには今夜ニーナの護衛を任せている。「指一本触れさせるなよ」と低く言うと、レノは目を鋭くしたまま「りょーかいです、と」と気の抜けた返事をした。これは仕事モードのレノだ、頼もしい彼の返答に満足し車に乗り込んだ。





*





巨大なシャンデリア達が煌々と照らす会場に入ると、すでに多くの人間が集まって歓談していた。名だたる企業の重役や莫大な資産を持つ投資家、その子息や令嬢たち。どいつもこいつも表面上笑っているが、視線は相手の腹の内を探ろうとギラギラしている。ビジネス的に重要な立ち位置にいる人間から話しかけられ、見え見えの世辞を言われるたびに鬱陶しさを感じるものの、無下に扱うこともできず愛想笑いを返した。斜め後ろに立つニーナを横目で確認すると、彼女はただ黙ってにこやかに立っている。さすが、「秘書モード」の彼女は完璧だった。


「あの男がうちの株を多数所有している投資家だ。その隣の男が…」


会場の隅で、俺はニーナの耳元に唇を寄せてビジネスパートナーを教えている。彼女は俺の目線の先を追いながらふんふんと頷き、覚えようとしていた。記憶力の良い彼女のことだから、このたった1回の説明で記憶できているのだろう。

ふと、正面からこちらへ向かってくる女性が目に留まった。人形のような顔立ちとスタイル、ベビーピンクのドレスを着こなす彼女は、確か、主催者の娘だったか。あまり記憶にないが。ニーナに「正面から来るのが主催者の令嬢だ」と説明する。案の定俺の前で立ち止まった令嬢は、一度じろりと据わった目でニーナを見た後にこやかに俺に挨拶をしてきた。


「ルーファウス様。お越しいただいて嬉しいですわ。」
「ああ。」


遠くから見た令嬢は清楚で淑やかに見えた。しかし近づいてみると感じる、明らかに男の目を意識した大胆なドレスのデザインとむせ返るほどの甘ったるい香水。令嬢に秘書だと紹介すると、ニーナは微笑みながら一礼した。それに対し令嬢は、ちらと彼女を見た後まるで彼女の存在を無視するかのように俺に向き直った。

ちらりと見ると、ニーナは相変わらずにこやかにしていたが、どこか違和感を覚えた。ほんの僅かに揺れる視線、口元の歪み、力の入った指先。身近に居続ける俺でしか気づかないほどの微妙な変化だった。ややあって、ニーナは「私は少々席を外します」と俺と令嬢に告げ、一礼をしてその場を後にした。離れたところでこちらを窺っていたレノが彼女を追いかける。行く先は、おそらくこのホールに併設されているテラスだろう。ニーナがいなくなったことで心許なさを感じつつ、俺は令嬢に視線を戻した。令嬢は、やっと邪魔者がいなくなったと言わんばかりににっこりと笑っていた。

話した内容は思い返すのも無駄なほど無意味なものばかりだった。令嬢自身の話、俺の話、許嫁が気にくわない話…。ことあるごとに俺の肩や腕に触れる令嬢の異常なほどに細い指先と、不自然に俺を褒める高い声。俺を"狙って"いることは容易に分かるが、特に好意を抱いていない相手からそのようにされることは良い気分ではない。神羅ブランドか、容姿か、金か…、どうせこれらに釣られているのだろう。

令嬢の退屈な話を作り笑いで聞き流していると、彼女はするりと俺の肩から胸元に手を下ろしてきた。