01
バレンタインデーの朝、みみは出勤前からすでに憂鬱であった。彼のためにと準備していた小箱を潰さないようにそっと鞄に忍ばせ、肩にかける。きっと世の女性たちも同じように、意中の人への贈り物を鞄に入れていることだろう。その対象が、彼でなければどれほどよかったか。
***
案の定、朝から神羅ビルは甘ったるい香りが満ちていた。とりわけ社長室にはそれが充満し、胸やけすら感じるほどだ。ルーファウスがオフィスへ到着するや否や、社員や関係者の女性たちが次々と訪れ、チョコレートを手渡していく。
「社長、いつもお世話になっております。こちら、ほんの気持ちです」
「お口に合うといいのですが……よかったら召し上がってください」
「えっと……ずっと憧れていました……もしよければ、これ……!」
今日何度この光景を見たことか。整然としたデスクの上には、すでに様々なサイズや包装のチョコレートが積まれ、リボンやカードまで添えられている。
ルーファウスは淡々とそれを受け取り、「ああ」「ありがとう」と事務的に返すだけで、特別な感情を挟むことはなかった。しかし、中には頬を染めながら「お付き合いしていただけませんか」と告白する女性までおり、そのたびにみみは心の奥がチクリと痛むのを感じた。
彼が女性たちに冷たくしすぎないのは社長としての立場ゆえだと分かっているし、最終的にその想いが受け入れられることは決してないと信じている。それでも、こうして自分の目の前で何人もの女性が彼を想い、言葉を尽くし、時には勇気を振り絞って告白までしているのを見ると、胸の奥がざわめいてしまう。
後ろに控えながら、みみは拳をぎゅっと握りしめた。恋人は私なんだから、こんなの気にすることじゃない。そう自分に言い聞かせるものの、ルーファウスの手元にどんどん積まれていくチョコレートの山が、なぜか自分とは関係のないもののように思えてしまう。
***
夕方になってようやく、ルーファウスへのチョコレートの波は落ち着いた。終業時間が過ぎ、社長室には静寂が戻っている。デスクの横には、今日だけで受け取ったチョコの山ができあがっていた。包装紙やリボンが色とりどりで、それぞれに贈った人の気持ちが込められているのだろう。
ルーファウスはそれらを一瞥するものの、特に興味を示すことなく、変わらず書類に目を通していた。ペンを走らせ、淡々と仕事をこなすその横顔は、朝から何人もの女性に想いを向けられた男とは思えないほど、冷静でいつも通りだった。
そんなルーファウスがふと顔を上げたタイミングで、みみはそっとカップをデスクに置いた。甘ったるい室内に、湯気の立つコーヒーの香りが広がる。
「さすが、今年もたくさん頂きましたね」
みみの声は穏やかだったが、その奥にはほんのわずかに棘がある。朝からずっと、他の女性たちの好意を見せつけられてきたのだ。それを平然と受け取るルーファウスの姿を見ながら、自分はただ傍で見ていることしかできなかった。 嫉妬してはいけないと思いながらも、こうして彼の手元に積まれた贈り物を眺めていると、胸の奥が少しだけちくりと疼く。
ルーファウスはコーヒーをひと口飲みながら、みみが嫉妬を隠しながらもどこか拗ねたような表情をしているのをじっと見つめた。その青い瞳には、彼女の心情を見透かしているような色が浮かんでいる。
普段なら、彼女は社長としての自分を立て、必要以上に感情を表に出さない。だが、今日は違った。朝から何人もの女性が自分にチョコを渡し、中には大胆に想いを告げる者もいた。それを後ろで見ていたみみが何も感じないはずがない。 本人は平然を装っているつもりだろうが、長年そばにいるルーファウスにはお見通しだった。
嫉妬心を滲ませながらも、それを悟られまいとする彼女の姿が愛おしくて仕方ない。だが、同時に少しだけ意地悪をして困らせたくもなる。
ルーファウスはゆっくりとコーヒーを口に運び、ひと口飲むと、わざとらしく視線をみみから外して、デスクの隅に積まれたチョコの山に目を向けた。
「……なかなかの量だな」
淡々とした口調でそう言うと、みみは一瞬ぴくりと肩を揺らす。
「こうなると、どれから食べるべきか迷うな」
さらに追い討ちをかけるように、ルーファウスは包装のひとつを手に取って、わざとらしく眺めた。みみの表情が少し曇る。
「……そんなに悩むほどなら、全部一度に召し上がったらいかがです?」
みみがやや拗ねた口調で言うと、ルーファウスは唇の端をわずかに持ち上げ、彼女に視線を戻した。
「お前からのものがあれば、それで十分なんだが」
さらりとそう言って、みみの反応を楽しむように目を細める。みみはルーファウスの言葉に胸が少しだけ温まるのを感じながらも、まだどこか拗ねた気持ちが残っていた。
自分だけのものではないルーファウスを理解しているつもりでも、やはり今日一日、何人もの女性が彼に想いを伝える姿を見せつけられたのは、少なからず胸をチクリと刺した。
「……それなら、最初からそう言えばいいのに」
小さく呟きながら、みみは自分が用意したチョコを取り出す。だが、ルーファウスがそれを受け取ろうと手を伸ばした瞬間、その手を無視するようにデスクの上にそっと置き、ぷいっと背を向けた。
ルーファウスは一瞬目を瞬かせ、それから微かに苦笑した。どうやら少しやりすぎたらしい。拗ねている彼女の小さな背中を見つめ、どうしたものかと考えたが、結局、ルーファウスが取るべき行動はひとつだった。
ゆっくりと立ち上がり、みみの背後に立つと、彼女の華奢な肩を優しく抱き込む。そして、そのまま背中にぴたりと身体を寄せ、腕を回してしっかりと包み込んだ。
「悪かったよ」
低く囁きながら、ルーファウスはみみの髪に唇を落とす。そして柔らかな髪の感触と、彼女から漂うほのかな甘い香りが心地よく、ルーファウスは目を閉じた。
みみは少し驚いたように身じろぎしたが、ルーファウスの腕の中からは逃げなかった。むしろ、その抱擁に少しだけ頬を赤らめる。
「……社長は、ずるいです」
ぼそりと呟いた彼女の言葉に、ルーファウスは微笑を深めた。
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案の定、朝から神羅ビルは甘ったるい香りが満ちていた。とりわけ社長室にはそれが充満し、胸やけすら感じるほどだ。ルーファウスがオフィスへ到着するや否や、社員や関係者の女性たちが次々と訪れ、チョコレートを手渡していく。
「社長、いつもお世話になっております。こちら、ほんの気持ちです」
「お口に合うといいのですが……よかったら召し上がってください」
「えっと……ずっと憧れていました……もしよければ、これ……!」
今日何度この光景を見たことか。整然としたデスクの上には、すでに様々なサイズや包装のチョコレートが積まれ、リボンやカードまで添えられている。
ルーファウスは淡々とそれを受け取り、「ああ」「ありがとう」と事務的に返すだけで、特別な感情を挟むことはなかった。しかし、中には頬を染めながら「お付き合いしていただけませんか」と告白する女性までおり、そのたびにみみは心の奥がチクリと痛むのを感じた。
彼が女性たちに冷たくしすぎないのは社長としての立場ゆえだと分かっているし、最終的にその想いが受け入れられることは決してないと信じている。それでも、こうして自分の目の前で何人もの女性が彼を想い、言葉を尽くし、時には勇気を振り絞って告白までしているのを見ると、胸の奥がざわめいてしまう。
後ろに控えながら、みみは拳をぎゅっと握りしめた。恋人は私なんだから、こんなの気にすることじゃない。そう自分に言い聞かせるものの、ルーファウスの手元にどんどん積まれていくチョコレートの山が、なぜか自分とは関係のないもののように思えてしまう。
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夕方になってようやく、ルーファウスへのチョコレートの波は落ち着いた。終業時間が過ぎ、社長室には静寂が戻っている。デスクの横には、今日だけで受け取ったチョコの山ができあがっていた。包装紙やリボンが色とりどりで、それぞれに贈った人の気持ちが込められているのだろう。
ルーファウスはそれらを一瞥するものの、特に興味を示すことなく、変わらず書類に目を通していた。ペンを走らせ、淡々と仕事をこなすその横顔は、朝から何人もの女性に想いを向けられた男とは思えないほど、冷静でいつも通りだった。
そんなルーファウスがふと顔を上げたタイミングで、みみはそっとカップをデスクに置いた。甘ったるい室内に、湯気の立つコーヒーの香りが広がる。
「さすが、今年もたくさん頂きましたね」
みみの声は穏やかだったが、その奥にはほんのわずかに棘がある。朝からずっと、他の女性たちの好意を見せつけられてきたのだ。それを平然と受け取るルーファウスの姿を見ながら、自分はただ傍で見ていることしかできなかった。 嫉妬してはいけないと思いながらも、こうして彼の手元に積まれた贈り物を眺めていると、胸の奥が少しだけちくりと疼く。
ルーファウスはコーヒーをひと口飲みながら、みみが嫉妬を隠しながらもどこか拗ねたような表情をしているのをじっと見つめた。その青い瞳には、彼女の心情を見透かしているような色が浮かんでいる。
普段なら、彼女は社長としての自分を立て、必要以上に感情を表に出さない。だが、今日は違った。朝から何人もの女性が自分にチョコを渡し、中には大胆に想いを告げる者もいた。それを後ろで見ていたみみが何も感じないはずがない。 本人は平然を装っているつもりだろうが、長年そばにいるルーファウスにはお見通しだった。
嫉妬心を滲ませながらも、それを悟られまいとする彼女の姿が愛おしくて仕方ない。だが、同時に少しだけ意地悪をして困らせたくもなる。
ルーファウスはゆっくりとコーヒーを口に運び、ひと口飲むと、わざとらしく視線をみみから外して、デスクの隅に積まれたチョコの山に目を向けた。
「……なかなかの量だな」
淡々とした口調でそう言うと、みみは一瞬ぴくりと肩を揺らす。
「こうなると、どれから食べるべきか迷うな」
さらに追い討ちをかけるように、ルーファウスは包装のひとつを手に取って、わざとらしく眺めた。みみの表情が少し曇る。
「……そんなに悩むほどなら、全部一度に召し上がったらいかがです?」
みみがやや拗ねた口調で言うと、ルーファウスは唇の端をわずかに持ち上げ、彼女に視線を戻した。
「お前からのものがあれば、それで十分なんだが」
さらりとそう言って、みみの反応を楽しむように目を細める。みみはルーファウスの言葉に胸が少しだけ温まるのを感じながらも、まだどこか拗ねた気持ちが残っていた。
自分だけのものではないルーファウスを理解しているつもりでも、やはり今日一日、何人もの女性が彼に想いを伝える姿を見せつけられたのは、少なからず胸をチクリと刺した。
「……それなら、最初からそう言えばいいのに」
小さく呟きながら、みみは自分が用意したチョコを取り出す。だが、ルーファウスがそれを受け取ろうと手を伸ばした瞬間、その手を無視するようにデスクの上にそっと置き、ぷいっと背を向けた。
ルーファウスは一瞬目を瞬かせ、それから微かに苦笑した。どうやら少しやりすぎたらしい。拗ねている彼女の小さな背中を見つめ、どうしたものかと考えたが、結局、ルーファウスが取るべき行動はひとつだった。
ゆっくりと立ち上がり、みみの背後に立つと、彼女の華奢な肩を優しく抱き込む。そして、そのまま背中にぴたりと身体を寄せ、腕を回してしっかりと包み込んだ。
「悪かったよ」
低く囁きながら、ルーファウスはみみの髪に唇を落とす。そして柔らかな髪の感触と、彼女から漂うほのかな甘い香りが心地よく、ルーファウスは目を閉じた。
みみは少し驚いたように身じろぎしたが、ルーファウスの腕の中からは逃げなかった。むしろ、その抱擁に少しだけ頬を赤らめる。
「……社長は、ずるいです」
ぼそりと呟いた彼女の言葉に、ルーファウスは微笑を深めた。