ミッドガルの春は、空を見上げても季節の変化が分かりづらい。プレートの下ではいつも曇ったような灰色の天井しか見えず、冷却装置と魔晄炉の熱のバランスで、気温だけが勝手に上下する。だがプレートの外に出れば、空の色も風の匂いも微妙に変わっていることが分かった。

その日、ルーファウスとみみは、ミッドガルから離れた地方都市の神羅支社に出張に来ていた。海に面した港町。ジュノンほどの規模はないが、軍の補給港として整備された人工の埠頭と、海風にさらされる小さな街がくっついている。午前中は支社長との会議と工場視察、午後からは港湾設備の確認というスケジュールだった。

昼下がり。視察を終え、一行は支社長が用意したホテルの最上階に戻ってきていた。ルーファウスにはスイートルームが割り当てられ、その隣の部屋がみみの部屋だ。廊下には、地方支社特有の古びた絨毯と、海の匂いがかすかに漂う。

「午後の港湾設備の視察ですが、軍側の担当者が遅れているとの連絡がありました。出発予定時刻を三十分後ろ倒しにしたいそうです」

隣の部屋のドアをノックし、みみが報告すると、ルーファウスはソファから立ち上がり窓辺へ歩み寄った。窓の外には、灰色の海とコンテナ群、停泊する軍艦が見える。

「この国は、本当にどこへ行っても海が濁っているな」

「はい……」

みみも少し距離を取って窓の外を見る。海面には油の膜が浮かび、波が寄せては返すたびに、鈍く光る筋を描いている。子どもの頃、六番街の錆びた水たまりを見て育った自分には、どこか懐かしくもある景色だったが、今はそれを「懐かしい」と胸を張って言いたくはなかった。

「軍の遅延なら、珍しくもない。こちらの準備だけ整えておけ」

「かしこまりました。資料はすでにまとめてありますので……」

そこまで言いかけたとき、ルーファウスの携帯端末が低く震えた。表示された番号を見た彼の表情が、わずかに引き締まる。神羅本社の、緊急連絡用回線だった。

「……ルーファウス=神羅だ」

短く名乗り、端末を耳に当てる。その声の調子で、ただならぬ連絡だと察して、みみは自然と背筋を伸ばした。距離をとりつつも、彼の表情の変化を見逃さない位置に立つ。

「ジュノン、だと?」

低く響く声。窓の外の海の色と同じような冷たい響きだった。

「……全国講演放送用の設備も使えなくなっている? ——ふん。『使えない』と言うより、『使わせられなかった』と言うべきだな」

相手の声は聞こえない。だが、「ジュノン」「全国講演放送」という単語を聞いた瞬間、みみの胸が小さく跳ねた。

(ジュノンで……放送。社長の、大々的な講演の……)

本社で準備が進められていた全国講演放送の計画を、みみも秘書として把握していた。新型魔晄炉と神羅の繁栄を全国にアピールするための政治的イベント。社長がジュノンの大きな砲門を背景に演説する計画で、ルーファウスもその場に同行する案が一時期上がっていた。

——だが数日前、突如予定が変更された。「副社長は別件の出張を優先する」という名目で、ルーファウスはジュノン行きから外されたのだ。みみは、その決定を事務的に処理しながらも「何か引っかかる」と感じていた。

「……ああ。もちろん聞いている。『アバランチ』か」

ルーファウスの口から、その名が静かに零れる。みみの心臓が、どくん、と強く打った。

アバランチ。神羅に反旗を翻し、各地で魔晄炉への攻撃を繰り返している反神羅組織。報告書の中では幾度も目にした名前だが、その実態は霧の中だった。規模も、資金源も、思想の深さも。すべてが「調査中」のまま、ページの中に留まっている。

「社長抹殺の企図があった? ——なるほど」

今度の一言には、驚愕よりも、どこか「やっとか」というような響きが混ざっていた。みみは、その微妙な音色を聞き逃さなかった。

(社長抹殺……)

思考が一瞬真っ白になる。どんな形であれ、「抹殺」という言葉が上層部に向けられた現実。ジュノンで、全国放送の場で。考えたくなくても、頭の中に血なまぐさい光景が浮かぶ。

だが、ルーファウスの横顔は、驚くほど静かだった。

「状況は理解した。——ああ、その件についてはすぐに会議を開くべきだろう。参加者の顔ぶれは? ……ふん。父上は当然として、治安維持部門、軍、広報、財務。副社長である私も、忘れるな」

端末の向こうで慌てている相手の様子が、声色だけで伝わってくるようだった。ルーファウスはそれを冷静に受け止め、次々と指示を飛ばす。

「ここからジュノンまでは距離がありすぎる。現地には軍とタークスを回せ。私は本社との電話会議に参加する。回線を確保しろ。——いいな」

通話を切ると、静かな電子音だけが部屋に戻ってくる。海風の吹きつける音すら、厚いガラスに遮られて聞こえない。

「……副社長」

みみは恐る恐る口を開いた。

「ジュノンで、アバランチが——」

「社長抹殺を目論んだ」

ルーファウスは端末をテーブルに置きながら言った。声は低く、澄んでいる。

「ジュノンで行う予定だった全国講演放送も、中止だ」

「……」

講演放送の準備に関わっていた広報や設備担当者たちの顔が脳裏をよぎる。現地に向かったスタッフたち。巻き込まれた者がどれだけいるのか、想像するだけで胃のあたりが重くなった。

「社長は——」

「生きている」

ルーファウスの口元が、わずかに歪む。

「運がいい、と思うべきか。あるいは、彼を本当に狙っていたなら、アバランチの未熟さを笑うべきか」

言葉の選び方があまりにも冷たくて、みみは一瞬返す言葉を失った。

(……あまり動揺していない)

心の中で、はっきりとそう言葉が形になる。社長抹殺。自分の父親に向けられた殺意。会社のトップ、その命を狙った計画。それを知ってなお、ルーファウスの表情は、いつもの会議のときとほとんど変わらない。

もちろん、彼の内心を全部知っているわけではない。何かを押し殺しているのかもしれない。長年「神羅の息子」として生きてきた彼が、簡単に動揺を表に出すはずがないことも分かっている。

——それでも。

(もう少し、取り乱してもおかしくないはずなのに)

ほんの少しだけ、胸の奥がざわつく。それは父を気遣ってほしいという願いではなかった。彼の感情の揺らぎを、もう少しだけ感じていたかったという、わがままに近い欲だったのかもしれない。

「本社との会議が開かれる。ここから電話で参加する」

ルーファウスは椅子に腰掛け、端末を操作しながら言う。

「君も隣の部屋で待機していろ。会議の内容をメモに起こしてほしい」

「電話会議の内容も、ですか」

「表に出せない話も多いだろうが、要点だけでいい。私が落としたくない部分を、後で整理するためだ」

「承知しました」

仕事の指示が飛ぶと、みみの頭と体は反射的に動く。さっきまで揺らぎかけていた感情が、いつもの「仕事モード」の枠に戻されるのが分かった。

隣室に戻り、ノートとペン、録音機能付きの小型端末を用意する。ルーファウスからの指示で、会議回線の音声を隣室にも転送できるよう設定した。ソファの前のテーブルに一式を並べ、深呼吸する。

(電話越しでも、きっと空気は重い)

社長、役員、軍、治安維持部門——そういった顔ぶれが一堂に会する場に、今まで何度も同席してきた。あの部屋の空気を知っているからこそ、その空気が電話回線越しにここに流れ込んでくることを想像して、少しだけ身構える。

やがて、小さな電子音が鳴り、会議の回線が開いた。

「——こちらは副社長、ルーファウス=神羅だ」

まずはルーファウスの声。いつもよりほんの少し低く抑えられている気がする。

続いて、聞き慣れた社長の声が響いた。

「ふん、ようやく繋がったか。地方に出張中とは、間の悪い息子だな」

その言い草に、電話越しでも眉をひそめたくなる。だがルーファウスは、それを受け流すように淡々と返した。

「ジュノンでテロが起きると事前に知っていれば、私も同行していましたよ」

皮肉とも冗談とも取れる一言。社長は「ふん」と鼻を鳴らすだけで、真正面からは取り合おうとしない。

会議は、まず現状報告から始まった。ジュノンで起きた爆破。アバランチを名乗るグループの声明。社長の講演が中止になった経緯。被害の規模と、鎮圧に動いている部隊の進捗。

みみはペンを走らせながら、耳を澄ます。報告は徹底して数字と事実だけに終始しているが、その行間から漂う「動揺」は隠しきれていなかった。

——講演会場の一部が炎上。

——設備の破壊により、全国放送は不可能。

——現地スタッフ数名が負傷。死者も出ている可能性。

それでも、社長の口調にはどこか「不運だった」「想定外だった」というニュアンスが滲んでいた。あくまで自分は「被害者」であり、責任を問われる立場ではないという態度。

そこで、ルーファウスの声が、少しだけ温度を変えた。

「——その『不運』と『想定外』についてだが」

静かな声が、電話回線の向こう側の空気をわずかに凍らせる。

「何だ、ルーファウス」

社長の不機嫌そうな声。だが息子は怯まない。

「今回の件は、単なる魔晄炉への攻撃ではない。アバランチは、よりによって全国講演放送の場を選び、社長抹殺を目論んだ」

「そうだ。それがどうした」

「ここ数年で、神羅に対する反感が高まっていることは、報告書にも何度も上がっていたはずです」

ルーファウスは淡々と続ける。

「魔晄炉へのテロ、各地での暴動、反神羅の噂。『アバランチ』という名も、すでに複数の報告書で共有されていました。それにもかかわらず、その集団に自分の命を狙うほどの動機を与えた理由を、どうお考えですか」

「……何が言いたい」

社長の声が低くなる。

「私は、今回の件が『アバランチの暴走』だけで片付けられる話だとは思っていません」

ルーファウスの声が、さらに冷たく研ぎ澄まされる。

「全国放送を利用して、自らの権力と神羅の正当性を誇示しようとした。そのパフォーマンスのために、ジュノンの軍と設備、人員を動かした。その結果として、彼らはあなたを標的に選んだ。——それは否定できない事実です」

みみはペンを持つ手に力が入りすぎて、紙が少しよれてしまうのを感じた。

(副社長……)

電話越しとはいえ、これは社長の「責任問題」を真正面から抉る言葉だ。出席している役員や軍の人間たちが、どんな顔をしているのか想像できる。沈黙が、受話器の向こうからも伝わってきた。

「貴様……」

社長の声が低く唸る。

「テロの標的になったのは、私の責任だと言いたいのか」

「いえ」

ルーファウスは一拍置いて、言葉を選ぶ。

「標的になるほどの『憎しみ』を集めたこと、その結果としてジュノンでのイベントがアバランチの格好の舞台になったこと。その一因がどこにあるのかを、客観的に見直す必要があると言っているだけです」

軍の幹部が慌てて口を挟む。

「し、しかし副社長。アバランチは明確に反神羅を掲げるテロリストであり——」

「承知しています」

「であれば、責任を彼らに——」

「責任の所在と、原因の分析は別の話だ」

ルーファウスは被せるように言った。

「テロリストに罪があるのは当然だ。だが、彼らが生まれ、育ち、武器を取るまでに至った土壌は、誰が作ったのか。『関係ない』と切り捨て続ければ、今後も同じことが起こるだけです」

みみの胸が、じくりと痛む。あの七番街や六番街の路地裏。プレートの下で暮らす人々。魔晄炉が街の光と引き換えに吸い上げていくもの。そのすべてが、ルーファウスの言葉の中で、ひとつの「原因」として繋がっていく。

社内報の「副社長とその秘書」という整えられた構図の裏で、彼はこんなふうに父を、神羅を、世界を見ていたのだ。

「話を逸らすな」

社長の声は、もはや怒りを隠そうともしていなかった。

「今問われているのは、誰に責任を取らせるかだ。魔晄炉の警備責任者か、ジュノンの軍司令官か、それとも——」

「『テロの発生に責任を取らせる』つもりですか」

ルーファウスの声に、鋭い皮肉が混ざる。

「標的にされた本人は、何をするおつもりです。次の講演場所を変えるだけですか」

「貴様!」

受話器越しの怒号に、会議の空気がさらに重く沈む。だがルーファウスは、それでも引かない。

「神羅は世界を支配しているつもりかもしれませんが、世界のすべてが神羅を受け入れているわけではありません」

冷たく静かな声が続く。

「今回の事件は、『反感がここまで膨らんでいる』という明確なサインです。それを、『テロだから』『奴らが悪いから』とだけ片付けるなら——」

そこで、わずかに言葉を切り、彼は最も重い一言を落とした。

「——次に狙われるのは、ジュノンだけでは済まないでしょう」

電話の向こうで誰かが息を呑む音が聞こえたような気がした。みみの背筋に冷たいものが走る。ミッドガル、本社ビル、魔晄炉、上層も下層も含めた「世界」が、頭の中でぐらりと揺れる。

(こんなふうに……父親に言えるんだ)

驚きと、どこかの部分での納得が同時に押し寄せる。社長のやり方に批判的であることは、以前から薄々感じていた。それでも、ここまで露骨に責任問題を突きつける姿は、初めて見る。

だが、何よりもみみの胸を引っかけたのは、その声に「動揺」がほとんど感じられないことだった。怒りも、恐怖も、焦りも。どれもが薄く、代わりに「冷たい確信」だけが色濃く浮かんでいる。

(どうして……こんなに冷静でいられるんだろう)

拭いきれない疑問が胸の中で渦を巻く。父が狙われたことへのショックよりも、世界が揺らいでいる事実への冷静な分析が勝っているように見えた。それが、彼の強さなのか、あるいは——。

会議はやがて、具体的な対処へと移っていった。ジュノンの復旧計画、広報戦略、警備体制の見直し。そして、「誰にどこまで責任を取らせるか」という人事の話も、水面下で始まりつつあるのが感じられた。

ルーファウスはそれらに必要最低限のコメントを挟みながらも、「社長個人への責任追及」という形には踏み込まない。あくまで「原因の分析」と「今後の対策」を強調する。そのバランスの取り方に、みみは息を詰めて聞き入っていた。

(副社長は……父親そのものを今すぐ引きずり下ろしたいわけじゃない。でも、このままではいけないとも、はっきり分かっている)

彼がどこまで計算して言葉を選んでいるのか、そのすべてを理解するにはまだ時間が足りない。ただひとつだけはっきりしているのは、「社長の息子」であることと「神羅の副社長」であること、そのどちらの立場にも、彼は決して完全には安住していないということだった。

会議が終わり、回線が切れる。隣室のスピーカーからは、さっきまでの重苦しい声が嘘のように静寂が戻った。

みみはしばらくその場から動けなかった。手元のノートにはびっしりとメモが書き込まれているが、それを読み返す気力がすぐには湧いてこない。

「……」

やがて、ノックが一回。隣の部屋からの合図だ。

「入れ」

ルーファウスの声に従い、みみはノートを抱えて隣室へ入る。彼は椅子に座ったまま、窓の外の海を見ていた。さっきと同じ灰色の海。だが、その水面の下では、さっきとは違う激しさで潮が動いているような気がした。

「会議の内容を、要点だけまとめました」

みみはノートを差し出す。ルーファウスは受け取り、ざっと目を通した。

「……よく聞いていたな」

「電話越しでしたので、聞き漏らしがあるかもしれませんが」

「重要なところは押さえてある」

短く言って、彼はノートを閉じた。

「ジュノンでの件は、しばらく社内を騒がせるだろう。役員たちは『いかにして自分を守るか』ばかり考える。広報は『いかにして責任をすり替えるか』を考える。軍は『いかにして威信を保つか』を——」

そこまで言って、彼はふっと笑った。

「誰も、『いかにして世界を安定させるか』を最初には考えない」

「副社長は、そうお考えなんですね」

みみは静かに言った。

「世界を……安定させるために、どうするべきかを」

「私は神羅の副社長だ」

ルーファウスは窓から視線を外し、みみをまっすぐ見る。

「世界を揺らしているのが神羅なら、その揺れをどう制御するかまで考えなければならない立場にいる」

「……」

「父は、その揺れの上で踊るのが得意だ。だが、そのやり方がいつまでも持つとは思えない」

その言葉の奥にあるものを探ろうとして、みみは一瞬だけ口を開きかけた。

——どうして、あまり動揺されていないんですか。

喉まで出かかった問い。だが、それを口に出す勇気は最後まで湧かなかった。彼の冷静さを疑うこと自体が、彼への信頼を疑うことに繋がってしまうような気がしたからだ。

代わりに、もっと安全な言葉が口から零れる。

「……副社長」

「何だ」

「ジュノンの件、無事でなによりでした」

それは、社長ではなく彼自身に向けられた安堵の言葉だった。本来なら、社長に対して「ご無事で何より」と言うべきなのかもしれない。だが、みみの心は、真っ先にこの男の安全を計算してしまっていた。

ルーファウスの青い瞳が、わずかに揺れる。

「ふん。私があの場に居合わせていたとしても、そう簡単には標的にはならなかっただろう」

「どうして、そう言い切れるんですか」

つい、核心に触れそうな問いが飛び出してしまう。自分で驚いて、言った瞬間に口を抑えたくなる。

だがルーファウスは、怒るでも呆れるでもなく、少しだけ目を細めた。

「私は父とは違うからだ」

静かな一言。

「彼らにとって『倒すべき象徴』は、今のところまだ父だ。私ではない。——今のところはな」

その言い方は、まるでどこかの地点で「交代」が起きることを予感しているようでもあった。彼自身が、父の座を奪おうとしているのか、それとも、世界のほうがそう仕向けてくるのか。そのどちらなのかは、みみには分からない。

ただ、ひとつだけ確かだった。

(この人は……ずっと前から、こうなることをどこかで覚悟していたんだ)

社長が狙われることも、神羅が憎まれることも。世界が揺らぐことも。その中で、自分がどんな位置に置かれるのかも。今さら取り乱すほどの「想定外」ではないからこそ、彼はこれほど冷静でいられるのだ。

その冷静さに、安心と同時に、言葉にできない怖さが少しだけ混ざる。彼がどこまで先を見ているのか、その視線の先に、自分はどれだけ含まれているのか——それを考え始めると、足元が少しぐらつくような気がした。

「……すみません、余計なことを伺いました」

みみが頭を下げると、ルーファウスは首を横に振った。

「君がそう聞くのは、当然だ」

「え?」

「父を狙ったテロがあった。息子である私が動揺しているかどうか、君が気にするのは自然なことだろう」

静かな口調で続ける。

「だが、その答えを君に全て話すつもりは、まだない」

「……はい」

その「まだ」が、妙に重く響いた。いずれどこかで、もっと深いところまで話す時が来るのかもしれない。それがいつなのか、何がきっかけになるのか。今の彼女には見当もつかなかった。

ただ、今この瞬間、彼が線を引いていることは分かる。「秘書」として知っていいことと、「それ以上」の領域に踏み込ませないこと。その線が、いつになくくっきりと感じられた。

「君は、私の不安定さを叱れと言った」

ルーファウスはふと、以前の会話を引き合いに出した。

「だが今日は、叱る必要がない」

「……副社長は、不安定ではないからですか」

「ああ」

短い返事。

「むしろ世界のほうが不安定になりつつある」

その言葉に、みみは何も返せなかった。返すべき言葉が見つからなかった。

世界が揺らぐ音は、まだはっきりとは聞こえてこない。だが、ジュノンで響いた爆発音が、その最初の一撃であることを、二人とも直感していた。Before Crisis——まさにその言葉どおり、「危機の前触れ」が今始まったばかりなのだ。

そして、その波がやがてミッドガルを襲い、七番街を、神羅ビルを、そしてルーファウスとみみ自身の運命を大きく変えていくことを、このときの二人はまだ知らなかった。