鬼の目にもジェラシー/鬼灯夢/口説かれ/






ここは衆合地獄にある、小さな酒場。

仕事を終えた獄卒でにぎわう、手狭ながら風情のある店だ。

ここで働いているのは、無口なマスターと、店員のシズク。

カウンターと少しの座敷を構え、満席になれば隣の客と肩が触れ合うほど。

小さな小さな、それでも人気の店である。



「ねえねえシズクちゃん、そろそろ僕と遊んでくれないかな〜?」

「厭だ、またからかいにいらしたんですか。」

「冷たいなあ、僕けっこう本気なんだけど〜。」

「嘘よ、白澤さまが本気なところなんて見たことないもの」

「ひっどーい!」


ここの所毎日のように現れるこの神獣は、ふらりと来店してはこうしてシズクを口説いていく。

まだ一度も成功してはいないが、それでも諦めないのがこの男、白澤である。



「あーあ、シズクちゃんに今日も振られちゃったなぁ。」

「白澤さまなら、すぐに違う方と遊べますよ」


にっこりとほほ笑む、年のころは20代半ば程の女。

シズクはこの店の看板娘だ。

やわらかな物腰ながら、言うときは言う。振る時は振る。

というか、白澤はあまり相手にされていなかった。



お猪口を傾けながら、ぶうぶうと文句を垂れる白澤は、神獣の威厳なんて欠片も感じられない。

女に振られた、ただの男の様相である。



「今日も振られちゃったけど、僕、明日も来ちゃうもんね〜。」

「明日もお待ちしてますよ、白澤さま」

「あー、僕その笑顔に弱いんだよねえ。絶対来るよ。」


にっこりとほほ笑めば、白澤は満足そうにカウンターにもたれかかった。

シズクは下膳や洗い物をてきぱきとこなしながら、客の相手をする。

カウンターの中では、無口な男が黙々と料理をしていて、それがこの店の日常。




「ちぇ、敵わないよなあ、シズクちゃんには」

「ふふ」

白澤は頬杖をついて、シズクを見つめる。

シズクは女性にしては飾り気のない濃い灰色の着物を着ている。

髪飾りもしない。化粧はほんの少し。

着物の裾からは、やたらに白い腕や足首が除いていて色っぽい。

それでも男性客から人気があるのは、彼女の愛嬌や元々の整った顔立ちが大きい要素であるだろう。

ふうわりと包み込むような女性らしさも、働き者でいつも明るい気立てのよさも持ち合わせている。

白澤はうんうんとひとり頷いて、満足そうに眼を細めた。


「うん、僕は見る目がある!」」

「?」

「なんでもないよ、シズクちゃんは素敵だなって再確認してたのさ」

「まあ、また嘘ばっかり。」

「嘘じゃないよー!!・・・・げ」

「あ、いらっしゃいませ鬼灯さま。」

「・・・シズクさん、お店に獣が紛れ込んでいるようですので駆除しましょうか。」


暖簾をくぐって、鬼灯が現れる。

中にいた白澤を見つけるや否や、不快そうに眉をひそめる。

その反応は、白澤も負けず劣らずだった。


「どうぞ、鬼灯さま」

「ありがとうございます。」

「何で入って来るんだよ!別の店に行け別の店に!」

「私はここで飲みたいんです。あんたに指図される覚えはない」

「っくそ、せっかくシズクちゃんと楽しくお喋りしてたのに・・・台無しだ!」

「あ、シズクさんこちらのお客さんお帰りのようですよ。ありがとうございましたー」

「ちょ、押すな!帰らない!まだ帰らないから!」

ぐいぐいと白澤さまを押しながら、店外へ追い出そうとしている。




シズクはふふ、と笑って鬼灯の食事の支度を始めた。



「相変わらず、ですね。お二人は」

「・・・相変わらず、の続きが気になるところですね。」

「いっしょくたに呼ばないでよ、シズクちゃん。寒気がする」


毒づきあいながら、カウンターにひとつ空けて座るから困りものだ。

酒と小鉢を並べ、その隣に一升瓶も置かれる。



「なに、ボトルキープしてんの?閻魔庁の第一補佐官ともなると違うねえ」


「違うんですよ、白澤さま」

「ん?」

嫌味たっぷりに言う白澤。

間におず、と割って入ったシズクが、控え目に申し出る。

「鬼灯さまは一升じゃ足りないので、こちらで鬼灯さま専用の一升瓶を何本か管理させていただいてるんです。



「えっ、何それ!」

白澤が大げさに驚く。



「鬼灯さまが飲んだ分だけ、きちんとお代を頂けるようにと、鬼灯さまが提案してくださったんですよ。」

「・・・まぁ、支払は当然の義務ですから。」

「なんかすごい常連感あってムカつく!!」

「常連ですので。」

「きーっ!!」

いつものやりとりを、苦笑いでやり過ごす。

シズクは着物の袖を捲り直し、鬼灯の食事を用意し始めた。

厨房に入ってからも、二人の言い合いが聞こえてくる。

かなり激しめの物音も聞こえてきて、店が壊れないか心配してしまう程だ。

「鬼灯さま、お店を壊さないでくださいね」

「解っています、ご心配なく。」

「いてて!コメカミを押すな、コメカミを!!」


白澤にウメボシをくらわせながら、大真面目で答える鬼灯。

なんだかんだで仲がいいと言われても、これなら仕方がないと思うシズクであった。














それからしばらく小突きあい、酒も進んできたころ。

あまり酒に強くない白澤は、カウンターの隅で酔いつぶれて寝てしまった。


シズクが白澤にひざ掛けを掛けてやると、


「いいんですよ、そんなものは放っておいて」

「あら、でもお風邪でも召しましたら大変です」

「本来毛むくじゃらの獣なんですから、大丈夫です」

「うーん、そう言われると。」


困ったように笑うと、鬼灯は少し不機嫌そうに枡を傾けた。もう2升は飲んでいるだろうか。



「鬼灯さま、何かお気に召さないみたい。」

「・・・あなた、分かって言ってますよね?」

小首を傾げて知らぬふりをすると、眉間の皺がさらに深くなった。




妬いているのだ、この鬼は。

シズクは今でこそ白澤に口説かれ続けているが、そのもっと前から鬼灯はこの店にちょくちょく来ていた。

白澤と違ってあけすけに口説いてくるような真似はしないが、その眼に特別な感情が宿っていることくらい、

シズクは気づいている。


「うふふ」

「何笑ってるんですか。」

「いえ、ね」

「・・・口説かれたり、それの世話を焼いたり。あなたは本当に私を焦れさせるのがお上手だ」

「さあ、何のことでしょう?」


厨房の奥へ入って行ったマスターは、しばらく顔を見せない。

鬼灯とシズクが二人になったのを察して、引っ込んだようだ。

鬼灯の背後からにじみ出る、「どっか行けオーラ」が伝わったのだろうか。



くすくすと妖艶に笑うシズクは、どんな着飾った遊女よりも艶っぽいと、鬼灯は思う。

すぐ傍に立っているシズクの長い髪を、ひと房指ですくう。


「私も、あなたには敵いません」

「聞いてらしたのね、」

「地獄耳、ですから」


すくった髪に唇を近付けて、それでも触れない距離を保つ。

さんざん口説いておきながら、合意がなければ絶対に手を出してこないあたり、律儀だとシズクは思う。


「そろそろ攫ってしまおうかと思っているんですが。」

「あら怖い」

「・・・本気ですよ、私は。」

「飲み屋の女なんて、鬼灯さまには釣り合わないわ。」

「釣り合うかどうか、試してみましょう。」


この男の、優しい響きの声がシズクは好きだった。

それでものらりくらりとかわしてしまうのは、シズクなりの気遣いでもあった。

白澤の声とはまた違って、重々しく、包み込むような重低音。

やんわりと押し通す強引な求愛に、シズクはいつも酔っていた。


「また、今度ね」

「・・・また、振られてしまいました。」

「だって」








「その表情、とってもお可愛らしいんですもの。」

「・・・あなた程のSはいませんね、この地獄には。」










ここは衆合地獄にある、小さな酒場。

仕事を終えた獄卒でにぎわう、手狭ながら風情のある店だ。

ここで働いているのは、無口なマスターと、店員のシズク。




この地獄で唯一かもしれない、第一補佐官を手玉に取る女が働いている店だ。












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