11.

「ま・・・た、会ったね」
「・・・おう。」

呼び止められて止まった足が、再び動く気配はない。
まっすぐ私を見る勝己の目が、私を捕らえて離さない。

「・・・え・・・っと、じゃあ、」

無理やりに体を動かそうとすると、腕を取られる。

「・・・ちょっと待て、話あっから。」
「・・・あ、」

真っ赤な瞳が、私を見ている。
言葉も出ないほど、強い意志と雰囲気に呑まれた。

そして、何も言えないまま、勝己が護衛の時間を終えるまで、公園のベンチで待つことになった。



(はあ・・・どうしよう、すぐ戻るって言ったのに・・・・)

治崎さんの心配する姿がちらつく。
もしかしたら、探しに来るかもしれない。
そうしたら、鉢合わせてしまう。

私と、いっしょにいる勝己にも。

(やばい・・・それだけは避けなきゃ)

焦る気持ちだけが先走って、時間は淡々と過ぎていく。
着替えた勝己が現れたころには、私の焦りはピークに達していた。

「待たせた」
「・・・う、うん。」
「・・・何だ、落ち着きねぇな」

うろうろと歩き回っている所を見られて、勝己が訝し気に片眉を上げた。

「え・・・っと、話って、」
「お前・・・今の男、堅気じゃねぇだろ。」
「・・・!」

ばっさりと、要点を押さえた簡潔な言葉。
あまりに唐突で、体がぎし、と軋んで止まる。

「・・・死穢八斎會。ちょっと調べた」
「なん・・・で、」

組の名前まで割れている。
治崎さんは若頭だけど、組自体は小さな組だ。
勝己がどうやって調べたのかはわからないけど、その目はとても冷えていた。

「シズク・・・お前、本気なのかよ。」
「・・・どういう、意味?」
「指定敵団体だぞ。時代遅れのやくざモンだ。」
「・・・」
「極道の嫁にでもなる気かよ。やくざに惚れて、普通の人生捨てるのか?お前の夢は、料理の夢はどうしたんだよ」
「・・・
 やくざ・・・だったら、何・・・?」

勝己の言葉に、だんだんと頭が冷えていくのがわかる。

「勝己に、あのひとたちの何がわかるの・・・?」
「・・・シズク?」
「やくざだから、何?極道だったら、何なの・・・?」
「・・・お前な、俺はお前のこと心配してやっーー」

ぱん!

他人事みたいに聞こえた音は、私が勝己を叩いた音だった。
考えるより早く、手が動いてた。

「・・・なんにも、知らないくせに・・・!!」

怒りが燃え上がって、振りぬいた手がじんじんと痛むのに、気にならない。
勝己は叩かれた格好のまま、動かない。

「・・・ッチ・・・」
「もう、何も聞きたくない。帰るね」

振り向いて歩き出そうとすると、またも腕を掴まれる。

「・・・っ待て!シズク!」
「嫌・・・!離して!!!」

思い切り振り払ったのに、大きな手は離れない。
強い拒絶の気持ちが湧く。
今まで勝己に触れられて、こんな気持ちになったことはない。

「シズク!聞けって!!」
「・・・きらい・・・!嫌い!離して・・・!!」
「シズク・・・!!」

もみ合う私と勝己。
両手を取られて、いよいよ身動きが取れなくなった時だった。







「うちのモンが、何か?」

ぐ、と勝己の腕を引きはがす手が現れた。

「・・・っ」
「ち、さき・・・さん・・・」

白い手袋を嵌めた手。
覗いている腕に、蕁麻疹が浮かぶ。

「ヒーローのする事じゃ、ありませんね。」

にっこりと冷たい笑顔を浮かべた、治崎さんが立っていた。
涙で濡れた目が、その恐ろしい笑顔を映す。


「・・・チッ・・・!」
「さあ、帰ろう。シズク」
「・・・っは、い・・・」

あまりの怒りのオーラに、私まで恐怖が浮かぶ。
怒っている。・・・とても。

「待て!!シズク!!・・・俺は!!」
「・・・っ、」

先に歩き出した治崎さんを追いかけると、勝己の声が追ってくる。

「・・・まだ、用があるんなら・・・」

治崎さんが肩越しに振り返り、静かに呟く。

「俺が、代わりに伺いますよ。ヒーロー。」

どす黒いオーラを纏った視線で、勝己を威圧している。
私ですら直視できないほどの、殺意にも似たまなざし。

「・・・!」

勝己を残し、治崎さんは歩き出す。
腕に出た蕁麻疹が頬にまで広がっている。
私は治崎さんの後を追って、もつれる足でなんとか歩き出した。














「・・・あの、治崎・・・さん・・・?」
「・・・」
「えっと・・・」

少し先を歩く治崎さんが無言なのが怖くて、恐る恐る話しかける。
きっと誤解されている。
屋敷に戻る前に、誤解を解きたいのに。

こちらを向いてもくれないことが、とても悲しい。
嫌われてしまったのかもしれない。
サイン会と偽って、元カレに会いに行った女だと、思われて・・・
そう考えたら、涙がとめどなく溢れた。

「・・・っひ、・・・ぐ」
「!」

嗚咽が届いたのか、治崎さんの目がやっとこっちを向いた。

「ごめ、なさ・・・違う、の、」
「・・・っ、何故、謝るんだ・・・?」

また、フイと目線を外された。
それでも歩みは止めてくれたので、引きつる喉で必死に言葉を紡ぐ。

「あの人に・・・っ会いに、行ったんじゃ・・・なくて、」
「・・・」
「会場に、いて・・・それで、」
「・・・復縁を、迫られたのか。」
「ちがっ・・・!」
「・・・っくそ、もういい。泣かなくていいから・・・」

途切れる言葉で、ぼろぼろと泣きながら話す私を抱きしめてくれた。
治崎さんの匂いで、少しだけ気持ちが落ち着く。

「教えてくれ・・・ゆっくりでいい。ちゃんと、聞くから・・・。」
「っう、う・・・」

道端でわんわん泣く私をなだめて、治崎さんは話を聞いてくれた。
本当に、サイン会に行きたかったこと。
護衛で元カレの勝己に会ったこと。
八斎會のことを知られていたこと。

「・・・シズク、組のこと、代わりに怒ってくれたのか?」
「・・・っだ、って・・・」
「ふ・・・」
「・・・?」
「ありがとう。シズク」

治崎さんのマスクが外れて、ちゅ、と額にキスが落ちて来た。
柔らかく微笑んだ口元が、とても珍しくて。

「・・・俺たちのこと、かばったんだな。」
「・・・治崎、さん・・・私、」
「うん」
「あの人と、ちゃんと話せてなくて・・・治崎さんにも、心配・・・っかけて、」
「・・・うん。」
「ごはん・・・食べたくなく、なっちゃって・・・!」

またこみ上げる感情が、涙になって目から零れる。
吐露していくうちに、自分の中のしこりが明らかになっていった。

「・・っでも、あなたが・・・、たすけて、くれっ・・・」
「・・・シズク、」
「好き、って・・・だから、わたし・・・!」
「あァ。好きだ。好きだから・・・ずっと、」
「あなたと・・・居たいって、思って・・。好きに、なってもいいのかなって・・・」

途切れる言葉でも、治崎さんが理解してくれているのがわかる。

「好き・・・誰よりも、あなたが・・・一番、好きなんです・・・!」
「シズク・・・わかった。わかってる・・・」

優しく背中を撫でてくれる。
優しくて、あたたかくて、ひどく切ない体温。
失いたくない。
伝えなくちゃと思う言葉は山ほどあるのに、
子供みたいな言い方にしかならない。

「信じて・・・もらえ、ますか・・・?」
「当たり前、だろ。」

大きな背中に、腕を回す。
抱ききれないほどの対格差だけど、離さないように。

「帰ろう、シズク」
「・・・はい、・・・!」

しっかりと体を寄せて、屋敷への帰り道を歩き出す。
治崎さんはマスクをしていたけど、醸し出す雰囲気は今までで一番優しかった。























シズクが、俺の気持ちにあんな事を考えていたなんて。

「・・・重荷に、なっていたな。」

ひとりオフィスにしている自室で呟く。
手袋の手を額に当てて、シズクと出会ってからを振り返る。

初めてオヤジが連れて来たシズクは、ひどくおびえていた。
仕方のないことだ。
若い女がいきなり、極道の家の料理番になったんだから。

その怯えた目、オヤジに貼りつきながらも必死に挨拶を述べた姿。
今でも容易に思い出せる。

欲しい、と思った。
シズクの姿を見た時、ほとんど直感だった。
潔癖の俺が、他人にこんなに執着を覚えたことはなかった。
触れたい。
笑ってほしい。
笑わせ、泣かせて、すべて俺のものにしたいと思った。
笑顔も涙も、俺のものにしたいと。

元来我慢のできない性質だし、俺はすぐにシズクを手に入れたいと思った。
だが、如何せんどうやって女を口説いていいのか分からない。

髪に触れたり、首筋に指を当てたり。
そんなことばかりしていたら、シズクには悪戯だと思われるようになった。
セクハラだと。

シズクがそこにいるだけで、所かまわず手が伸びてしまう。
そんな調子だから、勘違いされても仕方ない。

それでも何とか日々距離をつめていこうとする度に、シズクは逃げ回る。
ずっとシズクを見ていればわかるが、ほとんど食事を取っていないことにも気づいた。
ほっそりした体つきが、だんだんと心配になるくらいに、頼りなく、朧げに見えた。

食事を取れとお節介を焼いたことも、
思いを告げたこともーー

清算していないと、シズクはずっと言っていた。
それなのに、俺が思いを押し付けた。
結果追い詰められたシズクの心情を思うと、ため息が零れる。

「俺は・・・自分勝手だな・・・」
「なんだ、今更気付いたんですか。」
「・・・入室するときは、ノックをしろと言ったはずだが。」
「はは、何だか思い詰めてるみたいに見えやしたんで」

飄々と玄野が現れた。
うんざりとまた息を吐いても、子供のころから傍にいるこいつに嫌味や遠回しは通じない。

「・・・玄野」
「へい」

誰でも良かった、といえばそうだった。
独白のようなこの気持ちを、言葉にして整理したかった。

「俺は、シズクを傷つけていたか」

触れようとしたときも。
好きだと言ったときも。

シズクは泣きそうな顔をしていたのに。

押さえの利かないガキみたいな感情は膨れ上がって、
いつもいつも、シズクを傷つけていたのは、俺だったのか。

「・・・どうでしょう。俺はお嬢じゃねぇんで。」
「・・・・・・そう、だな」
「本人に聞いたらどうですか?」
「いや・・・あいつを目の前にすると、歯止めが利かん。」

実際に初めて抱いた時も、間抜けなことをした。
あいつの部屋で、傷ついた心に付け込むような真似をしたんだ。

「俺がどうにか出来ないものは、初めてだ。力ずくでも、頭を使っても、結局シズクがそこにいれば、計画した通りにはいかない・・・
 今日、あいつの元カレと会った。泣いているシズクを見て、殺してやろうかと思ったよ」
「・・・恋愛なんて、そんなもんでやすよ。嫉妬して、けんかして、仲直りしたり」
「・・・そうなのか。」
「まぁ、そうなるでしょうね。だいたい人に触れようなんてアンタが考えること自体が、天変地異みたいなもんだ。」
「玄野・・・俺は困ってるんだぞ。本気で」
「わかってやす。」

からかっているのかと睨んでも、玄野の態度は変わらない。
俺が与えたマスクの下で、今はさぞかし楽しそうな顔をしているんだろう。

また手を顔に当てて、深く息を吐く。

「シズクを求める程、あいつを傷つけていた。
 これじゃあ飯を食えなくした、元カレと同じだ」

ひとりよがりだった。
シズクの気持ちを、体を、弄んだのと同じだ。

「廻・・・どうしたいんですか、これから。」
「決まってる。どうやってでも、離さない。シズクと生きていく。」
「あ、それはブレないんだ」
「当然だ。俺は決めたことを覆さない。もうあいつは俺に応えた。」
「なら、やる事ぁひとつでしょう。」

玄野が扉に視線をやると、そこにはシズクの姿があった。


「・・・シズク、」
「えっと・・・こんばんは。」
「いつから・・・・」
「あー・・・その、玄野さんと一緒に、」

糞。
一番初めからじゃねぇか。

「・・・っじゃ、俺はこのへんで。」
「玄野、お前・・・」

逃げるように退室した玄野。
憎々し気に睨んでも、その姿はもうない。
俺は何度目かわからないため息を漏らした。

「・・・シズク・・・」
「は、はい」

シズクを呼ぶと、恐る恐るといった歩みで近づいてくる。
手招きを軽くすると、従順に距離を詰めて来た。
風呂上りなのだろう。
シャンプーの香りと、上気した肌のいい香りがした。

「・・・俺は、お前に謝りたい。」
「!そんな、治崎さんが謝ることなんてーー」
「いや。お前の気持ちの整理を待たなかった。待てなかったんだ」

すぐそばに来たシズクの腹に、額をそっと付ける。

「悪かった・・・お前は、こんなにも人と向き合っていた。俺とも、あいつとも。
 邪魔をして、攫うようにお前を奪った。弱っているところに、付け込んだ。」

シズクは黙って聞いてくれていた。
心音が聞こえる。

「償わせてくれ・・・これからの俺が、お前を傷つけることはないと誓う」
「・・・ち・・・廻、さ・・・ん」
「好きなんだ・・・どこにも行かないでくれ。」

必死で紡いだ言葉は、シズクの体に染みわたっただろうか。
もうほとんど懇願だった。
優しいシズクの心に、また付け入ろうというのか、俺は。

「・・・シズク・・・」

きゅ、と手が俺を抱きしめた。

「廻さん、顔・・・上げて、ください、」

震える声に顔を上げれば、いつも俺がしている額のキスが落ちて来た。

「言ったでしょう・・・?もう、私はあなたのもの、です」
「・・・だが」
「ずっと、おそばに居ます」
「・・・」

抱きしめてくれる腕も、顔を寄せた体も、相変わらず細く頼りない。
それなのに、懸命に俺を包んでいる。
健気さに泣きたくなった。

「・・・ここにいれば、やくざモンだ。あいつの言っていた、お前の夢は・・・いいのか・・・?」
「・・・私の夢は、食べた人を幸せにする料理人。」

シズクの笑顔が、目の前で咲いた。

「あなたと、ここの人たちを幸せにできたら・・・それが、私の夢です。」
「・・・シズク、」

両手で俺の頬を包む手のひら。
この小さな手に、何度救われたかわからない。
この手が作った飯は、いつだって俺の・・・俺たちを癒した。

「そうか・・・ならもう、叶ってる。俺は、とっくに幸せだ」
「ふふ・・・叶っちゃったから、また次の夢見つけなきゃ。」
「・・・欲張りだな、」
「夢見るくらい、いいでしょう?」
「あァ・・・そうだな、いい奥さん、母親ってのはどうだ・・・?」
「!」

簡単に赤面するシズクがいとおしくて、今度は俺が腕を伸ばす。
他人に触れればすぐに蕁麻疹の出るこの体は、シズクを受け入れてる。

「・・・俺は、お前のものだ。心も、体もな」
「・・・っ、すごい、殺し文句・・・!」
「お前は俺のものなんだから、俺も差し出すさ」
「廻さん・・・」
「キスしてくれ・・・シズク、」

目を閉じると、遠慮がちなキスが降ってきた。








『あなたの料理は、誰の為?』
『先生・・・私の、料理は・・・』


『大好きな人の・・・人たちの、為です。これから先、ずっと。』



FIN