放課後は当番日でもないからきちんと部活に行く。こういうところはちゃんとせえへんと部長としての示しがつかへん。
早めに到着しとった1年生たちはコートの準備をしてくれとる子と、自主的に素振りをしとる子、外周を走っとる子がおって様々や。そんな子たちを集めていつも通り基礎練から始めて行く。基礎練なんか嫌やーとゴンタクレる金ちゃんを謙也が「どっちが早いか勝負や!」なんて言って外周を走りに行かせてくれた。そろそろ練習試合でもして皆の実力を見ていかんと、なんて思いながらオサムちゃんに相談しとった時やった。謙也と金ちゃんが焦ってこちらに駆け寄ってくる。

「白石!大変や!岡田が転んで足が痛おて歩けんて!」
「転んでって…擦りむいただけとは違うん?」
「俺もそう思ってんけど、本人は痛くて立てられへんっちゅーねん」

岡田くん、てのはテニス部の1年生や。練習がキツく感じて部活を辞めたいと思う時期でもある、けど…。
俺は謙也と金ちゃんに案内してもろて岡田くんの元へと急いだ。

岡田くんの所へ到着すると、見て分かる通りに膝をすりむいており、それ以外の外傷は特に見当たらない。
しかし本人はやはり俺を前にしても痛くて立てられへんって言うし、走ってた後の汗なんか痛みの汗なんかもよく分からん。どうしようかと思った時やった。俺の知らんことを知っとる人がおると思い出す。

「岡田くん、おぶったるから乗りや」
「えっ、でも部長…」
「保健室、連れてったる。謙也、この事健ちゃんに伝えといて。俺が戻るまで頼むわ」
「お、おん」
「白石い……岡田、大丈夫なん?」
「大丈夫やで、な、岡田くん!」
「は、はい!」

岡田くんは遠慮がちに俺におぶさり、俺は保健室へと足を進めた。

岡田くんに保健室のノックをしてもらい、中に入る。苗字先生は「また白石か〜」なんて呑気に迎えてくれたが、岡田くんを見て手に持っていたコーヒーカップを置いた。

「先生、彼が部活中に転んだみたいなんやけど、何かおかしいねん。足が痛いみたいで…」
「傷の痛みじゃなくて?」
「転んだ時に何か…膝がグキッてなったんです。それからズキズキして痛くて、骨折れたんちゃうんかって思って…」

岡田くんの答えに苗字先生は一瞬目を開いた。そしていつも処置をする背もたれのない丸椅子やなくて背もたれのあるソファに岡田くんを座らせろって言った。
膝がグキッてのはよう分からんけど、捻挫でもしたんやろか…。
苗字先生は岡田くんの膝を見て、足を掴んで曲げてみたり伸ばしてみたりする。それに対して岡田くんは大袈裟なほど痛がる様子を見せた。

「白石、顧問の先生呼んできて」
「何やいつの間にか呼び捨てになってますよ先生、まあ呼んできます」

名前間違えられへんなっただけええか。そう思って俺はテニスコートに居たはずのオサムちゃんを呼んでくる。かと言って俺も一応部長なのでオサムちゃんと共に保健室に向かって行った。

保健室に到着すると、岡田くんの担任の先生らしき先生も来とって自分が思っとるよりも事は重大なんかもしれんと改めて思った。
苗字先生は岡田くんの膝の傷を避けて湿布を貼っている。そして包帯を取り出し、ぐるぐると器用に巻いていった。俺たち3人はそれを眺めるだけ。
包帯の処置が終わると、苗字先生は真剣な表情で言った。

「脱臼を起こしているかもしれません。すぐに保護者の方に連絡をして病院に連れて行った方がよろしいかと思います。」
「だ、脱臼?」

苗字先生の言葉にオサムちゃんも岡田くん自身もちんぷんかんぷんな表情をしている。脱臼、っていうのは聞いたことはある。

「大まかには関節が外れることを言います。恐らく彼は膝のお皿が外に逃げ出した状態じゃないかと。痛みはそのうち治まりますがまたグキッとなって歩けなくなる症状が続きます。」
「ぱッと見た感じでは擦り傷だけのように見えたけど…」

担任の言葉に苗字先生は頷く。その頷きは、そう見えるのだ、と目が語っていた。
すぐに岡田くんの自宅に連絡する事になり、保護者が来て病院に行くことになった。俺とオサムちゃんは取り敢えず部活に戻ったけど苗字先生は保健室待機、担任は病院に付き添うことになった。部活に戻ると皆が岡田くんの心配をしとったけど、今は病院に行っとる。とだけ伝えた。

部活が終わって俺は保健室に走っていった。岡田くんを心配する気持ちはあったけど岡田くんの怪我の詳しいことの方が気になっていた。
ノックもせずに保健室に入ると、そこには岡田くんの座っていたソファに座り、自らの膝を撫でている苗字先生が居た。

「先生…?」
「彼はもう、テニスは出来ないかもしれないね」
「………え?」
「膝の脱臼ってね、治らないのよ。何回手術しても。その時は治るけどリハビリを進めていくうちにまたズレちゃうの。彼の言っていたグキッとなるのはなくなるけど、カクン、てなるのは変わらない」
「な、治らないって…?手術って何なん、先生…」
「そのまんま。身体に何回メスを入れても、治らないものは治らない。手術っていうのは身体の皮膚を切って中から治療すること」

苗字先生はぼそぼそと呟くような口調のまま、立ち上がった。その顔はよく見えない、夕陽のせいだろうか。

「私も、同じ病気なの」

そう言った先生の声は、何だか切なかった。

「私の時は痛くて立てないと言うのに、担任に何ともなってないからそんなはずないって言われて走らされた。保健の先生に見せても、どうもなってないって。でも数日続く痛みに両親が不審に思って病院に行ったら、この病気が判明したの」

その時の光景が頭に浮かぶ。自分の事でもないのに苦しくなった。

「養護教諭の癖に脱臼も見抜けないのかって思ったよ。正直今でも思ってる。だから、養護教諭になったの。看護師の経験を積んでから、ね」

先生の悔しさも、辛さも、悲しさも全てが俺の中に流れ込んできた。

「だから、彼をおぶって白石が保健室に来てくれて本当に良かった。ありがと。」

お礼を言われると同時に俺は自然に身体が動いていた。そしてその本能が赴くがまま、俺は先生を抱きしめていた。10歳も年上だというのに俺よりも一回りも身体は小さい。こんな小さい身体でそんな怪我と闘ってきたのかと思うと、信じられないくらい自分のことのように辛い気持ちになった。

「ちょっ、白石っ…」
「そないな事があったから、先生は強いんやな」
「白石、離して。こんな所誰かに見られたら」
「俺に頂戴や、その辛さも、悲しさも、悔しさも、半分でええから」
「な、何言って」

俺の腕の中に閉じ込めた先生は引き離そうともがくけれど男の力には敵わないのか、ビクともしない。

「おかしいなあ、最初は知識の深い先生としか思ってへんかったのに…」

夕陽が自分をこうさせたのだろうか。
それとも普段は見られない苗字先生を見てこうなってしまったのだうか。

「先生、好きです。」