あの後、苗字先生は俺を引き離した。そして「年上の女に憧れるのは分かるけど、現状をわきまえなさい」と一喝されてしもうた。 ほんで1人でトボトボ帰りよったら、ランニング中の謙也に会う。無駄に元気で今の俺には正直参った。 「どないやったん白石、岡田は」 「あ、ああ。何か、多分脱臼っちゅー病名やないかって苗字先生が言うてたわ」 「何やのんそれ?」 「お前医者の息子やのに分からんのか」 「ウチの親は内科医やねん!冷たいな!?」 そういえばそうやったか、なんて思いながら岡田くんは病院に行っとること、そしてもしかしたら手術をせなアカンかもしれんことを伝えた。 謙也は「俺らには何ともないように見えたけどなあ」と感心する。 もうええやろ、早く走りに行ってくれ、と思っとったらいつも鈍感な謙也が真っ直ぐに俺を見据えてこう言い放った。 「苗字先生と何かあったん?」 謙也の鋭い指摘に思わず身体が硬直する。アカン、おかしい俺。苗字先生が絡むと謙也にも分かりやすいくらい挙動不審になる。 雰囲気的に謙也は話さない限りここを動きまへん、って顔しとるからここは俺が折れて話すしかないやろ…。そう観念して少しずつ話し出した。意外にも謙也は真面目に聞いてくれて、話していくうちに気持ちが軽くなっていくのが分かった。全てを話し終えると、謙也は首を傾げた。 「落ち込む要素、どこ?」 「はあ!?お前ちゃんと聞いてたんか!?フラれてんねんぞ!?」 「え、どこが?」 キョトンとした謙也を見ると余計にイライラが増してくるどころか俺の方が腑抜けになってしまいそうだ。 かくん、と肩を落とすと同時に謙也が口を開いた。 「現状わきまえろって言われただけでフラレてないやん。」 「……え?」 「さすがに学校で誰が見とるか分からん場所でそんなんされたら、苗字先生も嫌やろ。首が飛ぶかもしれへんのに」 「……あ、」 「苗字先生は教師、お前は生徒やで?俺らももう高校生になるんやし、互いの立場を理解せなアカンのんとちゃう?」 目が覚めた気がした。一番単純で大事なこと、忘れとった。恋愛は突っ走る感情でするもんとは違う。特に大人の苗字先生にとっては当たり前のことや。彼女に合わせてもらうんやなくて、俺が彼女に合わせて大人にならな上手くなんていかへん。 「おおきに謙也!また明日話してみるわ!」 「お、おん、頑張りや!」 希望が満ち溢れて俺は急いで自転車を走らせる。 何も諦めることなんてないねん。もう一回、話さなアカンのや! その日の夜は寝る前のストレッチも気合いを入れてしてしまったせいか、なかなか寝付けへんかった。 今日は保健委員の当番日。急いで保健室に行かなくても放課後にはじっくりと時間がある。焦らず騒がず。俺はその時を待った。 放課後、ゆっくりと保健室に向かって行く。少し俺の心臓はドキドキしていた。ゆっくりと保健室の扉に手をかけて中に入る。当然のこと音が鳴るので苗字先生がこっちを見………とらんかった。いつも通りコーヒー飲んどる。 「あのっ」 「おー、白石。今日はアンタが当番?」 いつもと変わらない先生の対応。そんな大人の対応に俺は少し動揺してしまった。一回深呼吸をして椅子に座る。 「先生、昨日は、すみません」 「ああ、うんうん、いいよ」 何やろこの軽いノリ……やっぱり俺のことはただのガキとしか見てへんってことやろか。そう思った時、先生は続けて口を開いた。 「白石さあ、最近体罰の報道があるの見てる?ニュースで」 「えっ、あ、はい。よく見てますよ。結構問題になってますよね」 「自分よりも世の中分かってなくて、挙句にその教師のせいで自殺するようなもんじゃない?なのにテレビでその教師の名前や顔を見たことある?」 「……いえ、そう言えばないですね」 「生徒たちの証言と教師の証言が食い違うことも多いよね。生徒たちは先生が自殺する勇気なんかねえだろって言ったって証言しても教師はしてないって言う。……どう思う?」 「なんや、こんがらがりますね、こっちとしては。どっちが本当なんやろうって」 俺にカフェオレを淹れ、目の前に置いた。前はコーヒーだったのに、なんて思いながらもそれに手を付ける。そして苗字先生はとんでもないことを口にした。 「どっちが本当だろうが、学校には関係ないんだよ」 飲もうとしたカフェオレは飲まれずに俺の目の前で止まった。苗字先生は続ける。 「体罰しようが、いじめを無視しようが、学校は隠蔽するものなの。教師に非はない、ってね。その教師の未来のために名前もお顔も出さない。自分よりも幼い生徒たちの未来なんて、学校の知ったことじゃないのよ。」 「………!」 「…だから昨日のこともそう。もし、誰かに見られていて学校で問題になった時、私がどう弁解しても責められるのはあなたなの。下手したら高校にも行けない。聖書とか呼ばれるあなたが、世間では教師に色目を使う生徒とか言われて蔑まされる。そうなるのは、嫌なの」 「先生……」 自分の浅はかさを知った。この学校がそういう学校ではないと信じたいけど、実際裏がどうなっとるかなんてガキンチョの俺には分からん。 苗字先生はそこまで考えとったのに。そう思ったら悔しい気持ちが込み上げてきて早く大人になりたいと強く思った。早く大人になって、彼女の考えに追い付きたい。 「白石。卒業まで待っててあげるから。」 にっこりと微笑んだ苗字先生は今までで一番綺麗に見えた。 そうや、もう卒業まで1年もない。その間に俺は進路を決めて、テニス部を全国の頂点に連れて行って……色々せなアカンことがある。そうしている間も、きっと自分が磨かれるやろうし、色んな人の考え方も見えてくるかもしれへん。 俺はカフェオレを全て飲み干した。 「めっちゃええ男になって迎えに行ったるから!」 |