その翌日も苗字さんは俺に変態発言をして来なかった。俺が近寄って挨拶しても何処か余所余所しい。それに巻き込まれたはずの絵里香ちゃんは普通に彼女と話しているというのにだ。

「苗字さん、おはよう。」
「おはよう、幸村くん。」

これで終わりだ。パンツの色なんて聞いてこない。ただ、彼女の本性を知る前の彼女が居て、挨拶を交わせるだけの関係に戻ったようだ。そのせいか、絵里香ちゃんは彼女の度の過ぎた発言を控えるように自ずとしたのだとこれもまた勘違いしているのかもしれない。
苗字さんは静かに席についてあの時のように本を読み始めた。俺に変態発言をしてからは予鈴が鳴るまで俺と話をしていたというのに。何だか物悲しさを感じる。何故だ?俺はこれを望んでいたじゃないか、変態発言なんてしない、高嶺の花のままの彼女が良かったはずなのに。

「苗字さん、先生呼んでるよ。今日の放課後から始まる進路相談について話したいんだって。」
「ありがとう。行ってくるね」

そっと本を閉じる。彼女は学級委員でもあるからこういうことを任されやすい。また何かプリントでも貰ってくるのだろう。そんな彼女の後ろ姿をジッと見つめるが彼女が振り返ってくれることはなく、その姿は教室から消えた。

「幸村、今日は苗字来ないな?」
「ああ、そうだね。」
「何かあった?」
「何も?」

姿の消えた教室の出入り口を見つめながら友人の話に言葉を返す。これでいいんだ。何より俺はこういう関係を望んでいたのだから。以前のようにパンツの色を毎度チェックされるのはごめんだ。
そう思っていたはずなのに心の中の物悲しさが消えない。予想通りプリントを持って戻り、皆にそれを配っていた苗字さんは相変わらず綺麗で立海のマドンナと呼べるのに相応しかった。
彼女の配ったプリントを見れば俺の進路相談は明日。そして苗字さんもだ。俺の前が苗字さん。進路相談は進路指導室で行う。1人が進路相談をしているその間、その日に進路相談を行う他の生徒は教室で待つのがルールになっている。彼女とゆっくり話せるかもしれない。また昨日みたいに声を掛けてくれるかもしれない。

「何でなの。」
「え…?」

翌日、苗字さんは俺に話し掛けて来なかった。挨拶はした。昨日の帰りも、今日の朝も。でもそれは全て俺からだ。彼女からは一切話し掛けてこない。少しずつ苛立ちが募る。俺たち含め、3人の生徒が今日の進路相談なのだけど最初の1人が進路指導室に行っている間は教室は俺たちが2人きり。静かに本を読み、俺に全く話し掛けてくる気配のない苗字さんに俺は思わず席を立ち、彼女の前に立って机に手を付いていた。

「何で話し掛けてこないの?」
「何で……って…。」
「俺、君に何かした?あれだけパンツの色を聞いてきたりチェックしたりしてたのに急に。俺ばかり気にしてバカみたいじゃないか。」

苗字さんは本を読むのを止め、俺を見上げた。その目は何だか悲しそうで俯く。俯くばかりで何も言わない彼女に更に苛立ちが増し、彼女の顎を捉えて俺の方を向けさせた。

「言いたいことがあるなら言ってくれる?このままなのは凄くモヤモヤするよ。」
「……変に、付き纏っちゃったから…」
「何?聞こえない。」
「幸村くん、絵里香のこと好きなんでしょ…?なのに私、幸村くんの気持ち考えずに付き纏っちゃったから…私が居ると絵里香に勘違いされちゃうし、私も私で絵里香に幸村くんのこと好きなんだけどって相談しちゃったから…だからごめんね…。」

ああ、そうだったのか。そっちの意味で勘違いしていたんだ。彼女の話を聞いてやっと俺は納得する。突然彼女が変態行為を止めたのも、声を掛けてこなくなったのも、俺を気遣っての事だった。変態な癖に考えることは好きな人優先か。いいね、思いやりがあって。今回は勘違いをしちゃったけど…。
俺はそっと苗字さんの頭を撫でた。そんな行動に彼女は驚いて目を丸くする。

「勘違いだよ。俺は絵里香ちゃんを恋愛対象として見てない。あの時、話していたのは君が俺に変なことばかり言ってるけど嫌いにならないで欲しいって言われてたんだ。君には聞かれたくなかっただろうしね。」
「幸村くん……」
「だから…いつもみたいに話そうよ。俺は君と友だちで居たい。もっと色んなことを話したいし、知りたいよ。」
「あ、じゃあ私のパンツの色とか…!」
「だから何でそうなるの。」

完全に彼女の勘違いと分かれば彼女は安心したような笑みを浮かべ、早速またポロリと本性が出た。正直パンツの色には興味はあるけどそれを聞くのは何か俺も変態くさくて嫌だ。

「というか、何でパンツなの。他にも趣味とかそんな話もあるでしょ。」
「絵里香に自分をアピールしないといけないよって言われたから…私はこんな人間だよって幸村くんに知ってもらおうと思って…。」

だけどこうやってやり取りをしているのが楽しいと感じている自分が居る。彼女と居ると自然に笑顔になれる俺が居る。
そうしているうちに前の人が苗字さんを呼びに来た。彼女は立ち上がって教室を出ようとする。それをまた俺が呼び止めた。

「苗字さんならこのまま立海大付属高校に余裕で上がれるね。」

教室のドアに手を掛けた彼女が振り返る。それはどこか悲しそうな目をしていた。

「私、高校は氷帝に行くの。」

その言葉を聞いた途端、俺の思考は止まった。