「……お前はそちら側についたのね、鄭妃」
この冷たい声を浴びせられるのは何時ぶりだろうか。
コヤンスカヤ様の狙撃により頭から血を流していようと、彼女の気迫は消えることは無い。
「我が主よ、かくなる上はお覚悟を」
長恭様が彼女の元に詰め寄った。
そこからはあっという間だ。まるで、お芝居を見ているかのようだった。
互いの行く末を見届けるのです!
長恭様のうつくしく気高い声が響く。
目の前の光景が信じられなかった。
妾は、また、長恭様の死に際に間に合わないのだと目の前で、突きつけられているような、ただ一つの希望を目の前でプツリと、へし折られてしまったかのような、期待していたものを目の前で取り上げてしまったかのような、兎に角そういう種類の絶望だった。
「あ、」
いや、どうしてと、叫びたかった。長恭様も虞様も、妾を見なかった。今の妾は彼らにとって敵方のサーヴァントに過ぎず、妾と二人の間には冷たい壁がある。そしてその壁を作ったのは、他ならぬ妾だ。そうすると決めたのも、全て妾だ。
後悔はなかったつもりだった。
でも、今目の前でおこるこれは、妾を絶望させるには、きっと、十分すぎた。
「芥ヒナコ、彼女はまさか……!?」
ダ・ヴィンチ、と呼ばれていた少女が驚いたような声を上げているのが聞こえる。立香様や、マシュ様の表情も凍りついている。他の皆様にとって虞様は虞美人という仙女ではなく、芥ヒナコという人間、という認識だったのだろうか。
いや、いや、そんなことは、どうでも良いことだ。
「……このような結末で……おまえは本当に良かったのか?」
暫くして声を上げたのは、妾の知るあの時から、何一つとして変わらぬ仙女様だった。
「長恭様、」
虞様の腕から離れた長恭様は、もう消えかけだ。霊器を形作るものの殆どを、虞様に捧げきってしまった。あの方はこういう方だ。昔から、忠義者すぎるのだ。忠誠心が深すぎて、真面目で、実直で、そういう方だ。真っ直ぐで、いつも、主の事を第一に考えていて、そして、主の為に死んでしまうのだ。
いけない事だとわかっていたが走り出す足を止めようがなかった。長恭様が死んでいく。消えていく。
その場に寄り添えぬなんて事をもう一度足りとも味わいたくなんて、無い。いいや、いいや、長恭様が死んでしまうなんてこと、もう二度と、目にしたくない。置いていかれたくない。
今はマスターである立香様の安全の確保が最優先だ。それを分かっていながら妾は長恭様の元に、そして虞様のすぐ脇に足をむける。
崩れ掛けのお身体をそっと抱き起こすと、長恭様は懐かしむように、静かに妾を見上げた。
「ああ、雨花。お前をまた置いていく事を、許してくれ」
「長恭、様……」
「……お前は相変わらず、よく泣く」
そっと優しげな目線を、声をかけられる。生前よく見て、聞いた、それと全く変わらぬものだ。いつもなら、きっとここでほっそりとしたお手を伸ばして下さるのに、今の彼には、妾の頬に添える手も無い。
「……主よ、どうか最後にお聞かせ願いたい」
フッと息を呑む。妾の腕の中で長恭様が虞様に問いかける。静かな問いに答える彼女の声もまた、不思議な程に静まり返っていた。妾にはそれが、少しおかしく思えたが、今この場に妾が口を挟む事はきっと許されないのだとなけなしの理性が告げている。
ただ、零れる涙くらいはどうにかして見逃して欲しいと思う。長恭様の白い頬に落ちる妾の涙は、彼にこびり付いた赤い血を溶かして、混ざり合う。
「永久に美しきものが確かにあると、それが滅び朽ちる運命の者たちにとってどれほどの慰めとなるのか、せめて、それをお伝えできる術があったなら……」
眩いほどの光とともに、長恭様が目を閉じ、また、開く。それが生前のあの時、最期の時を思い出させてやまない。
スっと青い瞳が細められた。彼は何も仰ることは無かった。薄く、儚く微笑まれたその時にはもう、長恭様の霊器は一欠片とて、残っていなかったのだ。