潰れた春


「……誰、その子」
太宰治の心底不機嫌そうな声に、森鴎外はその美しい顔に頬笑みを浮かべて見せた。
「可愛いだろう。友人の子供だよ」
森鴎外が抱き上げている小さな子供は不安げに太宰を見つめている。大きな目にうっすらと涙が溜まっていくのが見えて、それが鬱陶しかった。森の幼女趣味は知っていたがそれにしたって太宰を子供にひきあわせる必要なんて無いだろう。
「で、森さんは僕にその子をどうしろって言うのさ」
ため息をつきながら聞くと、森はにっこり笑って言った。
「まぁ、基本は一緒に居てくれればそれで良いよ。この子は最近異能に目覚めたらしいんだが、どんな異能なのかも分からないし制御も出来ないらしい。君にはこの子の異能が暴走しないように見ていてほしいんだ」
抱き上げていた子供をそっと床の上におろすと、森は太宰のもとへ流れるように歩いてくる。子供の方は森に降ろされたことで不安にでもなったのか、ポロポロと涙を流しはじめた。げ、と太宰は顔を顰めた。雰囲気から察するに両親のもとで大切に育てられてきた箱入り娘、なのだろう。子供は大声を上げることこそないものの、嗚咽の声を隠しもせずに泣いていた。
「それで太宰くん。彼女はね……」
泣いている子供に聞こえないよう、囁くような声で森が言うには、子供の異能は実害の出る類のものらしく、子供の世話をするために雇われていた使用人が数人、異能の暴走の影響で姿を消したのだという。それも跡形もなく消えさっており、調べた限り子供の異能で消しさられたとしか思えない状況だった。加えて子供の母親は病死したばかり。妻を失ったばかりの父親は得体の知れない異能を暴走させる子供を抱え込む程の気力は無かったらしい。ようは子供は厄介払いされてきたというわけである。
「はぁ?何それ面倒くさーい」
急に上がった大きな声に、子供の肩がぴくりと揺れた。何故自分がこんな面倒を抱え込まねばならないのか。確かに太宰と居れば異能も効果を成さないし、森は森で、まだまだ森に対する悪感情の抜けきらないマフィアで子供を連れている訳にもいかないのだろうが。
「まぁまぁいいじゃないか。この子の父親は私の旧い友人なんだ。私の為だと思って、ね?」
「そんなの僕には関係ないじゃん」
「まぁまぁ、そこを何とか」
宥めるように笑う森の隣に立つ子供が、嗚咽を飲み込んで初めて口を開いた。
「おにいさま、」
舌足らずな口調は十にも満たないという年相応の稚さを感じさせる。
「ん? なんだい」
子供は相変わらずぽろぽろと涙を流しながら、そうっと太宰の手を掴んだ。もみじのような小さな手のひらから伝わる体温はなんだか酷くあたたかい。他人の体温を知らない訳では無い。手を握られたことが無いわけでもない。しかし太宰の手に縋る、誰かの庇護無しには生きていけない小さな子供に同情心のようなものを覚えたのかもしれない。
「……ま、ちょっとくらいなら見ててあげてもいいよ」
「本当かい? よろしく頼むよ、太宰くん」
こうなることがわかっていた、と言わんばかりと森の笑顔だけがただ鬱陶しい。握られた手を握り返すと、子供は嬉しそうにふんわりと笑った。