※未来捏造
※人魚ヒロイン
きみに出逢ったのは、もうずいぶんと昔のことだ。それなのに、ついこの間の出来事のように感じてしまうのは、ボクがそのメモリーを記録したフォルダを頻繁に開いているからなのだろう。閉じたまぶたの裏側に、太陽を反射して神秘的にかがやく女神の爪をおもわせる鱗だとか、海の色が透けてしまいそうなほどに白い肌だとかを映し出すのは容易かった。今、しっかりと目を開けて見てみても、あのときと同じ場所はもうそこにはないというのに。決め細やかな白い砂浜の面積ははんぶん以下になってしまって、ほとんどがコンクリートで固められてしまっている。あたりには背の高い建物が立ち並ぶようになり、箱庭のような海になってしまった。
「藍、来てくれたんだ」
あれから、もうじき100年になる。つくりもののボクと異類の身のなまえだけが、姿をほとんど変えることなく止まった時間と共にここにいた。
「お墓参りに行ってきたから、そのついで。……今日はハカセの、命日だから」
自分の創世主が年を重ねて、しわを増やして、そうしてだんだんと朽ちてゆく様を見るのは、とても不思議な感覚だった。彼が病院のベッドで見せたひどく弱々しい笑顔を、ボクはきっと忘れない。ハカセだけではない。一緒に仕事をしてきた仲間、先輩、後輩、ライバル。皆、もうこの世には存在しない。あるのは、ボクより後につくられた、悔しいくらいにボクより高性能なソングロボットたちだけ。
「やっぱり寂しい、よね」
「……ボクは機械だよ」
「うん、知ってる。でも藍は心まで制御されてる存在じゃない。……ちがう?」
ボクはなにも言えなかった。ちがうと言ってしまったら、ボクが彼女を愛しいとおもう気持ちも否定することになってしまう。感情だなんて、そんな非科学的なものを科学的なボクに組み込むことは不可能なはずなのに、ボクのなかにはそれによく似たものがうまれていた。それを気づかせてくれたのは、他の誰でもない、なまえだった。
「……不変なものなんて、この世界にはひとつもない。そこに同じようにあるのに、分裂と消滅を繰り返している」
なまえは、水平線に目を細めた。にんげんよりおよそ100倍の時間をかけて年齢を重ねるというなまえ。彼女にもいつか、終わりがくる。それを見定めているように、ボクにはおもわれた。この世界の終わりと、彼女の終わりと、ボクの終わり。
そんな、終わり≠フ時は、予期せず訪れた。
ボクは、無我夢中で走った。こんなにからだを酷使しても、息が切れることも疲労を感じることもなく、ただ意識だけがボクを前へと進めていた。
「なまえっ!!」
しばらくすると海面が波打って、なまえが現れた。いつもだったら、あまり海岸近くにいて人間に見つかりでもしたらどうするのか、と説教をするところだけれど、今日は都合がよかった。
「どうしたの、そんなに慌てて。藍らしくない」
「もうじき、この海は埋め立てられるらしい。ラボのみんなが話してるのを聞いた」
「そう……なの」
なまえは、ひどく悲しげな顔をしてうつむいた。ボクらを分かつ残酷な現実を伝えることしかできない自分に腹が立つ。打開策のひとつでも用意できていれば、彼女にこんな表情をさせずに済んだだろうに。なまえと目が合うようにしゃがんでから、情けなく謝罪のことばを述べると、なまえはしずかに首を横に振った。
「藍が、考えるより先にこうして私の元へ来てくれたってことが、とっても嬉しい。きっとその根本にあるのは、愛だとおもうから」
ボクの頬に、なまえは海の温度を残した手を添えた。その指先でボクの髪の毛を絡めた彼女は「髪、濡れてる」とちいさくつぶやいた。
「月に一度のメンテがあって。耐水チェックが終わってから、ラボを飛び出してきたんだ」
「水、平気なの?」
「多少はね」
そのとき、ボクとなまえが思い浮かべた策はひとつだった。なまえの手がボクの輪郭をなぞって、そうして手を握った。ボクは立ち上がって、靴のかかとに指先を引っかけて落とした。つづいて脱いだ靴下は、まるめてその中へ入れる。揃えたつま先が、打ち寄せる波で濡れた。もうここへ戻ってくることはないから、履き口をこちらに向けておく必要はないのだ。
「……行こうか」
ボクの足がつく水深までは、なまえは頭を水面から出すかたちで泳いでくれた。つま先立ちをやめたボクは目を閉じて、からだを沈める。水を含んだ服は、データ以上の重さでボクを海底へと押しやった。閉じていた目を開ければ海の色が飛び込んできて、ボクは思わず感嘆の声を漏らした。波打つ水面は空の色を映していて、太陽の光に照らされているのがわかる。海底に向かってグラデーションのかかったところを、色も種類も様々な魚たちが泳いでいる。それは、いつかになまえに聞いた世界そのものだった。
「なんだか、不思議な気分。自分の世界でこうして藍といられるなんて思ってもみなかったから。私は普通じゃないから、私が合わせなくちゃって……」
「ボクだって、マトモじゃない。ボクたちははじめから似た者同士だった。自分に無いものを、欲しがっていた。……ほら、今だって」
ボクはなまえの肩を抱き寄せて、口づけた。角度を変えながら、そのかたちを確かめるように何度も唇を重ねれば、その隙間から海水が入り込んでくる。この塩辛い液体は、ボクを内部から壊してしまうかもしれない。それでもいいと思えた。
「ボクはきみの愛を欲していて、きみはボクの愛を欲している。……ちがう?」
なまえは返事の代わりとでもいうように微笑んで、ボクに触れるだけのキスをした。つまるところボクらは、愛に溺れているのだ。
//20150225【魔法様五周年に寄せて】