六つ子は街を歩いていた。色違いのパーカーに、おんなじ顔が六つ。用事なんてなにもない。雁首揃えてクズだなって、笑ってくれて構わない。
俺は兄弟の列からはずれて、ふらふらと歩いてみた。休日なのにも関わらず街はみんな急ぎ足で、のらりくらり時間を持て余している俺を、ひとりふたり、また追い抜いてゆく。
「一松くん?」
俺を呼んだその声に、ひどく驚いた。焦燥と羞恥と、すこしの懐古。俺はゆっくりと顔をあげた。「やっぱり、一松くんだ」無邪気で人懐っこい笑顔や、透き通るように白い肌、やわらかくて華奢なからだ。俺にすべてをおもいださせるには十分すぎるくらいだ。
彼女、みょうじなまえは高校のときのクラスメイトであり、それ以上でもなければそれ以下でもなかった。教室で俺はこいつを目で追い、気づかれないようにしずかにみつめたものだった。たった、それだけ。卒業アルバムにメッセージを書きあえるような間柄でもなかったわけだから、当然連絡先も知らない。卒業と同時にさよならだ。
ここで、俺はあることに気づいてしまって、おもわず息を飲んだ。こいつの左手の薬指には、シルバーのリングがはめられていたのだ。おそらく婚約指輪というやつだろう。太陽の光を受けて誇らしげにかがやいている。俺はその様子から目が離せなかった。
「あ、これ? 私、結婚したの。結婚式、六人にも来てほしいな。式の日取りが決まったら、招待状出すから」
他人のモノとなった彼女の表情は、しあわせそうで、艶やかだ。白くてほっそりとした手も注意してみれば以前よりいろつやがあって、胸もいくらか成長したのではないかという気さえする。一言でいってしまえば、うつくしかったのだ。淡い恋心を打ち砕くはずの要素が、俺をさらに欲情させる。
おもえば、この女は昔からそうだった。目が合えばやわらかな笑みでみつめかえし、事故で手が触れればなにかを誤魔化すように髪を耳にかける。それらの行動には、特別な意味もなければ意図もない。そんなことはわかってる。けど、人好きのするおまえの仕草に、俺も例外なく惹かれていたんだって、誰にでも分け隔てなく平等なおまえのやさしさが、俺には特別だったんだって、そんなこと、おまえはちっとも知らないんだろうね。勘違いもはなはだしい、なんていって、裏で馬鹿にしてるんだろ。俺のこと、友達のいないかわいそうなやつだって、蔑んでるんだろ。ほんと、おまえって、
「最低だよ」
なまえは目をまるくしただけで、なにもいわなかった。俺はこいつのこういうところも気に入らない。俺がどんなに理不尽なことをいったって、絶対に否定しない。ぜんぶ受け入れてしまうんだ。
それにしても、間抜けな顔をしている。そんな顔も可愛いなんておもっちまうんだから、もう末期だ。
「ああそうだ、きのう、猫がいなくなったんだよね。ま、おまえには関係ないか」
俺は早口でそういって、その場を後にしようとする。が、逆方向に引っ張られてしまったのでそれは叶わなかった。犯人はもちろんなまえで、俺の手首をしっかりと捕まえている。銀色の輪っかがひかる、左手で。
「今この瞬間、関係無くなくなった。一緒に探しに行こう」
冬のにおいがする風が、さびしさを運んで吹いている。「こんなに寒いと猫ちゃんもかわいそうだから、早く見つけてあげないと」となまえはお人好しな笑みを浮かべていった。「かわいそうもなにも、そいつはただ俺が餌をやっているだけであって、今も昔も野良猫同然だけど」とはいわないでおく。
路地を覗きこむなまえの後ろ姿はわざとらしいくらいに愛くるしくて、猫じゃらしを振る度に薬指のシルバーがひかるから、俺はちいさく舌打ちをした。猫が見つかってしまえば、なまえとはお別れだ。日常にかえってゆく。こいつと、こいつの旦那がいて、朝食の目玉焼きにはしょうゆをかけるかソースをかけるかでガキみたいないいあいをして微笑みあったりする、そんな日常だ。
――なまえのいない日常があたりまえになってしまうのが、こわい? うぬぼれるな。今まで、一度たりとも俺の日常にこいつがいたことなんてなかっただろうが。俺にあるのは、怠惰が巣食っている日常だけだ。今までも、これからも。失うものなんてなにもないし、そんな資格もない。それなのに、いなくならないで、とこぼれる子供のわがままみたいな懇願の奥にある感情は、紛れもなく恐怖なのだ。どうしてって、それは、俺は、僕は、なまえのことが、
『好きだから』
と割りこんできた第三者の声は、目線よりずっと下のほうからした。ゆうべにいなくなった猫が、ちょこんと俺の足元に座っている。
こいつはすこし前におかしな薬で人の心が読めるようになり、エスパーニャンコだなんだとちやほやされていたやつだが、もうとっくに効果は切れていて、心を読むこともなければ人間のことばをしゃべることもなくなっていた――はずだった。俺はその猫を抱き上げ、目をあわせてみた。猫もじっと俺をみつめかえしている。吸い込まれそうな瞳には、俺の顔がうつるだけだった。
「一松くん! もしかして、その子が探してた猫?」
よかった、となまえはじぶんのことのように喜んだ。ムカつくくらいに綺麗な笑い方だ。花が咲いたような、なんて比喩がよく使われるけれど、こいつが笑うとほんとうに春が来てしまいそうだ。
こいつが笑おうと、俺が泣こうと、春はやってくる。抗うことなんて出来やしない。さよなら、なまえ。絶対に泣いてなんかやらないよ。
//20160314【企画 利き夢】