営業終了に近づいた釣り堀に客はひとりもいなくて、あたしはぼんやりと風で揺らめく水面を見ていた。

「ちーっすなまえさん」

 世間一般で言う夏休みの平日の夕方。こんな時間にここを訪れるのは彼くらいだ。浜野海士。母が浜ちゃん≠ニ親しげに呼ぶくらいの常連客である。部活かなにかやっているのであろう彼は今日も汗だくで、半袖のTシャツを肩まで捲っていた。

「きみも暇だねえ」

 彼は決まって、私と会話ができる距離の場所を陣取る。静かに糸を垂らした竿を持って、上半身をひねってこちらを向いて。そうしてからりと笑った。

「そんなことないっすよー。部活もあるし、宿題もあるし、釣りもしたいし」

 その項目のなかに釣りもあがるのか、とあたしは心の中で苦笑いを浮かべた。だから、それが暇ってことなんだってば。

「ちゅーか、暇してんのはなまえさんもじゃね?」
「……まあね。母さんが夏休みくらい店番代われって言うんだから、しょうがないじゃない。あたしだってコーコーセーなのにね」

 高校生。それをわざと伸ばすような口調で言えば、彼は、オレも2年後はコーコーセーだ、とふざけて真似てみせた。

「ねえ、楽しい?」
「釣りのこと? 楽しいよ。なんで?」

 釣り上げた魚を器用に針から外して、バケツへと放り込んだ彼は、首をかしげた。小さなバケツのふちをなぞるように泳ぐ魚が目に入る。さっきよりも狭いところに入れられて、可哀想に。だなんて、他人事。

「あたし、釣り堀って嫌いなの」
「家業なのに?」
「それ関係ある?」
「ないっすね」

 もう一度竿を振るのかと思ったら、彼はそれを横に置いて椅子ごとあたしの方を向くと、笑った。変なやつ。あたしのことなんか放っておいて、大好きな釣りを楽しめばいいのに。それは毎度毎度思っていたことだったけれど、よりその思いが強くなった。

「釣り堀って、時間をかければ必ず釣れるでしょう?そんな、狭い$「界で戦うのはつまらないって思うの」

 例えるなら、勝利の決まった遊戯のような。遊戯そのものを楽しむのではなくて、勝利の喜びを楽しむような。そんな客ばかりだから、店番をするのは嫌いだった。

「……それ、わかるかも」

 だから、驚いた。毎日釣り堀に通っている彼は、魚を釣り上げることを目的にしているのだとおもっていたから。今になって考えてみれば、あたしと会話をしていたせいで魚に逃げられてしまったこともあったし、一匹も釣れずに帰って行ったこともあった。この少年は釣り≠ニいう行為を楽しんでいるのだなあと、今更ながら気づいた。

「ねーなまえさん。今度、一緒に海行かねっすか?」
「女子高生をナンパなんて、勇気あるねえチューガクセー」
「またそうやってからかう。オレ、本気なんすけどー?」

 海、か。悪くない。悪くないけれど、太陽の下に水着姿をさらして遊ぶわけでもなく、オレンジが沈む時刻になったそこをプロポーズの場所にするわけでもなく、海釣りか。ふたつ、背中をならべて、ゆったり流れる波にからだをまかせる。たしかにその方が前者のふたつよりよほど気楽だ。

「ごめんごめん。いいね、行こうか。いつにする?」
「ちゅーかなまえさんさあ、なんでオレが毎日ここに来てるか、わかってないっしょ?」

 いつもの、少しあどけなさの残る笑顔から一変、彼はひとりの男の顔をしていた。椅子から立ち上がって、ゆっくりとあたしのもとへつま先が向かってくる。座ったままのあたしは、開け放した窓のサッシのすぐそこまで来た彼を見上げることになって、おもった。彼はこんなに大きかったっけ、と。……こんなの、知らない。彼がこんな凛々しい表情をすることも、あたしの左胸でばくばくと大きな音をたてる心臓のことも。


「なまえさんのこと好きだからに決まってんじゃん」

 ……前言撤回。まわりの男女ほどではないけれど、それなりにロマンチックな時間を過ごせるかもしれない。



//20140601【恋の温度を絡めた目と目をあわせて】