一難去ってまた一難。……どころの話ではなかった。朝寝坊から始まり、猛スピードで自転車を漕いでいた私は雨にも襲われて。いつもはひっかからない信号にも足止めを食らわされて、チャイムと同時に教室の扉を開ければ、クラスの人数×ふたつの目がぜんぶ私に向く。先生には「とりあえず絞ってこい」と、わけのわからないことを言われて、追い出された。水気を取れってことなのだろうけれど、あいにくハンカチとかいう女子力の高いものは持ち合わせていない。仮にあったとしても、制服もろともびしょ濡れになってしまって、使い物にならなくなってしまっただろうけれど。
「あんた、運悪いねえ」
友人は、私にタオルと苦笑いを投げてよこした。彼女の言うとおり、本当に今日は厄日だと思う。
「一限ってなんだっけ?」
「数学。授業の最初に小テストって言ってたじゃん」
……数学の教科書、机の上に置きっぱなしじゃん。
昨日、家で勉強したからなんとかなると思いながら挑んだ小テスト。しかし昨日の私は見当違いなところを勉強してしまっていたらしく、それはもう散々だった。小テストは隣の席同士で交換して採点をするから、恥ずかしい点数は取りたくなかったのだけど。
「お前、大丈夫かよ」
ああもう、最悪。採点の終わった解答用紙を差し出す宮地くんは、呆れやら同情やらを詰め込んだ目で私を見る。すきなひとに、そんなふうに思われたくなかったのに。
「同情するなら金をくれ、宮地くん」
「誰がやるか。寝言言うやつには教科書見せねーぞ」
「すみませんでした」
それでも、自分から机を近づけてくれる宮地くんはやさしい。いつもより少しだけ近づいた距離に、嬉しさと緊張とで加速する心臓。そのうるさい音が宮地くんに聞こえちゃったらどうしよう、なんて幸せな悩みに溺れていたのもつかの間、数学兼担任である先生に指名攻めにされたのは言うまでもない。
「はあ? バイトのシフト代われって!?」
放課後の教室で、友人とお喋りをしていれば、それに割り込むように私の携帯が鳴った。最初のうちは無視を決め込んでいたのだけど、いつまでたっても鳴り止まないそれに痺れを切らした友人は、私に出るように促したのだ。バイト仲間からのものだったのだが、蓋を開ければこんな内容。どんなびっくり箱よりタチが悪い。
「え、もう店長に言っちゃったの? なんでそんな勝手なことするわけ!? ちょっと待ってよ私だって忙しいし! それに今日いきなりってそんな……」
ブツン、と電話が切断された音は目の前の友人にも聞こえたようで、「じゃあ今日はお開きか」と、ひとこと。ごめん、と小さく謝れば、ご愁傷様、なんて返されて。どんな表情をしたらいいのかわからなくなる。
「本当にごめんね。続きは明日、話そう!」
手を振ってから、自転車のペダルを踏み込んだ。アスファルトの窪みに溜まった水を切って走れば、もうすっかり乾いた路面にひとすじの線が浮かび上がる。それが途切れる頃には、放課後の教室に取り残されている私の心も、バイトモードに切り替わるだろう。
「338円とレシートのお返しです。ありがとうございました」
上手に笑えているか、自信がない。だいぶ手慣れたレジ打ちの仕事を淡々とこなす合間に、すぐそこまで出かかっているため息を飲み込んだ。
「今日……誕生日なのに」
わたしは慌てて、口元を片手で覆う。幸い、隣のレジで背筋をしゃんとしている後輩くんにも、おにぎりとにらめっこしている客にも、私のつぶやきは聞こえなかったようだ。たしか、バイトが終わるのは7:30だったっけ。時計を見やれば、もう少しで長針が5の数字に被りそうなところだった。
学ラン姿の少年が私のレジに向かってきて、ああもう部活も終わった時刻か、なんて思いながら目線を上げた。口にするのは、お決まりの文句。
「いらっしゃいま、せ」
驚いた。店内のライトのせいで、いつもより一層明るく輝く蜂蜜色の髪の毛、長めのまつげの下からのぞく黒目がちな瞳、そして何より、見慣れた秀徳の学ラン。宮地くんが、レジをはさんだ向こう側にいた。彼の買い物は、一人分サイズのロールケーキとミルクティーという、なんとも可愛らしいもので、思わず笑いそうになってしまったのは、秘密。ぴったりの金額を受け取り、レシートを切って手渡す。少しだけ触れた指先に、きゅうと心臓が苦しくなった。
「…え?」
宮地くんは、たった今会計を済ませたばかりの商品が入った小さなレジ袋を、私に差し出していた。どういうこと。受け取れってこと?でも、どうして。人間は、常に無意識のうちに次のことを予測して動く生き物だ。その予想から外れたことが起きたとき、脳は上手くはたらかなくなる。まさに、今の私はその状態。ただただ頭だけがぐるぐる回って、それでもこたえはでてこない。
「今日、誕生日なんだろ」
「そうだけど……」
「いいから黙って受け取れ」
なんで私が今日誕生日だって知ってるの。そんな疑問なんておかまいなしに、宮地くんは腕を伸ばして私の左手首を捕らえた。なにが起こってるの。頭はますますこんがらがってきて、頬は火照ってきて、左胸では心臓がばっこんばっこん打ちつけていて。私の手にレジ袋の取っ手を握らせた宮地くんは「じゃあな」とひとこと残して、自動ドアを抜けていく。
「レジ、代わるよ。お疲れ様」
素敵な彼氏さんだね、なんて言われてしまい、未だ混乱状態のあたまでは、そんなんじゃないですと返すので精一杯だった。レジ袋を握る左手には、宮地くんの温度が残ったままだ。
「……お礼くらい言わせてよね」
プレゼントのお礼と、負の無限ループにピリオドを打ってくれたお礼。宮地くんの誕生日には、とびきりのサプライズを用意してあげるんだから。
//20140801【となりのしあわせ】今日がお誕生日のあなたへ