麗さんは、少年マンガのヒロインのようなおんなのこでした。
はじめて会ったのは手塚賞の授賞式のときで、日焼けを知らない真っ白な肌に、ほんのり上気した頬、薄桃色のくちびるは緊張できゅっと結ばれていて、ちいさなこどものような愛らしさがありました。でも、瞳は、意志とよぼうか情熱とよぼうか、そんな強固ななにかを宿していたんです。まっすぐ前を、いいえ、もっと先の未来のことまで見透しているようにさえおもいました。
僕は彼女が自分と同い年だということを知っていたので、迷わず彼女に話しかけました。まずははじめましてと挨拶をして、それから同い年のひとがいて嬉しいということ、これから仲良くしてほしいということを、彼女の手をとっていいました。麗さんは目をまるくして僕をみつめて、それからすぐに笑みをこぼしました。明るくて透明な、僕の田舎の夏の空にも似た笑顔でした。彼女の笑顔につられるように僕もまた笑って、手をぶんぶんと上下に振りました。
編集部は、僕と麗さんを天才≠セとうたいました。僕も、彼女を一目見たときからおもっていました。そしてそれは、彼女の作品を読んで確信に変わります。数ヵ月後に、僕と麗さんの手塚賞受賞作がジャンプ本誌に連続掲載されたのですが、彼女のマンガの魅力的な世界観に、奥深いストーリーに、女性らしい繊細なタッチの絵に、どんどん引き込まれたのは僕だけではないはずです。
それからまもなくして、僕は上京が決まりました。麗さんもおなじように上京が決まって、それにマンションの部屋は隣同士で、高校もおなじところに通えるのだと聞いて、とても嬉しかったのを今でも覚えています。毎日一緒に登下校をして、たくさんマンガのはなしをしました。
麗さんの瞳は、いつでも宝石のようにきらきらとかがやいていました。そしてその瞳は、このせかいのきらきら≠いとも簡単に見つけてみせます。時にはつまらないことだらけのせかいをきらきら≠ノしてくれました。そのような点でも、彼女はヒロイン≠セったのです。
麗さんは、いいえ、白羽先生は、僕の好敵手≠ナもありました。手塚賞受賞作が本誌に載ったときには、号は違えど僕も白羽先生も2位、赤マルに読切が載ったときには僕が1位で白羽先生は2位でした。あ、3位が亜城木先生で、福田先生は5位でした。連載はおなじ回の連載会議で決まって、W天才高校生の新連載だと、編集部はてんやわんやだったそうです。お祝いに、と麗さんはケーキを作ってくれました。僕たちの戦いはこれからが本番で、好きな漫画が新章に突入するときのような高揚に満ちていた、そんな矢先のことでした。
夏休みに入るすこし前、いつものようにふたりで下校して、それぞれの部屋に入り連載に向けて原稿をしていたときでした。すっかり日も暮れて、雄二郎さんのいいつけに従って音楽をヘッドホンに切り替えようとした一時の沈黙で、隣の部屋が騒がしいことに気づきました。中井さんも顔をあげましたが、すぐに作業に戻ってしまいました。僕も、彼も、特に気にすることではないだろうと判断したのです。
僕もヘッドホンを耳にあてようとした、次の瞬間、「エイジくん!!」と悲鳴にも似た麗さんの声が耳を貫いて、僕の部屋のドアを叩きました。すぐに玄関まで走っていってドアを開けると、麗さんが崩れ落ちるように僕にしがみつきました。麗さんは涙をぼろぼろとこぼしながら青ざめた表情で震えていて、ほとんどはだけた服を頼りなく引っかけて抱きしめていました。その隙間からは白いうなじや肩、胸元がのぞいていました。「おい、逃げるなよ」といって、麗さんの手首を掴む男がいました。このとき僕は彼を知りませんでしたが、麗さんのアシスタントだったのだということを後で雄二郎さんからききました。それから、彼を麗さんのアシスタントにと吉田さんに紹介したのは雄二郎さんであったから、罪滅ぼしとして麗さんを僕のアシスタントにしたのだということも。話を戻します。僕だって、先に述べたような状況を見て、これから起ころうとしていたことがわからないほど馬鹿ではありません。「麗さんから離れてください」とじぶんのものとはおもえないくらいに低い声が出ました。僕は静かに怒るタイプらしいです。ぐつぐつと内臓が煮えてゆくようなのに、妙に冷静でした。
後のことは吉田さんが対応してくれました。入院した麗さんは食事ものどを通らず、痩せ細ってゆく一方でした。お見舞いにいくといつも点滴をしていて、ほんとうは辛いはずなのに大丈夫だといって笑ってくれました。それから、何度も僕にお礼をいいました。そのたび、僕はやるせなくなります。たまたま僕が音楽を止めていて、たまたま彼女の異変に気づいただけなのに。ありがとうをいわれると、すこし苦しくなりました。
――エイジくんはね、わたしの恩人だから。これでもすこしは平気なんです。あとは、吉田さんも、今のところはいちばんよく話してるし……。でも、なんだかこわくて。おとこのひとが近くにいるだけで、あのときのことおもいだしちゃうんです。上手に呼吸ができなくなって、からだのなかから気分がわるくなって、ぜんぶ吐き出してもよくならないんです。
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「エイジくん!福田さんが、亜城木くんたちと中井さん蒼樹さんを連れてくるみたいです。金未来杯のネームを見せあうとかなんとかで」
麗さんはこちらを振り返って、福田さんからの電話の用件を伝えてくれた。彼女から男性への恐怖がすっかり消えたというわけではないけれど、当時に比べれば、ずっとずっとよくなっている。苦難を笑顔で乗り越えてみせる姿も、やっぱり理想のヒロイン≠セった。
「隣に机とソファーがあったから、そこを使ってもらえばいいですよね。すこしお掃除してこなくっちゃ!」
強くて、可愛らしくて、でも儚くて脆い。花のようなヒロインである前に、ジャンプ界を震撼させる天才高校生である前に、白羽麗はひとりの女子高生だ。編集部も、それから僕でさえも忘れかけていたことをちゃんと理解していたひと。それが、彼女の正義のヒーローだったというわけだ。ぜんぶ、彼のおかげですね。かっこいいです、福田さん。