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    嘴平琴葉の双子の妹といえば、かの嘴平財閥の当主である。

    「お出かけしてくるけど、一緒に行く?」

    今日も妹は仕事が忙しそうで、でも気晴らしくらいなら一緒にできるかなぁと駄目元で誘ってみた。
    そしたら、パッと表情を柔らかくして頷いてくれた。
    買い物をして、茶屋で甘いものでも食べて、話をして家に帰る、それだけでとっても楽しい時間が出来上がる。

    何かを決意した妹が、突然婚約者を見つけてきたと思ったらその婚約者は蒸発、相手の資産を手元に残すことを実現してみせたのは何年前の話だったか。
    妹は小さな会社をうんと大きくして、あっという間に街を作ってようだった。

    妹は凄いなぁ、と琴葉は思う。だって妹のおかげで、じゅうぶんな教育を受けられず働き口のなかった人は手に職を持つことが出来たし、親のいない子どもがそのまま死んでいくことは無くなった。
    お金がなくて医者にかかれない人達が困ることもなくなったし、琴葉の周りの人達は幸せそうになった。

    妹も楽しそうに仕事をしていたし、琴葉も幸せになりたいと考えるようになった。そうして出会った方と結婚の約束をし、腹に子が宿ったので、喜び勇んで相手に伝えた。
    夫はそれはもう喜んでくれて、姑も琴葉を喜んで迎えてくれた、良かったぁ。

    妹に結婚の報告をして、夫と姑と一緒に、幸せに暮らしていくんだと信じていた。
    でも、なんで夫と姑は琴葉の頬を張ったり蹴ったり、言葉で殴ったりするんだろう。琴葉は何か悪いことをしちゃったのかしら?と必死に治そうと頑張った。

    大丈夫、母さん頑張れるわ、とまだ大きくないお腹を撫でて、早くあなたに会いたいわ、と微笑んだ。

    お腹が大きくなり始めた頃、妹がお祝いを持って訪ねて来てくれた。忙しいだろうに、わざわざありがとうねぇと話をして、妹が夫と姑に頭を下げて帰る。
    妹の前では笑顔だった二人が、途端に怖い顔をしていつもの二人に戻ってしまった。

    どうしてこんなに怒られるのか、どうやったら怒られたことを治せるのか、よく考えてみてもやっぱり分からない。

    悩んでいると、また夫と姑に怒られてしまった。
    お腹を庇って、叩かれることに備えると、踏ん張りが甘かったのか障子を突き破ってしまった。
    あぁダメだなぁ、また怒られるなぁと考えながら衝撃に備えて倒れる。倒れながら、視界の端で妹が怒った顔をしているのが見えた。

    あれ、おかしいなあ、妹は帰ったと思ったのに。
    地面に叩きつけられると思っていたのに、琴葉は妹に抱きとめられていた。叩かれたところ以外はどこも痛くなくて、わぁごめんねぇ、ありがとう、と謝ってお礼を言った。


    「姉さん、待たせてごめんなさいね」


    妹が、なんだか泣きそうな顔をして謝るので、琴葉は驚いてしまった。
    妹が夫と姑を相手に、大立ち回りをしているのを見ても、なんとも思わなかった。
    妹と一緒に、歩いて帰った。妹はずっと琴葉の肩を支えて、休憩をこまめに挟んで、汗を拭いてくれていた。

    そこから琴葉の記憶はなんだか曖昧で、また怒られてしまう、どうしよう、と焦ったりすると、どこからともなく妹が来て、散歩をしたり、誰か知らない人とお話する機会を作ってくれたりした。

    ここに琴葉を傷つけるものは何もないよ、と丁寧に教えてくれているみたいで、やっぱり妹は優しい自慢の妹だなぁ、妹のような子に育って欲しいなぁ、とお腹を撫でた。

    お腹が突然痛くなって、声も掠れて、助けを呼ぶこともできなくて座り込んでしまった時がある。
    後から、それは陣痛ですよ、と産婆さんに教えてもらった。
    唸る琴葉の腕をずっと握って、この腕をへし折るつもりで握っていろ、と啖呵を切る妹はかっこよかった。
    母子ともに無事に産まれた、と分かると、妹は涙ながらに喜んでくれた。

    「姉さん、頑張ってくれてありがとう」

    よくやりました、と妹に褒められて、こんなに嬉しいなんて!
    ふにゃふにゃと愚図る息子の顔と、涙でぐしゃぐしゃな妹の顔がびっくりするほどそっくりで、本当に笑ってしまった。



    体も元気になってきて、息子も病気なんてすることなくすくすく育っていた。妹の厚意で、一緒に住まわせてもらっているが、本当によく気をつかってくれて、琴葉は何も不安に思うことは無いのだとようやく分かってきた。
    伊之助と名付けた息子の笑った顔、本当に妹にそっくり。

    幸せってこういうことなのよねぇ、と噛み締めて過ごしていたら、聞いてしまった。琴葉は、聞いてしまった。


    ───────いつまでここにいるつもりなのか。


    誰が言ったのか分からない。
    知らない人の声で、琴葉が妹の傍で安全と安心を享受することを責める声。

    あぁ、もしかしてまた怒られるようなことをしてしまっていたのね。私が気付いていなかっただけで、本当はここにいてはダメだったのね。
    妹は優しいから、言わなかっただけなのね。
    早く出て行かなきゃ、妹の邪魔にならないようにしなくちゃ。

    荷物をまとめて、伊之助を連れて、どこへ行ったらいいのかも分からないけど、とにかく離れなくちゃ、その一心で足を動かした。
    縋る思いで、ボロボロになった体のまま、山の中に現れた荘厳な門を叩いた。

    万世極楽教、という宗教組織だと教えられ、そしてその教えに琴葉はこれだと思った。
    辛いことはしなくていい、苦しいことから逃げていい。琴葉の傷ついた体を手当し、そして行くあてがないのならここにいて良いよ、と言ってくれた教祖様はとっても優しかった。

    琴葉と伊之助を、愛でて過ごしてあげるよ、と。
    安心してお過ごし、と。


    でも、なんだか心がざわめいて落ち着かないことがある。どうしてだろう、教祖様はこんなに優しいのに、ここはこんなに過ごしやすくて、幸せなはずなのに。
    おかしいなぁ、なんでこんなに妹のところに帰りたくなるんだろう。

    おかしいなぁ、おかしいなぁ、なんでだろうなぁ。
    悩んで、考えて、琴葉は妹がところへやはり帰ろう、勝手に出て行ってしまってごめんね、またそばにいてもいい?と頼もう。

    そうと決まれば話は早い。琴葉は、なんだかザワザワする胸を抱えたまま、伊之助を抱いて教祖様の所へ挨拶をしに行くことにした。
    お世話になったお礼をしようと考えて。…でも。
    見てしまった。

    教祖様が、人を喰らう化け物だと、気付いてしまった。
    こんな所にはいられない、伊之助と一緒に逃げなくちゃ。

    焦る心を無理矢理奮い立たせて、伊之助を助けられるのは琴葉だけなんだから、と走り出した。
    裸足で外に出て走った。

    なんだか、前と同じような感覚に陥ったけれど、不思議と恐怖はあまりなかった。
    だってまた、妹が助けてくれるような、そんな気がしていたもの。そうよ、あのこ、私のことが大好きなのよ。私と伊之助のこと、本当に大好きなのよ。
    やだ、わたししっていたのに。どうして忘れちゃってたのかしら。

    裸足のまま、伊之助を抱えて走るのはとっても辛い。
    肺が痛くて、脇腹も痛くて、足だって痛い。追いかけてくる教祖様に捕まったら、伊之助は食べられてしまうと考えたら、心だって痛い。
    でも、それでも、琴葉かわ食べられてしまったとしても。
    この子だけは生き延びて欲しい。


    「ごめんね、伊之助、ごめんねぇ」


    崖の上から、一縷の望みをかけて愛息子を放った。
    さぁ、あとは、鬼の前に立ちはだかる私だけよ。


    「たとえあなたに食べられたとしても、私の子には触れさせない」


    手足は震えて、声は掠れてあんまり大きな音が出せない。だけど、なんだかとっても清々しい心地すらしていた。
    お母さんとして、我が子のために動けた。よかった。


    そうして琴葉は、瞳を閉じた。



    …なのに。体が痛くて目が覚めた。
    あれ、おかしいなぁ。私は食べられたはずなのになぁ。

    見覚えのあるベッドに寝かされて、上等な布団をかけられて、体は丁寧に治療をされていた。
    傍らには、同じように傷だらけになっていたのでしょうね、ボロボロな姿の妹がいる。
    その手は、伊之助を産んだあの日と同じように、かたく、強く、握られていて……。


    目を覚ました琴葉を見て、泣きそうな顔をしてこちらを見る妹は、確かに琴葉の妹だった。

    伊之助だけでも逃がすつもりで崖から放ったこと、自分が囮になるつもりだったこと、そして今までどこにいたのか、何をしていたのか。

    ゆっくりゆっくり、体力の続く限り、琴葉は妹に話して聞かせた。
    妹は余計な相槌も挟まず、急かすこともなく、ただ黙って話を聞いてくれた。そして話を聞き終わると、伊之助を探してくる、と日夜忙しく出かけていった。
    仕事は部下に任せてあるから大丈夫だ、と笑って、帰ってくると休まず琴葉の看病をする。
    毎日毎日、探して、看病して、探して、看病して。

    妹は、絶対に諦めなかった。

    伊之助は生きているから、必ず連れて帰るから、と力強く言い切った。

    そんなに妹が言うのなら、そうなのでしょう。

    鬼にやられた傷の治りが悪くて起き上がれることが出来ないけれど。
    それでも、琴葉だって諦めなかった。
    大丈夫、伊之助は生きてる、私の息子は生きている!

    どれくらいの年月がたっただろう。
    長い月日が過ぎたようにおもう。

    琴葉の体は限界だった。
    肺の中にが入ってきて、咳をしたら変な音がする。
    骨が上手く繋がらなくて、動かすと痛い。
    目を動かすだけで、筋が攣るように痛む。

    でも、もしかしたら、明日、明日は伊之助と会えるかもしれない。

    必死に息をして、痛みをやり過ごして、眠れない夜は妹がずっと隣にいてくれた。
    死ぬことなんて怖くなかった。
    ただ、妹と息子は置いていってしまうことだけが、寂しくて悲しい。


    次は、次こそは、と毎日を頑張って生き延びていると、妹が息子を連れてきた。
    イノシシの被り物を手に持ったまま、不機嫌そうな顔で、妹に抱っこされている男の子。妹と、それから私にそっくりな顔をした、かわいい子。
    嬉しい、やっと会えた、怖い目に遭わせてごめんね、愛してるわ、どうか幸せに生きてね。

    言いたいことは、伝えたいことは山ほどあるのに言葉が出ない。かわりに、涙がほろほろと目尻を伝う。
    妹が息子を抱き上げて、その顔がよく見えるようにしてくれた。
    暴れそうだった息子は、琴葉の姿を見て大人しくなった。

    元気に育ってくれていた、ありがとう、ありがとうねぇ伊之助。
    母さんそれだけで幸せよ。
    ありがとう、伊之助を見つけてくれてありがとう、あなたもどうか幸せになってね、姉さんのかわいい妹なんだから。

    伊之助が、もう動けない琴葉の腕を持ち上げて、その胸元に頭を乗せて深呼吸した。琴葉の着物の袂を掴んで、悲しそうな顔をした。

    泣かないでかわいい子、世界で一番、あなたを愛してるわ。
    あなたのそばに、私が愛した妹がいるから大丈夫よ。
    あなたもきっと愛してくれるわ。

    だからね、泣かないで、ゆっくりおやすみ。
    幸せな夢を見て。


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