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この世にうまれて、蝶よ花よと育てられ、売られて行った先で名前をもらった。
なるほど、蝶よ花よと育てたのは、少しでも高く売るためだったらしい。
だがその名前が問題だった。
私を買った遊郭はオンボロで、気の強そうな女将が喚きながら私を殴る。私が言うことを聞かなかったから。
名前をはじめて呼ばれたとき、私はひとつ計算をした。そのために必要な情報は、頭の中に記憶としてあったから。
私、子どもを産むわ。それも二人。
家族思いの優しいお兄ちゃんに、家族が大好きで甘えたがりな妹。
知っている、ええ、知ってるのよ私。
だって私、【謝花】ですもの。
私の手元にある情報は五つ。
私は子どもを産んだら梅毒にかかって死ぬ。
私の子どもは侍の目を簪で突いて生きたまま焼かれる。
背を袈裟斬りにされる。
私の子どもは鬼になる。
そして鬼殺隊という鬼狩り組織に殺される。
以上のことを踏まえて、私が目指すのはただひとつ。
私が死んだ後、まだ見ぬ我が子達が周囲の何者からも脅かされず幸せに過ごすこと。
そのためなら、この謝花、生きながらにして鬼にだってなってやろう。
まず私がしたことは自分の価値を高めることだった。
こんなオンボロ遊郭で妊娠したなんてバレてみろ。そんなの強制的に堕ろされてまた客に足開くだけだ。
させるものか、させるものかそんなこと。
自分を磨いて、血反吐吐いてもまだ磨いて、芸を磨いて、客が帰った後の肌寒いせんべいみたいな薄っぺらい布団の中で、月明かりを頼りに本を読んだ。
ブッサイクな客にしたくもないおねだりをして、本をたんと持って来させて、商売人や武人、憲兵やならず者達の話を読んだ。
礼儀作法や言葉での駆け引きなんかも学んだ。
男一人一人の好む女になる方法を磨いた。
そうしたら、私はどんどん売れていった。
そうだ、そうやって私を買え、どうせ梅毒で死ぬ女だ。
客をとって店に金をくれてやっていたら、月のものが止まった。あぁようやく、ようやく子を授かった。
孕んだことに気付いた時、与えられた部屋で一人静かにガッツポーズをして喜んだ。
父親はどんなやつかもしらんが、そんなことはどうでもよかった。
孕んだからにはやることがひとつ。
妊娠していることを隠したまま身請けしてもらわなきゃ。私が今いる遊郭よりも格上の女将さんに。
私を買えば金になるんだ、さあ買え、私を買え!
私はこんなオンボロ遊郭で燻ってていいような女じゃないんだ、わかるでしょう一流がわかるあなたなら!
売り文句はこうだ。
強気な上昇志向のある女は、遊郭の女にモテる。
まあその分妬みややっかみなんてものも人一倍だけれど。
こうやって自分の価値をあげて、衛生的にどうなんだ、っていうオンボロ遊郭から私は高級遊郭に買われてった。
腹に子がいることを隠して、暇さえあれば女将さんや旦那さんの手伝いをし、禿や他の遊女の面倒もよく見た。
遊女達や客の口に入る飯なんかも作って、板前さんにも恩を売った。
客同士の諍いも、培ってきた知識や処世術を駆使して取り成したり、女衒のおにいさんが連れてきた子どもの中で見込みがありそうな子を小綺麗にしてから連れてこいと助言をしてやったりもした。
キリキリ働いて、私を買いに来た客には酒に薬を盛って眠らせて、腹の子を守った。
まだなんの膨らみもなく薄くて細かった腹は、もうそろそろ隠し通せないほどになった。
さてここからが母さんの踏ん張りどころだ。
そこで見守っててねえ、愛しい子。
女将さんと旦那さんに、腹を見せた。
堕胎もできないほど膨らんだ腹に、二人とも言葉を失っていたから、ここぞとばかりに畳み掛けた。
子どもは堕胎しないこと、産んだ後の稼ぎで子どもを育てること、客を取れない間は飯炊きでも女衒でも、番台でもなんでもすること。
私を捨てたらこの店にどれほどの損か。
客が取れない間もこの遊郭の利益に貢献すること。
女将さんと旦那さんは最後まで反対していたけど、私がいないとこの遊郭に来ないと言った客の名前を挙げ連ねていくと、唸りながらも了承してくれた。
襖越しに話を聞いていた禿達や遊女、板前さんや客たちという面々に、襖を蹴破られ説得されたのもあるだろうけど。
ありがとう私の可愛い子猫ちゃん達、私の虜になってくれて。私のために、この子の味方になってくれて。
私の魅力に魅せられてくれて。
それからのなんと忙しいこと!
今まで夜型生活だったのを変えた。
朝に起きる、まあ朝といっても遅い類の時間だけど。
朝に起きて、遊郭中の掃除をして、売り上げの計算をして、お得意様宛に手紙を書いて、遊女達や禿の飯を作って、着物の手入れをして、飾り物の確認もする。
でかい腹を抱えて汗水流して働くのは大変だったが、働く私は有能で、汗をかいている遊女の姿なんて普通見られない。
昼間にも関わらず、私の姿を一目見ようと男達はやってきた。そして妊婦の私を予約していく。
ありがとよ変態ども。その金で私は我が子を幸せにしてやるわ。
これがミュージカル映画だったらこのシーンで私歌いながら踊り狂ってただろうね。
汗水垂らして働いて、腹の膨らみに合わせて仕事の内容を調整して、そうして臨月になった。遊女達が客の相手をしている頃、破水して大騒ぎになった。
男どもが役に立たないってんで、ブチ切れた女将さんや遊女達が客の相手もほっぽり出して産婆みたいなことをしてくれた。
本物の産婆が到着する頃にはもう産まれていたし、産まれた息子をとりあげてくれたのは女将さんだった。あんなに反対してたのに、初孫に喜ぶばあさんみたいな顔をしていた。
息子につける名前は決まっていた。
太郎だ。
ありふれた名前だナ、と思ってりゃいいんだ。
太郎、私の可愛い可愛い息子。やっと会えたねえ、母さんずっとおまえに会いたかったんだ。
産後に具合が悪くなる、なんてことはなく。
太郎はすくすく育った。年齢のわりに大きく上背のある男になるだろうよ、という旦那さんの言葉通り、ぷくぷく育った。
太郎のことをよく知らない客に、邪魔だ、と蹴られそうになったりしたけれど。
私に睨まれてすごすごと帰っていったわ。ハハン、性根のなってない男もいるもんだ。
太郎も大きくなってきて、遊女に復帰することにした私は、息子に何度もあることを言い聞かせた。寝物語に、子守唄に、目覚ましの呼び声に。
たとえ正気を失っていても、聞こえる言葉であるように。
思い出さなければいけないのが、私の死因だ。
梅毒。
女郎相手にどう防げというのか、笑ってしまうけれど。
ほんのわずかでも、梅毒にかかるのを遅らせることができたら?
梅毒にかかっても、死ぬまでの期間を伸ばせたら?
その僅かな時間で、我が子に残せるものがあるならば?
そんなもん、足掻くしかねえだろうよ。
そのために私はオンボロ遊郭から高級遊郭への身請けをさせたんだ。遊郭のグレードが上がれば客のグレードも上がる。そしたら、梅毒にかかる可能性も少なくなる。
朝起きて、太郎と一緒に飯を食って、芸事の稽古をして、終わったら太郎と遊んで、一緒に昼寝をして、太郎に飯を食わせてから商売を始める。
夜、布団の中で私を待ち疲れて寝こける息子に、ただいまのキスをして一緒に寝る。
禿の子や遊女達に可愛がられて、愛想のいい、賢い子に育っている。私の芸事稽古を見て、真似をしているのは本当に愛らしい。
試しにやらせてみた三味線や琴なんか、天才だったもの。笛もふけるんだぞこの子。
しかもそうやって母さんの真似をしている時の楽しそうなこと。
この頃から、私は飾りの沢山ついた着物や簪を集め始めた。
高価なものであればあるほど良い。
客にねだって集めたそれを、こっそり売りに出しては金子にかえた。この金子は、私の子が花街を出ることになった時に使えるように準備しておくものだ。いうなれば路銀である。
この金が、路銀の足しになればいいのだが。
この世の大抵のものは金で買えるし解決する。
いらん苦労をしなくてもいい。
太郎が腹にいた時予約していった客を捌いて捌いて、ようやく落ち着いてきた頃、身に覚えのある感覚がした。月のものが止まったのだ。いよっっし!!!
いくら私が売れっ子でも、太郎を産めたのはひとえに堕胎できない時期になるまで隠し通せたからだ。妊娠初期にばれたら今度こそ堕胎させられる。
そんなことさせませんけどね、へへん。
他の遊女や禿には金子を握らせて協力者に仕立て上げ、また上手いこと隠し通した。
着物で誤魔化せなくなった腹の愛しいこと!
弟か妹ができたと知った太郎の喜びようは凄かった。内緒にできると約束してからは、一日中私の腹を撫でて声をかけていた。腹の子も、声が聞こえて嬉しいのかよく動いた。
女将さんと旦那さんを呼び出して、いざこの腹を見よ、と帯を解こうとしたら、凪いだ表情で天を仰いでしまった。このシチュエーションに察してしまったらしい。
できる上司で私は嬉しいよ。
客をとる生活から、太郎を妊娠した時と同じように生活環境を変えた。
いつもより母さんと一緒にいる時間が増えて嬉しいと笑う息子が、もう可愛くて可愛くて仕方なかった。飯炊きを手伝い、掃除も自らすすんでやる始末。
物覚えのいい息子は、何度か教えてやればすぐに覚えた。
仕事をしながら、勉学や口の聞き方、計算の仕方、料理の作り方、相手を自分の思い通りに動かすためにはどうしたらいいか、と色んなことを教えた。
私が学んできたことを、すべて授ける思いであった。
どうかどうか、幸せであってくれよ、と願うことしかできなかった。
臨月になっていよいよ産まれた妹に、太郎はもう大興奮だった。
母さんと俺が好きな花の名前を妹につけたいというから、娘の名前は梅になった。
赤にも白にも、どんな花であろうとお前の方が可愛いが、強いていうなら梅だろうと自信満々に言う息子の可愛いこと。
首のすわった梅を抱えて持ち上げて、私が見逃した梅の可愛いセレクションを教えてくれる。そのシチュエーションを私は知っている。
息子よ、妹をプライドロックの王にするつもりか?
母さんの紅で額に印をつけたら完璧だろう。ハクナ・マタタの精神でいけ。
可愛い我が子を育てつつ、仕事に精を出す日々。
太郎は暇さえあれば稽古に混ざったり、客が忘れていったもので遊んだりしている。
梅はまだまだ甘えたで、私が帰ってくると着物の合わせ目に顔を突っ込んでくる。斬新な甘え方だと私は思う。深呼吸してくるからちょっと暑いんだがね。
仕事の合間をぬって、文字通り私は帯に刺繍をした。手紙を書いた。
長い長い文章を、渾身の一筆を御照覧あれと、刻みつけて我が子に託した。帯は梅に、手紙は太郎に。
梅はまだ幼いかと思うけど、そろそろ二人に大事な話をしておこうと、仕事を休んで二人を呼びつけた。夜、しかも普段は仕事をしている時間帯だと知っているので、我が子の表情は少し硬かった。
私が、普段どんな上客が来ようとも袖を通さぬ着物を着ているのもあるだろう。
絢爛豪華な着物を身につけて、豪奢な簪を挿し、ピリッと強気な紅をひいて、うっすらと白粉をはたいた母は美しかろう。
私はこの時、遊女として最高の位である、花魁となっていたから。
しかもこの花街、吉原一の花魁こそ、この謝花であった。
母さんはそう遠くないうちに死ぬこと、母さんが死んだ後太郎と梅が危険な目にあうかもしれないこと。
鬼になってしまうかもしれないこと。
人を食らって、鬼狩りに殺されてしまうかもしれないこと。
朧げに話すなんてことはしなかった。緻密に、綿密に、細部に至るまで、この日のためにと用意した口上で話して聞かせた。
母さんのしたことで、何か変化が起きるかもしれないけれど、けれど、けれども。愛しいお前たちに生きていてほしいこと。
目尻から涙が顔を出そうとしたが、許さなかった。
話を聞き終えた我が子は、しばらく呆然としたのちに、歯を食いしばって睨むように私を見た。
梅が顔を上げて、ならばその情報を逆手にとって生き残ると言った。アタシはバカなふりをして、母さんの心配を無くすと。
太郎が強い眼差しで、俺が必ず守り抜くと誓った。
私が思っていたよりもずっと、我が子はたくましく成長していた。
その日の夜は、三人で抱き合って眠った。スンスンと泣く息子と娘に、酷なことを強いる親で寂しい思いをさせてしまう、と私まで寂しくなった。
それからの我が子の様子は、鬼気迫る勢いであった。自分の腕を磨いて、技術を身につけて、頭にキレを持たせるように、知識を吸収しては血肉にしていく。
私に頭を下げて、指南してくれる客を紹介してくれと頼んできた。
体を鍛えることも始めたらしい。
太郎は仕事もはじめて、妓夫太郎を名乗るようになった。
この世の不条理が母さんを殺してしまうんだ、といわんばかりの形相だった。
時間稼ぎが幸をなしたのか、私が梅毒にかかった時には、もう梅は十歳になっていた。
梅毒の症状が出た私は、自分から遊郭を出て下町の長屋みたいなところに身を寄せた。決して訪ねてくるなと言い含めても、太郎と梅は毎日やってきた。
徐々に弱っていく私の世話を甲斐甲斐しくやくもんで、何度抱きしめてやりたいと思ったか。
愛してるよ、愛しているよ、私の息子と娘。
百年経っても愛しているよ、今でも愛おしいよ、離れていても愛しいよ。
どうか幸せに、お前たちの行く末が幸多からんことを願っているよ。
たとえどんな困難が待ち受けていようとも、お前たちが負けるわけがないんだ、胸を張って生きていけ。
やられたらやり返せ、ただし反撃を許すな、徹底的にやれ。
でも時々、ちゃんと自分の心に正直でいるか確認しておくれ。逃げたっていいんだ。
なんにだってなれるんだよお前たちは。好きなもの食って、好きなべべ着て、好きな人と一緒になって、いっぱい遊んでいっぱい寝ろ。
美味しいもんいっぱい食え。
それでもう満足した、もう何も悔いることはないってなったら、母さんの所においで。
母さん、お土産話を待ってるからね。
泣き顔も可愛いんだから、仕方のない子たちだねえ。