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    キバ湖の瞳でうまれ育ち、成体となった時分に出会ったのが後の私の主人となるトレーナーでございました。古い言葉でパーピュアと呼ばれていた色の髪が、群がって咲く花の色をした髪が、私の瞳にずっと居ます。
    年若い少年が、私の前に立ち、仲間になって欲しいのだと闘志を燃やしておりました。どうやってここまで来たのでしょうか。
    私、成体になってまだ間もないとはいえ、腕に自信はありました。過ぎたる自信ではございません。
    勝負をしかけてきた少年を見事返り討ちにしてみせたのです。ここは私の縄張り、私の同族が暮らす小さな孤島。周囲を水に囲まれたこの場所は、幼い同族達や怪我をしている同族達を外敵から守るのに適していたのです。
    返り討ちにした少年は、次の日もやって参りました。草むらや樹木の裏に隠れる同族達へ、不用意に近寄らない、話しかけない、等といった気遣いを見せる姿もありました。手土産だと言って、沢山の木の実を優しく地面に置いておりました。
    賄賂です。私、存じ上げております。この少年が私を懐柔しようとしていることにはすぐに気が付きました。

    「俺のパートナーになってほしい」
    『帰りなさい、ここは貴方にはまだ早いのだから』

    頼み込んできた少年を追い払い、ため息をこぼす。あの少年は何をそんなに私に拘るのでしょう。たかが一匹のキバゴではありませんか。幼体から成体へ成長することはできたけれど、まだまだ進化までの道のりは遠く、ドラゴンの扱いにくさをまだ知らないのでしょう。
    人間に語りかけても、その言葉が理解されることはありません。言語が違うのですから。肩を落として帰る少年を見送るのは胸元が落ち着かないので嫌いです。無事に家まで帰ることができるのでしょうか。
    知り合いの皆様にお願いして、お暇な方に様子を見ていただくことにしました。
    これなら私が心配することはもうありません。

    来る日も来る日も、あの少年は私に挑んできました。
    生身で、子どもの柔らかい体でひたむきに私にぶつかってくるのです。キバゴの体長は少年よりも小さいですが、人間とポケモンでは畑が違います。
    毎度毎度、幼体の同族達にやるようにコロンと転がしています。悔しそうに俯く少年は、対抗策を考えているだけで何も諦めていません。
    私、あの少年が大事に大事に用意した、私を捕獲するためのボールを知っています。一生懸命お手伝いをして、お小遣いを貯めてようやく買ったのだそうです。黒地に、黄色の線がなでらかに沿うているボールです。ハイパーボールというのだ、と少年が教えて下さいました。

    「キミと一緒に旅がしたいんだ」

    なんという口説き文句でしょう。まるでプロポーズのように、小さな体で精一杯跪いて、私にハイパーボールを差しだす少年。
    実は私、ココ最近同族達へ別れを告げておりました。そろそろ私旅をして参りますね、と。

    『貴方様の熱意、しかと承りました』

    私の小さな手が、ハイパーボールの開閉スイッチを押したのを、少年は信じられないような顔で見ておりました。嫌ですね、貴方が差し出したものでしょうに。
    それから、大喜びの大興奮、というはっちゃけ方をした私のトレーナーと私は、このガラル地方を隅から隅まで旅をしました。
    旅の中で出会った方と私のトレーナーは連れ添い、愛を育み、番となられました。その頃から、私はトレーナーのことを旦那様、そして番の方を奥様とお呼びするようになりました。旦那様と奥様には伝わっておりませんけども。
    奥様のお腹には子が宿り、旦那様も幸せそうでございました。うまれてきた若様はそれはもうやんちゃな方で、奥様も旦那様も常に寝不足気味でございましたね。私の表皮は硬く、鋭く、若様に触れることははばかられました。あのようにやわく、よわい生き物に触れても傷つけない自信がなかったのです。
    その頃にはもうとっくにオノノクスへと進化していましたので、余計に。だというのに、奥様も旦那様も豪胆が過ぎるといいますか…。

    おくるみで包んだ若様を、慌てふためく私の腕にのせるものですから、本当にどうしたものかと思ったのです。タイプ一致弱点技を受けた時よりも遥かに辛く、我慢ならんほどの恐怖と多幸感でした。
    この時私が腕に抱いた若様のお名前を、奥様と旦那様はダンデと名付けました。良い名前です。若様を奥様が抱き、奥様ごと抱き抱える旦那様が声を上げて笑うのが好きでした。

    若様はスクスクと、くさタイプの成長のように大きくなっていきました。その間私は、奥様のパートナーポケモンであるチョロネコさんや、若様から見れば祖父、祖母にあたるお方と共に穏やかな日々を過ごしておりました。
    農場でウールーさんの誘導をする旦那様を手伝い、刈り入れ時には自慢の牙を使って刈り尽くしてやりましたとも。快活に笑う男でした。
    私の額に、自分の額を当てて、小さな声で幸せそうにくふくふ笑う男でした。

    奥様のお腹に、二人目の子が宿り、安定期を過ぎた頃。旦那様は、お仕事でワイルドエリアを超えた都市に買い付けに行かれました。
    私は安定期になって幾分気分が良いからと散歩をする奥様に付き添い、奥様のお腹を気にしながら歩く若様を微笑ましく眺めておりました。ついには若様は奥様の手を取り、親子仲良く散歩していたのです。
    奥様が私に、いい天気ね、とゆったりとした声音で仰られたの聞いていました。

    家に帰り、手洗いうがいをして、さてソファに座ってテレビでも見る?と話をしている奥様と若様に、私も混ぜていただこうとしたのです。
    座った奥様と若様、ゆるく円をかいて伏せる私。
    それらを確認した祖父様と祖母様が、重く、冷たく、影のある表情で言ったのは、旦那様の訃報でした。買い付けを終え、ワイルドエリア上空をタクシーで帰ろうとしていた所を、事故に巻き込まれて。
    タクシードライバーとアーマーガアも重症であること、外へ放り出された旦那様が落ちた先はキバ湖の瞳であったこと。
    すぐに派遣されたスタッフによって、その場で死亡が確認されたこと。

    「うそよ」

    私、人間の言葉を話せるようになったのかと瞠目しました。
    私が零したドラゴンの呟きと、奥様の呟きは全く同じ意味をもっていました。イマイチ状況をよくわかっていない若様が、私の尾に触れて不安そうな顔をしています。

    呆然と涙を流す奥様に、若様が驚いて飛びつきました。どうして母さん泣いてるんだ?と私に聞く若様は、まだほんの小さな子どもの姿をしておりましたから。奥様と旦那様が私の隙をついて、おくるみに包んだ若様を寄越してきた時。
    あの日感じた、我慢ならんほどの辛さと恐怖が私の身を刺しました。

    遺体を確認するお役目を、私駄々を捏ねて一番に頂戴致しました。高い上空から、地面に叩きつけられたわけではなかったようです。
    水中に落ち、首の骨が折れたことによる損傷が死因だそうです。驚いている間に死んだから、そう痛みを感じる暇もなかったでしょうとスタッフの方が説明していました。
    そうなのですか?本当に、痛くはありませんでしたか?
    私、ポケモンの身なれど、痛みがどれほど辛いのか少し知っています。本当に、タクシーから振り落とされて驚いている間に、何もかも分からないまま死んだのですか?

    水面に叩きつけられたことで、その衝撃は旦那様の意識を瞬時に刈り取り、命を奪ったのですか?

    旦那様の顔にかけられた布を払い、旦那様の額だった場所に私の額を当てる。さあ、また、あの日のように、くふくふと笑ってください。ダメですか。
    旦那様。私のパートナー。

    旦那様が痛みに苦しむことなく死んだのなら、私、上々だと思うことにいたします。

    死に向き合うことは非ではない。なくてはならない時間でございます。
    奥様は特に顕著でございました。妊娠中の不安な気持ちに、夫の訃報、まだ幼い長男。夜な夜な静かに泣こうとする奥様を、私許しませんでした。
    どうしてそんな冷たい寝床で泣こうとするのですか。どうして暗いキッチンで泣こうとするのです。私、奥様に泣いて拒絶されても、ものを投げられて拒絶されても、断固としておそばにいることだけは譲りませんでした。私と、奥様のパートナーポケモンであるチョロネコさん。この二匹はずっと、奥様を柔らかい布でくるみ、暖かい飲み物を飲ませ、悪夢にうなされないようにと共に眠りました。
    若様がそれにまざり、祖父様と祖母様もまざり、リビングに沢山の布を敷いて、身を寄せあって眠りました。私の体は硬く鋭い表皮をしているので、触ると冷たいだろう、寄りかかるには不向きだろうと場所を変えれば、皆様に泣いて止められました。
    チョロネコさんを抱える奥様の手を握り、空いた手で私の尾を掴んで離さない若様は、気丈に振舞っておられました。

    「オノノクス、私達のそばにいて」

    誰が言ったのか分かりませんが、私にそう懇願された方がいるのは確かです。旦那様が愛し、愛された方々の住まうこの地で、私が守護を決意したのはこのときです。
    以前より、旦那様と奥様が番となった時より思っていたことではありましたが。より一層、決意したのです。
    旦那様の死を受け入れ、若様にも説明し、拙いながらも理解した頃にはもう、奥様のお腹は臨月でございました。あぁ懐かしや、若様がお生まれになる頃も、こうでした。

    お生まれになった若君に、奥様はホップという名前をつけられました。若様と、祖父様と祖母様、家族皆で考えたお名前です。
    ベッドで上体を起こし、若君を私に差しだす奥様に、私は瞳を細めて愛を囁きました。私の愛はここにありました。男手が減ったことで、農場の仕事は増えました。しかし奥様は産後、そして若様、若君はまだ幼く拙い。そうなると祖父様と祖母様へ負担が増えました。そこで出番なのが私です。
    私、旦那様のお手伝いを毎日しておりましたから、お仕事を覚えるのは早かったように思います。ウールー達を誘導し、野生ポケモンに襲われないように警戒し、麦や野菜などの収穫時期には自慢の牙で、腕で、お役目を果たしました。お役目を終え、家に帰ると若様が私の手を引いて、汚れた体を拭いてくれるのです。若君はまだふにゃふにゃとした柔らかさでございましたが、奥様や祖父母様がお食事をしている間は私の腕の中が特等席でございました。私、若様も若君も、可愛くて仕方がなかったのです。

    「オノノクスも疲れているでしょう、いいのよ、そんなに気を遣わなくても」
    『奥様、私が好きでやっていることですので』
    「オノノクスは、ホップのこと大好きだもんな!」
    「あらダンデ、あなたが小ちゃい時も、オノノクスはこうだったわよ」
    『その通りです、奥様。若様のことも、大好きですよ』
    「えっ!俺が赤ちゃんの時も、オノノクス抱っこしてくれてたのか!」
    「今も抱っこされてるわよ」
    「いつ!!?」
    「ダンデが自分の部屋に行く前に寝ちゃった時、ベッドに運んでくれてるのはオノノクスよ」
    『ウフフ、起きていても抱き上げてよろしいのならば、いつでも抱っこしたいのですが』

    お食事を終えた若様が、食器をシンクまで運ぶのを見守るのが好きです。きちんと両手を添えて、落とさないようにとしっかり地面を踏みしめて歩く姿がたまらなく愛おしいのです。

    「オノノクス、オノノクス」

    若君を抱き、あやしている私のそばにやってきた若様が、その瞳にキュウと力を込めて私を見上げました。何か緊張しているようです。

    「俺も、抱っこしてくれ!」

    元気いっぱいに、緊張と期待を混ぜたお顔で、断られると微塵も思っていないお顔です。もちろんですとも、若様。私、若君と若様を同時に抱っこすることだって出来ましてよ。長く太く、逞しい尻尾が私には生えておりますからね。
    尻尾も使い、腕も使って若君と若様を抱き上げて、牙がお二人を傷つけないように細心の注意を払います。

    「俺も、父さんとオノノクスみたいな、パートナーを大事にする生き物になりたい」
    『チャンピオンになるのが、ずっと夢でございますものね』
    「俺のパートナーになってくれるポケモンは、どんなポケモンなんだろう!」
    『きっと、私に負けないくらい、若様のことが大好きになるでしょうね』

    私の腕の中で、ご機嫌な若様につられたのか、若君も嬉しそうな声を上げて喜んでいました。若君のぷくぷくしたほっぺを、指先で撫でた若様がまた嬉しそうに笑いました。

    若様の幼馴染に、ソニアというお名前のお嬢様がいます。マグノリア女史のお孫さんで、明朗快活なかんばせをしている方です。若様とお嬢様は大変仲の良い幼馴染で、お互いの家を行き来したり、沢山の話をしたり、そして何よりたっぷりと遊ぶ仲でございました。
    私、お役目に赴く前に、お二人の待ち合わせ場所に若様をお送りするのが日課でした。
    夕方、空が私の瞳の色に近付いてきた頃にお役目を終え、お二人を迎えに行くのが日課でした。
    遊び疲れててぽてぽ歩くお二人の手を引いて、時には抱き抱えて、ブラッシータウンまで歩いていくのです。マグノリア女史にお嬢様をそろそろとゆっくり抱え渡し、私は若様を抱え直して帰路につくのです。
    ここは良いところです。
    気候も穏やかで、住んでいる人もポケモンも穏やかな人柄が多く、和やかな空気は子どもがのびのび過ごせる環境でした。

    若君が、その両の足で たっち ができるようになった頃。

    若様が、パートナーポケモンを貰えることになりました。マグノリア女史が、旅に出たいのならとツテを使って準備してくださったというのです。
    その知らせを聞いた若様は、本当に嬉しくて嬉しくて仕方のないといった様相でした。あんまりにも興奮していたもので、一日中私の尻尾にじゃれついて、とうとう奥様に首根っこを掴まれてベッドに放り投げられておりました。

    そうして、若様が連れ帰ってきたパートナーポケモンは、若様の足にしがみついて、必死に体を隠そうとしていました。
    小さな体、木漏れ日のような温度、それらは私の姿を見て怯えているようでした。おくびょうな性格の彼は、ヒトカゲといいました。私に怯えるヒトカゲに、大丈夫だと声をかける若様を、奥様達は目元を蕩かせて眺めていました。

    『ごきげんよう、小さな御方』

    私が顔を近付けて挨拶をすると、ぴるぴる震えていたヒトカゲがちらりとこちらを見ました。それに柔らかく微笑んで、怯えるのも当然だと納得しました。私、大きな体に鋭い目付き、そして獰猛そうな見目をしておりましたから。
    この鋭利な姿が、私の魅力の一つでありましたが。
    ヒトカゲが少しでも怖がらなくて済むように、私、あまり彼のそばには近寄らないことにしました。そうです、旦那様と同じように、適度な距離を保つことにしたのです。
    それから、若様は旅の準備だと日々を忙しく過ごされることになりました。ポケモンバトルの練習、テントの組み立て方、回復道具の使い方、木の実の効果、困った時には誰を頼ればいいのか、また緊急時の連絡先。これら全てを、奥様や私、何より家族揃って教え、授けました。
    念願叶って、旅に出る許可が出た若様とヒトカゲは、出発する前日まで、楽しみで楽しみで仕方のない気分だったのでしょう。疲れが出て寝こけてしまった若様とヒトカゲを、私、何度ベッドまで運んだことか。
    おくびょうで怖がりな彼が、何度も寝たフリをして、私を引き留めようと必死だったことを知っています。私よりもとんと小さく、柔らかな爪の生えた手が、私の腕を掴もうとしていたことを知っています。
    私の硬い鱗に囲まれた体は掴もうとしてもツルツルと滑るため、にぎにぎ、さわさわと落ち着かなかったのです。
    ですから私、彼らが眠るまで、ベッドに腰掛けて、この尻尾でゆるく子守歌の音頭をとることがよくありました。
    私にとって、彼らもまた、私の愛でした。

    出発する間際、真剣な表情をした若様とヒトカゲに、ポケモンバトルを挑まれました。私の瞳を射抜いた闘志に、私嬉しくなって快諾致しました。
    私とタッグを組んだ奥様の姿を、バトルコートの遠いところで若様とヒトカゲが見ていました。若様の指示で攻撃を仕掛けてくるヒトカゲをかわし、いなし、そして奥様の指示の元、容赦なく叩きのめしました。
    悔しそうに俯く少年とパートナーポケモンは、諦めなど知らないのでしょう。いつか、強くなったらまたバトルをしようと旅立つ彼らを見送りました。

    若様が旅を始めて数日たった頃、奥様の元に一本の電話がとびこんで参りました。若様が、事件に巻き込まれたことについてのものでした。
    幸い若様やお仲間に怪我はなく、むしろ事件解決の功労者であるというお褒めの言葉と、まだ年若い少年のこれからを案じるお電話でした。この電話を受けた奥様は、ご家族皆で相談し、そして私に頭を下げて頼みました。

    「ダンデを守ってあげてほしい」

    若君もハイハイを覚え、そろそろ歩くこともはじめるだろうという時期でした。こちらのことは気にしなくていい、オノノクスさえ良ければ、と頼む奥様に、私ニコッと笑って頷きました。
    私、元より皆様を守護すると決めている身でございましたから。何の不満もありません。
    そうして、久しぶりに自分のボールに入りました。旦那様が、お小遣いを貯めて準備した私だけのボールです。細かい傷が至る所についていて、古めかしさを感じるボールでした。
    この傷が、私と旦那様がしてきた冒険の勲章でした。

    送られてきた私を、驚いた顔で見る若様に少々気まづい気持ちになります。リベンジを誓った相手と、こんなに直ぐに再会するとは思ってなかったのでしょう。
    あのおくびょうで怖がりな彼は、リザードに進化していました。
    いつ、どんな時に、こんなふうに進化したのだと教えてくれた彼は嬉しそうでした。進化した姿を私に見せることが出来てよかったと、安心していました。
    若様はよく事件に巻き込まれました。自分から突っ込んでいるといっても過言ではありません。悪質な組織に乗り込んでは、パートナーと共にバトルをしては腕を上げていきました。
    私は、いざという時の切り札のようなものです。若様やリザードによっぽどの事がなければ、ボールの中で大人しくしておりました。レベルの差がありますから。

    リザードがリザードンに進化し、全てのジムバッジを集めた若様は、ファイナルトーナメントに出場することとなりました。チャンピオンであるマスタード師匠の元で修行し、研鑽を積み重ねた若様があの舞台に挑むことを、私何より嬉しく思います。
    実は私、若様のジムチャレンジでは一度もバトルをしていないのです。ですから、このジムチャレンジは正真正銘、若様とそのお仲間の実力によるものでした。私を除く五匹のポケモンで挑み、そして勝ち進んできたのです。
    今回も、そうです。私はファイナルトーナメントに出場することはありません。私のトレーナーは、旦那様の死後奥様として登録されています。
    ですので私は若様のポケモンではないのです。旅の序盤から、おそばに控えていることはありましたが。
    真実、私のトレーナーは旦那様なのです。

    マスタード師匠に挑む若様を、私ボールの中で応援しておりました。
    豪華な客席です。

    チャンピオンとなった若様が、リザードンと抱き合ってお互いの健闘を讃えているのを見ていました。

    若様がチャンピオンになり、私のお役目はおしまいかと思っていたのです。若様のおそばには、頼もしい仲間がいましたから。
    しかし、これはどういったことでしょう。
    あの、旅立ちの日のように。
    ハロンタウンの、我が家のバトルコートに私立っておりました。バトルコートの向こう側には、若様とリザードンが戦闘意欲を高めて、燃やして、私を倒すと立っていました。

    「俺の仲間になってほしい!」

    瞳を爛々とさせて、私を倒そうと、叩きのめそうとする姿は、旅立ちの日を思い起こさせました。
    口元から零れる炎の温度は、木漏れ日を焚いたのでしょう。
    けれど、そう容易く倒れてやる訳にはいきません。いくらチャンピオンになったからといって、私とリザードンでの一体一では私に軍配が上がります。それは単純に、私の方が年嵩で、経験が多かったからです。しかし彼らにはセンスと、信頼と、実現させるための勢いがありました。
    一度、二度は退けました。
    彼らは諦めませんでした。
    三度目、とうとう膝をついた私を、若様とリザードン、コートの外で奥様と観戦していた若君が驚いて見つめていました。
    あぁ、若様も若君も、私が膝をついたところを見た事がありませんでしたから。

    勝ったというのに、若様とリザードンは悩んでいるようでした。

    「オノノクスが望まないなら、俺の仲間にならなくてもいいや。だってキミ、父さんの相棒だし…」

    何を仰っているのでしょう。
    この私が、旦那様のパートナーの座と、若様の仲間という地位を両立出来ないとでも思っているのでしょうか。
    ここまできて何を言っているのか、思わず呆れてしまいました。本当に?本当にいいのか?と何度も確認する若様に頷いて、私は若様のポケモンになったのです。
    奥様から私のボールを受け取り、共にトレーナー登録の更新を済ませた若様は、いの一番に私のボールに額を寄せて祈りました。
    これが十年ほど前のことです。

    若様は、この十年でライバルを得て、出会いを知り、人間を垣間見ました。私も、良きライバルに恵まれました。粘液を駆使して、魅惑的に戦う彼女とは、お互い紅一点ということもあってよく盛り上がったのです。
    若様は、若君が旅立ち、心配と、期待とがまぜこぜになった様子でした。

    古城のような場所で対峙した、災厄と呼ばれる存在を相手に私は倒れました。若様の元に残るのは、リザードンだけでした。あのおくびょうな彼を一匹で立たせることになるとは、歯がゆい思いでありました。
    朦朧とする意識の中、災厄が、何か、禍々しいものを放とうとしているのが見えました。ほんの一瞬、リザードンに視線を投げた若様に、私凍てつく体を無理矢理動かしたのです。
    子ども達を守ろうと、背を向けて立ち塞がったリザードンがどんな顔をしていたのか。本当なら、相棒を守りたい一心でしたでしょう。
    でもその役目、今だけ私に貸してくださいね。
    私は、若様を守ろうとボールの外に出ました。踏ん張りが効かなくて、私ごと吹き飛ばされた若様を抱え込んで、そうして意識を失いました。
    若様も、打ち所が良くなかったのか、気を失っているご様子でした。

    次に目が覚めた時、私すぐに違和感に気が付きました。重心が傾いていましたから、すぐに。
    私の自慢の牙が、無くなっていました。
    右の、鋭く、ツヤめいていた私の牙が、もぎとられた様な形で無くなっていました。若様とリザードン、そしてジョーイさんからの説明では、災厄に吹き飛ばされた時点でひび割れていたそうです。そこを毒が侵食し、切除するしかなかったのだと。
    私、鏡の前に立って、自分の姿をウットリ眺めました。顔色の悪い若様とリザードンを放ったらかしにして、ずうっと眺めておりました。色んな角度から自分の姿を見て、ウフフと品良く笑ったのです。
    若様もリザードンも、私がショックを受けると思っているのでしょう。自分を不甲斐なく思っているのでしょう。

    イイじゃない、片斧のオノノクスだなんて!

    なんて魅力的なんでしょう、私。旦那様のパートナーとして誇る姿でございましょ。若様の仲間だと誇る私、胸がワクワクしちまいます。
    どんな風に技を繰り出しましょうか、どんな風にファイナルトーナメントでチャレンジャーを叩きのめしましょうか。
    吹き飛ばされた若様も、検査のために入院しておられましたから、その時間を使って私自分に磨きをかけることにいたしました。
    検査の合間の時間に若様も集まっては、身の振り方に試行錯誤を重ねたのです。

    そうやって、三日後に開催されたファイナルトーナメントで勝ち上がってきたチャレンジャー。
    ボールから放たれ、バトルコートに着地した私の姿に観客がざわめくのが分かりました。このざわめきが欲しかったのです。
    鍛え上げられたポケモン達が繰り出され、そして容赦なく私を追い詰めます。けれど私、二体は確実に仕留め、三体目に深手を負わせてから退場することとなりました。スタジアムは熱気に包まれ、良い塩梅で仕上がっております。
    この熱気ならば、あのおくびょうなヒトカゲも過ごしやすいでしょう。

    惜しくも、そして十年守り抜いた王座から退くことになった若様が、楽しかったと満面の笑みです。
    ボールの中から、その光景を見ておりました。

    チャンピオンではなくなった若様は、やりたいことを見つけたようでした。私も、忙しなく働く若様のおそばでバトルをし、中々充実した日々でした。
    ここで思い出していただきたいのが、私は元々旦那様のポケモンであったということです。若様がバトルタワーオーナーとなり、何年かたった頃でした。

    私の体は、徐々に動かなくなってきたのです。寿命です、若様。

    若様は私をハロンタウンの家に送り出しました。あの穏やかな空気の中で過ごしたいかと尋ねられ、私が是としたからです。
    今では、ハロンタウンからブラッシータウンの研究所まで毎日出かける若君のお供が私のお役目でした。まだ、歩くこと、野生ポケモン相手に立回ることは出来ましたので。
    若君にも頼もしい仲間はいましたので、ほとんど私の散歩に付き合っていただいているようなものでした。
    そうして数年を過ごしますと、若君が博士となられました。白衣を纏って、家族の前でお披露目をする若君が、どれほどの努力をしてきたのか。私はほんの少ししか知りませんが、誇らしい気持ちになったのも事実です。

    若様も若君も、大人になられました。
    奥様も、祖父様も祖母様も、穏やかに過ごしておられます。

    私の守護は、もう必要ありません。
    必要なくなったのです。これは喜ばしいことです。

    ですので、私お暇することにしたのです。
    奥様に預けられたハイパーボールを、大事に大事に受け取って、大事に大事に抱え込んで、ワイルドエリアに向かって歩き始めました。
    奥様の額に、私は額を寄せて、旦那様がして下さったように、親愛を込めてご挨拶としたのです。冷たい寝床で流すもの、暗いキッチンでこぼすものとはちがうもので私の牙は濡れましたが、奥様は私を見送って下さいました。さようなら、私の大切なお方。麗しいお方。
    旦那様の愛。
    私の愛。
    貴方様を、旦那様も私も、いっとう愛しておりました。

    私が目指したのは、もうお分かりでしょう?
    キバ湖の瞳に到着してすぐ、私は縄張りの主にご挨拶申し上げました。
    害をなす目的ではないこと、かつて主人と出会い、主人を亡くしたこの地で眠ることを許してほしいこと。
    幸い、私がまだ群れにいた頃の知己がおりましたので、話はさほど難しくありませんでした。

    木の根元に体を横たわらせても、野生ポケモン達はみんな私を放っておいて下さいました。
    地面と顔が近くなったことで、草の匂いがよく届きます。木々のさざめき、水の跳ねる音。完璧です、完璧すぎる死に場所です。
    私が儚くなったら、その後の体はキバ湖に落として欲しいと頼んであります。この大きな体を動かすのは大変でしょうが、どうかよろしくと知己に頼んだのです。水中に棲む野生ポケモンの糧となるも良し、水中で緩やかに崩れていくも良し。

    意識がぼんやりとしてまいりました。
    私、このキバ湖の瞳で生まれ、育ち、出会い、別れ、死ぬのです。決めていたのです。

    老いて死ぬ私もまた、美しいのですから。








    タクシーから放り出されたと気付いたと同時に、ドライバーとアーマーガアもまた墜落していくのが見える。焼け焦げたような匂いがしたような気がするから、雷が直撃したのかもしれない。
    そのせいで自分の耳は音を拾わないのかもしれない。
    眼球はかろうじて溶けなかったのか、でも何か損傷はあるような感覚がする。あまりハッキリとは見えない。
    でも、体に強い風が当たっているのはわかる。
    落下しているな、と理解した。
    困るな、と思った。
    まだ二人目の子どもの顔を見ていない。ダンデと約束していたポケモンバトルができていない。
    オノノクスに、帰ってきたら明日の相談をしようと話していたのに。
    妻に、全ての愛を伝えていない。

    落下していく中、自分が落ちるであろう場所が何となく見える。

    キバ湖の瞳、その水面だった。

    地面よりはマシかな。水面に叩きつけられても、その表面は地面と同様に硬くなるというけど。
    よかった。彼女の生まれ育った場所を、不用意に混乱に陥れることは避けられそうだ。
    よかった。

    愛するパートナー。自慢の相棒よ。
    楽しかったよ、ありがとう。









    一緒に暮らすようになった時、誰よりも味方をしてくれたのは夫のパートナーだった。自分のパートナーのチョロネコは、気まぐれな所も多かったから。
    オノノクスは最初、自分の見た目で威圧してしまわないようにと、体を小さくさせようと必死だったように思う。
    それが役に立つのだ、魅力なのだと伝えれば、ニコッと笑ったものだから、本当に可愛いポケモンだった。
    妊娠中、夫とふたり揃ってアレこれと世話を焼こうとする姿はそっくりだったのだ。
    夫が亡くなって、お腹に二人目がいることもあって不安定な状態だったのに、チョロネコと一緒にずっとそばにいてくれた。
    オノノクスは、夫と額をあわせて何かを小声で言い合うことがよくあった。
    それはパートナー同士の合図のようなもので、彼女がそうする姿を見ることは、もう叶わないと思っていた。息子の手持ちポケモンになった後も、息子が彼女のボールに額を寄せることはあっても、それ以外は決してなかったから。

    歳をとり、ハロンタウンで過ごす彼女がボールを渡してほしいと伝えてきたので、渡したのです。

    彼女が、ソッと額を差し出してきたから、もう何も手につかないような、たまらないような気持ちになった。
    彼女の牙に、零した涙が落ちていきます。
    もう会えないのだと分かったからです。
    これは別れの挨拶なのだと、気付いてしまった。

    大事に抱え込んだハイパーボールが、ここに戻ってくることはありません。
    自分以外出払っているこのタイミングで、オノノクスは主人の番だけに挨拶を済ませました。

    彼女の愛し方は、夫とよく似ていました。







    古い記憶の中で、父とオノノクスが旅をしていた頃の話を楽しみにしていたものがある。
    ハイパーボールについた傷を、これは旅に出て一番はじめに着いた街での傷、これは、と話す父の膝の上でのことだ。守るように、父の周りに伏したオノノクスはかっこよかった。
    ダンデは幼いながらも、父とオノノクスのような関係に憧れていた。いいなぁ、それが俺も欲しいなぁ、と思っていたのだ。

    ムゲンダイナからの攻撃に、リザードンには子どもたちを!と頼んだことを後悔はしない。
    けれど、瀕死の状態から無理矢理ボールの外に躍り出たオノノクスと一緒に吹き飛ばされて意識を失った時、強く抱きしめられたと思ったんだ。それはいつかの日に、抱っこをせがんだダンデを軽々と抱き上げてくれた腕や尾だった。
    オノノクスやオノンド達の牙は、折れてしまうと二度と元に戻ることは無い。だから丁寧に研ぎ、そして自慢にするのだと分かっていた。もがれた牙を前に、鏡で自分の姿を見るオノノクスに、なんと声をかけたら。
    悩んでいたら、何を思ったのかオノノクスは楽しそうに鳴いて自分の姿をクルクル回転しながら見ていた。

    彼女は欠片もショックを受けてなんかいなかった。

    ファイナルトーナメントで、チャレンジャーのポケモンを二体沈め、三体目に深手を負わせた彼女の姿は美しかった。
    手に入れたいとは思わない類の美しさだった。

    母から、オノノクスは眠りに行ったと連絡を貰った時、ついに来てしまったと項垂れた。
    仕事を切り上げ、リザードンと共に実家に飛べば皆既に集まっていた。母さんも、ホップも、祖父も祖母も、変わらずそこにいた。

    リビングで机を囲み、それぞれの手に上等なグラスを持って酒を注いだ。ホップも酒の飲める年齢になっている事だし、心置きなく飲めるというものだ。
    母さんが、グラスを掲げて乾杯の音頭をとる。

    「我が家のもう一人の母に!」
    「「「「乾杯!」」」」

    声は高らかで、ボロボロの声だった。
    全員、酒を呷って声を上げて泣き出した。
    ここは明るく、暖かく、そばに誰かのいる場所だから。
    ここでなら、彼女も泣くのを許してくれるだろうから。









    はじめて会った時、大きくて、目付きも鋭くて、絶対に怖いポケモンだと思った。
    だけど、鼻先に近付いて挨拶をしてくれた彼女はとっても品の良い印象で、そしてすぐに優しいポケモンだとわかった。
    ヒトカゲは、オノノクスに甘えるのが好きだった。
    相棒のダンデと一緒に甘やかされるのなんてすごく好き。オノノクスの尻尾にのせられて、ゆらゆらと寝かしつけられることが本当に幸せだった。
    はじめてバトルをして、その実力の差にダンデと一緒に負けてられない、絶対勝つ!と意気込んだのは旅立ちの日のこと。
    リザードに進化しても、リザードンに進化しても、彼女はずっと甘やかしてくれた。だから牙を片方無くしても、陽気な彼女が嬉しくて、もっと頑張りたくなってしまった。

    ダンデと、その家族の皆が彼女のことをもう一人の母と呼んで乾杯している。泣きながら、何かを飲んで、また泣いている。
    彼女がしてくれた挨拶に、ごきげんよう、と返すことがそつなくできるような奴になりたかった。今からでも遅くはないから、いつか、できるようになったら、聞いて欲しいなとリザードンは思う。








    ホップは父親の感触を知らないが、人一倍オノノクスに甘やかされている自覚があった。オノノクスは家族にはめっぽう甘く、その最たる例がホップだった。
    ソニアの研究所までの道を、ホップの隣を歩くオノノクスを見上げて聞いてみたことがある。

    「オノノクス、無理しなくていいんだぞ。オノノクスのやりたい事を、好きなだけしたらいいんだ」
    『はい。ですから、そのように。』
    「ウーン、伝わってるよな、これ?」

    しっとりとした声で応えるように鳴いたオノノクスは、もう老齢だった。ソニアの研究所へ到着すると、出迎えのソニアにハグをされて、ハロンタウンに戻っていく。

    「ソニアも、オノノクスのこと大好きだよな!」
    「そりゃ、長い付き合いだし。小さい頃はよく私とダンデくんを抱っこして、送り届けてくれてたのよ」
    「なら兄貴もソニアも、俺もオノノクスのこと大好きだな!」
    「当然。フフ、オノノクスが、楽しく過ごせていたのならいいんだけど」

    そう言って、帰路につくオノノクスの背中を一緒に眺める。
    ホップが生まれてくる前から、父も母も、兄も祖父母も、チョロネコも、オノノクスも、ずっとそばにいた。でもやがて彼女はいなくなる。ホップも、彼女が心配しなくてもいいように、大人になりたかった。
    だけどなりたくない気持ちもあった。

    「励めよ、少年〜」

    ホップの背を押すのは、ソニアだけではないと知っていた。

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