繁忙期真っ只中のとある日。数えるだけ無駄な日数をこなしたあとの休みは、たいてい貴重な睡眠時間の確保に充てるようになってしまい、今日という日も例に漏れずだった。換気のために窓を開けて、やりたいことやらなにやらを考えている間に床に腰を落ち着けてしまえば最後。そこから動くことは容易くない。
昨日の夜にはここに居るはずだったものの、呪霊の発生で駆り出されて以来、なかなか帰れず結局こんな時間の帰宅。忙しくなればなるほど、この業界の人手不足を実感する。まさに疲労困憊だ。
ただいま時刻はちょうど十三時をすぎたころだったけれど、昼食を摂る元気もなく、座り込んだ体勢からうなだれるように床にたおれた。窓から流れ込む風はさわやかで降り注ぐ太陽の光はなんともあたたかい。
「あとで、でいっか…」
何をしたかったかも思い出せないくらい、意識が遠くなっていく。わたしはカーテンのはためく音を子守り歌代わりにして、いつの間にか微睡みに溶けてしまった。

はっ、と瞼を持ち上げるとわたしは床に倒れ込んでいて、そのまま眠ってしまっていたのだと気がつく。半分ひっくり返った視界には、見慣れた景色が広がっていた。
……でも、どこかアウトラインがぼやけていて、すこしだけ違和感もある。
働きすぎたせいだろうか。部屋も同じはずなのに懐かしいようなそうでもないような、色々なことがあやふやで脳みそが上手く回っていないのが自分でもわかる。いつのまにか落ちかけている太陽の濃い光と、ゆるやかに動く白いカーテンだけが鮮明にみえた。
石が巻き付けられているかと思うくらい身体が重かったけれど、どのくらい眠っていたのだろうか、と時計を確認しようと首を動かした。
そのとき――わたしは漸くこの空間に自分以外の人間がいることに気づいたのだ。
「………んだよ、起きてんのか」
そう言うと、声の主は硬い皮膚でわたしの頬を撫で付けた。わたしはその瞬間に知る。これは夢だと。むしろ、これが夢でなければなにであるのか。
もともと、ふらりと現れては消えていくような人だったけど、十年前のある日からパタリと来なくなった。そのときは、また自由気ままに帰ってくるだろう、なんて気楽に考えていたけど。そのまま年月が過ぎていき、わたしは随分と疲れた大人に変わった。
……思い返せば忘れるように仕事に没頭したのも、未練がましくこの部屋から出ていかないのも、またここにアノ人が帰ってくるんじゃないかって淡い期待を抱いているからだ。なんて、馬鹿な女だろうか。
お互いに後腐れない曖昧模糊な関係だったはずなのに、わたしだけは……そうじゃなかったみたい。
「は、おもしれぇ顔」
橙色の陽光に照らされて眩しそうに細められた目も、意地悪く弛めた口元も、そのどれもが機能しない脳みそにぼんやりと刻まれていく。今更なんでここにいるのだろう、本物なのだろうか、だとかそんな考えはすぐに頭から消えて。いまはただ私に触れたその手に触れたい。たったそれだけの感情に支配されていた。
「甚爾」
陽炎のように揺らめくその影へ手を伸ばすも、空を握った拳は虚しく地面へ落ちていく。次第にホワイトアウトしていった世界で最後に見えたのは、ほくそ笑んだあなたの顔だった。