暑さに苦しんだ夏が過ぎて、涼しさを感じる秋の日の夕暮れ。つい3日前にスケジュールが白紙になった私は、数ヶ月ぶりのデートへ誘った。
 場所は高専から比較的近い国営公園。前から二人でのんびり散歩がしたいと話していた場所だ。

 日程も時間もピンポイントだし、急なことだから断られること前提だったが、回答に時間はかからず予定はすぐに決まった。どうやら彼女を慕う生徒たちが「自分たちでご飯を作って勝手に食べるから気にせず行って欲しい」と背中を押してくれたからだそうだ。彼女がいかに好かれているかが知れて誇らしいと同時に、ありがたいとも思う。

 きっと他人に幸せを見守られるという感覚も、彼女とだから味わうことが出来たのだろう。
 
 淡く滲む水色の空に、眼前に広がる背の高い銀杏並木。大きく開けた遊歩道の奥から、目を細めるほど眩しいオレンジ色の陽光が差し込んで、私たちの影は後ろに大きく伸びていた。
 黒い影を見る度に自分の中に身を潜めた禍々しい感情に支配された日々を思い出すけれど、自分のものと交わる彼女の影を眺めているとそんな過去もまるで前世の記憶だったかのように遠く感じる。それだけいまが今世で一番幸せなのだ。

 私は彼女の右手から伝わる温もりを噛み締めると、この時間がいつまでも続けばいい……だなんて物思いに耽った。
 
「……夏油先輩って手を繋ぐの好きですよね」
 
 並んで隣を歩く彼女はまっすぐと前を向いたまま私にだけ聞こえる声で呟き、わずか数秒、逸らされていた意識が一瞬で引き戻される。確かに耳には届いていたが、念のためもう一度聞き返す。
 
「いま、なんて……? 」
「先輩って手を繋ぐの好きですよね、って言いましたけど…」
 
 真上から見下ろすだけではどんな顔をしているかは分からないけれど、揶揄うように微笑んでいるのだろうと声でわかる。正直なほどに、つないでいる方の手のひらにじんわりと熱が篭る。
 
「そんなに手繋ぎを強請っていたかな、確かに君と手を繋ぐのは好きだよ」
 
 年甲斐もなく恥ずかしさを感じて誤魔化すように本心を伝えるも、彼女は空いている方の手で口元を隠して笑った。
 
「そうでしたか……ふふふ」
 
 またしても揶揄うように息を吐く彼女。こちらとしては気持ち自体は真実を告げたつもりだが、本気にしてはくれないらしい。照れ隠しは出来たけれど、肝心なところが伝わっていないのなら意味が無い。
 彼女が冗談だなんて思えないくらい、いま以上に包み隠さず愛を注いだら信じてくれるだろうか。そうしていつか、考えも生き方も君に左右されている、ということにも気付いてくれたら良いのだけれど。
 
「冗談だと思っているだろうけど、大真面目だからね」 
「……わかっていますよ、ちゃんと」
 
 言葉の代わりにきゅっと力を入れ、自分よりも小さな手のひらをしっかりと握り直し、地面いっぱいに広がる黄色い絨毯をひとつふたつと踏みしめた。
 
 足元から揃っていないふたつ分の軽く心地良い音が鳴る。サク、サク、サク、サク。まるで沈黙のあいだを埋めるようなそれを楽しみながら、銀杏のアーチを眺めれば平和という言葉の意味を噛み締める。なんて穏やかなんだろうか。言葉がなくともこの空間が手の温もりが心地いい。
 
 「傑さん」
 「ん? 」
 「…わたしも好きです、傑さんと手を繋ぐの」

 驚くほど早かっただろう。ピタッと急停止するように立ち止まり、肩下にある彼女の頭目掛けて視線を落とすと、透き通るビー玉のような双眸が私を捉えた。
 
「わ、びっくりした」
  
 ふにゃりと柔らかく口角をあげて笑う。吃驚したのは明らかに私の方だが、その気を抜いた顔がなんとも可愛いらしくてなにも考えられなくなってしまった。足の力が抜けてへにゃへにゃと膝を折る。
 
「だ、大丈夫ですか!? 」

 彼女は急に立ち止まり、重力に従ってしゃがんだ私を心配そうに見つめる。のぞき込まれた大きな瞳と視線を通わせると、ひときわ大きなため息が出た。
 
 やっぱり、どうしようもなく君のことが好きだ。
 陽光に照らされて透きとおる髪も、長く伸びたまつ毛の影も、しゃらりと揺れる耳飾りも。彼女を形づくっているものから身につけているものまで、そのひとつひとつが輝いて見えるくらいに、心の底から愛おしい。
 
「……ほんっとに、心臓に悪い」
「それはわたしの台詞ですよ!急にしゃがむから心配したじゃないですか! 」
 
 困ったように眉を下げながらも口を尖らせて怒る彼女も可愛い。悟から言わせればこれは“病気”らしいが、その病がこの先治ることはないし言うまでもなく治す気もない。この病に罹っているからこそ私でいられる。そう、信じている。
 
「ねぇ、名前」
「はい? 」
「私も、君と好きなことが一緒で幸せだよ」
 
 大きく目を見開いて頬を綻ばせた彼女は、ハッと我に返ったような顔をしてすぐさま私の手を引く。
 
「――分かりましたから、早く立ってください」
「ちなみに、ほっぺにキスも好きなんだけどな」

握ったままの手を解いて、手の甲を親指でなぞる。ツーと滑らせて強請るように見上げれば熟れた林檎のように頬を染めた。

「……外ではしません」
「じゃあ、帰ったら楽しみにしてる」
「もう!調子に乗らないでください!」
 
 キッ!と目を細めて早歩きで遊歩道を進んでいく彼女に大股でついて行く。やっぱり永遠にこの時間が続けばいいのになあ、と切に願うよ。


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