獅子に牡丹


 それからも、彼との "寝る" だけの関係は続いていった。しかし、時を経ていくにつれ、"寝る" だけの関係そのものは変わらないのに、その形は徐々に変わっていっていた。
 
 例えば、彼と寝る日は都合が合えば夕食と朝食を共にすることがほとんどになった。そうなるにあたり、彼はかなりの量を食べるため、その分費用もかかるということで、食費は彼が負担してくれることになった。もちろんこれは彼からの提案で、私は断ろうしたのだが、代わりに私が調理するから、ということで一旦この議論については休戦している。

 が、最近「獅子堂さんって料理できるんですか?」となんとなく尋ねてみたら、彼が代わりに夕食を作ってくれたことがあって。見た目はいかにもなザ・男飯、という感じの野菜炒めだったけれど、私にはすごく美味しく思えて感動した。美味しく思えて、という表現はもしかしたら失礼かもしれないが、彼が私のために作った料理、というものは本当に魅力的で。正直どんな味のものが出てこようが大抵のものは美味しいと感じるような気がするから、そう表せざるを得ないのだった。

 彼曰く、闘技場以前、親元にいた当時に、家にある残り物と僅かな調味料でなんとなく料理のようなものをしたことがあった、とのこと。言葉通り、彼は誰に教わるわけでもなく自己流で料理をしていたのだと分かったが(包丁の持ち方、野菜の切り方、調味料の名称等はあべこべだった為)、いざ教えてみると意外にも飲み込みがよく、意外とセンスはある方なのではないかと思った。……とまあ、こういうこともあり、たまに彼(と私)が料理を担当する日が出来たため、食費についてはこの件を持ち出して再度議論をしたいと考えているところだ。

 もう一つ、大きく変わったこと。それは、獅子堂さんと寝る日が、毎週火曜と金曜から、自然と週3、週4と増えていって、いつしか都合が合わない日以外は、会うのが当たり前になったことだ。

『今日は無理そうやわ』『了解です! お仕事頑張ってください』
『3時。起きなくてええ』『遅くまでお疲れ様です。冷蔵庫にカレー入ってるので、お腹すいてたら温めて食べてください』
『すみません!残業長引きそうなので、先に行っててもいいですよ』『こっちもやる事済ませとくわ。一時間後にいつもん所でええか』

 このような具合に、自然と私たちの間には会うことが前提のやり取りが生まれていた。
 

 ───────そして、そんな月日とともに。私の胸の中に芽生えた小さな感情も、少しずつ、着実に、育まれていくのだった。
 
 
 *
 
 
 とある金曜の暮れ方。いつもならそろそろ、今日の夜は迎えに来てくれるか否かの連絡をしてくれる頃なのだが、メッセージは未だ0件で。退勤後もそれは変わらなかったため、シゴトが立て込んでるのかな、と思いつつ、しばらくその場で連絡を待ったが、やがて【先に帰ってますね】とひとこと送り、帰宅することにした。
 
 しかし、私の送ったメッセージは、ついに就寝するときになっても既読がつくことはなく。
【時間がなければ仮眠しに来るだけでも大丈夫なので無理はしないでください。おやすみなさ│】
ふと書いていた文章を見直して、私は削除キーを長押しした。確かにここ最近は彼に会うことが当たり前になりつつあったが、だからといって、そう定められている訳でも口約束を交わした訳でもない。私の気持ちが一人歩きすることは、避けないと。それに、きっと彼は忙しいんだ。今新たなメッセージを送ってしまえば、返信を急かしているようにも取れてしまうだろう。私はそう判断すると、スマホを充電器に繋げ、そのまま眠りについた。
 
 最初に違和感を感じたのは、その翌朝のことだった。彼とのトーク画面を開くと、昨夜私が送ったメッセージを最後に、既読がつかないままのそれが目に入ってきて。……おかしいな。本当に忙しいときでも、既読だけはすぐついていたのに。でも、まだその時点では、かなり忙しいんだろうな、で済んだ。けれど、それが夕方に差し掛かっても未読となると、さすがに心配になってきてしまう。普段からそこまでやり取りをしない相手ならそうはならないのだが、彼は意外にも既読と返信が早いタイプのため、前例のない事態が訪れれば不安になってしまうのも仕方ないだろうと自分に言い聞かせた。
 
 それから、あっという間に昼を過ぎ、夕方を迎えれば、ついに彼と連絡が取れなくなってから24時間が経過した。漠然とした不安と焦りが、胸を燻る。彼になにかあったのではないか。いや、もしかしたら不眠が治ったのかもしれない。あまり信じたくはないが、それでもう私は用済みになってしまったのだろうか。しかし、なんにせよ、今の私に為す術は何ひとつない。彼が連絡を絶てば終わる、私たちはそんな曖昧で不確かで儚い関係だったから。
 
 私は少しでも気を紛らわすために、夕食を作ろうとキッチンへ向かった。冷蔵庫を開けると、解凍しておいた牛肉が入っていて。……ああ、そうだ。今日は肉じゃがを作ろうとしていたんだった。彼に初めて振る舞った料理。あの日の出来事は今や遠い昔のように感じるけれど、昨日の事のようにはっきりと思い出せる。あの時は、まさかこれまで彼と長く関わることになるだなんて思いもしなかった。それももう、終わってしまうかもしれないのだけれど。
 
「……はぁ」
 
 だめだ。とても料理をする気分になれない。キッチンに立っているだけで彼と並んで料理をした記憶が過ってきて、余計に気が滅入りそうだ。
 
 私はそこで夕食を作ることを諦め、近所のコンビニに何か買いに行くことにした。それは、料理をする気になれなかったことに加え、散歩がてら気分転換もできるかなと思い至ったこともあるが、きっと心のどこかで、もし街中で彼に会うことができたら、という淡い期待を抱いていたからだ。
 
 コートに袖を通し、スマホとエコバッグだけをポケットに入れ、外に出る。財布を持ち歩かなくても買い物が出来るだなんて、便利な世の中になったよなぁ。とんとんとん、と階段の靴音を耳に入れながら、そんなことを考えて。階段を下りきり、アスファルトに三歩ほど足を踏み入れた、そのとき。

「……なぁ、あんた」
 
 背後から、聞き覚えのない男の声がした。私が思わず足を止めると、次には男の気配がぐん、と近くなって。
 
「渡瀬組若頭補佐、獅子堂の女やろ」
 
 ─────え?
 私は後ろを振り返ろうとするが、それよりも先に、口元にハンカチのようなものを押し当てられる。独特な臭いを感じ、直感的に良くないものだと悟るも、呼吸に抗うことは出来なくて。藻掻いていた身体が徐々に言うことを効かなくなってくると、靄がかかったように頭がぼんやりとしていく。
 
「恨むんならあいつを恨むんやな」
 
 そして、男のその言葉を最後に、私の視界は真っ暗になった。
 

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