それの終わりはどちらからか

「アキラ」
「ん? ああ、なまえか」
「なにそのどうでも良さそうな返事は」
 どうせ潤姉さんじゃないよ。悪かったね。なんてなまえが拗ねたように返せば、男は面倒くささを隠そうともせずに大きなため息をついた。
 この女、事あるごとに彼の師事している教授を持ち出してはこうやって拗ねるのだ。毎度お馴染みではあるものの、それ故に面倒くささが増していることにそろそろ気づいてほしいと、アキラは胸中でひとりごちる。
 汐見潤の従姉妹という関係から、顔を合わせることは他の生徒よりも多かったなまえとは、彼女が中等部に入学するよりも前からの付き合いである。
 実の姉のように潤を慕う彼女と顔を合わせることは必然的に多くなり、普通の幼馴染とは少し違うながらもそれに似た関係を築いてきた。互いに遠慮のない物言いをする。それだけではないが、それだけのような関係だ。
「あーあ。私もアキラみたいに何か一つでも人外じみた特技があればなあ」
「人外とはなんだ。人外とは」
「事実じゃん。においだけであそこまでできるなんて人間技じゃない」
 他の人よりも少しだけ、と言うには些か行きすぎている彼の嗅覚の鋭さは、それこそ幼少期に才能を見出されて後見人までつくレベルだ。
 料理の腕前以外は凡人レベルのなまえからしたら、その生い立ちは置いておくにしても葉山アキラの特別な力には羨望を抱かずにはいられない。
 そんな、羨望の中に別の感情が混じり始めたのいつのことだったか。あまりにも近くにいすぎたおかげで気づくのがすっかり遅くなってしまった想い。それを自覚してしまってからというもの、地獄のような日々を過ごしていた。
 なんせ彼が一番大事にしているのは、彼女の従姉の潤だ。劣悪な環境から彼を救い出したまさに救世主のような彼女に、敵う日なんて一生来ないようにも思う。
 想いを告げるなんて以ての外だ。それを口にしてしまえば、こうした、だらりと過ごすゼミでの時間はまるで蜃気楼のように掻き消えてしまうだろう。
 その時去るのは間違い無くなまえだ。わかっている。だからこそ、針の筵の上であろうとも"いつも通り"を貫き通すのだ。
「なまえは気にしすぎだろ」
「気にするでしょ。私ここではほとんど能無しなんだもの」
 スパイスに精通しているのは、あくまでも他の一般生徒と比べた場合である。そもそも彼女の得意料理は洋菓子だ。ふんだんに使いはするものの、それがメインになり得ることはきっとあまりないだろう。
 なければ完成はしないが、それがメインになることもほとんどない。彼女が目指すものは、彼らの専攻とは少しだけ、ズレたところにあった。
「そんなことないだろ。現になまえはちゃんと使い分けて特色を出してる」
「アキラみたいになりたいの」
「それは無茶な話だろ」
 呆れたような一言。彼がなにを意図してそれを口にしたのかはわかっているつもりだが、バッサリと切り捨てられればやはり傷つく。
 明らかに意気消沈しているなまえに、アキラは首をかしげる。正直な話、これは今に始まったやりとりではない。何かあるたびに彼女はこうして一人で傷ついているのだが、今回その原因が未だ分からない。
 いつもならばもっとわかりやすい前兆があったはずだが。
 なまえを見つめながらなにやら考え込むアキラに、彼女は恨めしげに目を細めて「なによ」と一言。
 それはこちらの台詞である。そんな思いをそのまま口にしなかったことを、アキラは自分で褒めてやりたい気持ちになる。そのままを伝えたならば、彼女が余計面倒くさくなるのはこれまでの経験から嫌という程によくわかっている。
「いや、いつもと様子が違ったからな。何かあったのか?」
「……別に」
「成程な。人外には話せない。と」
「何根に持ってんのよ。そういうんじゃないんだって」
 ……ただ。そう言ったっきり口をつぐむなまえに、彼は大きくため息をついた。その先の言葉が出てくることはない。言葉を続ける気もないくせに、中途半端に接続詞を音にするのは彼女の悪い癖だ。
 呆れたように腕を組んで、アキラは彼女へそのまま、思ったことをぶつける。
「なまえ。お前のそれ、悪い癖だぞ」
「どれ。心当たりがありすぎる」
「……だろうな。その、言葉を途中で区切るやつだよ」
「なに、気になるの?」
「まあな」
 揶揄うようななまえの声色に、アキラはあっさりと肯定を示す。あまりにも素直な反応に、逆になまえが戸惑ってしまう。
 目を瞬かせる彼女に、今度はアキラが不満げに「なんだよ」と口にする。
 い、いや……別に。と、なまえから返った言葉は戸惑いがふんだんに含まれている。
 似たようなやりとりなのに、こうまでも反応が違うものなのだろうか。と思えるほどに両者の反応は違う。それに気づいてしまったなまえは、こらえきれずといった様子で笑いを溢す。
「っ、ふ……あはは」
「何だよ急に」
「いや、だって、っ……!」
 腹を抱えて、目には涙まで滲ませているなまえに、アキラはただ首をかしげることしかできない。馬鹿にされているわけではないのだから怒りなど湧いてくるはずもなく、ただただ呆れの表情を浮かべながら前髪を掻き上げた。
 よく分からないが、なまえがいつもの調子に戻ったのならばそれでいい。と、いうことにしておく。
 一人で大笑いしながら絡んでくる彼女を適当に相手しながら、アキラは密かにそう考える。
 互いにこのやり取りが時間制限のあるものだと知りながら、今はただ笑い合うだけなのだった。