僕が貴女のことを異性として意識して長いことなんて、きっと貴女は知らないのだろう。
普段ならば自室で机に向かっている誠司も、流石にこの日ばかりはそういうわけにはいかなかった。もとより親戚づきあいが頻繁にあるような家ではないのだが、母方の祖母の祝いの席だからと引きずり出された誠司はあまり顔を合わせることのない従兄弟たちに囲まれていた。
こういう席が嫌いだとか、苦手だとか、そういうわけではないから適当に相槌を打ってそこそこ楽しい時間を過ごしている。ただ、宴会の座敷を貸し切っておこなれたその場に、似つかわしくない人物を見つけてしまった。
血の繋がりなどかけらもない彼女が、この場にいることに違和感と、嫌な予感が拭えない。そうして見つめていた彼に気付いたのか、その女性は表情を明るくして小走りで駆け寄ってきた。
「誠司くん!」
「なまえさん、なぜここに?」
率直な疑問がそのまま口を突いて出てきた。よく知った顔である彼女は、彼の家の2つ隣に住む女性だった。面倒見のいい彼女に幼い頃から世話になっていた彼だが、やはりこの場にいることがどうしても不思議であった。
そんな彼の疑問に答えるべく、なまえが口を開いたところで横槍が入る。
「あっ! なまえさん!」
「真理ちゃん! こんばんは」
「こんばんは! ええと、なまえさん……何でここに?」
誠司と同じ疑問を口にする真理に、なまえはくすくすと笑いをこぼす。政治は額に手を当て、足元を見つめることしかできない。何なら大きなため息までおまけにつけてやれる。真理だけが、二人の反応についていけず小首を傾げた。
どうしたんですか? と目を瞬かせる彼女に、なまえは囁くように彼女の耳元で「今、誠司くんが全く同じ質問をしてたの」と返した。
事の次第を理解した彼女は慌てたように手をばたつかせる。
「ふふ、やっぱり兄妹ね」
笑う名前に返す言葉が見つからず、誠司はひっそりとため息をこぼした。ただ、そこにあるのは少しの羞恥心と、この人に向ける憧れの念だけだ。
幼い頃から、憧れに似た感情を彼は彼女に向けていた。最初は何でも知っている近所のお姉さん。それから笑顔の美しい大人の女性。気がついたら、親愛以上の思いを向ける相手へと変わっていった彼女は、やはり笑顔の美しい、人のいい女性であった。
思いを抱き始めたきっかけなど覚えておらず、今はただ胸に燻る焦がれるような感情が日に日に大きくなっていた。
自分が高校に上がった時には、彼女はもう就職して家を出てしまったとなまえの母親が寂しそうにこぼしていたのを聞いたことがある。
はじめの頃は実家暮らしだったのに、急に一人暮らしを始めてしまったことに寂しさを覚えないはずもなく、誠司はどこか遠い存在になってしまった彼女が自分の目の前に戻って来てはくれないかと願う日々だった。
だと言うのに、この親戚の集まる場に彼女がいることに嫌な予感が膨れ上がっていく。だって、それはつまり――。
「楽しそうじゃないか。俺も混ぜてくれよ」
そんな言葉とともに3人の中に割って入って来たのは、7つ年上の従兄であった。その男の顔を見るなり、それぞれが口々にその人の名を呼ぶ。
「祐樹兄さん!」
「祐樹兄さん……」
「祐樹さん」
真理は久しぶりに会った親戚に対して嬉しそうに、誠司は嫌な予感を引きずったまま静かに、なまえは誠司たちに向けていた笑顔を一層柔らかくして不安から解放されたように。
そんななまえの反応を見て、何もわからないほど誠司は馬鹿ではない。そういった方向に疎くてもすぐにわかってしまうほどに、名前の纏う空気が変わる。
真理は誠司からみれば能天気に「えっ? 兄さんとなまえさん、知り合いなの?」と再び首を傾げている。
「うん? ああ、知り合いっていうかな、まあ、結婚したんだ」
「結婚!?」
勢いよく頭を殴られてしまったような感覚に、誠司は自己を保つためにひっそりと深い呼吸を繰り返す。
問題。配偶関係の締結を示すことは「結婚」ですが、それに加え配偶関係の状態をも含めて指す言葉をなんというでしょう。なんてくだらない例文が浮かぶほどには動揺してしまっている。
それを、今だけは絶対に悟られてはいけない。周りに合わせるように顔に笑みを貼り付けながらも、まりと同じように驚いてみせる。
「あれっ? 言ってなかった? おばさまにはお伝えしたんだけど」
「おばさん、たまにそういう所あるよな。そうか、お前らこいつの実家の近所だったか」
「わあー! いつの間にだよ! 式は?」
「あー、式はイタリアで親だけ呼んでサクッと終わらせちまったな」
「そうなんだー。なまえさんのドレス姿見たかったな」
「写真あるから、今度見せてあげる。この人今はこんなだけど面白かったんだから」
こらえきれないといった様子で笑いながら話すなまえに、誠司は両耳を塞いでしまいたい衝動に駆られる。
なまえは知らないのだ。彼の抱く想いなど。
少しだけ照れ臭そうに笑う彼女を恨めしそうに眺めながらも、心にもない言葉を口にする。
「おめでとうございます」
「うん、ありがとう」
恥じらう彼女には申し訳ないが、今は心からの祝福を口にすることすらできない。いっそ、悲しい目にあって仕舞えばいいなんて、彼女の不幸を願う自分に嫌気がさす。
なぜ、この人の見ている男が自分ではないのだろうか。考えても仕方のない想いは、きっと彼女に届くことはない。
自分一人で終わらせることのできないこの感情に、終止符を打つことができるのだろうか。
決して表には出さないように配慮しながら、誠司は表面上の祝福をなまえへと向けるのであった。