イルミネーションの海に溺れる

 空の世界を旅していれば、噂の一つや二つ拾ってしまうものだ。当然その中にはいいものもあればあまり歓迎できないものもある。今回シェロカルテが和やかな会話の中に織り交ぜたものは、後者であった。
「おや? シエテさん?」
「やあシェロちゃん。何かいいことでもあったの?」
 話しかけてくるなんて珍しいね。満面の笑みで声をかけてくるシェロカルテに、シエテも同じく笑顔で応える。
 彼女がこうして嬉しそうにしている理由など、商売関連以外に思いつかない彼は、自分の想像もつかないような大きな金額が動いたであろう気配のみ察知し、その言葉を待つ。
「実はですねえ」
 両手で口元を覆いながら、彼女は事の一端を話し始める。
 曰く、とある貴族が一人の町娘に目をかけていたという。それがどうやらうまくいったようで、今回めでたく結婚の運びになった。
 その挙式に関連する品の準備をほぼ、彼女に委託されている。ということらしい。それを聞いたシエテがなるほど。と納得していると、彼女は不思議そうに(少々のわざとらしさを感じる表情で)おや? と声を上げた。
「シエテさん、ご存知ないんですか??」
「うん?」
「シエテさんの故郷でのお話ですよ?なまえさんからなにもきいてないんですか?」
「ちょっと待ってシェロちゃん。何でそこでなまえが出てくるの」
 予想外に出てきた名前に、血の気が引くのを感じる。
 同じ故郷で育ち、今のように十天衆の頭目として名を馳せるよりももっと昔、まだ若く幼く、青臭かったその時に同じ空を旅していた大切な幼馴染。いや、シエテにとってはそれ以上の存在であった。
 今でこそ、違う道を行く彼女に胸が晴れるようになったなら、必ず迎えに行くと約束した彼女の名を、ここで聞くなどいい予感がするはずもない。
「シェロちゃん、ごめん。ちょっと急ぐから」
「おや?? それでしたら?」
 そう切り出して出航間近の挺を案内した彼女に、シエテは貨幣を握らせ礼を述べる。風のように去って行くその姿を見て、シェロカルテは頬杖をついて小さくため息をついた。
 今回ばかりは、なまえも恐らく彼が来るのを望んでいないし、シエテが向かったところで何も変わらないだろう。それをわかっていながらあえて彼の耳にこの話を吹き込んだのは間違いだったのではないか。
 既に姿が見えなくなった知人は申し訳なさを覚えながら、彼女は再びため息をついた。大きな儲け話による喜びも、今はすっかりと薄れてしまった。

 シェロカルテの案内は流石だ。思っていたよりも早くに故郷の島へとたどり着いたシエテは、こみ上げる懐かしさもそこそこに、実家ではなく幼馴染の家へと一直線に向かう。
 既に日が暮れているというのに、町は祝い事でもあるかのように賑わっている。嫌な予感がいよいよ現実のものへとなろうとしている気配を感じながら、彼は足を進める。まるで棒切れになってしまったようにいうことを聞かない足を引きずって、できるだけ早く。
 途中彼の帰郷を懐かしむ声に引き止められつつも、笑顔を貼り付け先を急ぐと断りを入れてようやくたどり着いたそこは、いつも通りだ。
 深呼吸をしてから、シエテはなまえの家の扉を叩く。
「はーい。……し、シエテ……」
「やあなまえ。賑やかだね」
「な……んで、あんたがここに……」
「ちょっと気が向いてね。何か祝い事?」
 内心は冷や汗を流しながら、シエテはあくまでも平静を装ってなまえに対峙する。そんなシエテに、あからさまに狼狽ながらも彼女は中へ入るように促す。
 言われるままにテーブルについたシエテの前に、なまえは冷えた紅茶を差し出す。支度をしている間に何とか気持ちを落ち受けることができたのか、彼女の顔に張り付いていた驚愕は一応の落ち着きを見せていた。
「何でこのタイミングで帰ってくるのよ」
「あはは。酷い言い様だね」
「だって、あんた……」
 言いよどむなまえにシエテも苦笑する。彼女と別れる際、口にした言葉。それが二人を縛り、故にこの現状を作り出していた。
 息を吸って、吐く。声が震えそうになるのを抑えながら、なまえはゆっくりとシエテの向かいに腰を下ろした。
「十天衆の頭目さん。なんの御用で此処に? 今更、準備が整ったと?」
「……それは」
「それとも、お祝いに来てくれたの」
「それじゃあやっぱり君が」
 話に聞いていた町娘というわけか。言葉にすることのなかったそれは、容赦ない現実となってシエテに突き刺さる。
 数年前、彼女と袂を分かったあの日、「準備ができたら必ず迎えに行くから」と口にした約束は嘘ではない。全空一の剣の使い手になれたら、自分の敵などいないと思えるようになれたら、必ず彼女を迎えようと胸に誓っていた。
 涙を流しながら「待っている」と口にした彼女はもう、心変わりしてしまったのだろうか。だとしても、それを責める権利は自分にない。変わらないものなど存在しない。だからこそ、シエテは彼女を責めるような言葉を口にすることができない。
「そう、私結婚するの。明日」
「明日!?」
「何よ」
「だって明日なんてもう数時間もないじゃないか」
「今決めた話でもないし、当たり前じゃない」
 当然のように返された言葉に、シエテもそれはそうだと納得する他ない。自分が聞きつけたのが遅かっただけで、彼女たちはちゃんと手順を踏んで今に至るのだ。
 おまけに、貴族と平民だ。それなりに立ちはだかる壁を乗り越え、結婚を決めたに違いない。
「そうだね。ねえなまえ」
「なに」
「相手の人は、ちゃんとしてるのか?」
「っ、あんたが、それを聞く資格なんてあると思う?」
「はは、そうだね。ごめん。でも……」
「いい人よ。こんな私のこと、好きなんだって……」
「そっか」
 少し恥ずかしそうになまえが口にするその言葉に、一人傷つくことしかできないシエテは、自分の中にくすぶる感情を飲み込むように、グラスに口をつける。
 なぜかはわからないが、彼女の顔が見ていられない。そっと視線をテーブルに移せば、ようやく呼吸ができるような気がした。
 いっそ、このまま彼女を攫ってしまおうか。なんて、らしくもないことを考えてしまう。そんなことできるはずもないから、無理矢理笑顔を作る。
「幸せそうだ」
「……そう、かもね」
「曖昧な答えだ」
「色々あるのよ。身分の差とか。それに、もしも幸せじゃないって言ったら、あんたどうするのよ」
 連れ出してくれるっていうの? と、皮肉げに笑うなまえに再び顔を上げた。先ほどまで幸せそうに、照れたような顔をしていた彼女は、笑っているのに笑っていない。
 そんな顔をさせたいわけではない。彼女が望むのならば、結婚前夜の花嫁を攫ってしまうことだってわけはない。ただ、本当にそれが彼女を幸せにできることなのだろうか。
 その確証が持てない以上、無責任なことはできない。
「オレと逃げてみる?」
「無責任な言葉。そんなことできるわけないじゃない。それに、私を迎えに来たわけじゃないんでしょ」
 問いかけでもなく、断定的な言葉だ。彼女はそれを確信して口にしている。
 約束した通りの立場になれたわけではない。全空一の剣の使い手ではある。それは断言してもいい。問題はその後だ。敵になるような存在がいない世界なんて、いったい誰が判断するというのか。
 つまるところ自分は、なまえのことを――。
「……うん。まあ自覚あるみたいだし許してあげる。それにね、私、あの人のことを愛しているの」
「もしかして、フラれちゃったかな?」
「もしかしてもなにも、あなた完全なる敗北者よ」
「はは……それは残念だ」
「うそつき」
 残念そうな顔くらい作りなさい。なんて笑うなまえに手をのばしかけて、やめる。
 自分が彼女に触れる権利など、既に消えて無くなってしまっている。それが現実だ。
 なまえはそんなシエテを見て小さく息を吐く。笑いながらも呆れたような顔で自分を見ているその顔に、胸が痛む。
 好きだ。愛している。他の男のものになるなど、考えたくもない。なんて、考える権利など持ち合わせてはいないのだ。
「シエテ。私ね、幸せよ」
 ――本当は貴方にそうして欲しかったのだけど。
「そっか。結婚おめでとう」
 ――今はまだ、心から言えそうにもないけど。
 互いの胸の内を言葉にすることはない。手ぶらでごめん。なん笑ってから、シエテはゆっくりと席を立つ。
「そろそろお暇するよ」
「また、空の世界に戻るのね」
「一応、空がオレの世界だからね」
 流石に、この時間では輸送船すらも通るか怪しい。一旦家に帰ってから、早朝に発つとシエテは告げる。
 それを聞いて、なまえも「そう」と目を伏せる。そんな姿に、彼女を?き抱いてしまいたい衝動に駆られるが、グッと堪える。
 彼女の家を出て、未だに活気に満ちている町の様子が、彼目には滲んで歪んで、消えない澱となってつもり行くのをただ感じていた。