わたしが一番ならそれで

 会えない日々というものには、慣れきってしまったつもりだった。彼は警察官で、例えばデートの最中だったとしても呼び出されて仕舞えば私の側から離れていってしまう。仕方がないと自分に言い聞かせたとして、それを許容できるかといえばまた話は別だ。
 面倒見が良くて、正義感の塊だった彼が「警察官を辞める」などと言い始めたのは今よりも少し前の話で、それならば次の仕事はどうする気なのだと少しばかり……いや、結構心配した。
 次も決めずに辞めてしまった彼を側で応援してきたものの、彼の目指すものが"アイドル"だと知った時には、私はなんの冗談かと話が耳を疑った。だって、アイドルなんて安定しているとは決していえない職業で、コンスタンスに仕事がもらえるわけではないだろう。……事務所の手腕というものがあるのだろうが、テレビに出ているような人たちは氷山の一角。さらにいえば、アイドルを目指すにしては少しばかり、遅すぎたのではないかという懸念。
 最初は私も反対したが彼の真剣さに折れてしまい、応援を始めることとなった。応援をすること自体は構わないけど、どちらかというと凶悪な顔をしている彼が、アイドルとしてやっていけるのか……そんな不安。
 そんな様々な不安要素を抱えた彼が、アイドルとしてデビューを果たし、ついにはテレビのコマーシャルに起用されるまでに至り、先の不安は払拭されることとなったのは最近の話だ。
 そうなると、次に出る問題が私という存在だ。そこそこ人気の出てきた彼に、彼女が存在するなどと公表できるはずもなく(そもそも、する必要性もメリットもない)私は言いようもない不安を覚える。
「……どうしたんだよ、渋い顔して」
「思い返してたの。英雄がまさかアイドルになるなんて……って」
「悪かったな似合わねぇことして」
 そういって不満げにそっぽを向く英雄は可愛い。拗ねているのだろうか。少しだけ唇を尖らせてブツブツと文句を口にするその姿は、昔から何一つ変わっていない。そういう"変わらないところ"を見つけては心の底から安心する。
 テレビに映る彼はなんだか私の知らない人みたいで、ずっと一緒にいるはずなのに、見たことのない部分を見せつけられている気になってしまう。だから、少しだけテレビは嫌いだ。
 テーブル越しに座る彼は私の知っている握野英雄だ。それを実感しては、ほっと胸をなでおろす。
「悪いとは言ってないじゃない」
「でもお前、歓迎もしてねぇだろ」
「応援はしてるよ」
 図星を突かれて、思わず顔を逸らす。多分これはつまらない嫉妬心に近い。元から自分だけのものだという大それた思いはないにせよ、自分の彼氏が他の女に色目を使われるような立場になるなど、どうして甘受できようか。
 彼に可能性を見出したプロデューサーにはその審美眼を褒めてやりたい気もするのだが、私から彼を奪い取ろうとするのは、たとえそういう気がないにせよ許されることではない。なんて、偉そうなことを考えてしまうのがまた辛い。
「応援、ね」
「何、不満なわけ?」
「いや?」
 そう言う英雄の顔が、声が、ありありと不満を伝えてくるのだから腹がたつ。隣にいるのならば両手降って歓迎していなくてはいけないのだろうか。人によっては愚かとも言われかねないその選択を、応援しているだけでは不満なのか。そんな思いがじわじわと胸を占めていく。
 そういうことではない。わかっている。応援している。と口にしている私は、果たして笑顔を浮かべることができているのだろうか。本当に、心の底からそう思って口にしているのだろうか。そんな迷いを彼はきっとわかっている。
 今までだって碌に会えなかった恋人が今はもっと遠くに行ってしまったような、そんな寂しさを抱いてしまう。それの抑え方を、私は知らない。どれだけ彼に会えないことに慣れたとしても、寂しくないはずがないのだ。
 室内には息苦しいまでの沈黙が降りる。なんで私は、久々にゆっくりと会えた恋人といるのにこんなに苦しいのだろう。沈黙に耐えきれず、胸にたまった淀んだ空気を吐き出すように、声を出す。
「……あんたのやることなすこと許容できるようなできた女じゃないことくらい、知ってるでしょ」
「……お前も、俺が細かいことに気づいてやれないの知ってるだろ」
 本当にその通りだ。この男はいっそ笑えて来るほどに、言葉にしなければわかってもらえないタイプの人間だ。……ああ、まったく。どう考えてみたって言わずに溜め込んでいた私が悪い。
 ここは多分、素直に負けを認めて謝るのがお互いのためになるし、素直で可愛い女の子のやることなのかもしれない。が、生憎と私はどう足掻いたってそういう風には慣れない。
 半眼で英雄を見つめて、もう一度わざとらしく大きなため息をついた。
「知ってるよ、バーカ」
「あのなあ」
 そう言って苦笑する彼に、もう一度だけ心を込めて「ばか」と言えば、彼は歯を見せて笑う。「ハハッ」と笑う声を聞いてしまえば、なんだかとても馬鹿らしくなってきた。
 ヤケクソ気味に「どうせ素直じゃないですよ!」と吐き捨てれば、彼はなおさら可笑しそうに笑うのだから頭にくる。
「英雄の思う応援の仕方じゃないかもしれないけど、それでも私が一番応援してるんだもん」
「ああ、ありがとな」
「一番のファンも私」
「……おう」
「可愛い女の子と浮気したら殺す」
「怖ぇよ!」
 まるで百面相のごとく、私の言葉で表情をコロコロと変える英雄は、まるで子供のようだ。
 こんな彼を知っているのが私だけじゃないとしても、しょうがないから許してあげる。なんて、やっぱりそのまま口にすることのできない私は代わりに「あはは」と笑うのだ。
 会えない不安も、寂しさも、とりあえず今だけは忘れることにしよう。
 先ほどまでの重苦しさを吹き飛ばすように、私たちは2人で声をあげて笑うのだった。