「ねえ城田くん。援助のある交際をお姉さんとはじめない?」
始まりは、彼女のそのとんでもない一言からだった。
同じマンションの、近くの部屋のお姉さん。それが彼女に対して真昼が持っていた印象で、それ以上にもそれ以下にもなることはないだろうと思っていた。
そんな甘い考えは彼女の唐突な言葉によって覆されることとなり、今ではすっかり"互いの家を行き来する仲"にまでなってしまった。
「なまえさん、ご飯持ってきましたよ」
「あいてるよお」
インターホンを押して、スピーカーに向かって声をかければ、ヘロヘロと力のない声で返事が返ってきた。
また何かあったのだろう。その証拠に彼の携帯には「何でもいいからご飯と真昼くんがほしい」という、見ようによっては大変に意味深な文字だけが送られてきていた。おまけに絵文字も顔文字もない、ごくシンプルなものだ。
困ったことに、城田真昼はそんな彼女の救いを求める手を、今もなお振り払えずにいる。
「おじゃまします」
控えめに声をかけて、いざその部屋に踏み込む。生活力のない彼女の部屋は"何もない"と表すことができるほどに、物が少ない部屋だった。
ただし、それは主な生活スペースを除いた大部分の話であり、わずかな生活スペースにはそれなりに物が積んであった。
洗濯物の山だったり、ゴミ袋だったり、食器だったり。曰く週末にすべて何とかしているとの事だが、彼女にとっての"週末"がいつ来ているのかは定かではない。
とりあえず、この日は珍しく積んでいるものがほぼない日であった。
「待ってたよう」
「わっ! なまえさん!?」
いい歳して(正確な年齢は真昼もよく分かってはいないが)べそをかきながら抱き着いてくる彼女に驚きながらも手に持った鍋だけは離すまいと死守する。自分よりも少し身長の高い彼女を支えるには、手に持っている鍋が邪魔だ。
ちょっとすみません。と一言断って、真昼は鍋をキッチンのIHコンロの上に設置する。その間、彼女は恨めし気に真昼を見ているだけで特に何もしていない。これ幸いと、真昼は現状の把握に時間を費やすことにする。
鍋の中身はありきたりに肉じゃがなのだが、温めるよりも先に、彼女と向き合う必要がありそうだった。
「お待たせしました」
「うん」
彼女の待つソファへと向かえば、返事と共に腹部に腕を回される。健全な青少年である真昼的には少々抵抗のある体勢だが、それを拒むと後が面倒臭いのだ。
ぐりぐりと猫か何かのように比田井を腹にこすり付ける彼女の頭を、ゆっくりとしたテンポで撫でてやる。
おおよそ年上に対する対応ではないのだが、彼女自身が望んでいる以上、邪険に扱うことはできない。
「あ〜……城田くんの癒しオーラ最高……癒される……」
「ホントこんなんでいいんですか」
「むしろこんなにいろいろやってもらってありがとね! 今回の食材費は封筒に入れてるし! サービス料取らなくて本当にいいの?」
「いやむしろその食材費ですらいただきすぎなんですが……どんな高級食材使っても余るレベルの金額は困るっていうか……」
困ったように真昼が言葉を返す。それに対しなまえはあっけらかんと「お小遣いとしてもらっちゃえばいいのに」と言ってのける。
そもそも、こうして見知らぬ女に料理を作ったりわかりやすく甘えさせたりとしているのに対する真昼の、迷惑料は頑として受け取らないところがなまえにとっては不満だった。
いっそのこと本来の"援助交際"と同じく肉体関係を持っていたのならば話は違ったのかもしれないが、それこそお互いの主義に反することだ。
誘い文句こそ怪しいものだったが、一応二人の関係は清いままで続いている。
「は〜……一家に一人城田くんだわ」
「わけわかんないっすよ」
「癒しだってコト」
なまえが腰元に抱き着く腕に力を籠めれば、真昼が「なまえさんっ!」と困ったように声を上げる。真昼の中で"過剰なスキンシップ"と判断が下るたび、彼はそうやってなまえを咎める。
一応現役男子高校生として、妙齢の女性と密着しているということを意識し始めてしまうのは非常にまずい。持ち前の面倒見の良さがカバーしているうちはいいのだが、そうでなくなったとき、何が起こるかわからないのが少しだけ怖い。
なまえは少しだけ不満そうに唇を尖らせ、諦めたように真昼の膝に頭を乗せる。そしてそれが当然のように真昼は先程と同様に彼女の頭を優しく撫でる。
その手つきが眠気を誘うのか、彼女はあくびを噛み殺しながら目を擦る。
「私が寝ちゃったらそのまま抜け出して帰っちゃって大丈夫だから」
「いや、そんなことはできないですよ」
「いやいや、何時に起きるかわかんないし……」
さすがに近所とはいえ、そんな状態で真昼に居座ってもらう事に良心が痛むなまえは、慌てて真昼に構わず帰るように言い含める。
しかし普段から寝つきの良いなまえは、その返事を聞くよりも早く、襲い来る睡魔との戦いに奮闘することとなる。そして案の定、肝心の彼の答えを聞くことは叶わなかった。
「いや、俺は……なまえさん?」
ごにょごにょと聞き取り辛い返事になったかと思えば、すぐさま規則正しい寝息が聞こえてきた。こんな状態で帰れといわれても放っておけるはずがない。
真昼は小さくため息をついて、膝の上で目を閉じている女性が目を覚ますまでゆっくりとした時間の消火法を探しながら、瞼を下すのであった。