それは毒を孕んだ華である

 耳障りの良いソプラノが鼓膜をかすめる。その瞬間に耳から全身に甘い痺れが走るような錯覚を覚える。まるで毒のようなそれは、簡単に他人を虜にしてしまうのだから始末に負えないのだ。

 ギシリとベッドのスプリングが軋む。鼻にかかったような女の嬌声と、二人分の吐息が充満するこの部屋で、男は自らの上に跨る女を見つめながら、ふと思い出したかのように言葉を紡いだ。
「なまえさんって今までどんだけボーダーの男咥え込んだんすか?」
「……っは、それ、さ……今聞く?」
「何となく気になったもんで」
「はー……」
 ヤるきなくすわ。とため息混じりに自らの上から降りるなまえに、諏訪はギョッとしたように彼女を見る。不完全燃焼にもほどがあるのだが、これも自らの質問のせいだと思うとそれだけでなんとなく体内の熱が下がるような感覚を覚た。しかしながら、湧いて出た好奇心に負けてしまった諏訪は彼女に答えを促すように視線を向ける。
 なまえは呆れたように諏訪を見る。そんなこと聞いてどうするんだと目が語っているが、今更そんなことは気にもならない。むしろ行為を中断されたのだからここはしっかりとその答えを聞かねば収まりがきかないという気持ちが大きい。
「……未成年には手ェ出してないっスよね!?」
「……一応、分別はわきまえてるから。……っていうか、なんかその発言はムカつくわよ、洸太郎くん」
「スンマセン」
 そう言って笑う諏訪は、そのへんに放っていた自らの煙草に手を伸ばす。それを横から攫い、持ち主よりも早く火をつけて紫煙を吸い込む女を眺めながら、諏訪は自らの質問がいかに彼女の癇に障るものだったのかを思い知らされる。
 あまりそういうことを気にしていない人だと思っていたからこそ、この態度には違和感を覚えた。なまえは一体何を考えているのか。そう思っていたら、心を読んだかのように彼女が紫煙を吐き出してから言葉を紡ぐ。
「セックスしてる最中に聞く話じゃないでしょ。中にあるときに萎えるのはお互い虚しいっていうのに」
 ホント、お互い虚しくなるだけなのに。と、彼女は変わらず歌うような声色で音を付け足した。単語自体は酷いものなのに、彼女の声で紡がれるそれには独特の色を感じる。
 そうねえ。となまえは諏訪をじっと見て、もう一度ため息。灰が落ちる前に灰皿を手に取り、まだ長く残っている煙草をそこに押し当てた。
 グリグリと執拗に火をもみ消したおかげで、途中で折れてしまったそれを気にも止めず、彼女は諏訪に向き直る。
「洸太郎くんはね、冬島さんと慶くんと兄弟なのは間違いないから安心してね」
「はぁ!?」
 出てきた名前に反射的に声をあげる。予測できてはいたものの、いざそれを聞くと良い気はしないものだ。彼女の言わんとしていたことを理解してか、諏訪は大きくため息を付いた。
 なまえはそんな彼を見て「ほら。言わんこっちゃない」と笑うが、確かにこれは心中穏やかでいられるようなものではない。ましてや行為の最中に聞くものでは絶対なかった。
「でもそれみんなに聞かれたなあ」
「は!?」
「ふたりとも笑ってたけど。洸太郎くん、なんか言われたりしなかったの?」
 あの二人……特に慶くんは面白そうに笑ってたんだけどなあ。と呟くなまえに、諏訪は数日前の意味深な笑みをこちらに向けている太刀川のことを思い出す。あれはそういうことだったのか。そうか。と妙に納得する反面、なぜ自分ばかり後手に回っているのかという不満が噴出する。
 その二人は置いておくとして、他にいないのかと続けて問いかければ、彼女は少しバツの悪そうな顔をする。
「プライバシーだよ、それは」
「オレらはいいんスか」
「良いでしょ。貴方達は」
 即答である。とは言え消去法で考えていけば、彼女の相手している男も自然と割れてくるだろう。未成年は分別をわきまえていると行言っていたことだし。そう考えて諏訪は残りの成人メンバーを頭に思い浮かべていく。
 しかし、はたと気づいてしまった。彼女は「分別はわきまえている」と言った。しかし「相手をしていない」とは言っていない。彼女の性格上、よほどのことがなければ来るもの拒まずなはずだ。つまり……。
「手ェ出してますね?」
「なにが?」
「未成年」
「高校生はしんどいなってことは学んだわ」
 そういう問題か!? というツッコミをなんとか飲み込む。つまりは(認めたくはないが)兄弟たる男はまだいるようで頭が痛くなる。おまけに相手は未成年である。セフレの相手が何歳であるかは特に気にも留めないのだが、それはあくまで常識の範囲内であればだ。
 たしかに、彼女から誘うことはない。ないのだが、来るもの拒まないところがそこはかとなく恐ろしい。そんな諏訪の視線に気づいたのか、彼女繕うように笑顔を作る。
「義務教育は終わってるから」
「なまえさんの基準はそこっスか」
 痛む頭に手を添えて、深々とため息を落とす諏訪に、彼女は「大丈夫よね?」と伺うように視線を送ってくる。
 それに返すべき言葉が今の彼には存在しない。まだ、冬島と太刀川の名前を聞いただけのときのほうが良かった。ボーダーには良識の備わったやつばかりだし、この人の毒牙にかかる人間が少ないことをただただ祈る他ない。
 などと心のなかで考えていたら、なまえが半眼で自分を見ていることに気づいた。
「何か今失礼なこと考えてなかった?」
「そんなことないっスよ」
「ふーん?」
 未だ納得してはいないであろう彼女の声色に、嫌な予感を覚えつつも諏訪は引きつったような笑みを浮かべてなまえの出方を待つ。
 なまえは、笑みを深めて身を乗り出す。それによって申し訳程度に掛けていた布団がはだけ、その肢体が露わになる。つい先程まで熱を帯びてほんのり色づいていた肌は、すっかりと元の通りに戻っていてそれがかえって艶かしく感じた。
 流石に今から再開という気分でもなくなってしまったが、これはこれで眼福である。
「なに?」
「いや、目に優しい光景だと思って」
「お金とる?」
 親指と人差指で円を作り、彼女はニコリと不穏な笑みを貼り付ける。先程までとは一変したその空気にたじろぎながら、諏訪はとりあえず、目の前の光景を刻みつけようと胸に誓うのであった。