今度こそ、追いかけたくて

 それはまさに、荒れ狂う暴風雨のごとく自らのもとに訪れた。
 ――後に、沢松健吾は陰鬱な表情とともにその言葉を残している。

「ねえ健吾、天国が野球部入ったって、マジ?」
「うわっ、なまえ……」
 ゾンビのような表情で唐突に姿を現した幼馴染の姿に、男は思わず引き気味に声を上げた。
 同じ学校にいながらも入部後にその話を聞きつけた彼女は、既に吹奏楽部へと入部を決めており、そのおかげで彼らの特訓の数々も、猿野天国の野球部入部も、遅れて知らされることとなったのだ。
 そのことを快く思っていない彼女は、閻魔大王も裸足で逃げそうな表情を浮かべ、沢松を睨みつけた。
「しかもあいつ……女子狙いって聞いたんだけど……」
「だ、誰から聞いたんだよ」
「本人だよ!」
 怒りをあらわにしながら、彼女はその時の様子を思い返していた。突然呼び止められたかと思えば「俺、野球部入部したわ」とにこやかに言われ、訳を聞いても一向に話さない。しかし彼女もあの猿野が野球部に入るなど、にわかに信じ難かったため、カマかけで「気になる子でもいたか?」という問いを投げたところ、わかりやすく動揺を見せてくれたのだ。
 これで気づかない方がどうかしている。そして、その場では彼女も興味なさげに「ふーん……またスポーツ男子に負けるために頑張るのか」と返しはしたものの抑えがきかず、もう一人の幼馴染の元へと来ることとなった。
 沢松は、なぜ自分がこんな面倒に関わらなくてはいけないのか……と胸の内で涙を流すも、彼女を放っておけるはずはなく、相手をしてやることにする。
 なんといっても、彼女の心を知っているのは自分だけなのだ。それが余計に彼を苦しめる要因となるのだが、それを言ったところで仕方がない。
 ――つまり、みょうじなまえは猿野天国のことが好きであり、沢松健吾はその聞き役……しかしその心は、みょうじなまえに想いを寄せる一男子にすぎないのであった。
 その上幼馴染同士なのだ。うまくいかない諸々を胸に抱えながら、沢松はやれやれと彼女を慰めることに徹することになる。
「まあほら、どうせいつものようにすぐ終わるって」
「あんなに嫌ってる野球部に入るまでして?」
「……でも相手があいつに惚れない限り安心だろ」
「アイツ、普段あんなでもマジになるとかっこいいじゃんか……」
 この世の絶望でも見たかのような(彼女にとってはそれと同義のことではある)なまえに、沢松は慰めるべく彼女の方にぽん、と手を置いた。
 何と声をかけるべきか、一瞬悩みはしたものの、いつもの通り自分のキャラを十分に生かし、茶化すことにした。
 照れくさそうに鼻の下を指でこすりながら、(本人曰く)イケメンオーラを目一杯放出して笑う。
「俺の方がかっこいいだろ」
「異論はないけどキモい」
「ぐっ……ていうか異論はないんだな」
 バッサリと切り捨てられた割にダメージが少ないのは、彼女が「かっこいい」という言葉を肯定したからだった。
 だからといって、彼が切り捨てられた現実が変わることはないのだが、沢松にとってはそれだけが救いである。
 彼女自身「顔も中身も健吾の方がいいのに、なんで天国かなあ」とよくこぼしているのだが、その言葉が沢松を喜ばせると同時に傷つけていることに気づいてはいない。
「まあ、健吾はなんだかんだ言ってモテるじゃん?」
「……っ、まあな」
 胸を張って言ってみるも、その心は「んなわけねーだろ! お前今までどこ見てたんだよ!」という嘆きに占められている。
 それこそ、彼のあずかり知らぬところでは彼女の元に、沢松について聞いてくる女子が後を絶たなかったという事実からの発言だが、その女子たちが消極的な部類だったことと、彼が猿野と共にゲスい方向へと突き進んでいったことにより、本人に告げられることはなかった。
「うーん……私、野球部入ろっかな……」
「はぁ!? お前、吹奏楽は!?」
「や、なんていうか、それのせいで中学の時もまともにつるんでなかったし、今回のことも知るの遅れたし」
 そんなんでいいのかよ。とか、吹奏楽好きなんじゃなかったのかよ。とか、様々な言葉が浮かんでは消えたのだが、現在の彼女にとっては好きな奴のそばにいることが最優先事項のようだった。
 だからこそ、やめておけと言ってしまいたいのだ。なんといっても、今までとは違う。今回は、相手の女子も満更ではない様子なのだ。
 だからといってそれを伝えて今すぐやめさせるのも酷な話である。しかし、何も言わずに転部させて彼女が傷ついて部内での行き場を失うところも見たくはない。
 如何あっても猿野のことを見守りたいという気概を感じ取れた沢松は、妥協案として一つの提案をしてみせる。
「そしたらこれはどうだ? 俺と一緒に報道部に入る」
「は? 何でそうなるの」
「お前な、あいつが好きな女子とずっと仕事できんのかよ」
「うっ……」
「報道部には野球班がある。他よりは多少そばにいてサポートできるぞ」
 そして俺はお前と一緒に居られる。と、不純な動機は胸の内にしまいこんでにこやかに親指を立てる。
 こうして、なまえは沢松と共に報道部入りすることが決定した。この判断が、彼女にとっての転機の一つになることは知る由もないのであった。