結局真意は掴めずに

 「貴方は冬の匂いがするのね」と、女は薄く笑って俺にそう言った。
 抽象的な女の言葉は、いまいち理解ができなかった。冷たい男だとでも言いたいのだろうか。そんなことはまあ、どうでもいいのだ。いかに女がなんと言おうとも俺自身には関係はなく、その他からの視線も、態度も、何ひとつ変わることはないのだから。
 ただ、女のその言葉はやけに頭に残り、今でも澱のようにずっと残り続けていて――そう、不快なのだろう。なぜだかはわからないが、その女の言葉は不快だと、今の俺は断じる他ない。それ以外にこの感情を表す言葉が思い浮かばない。
「……泰ちゃん?」
 控えめに、窺うような吊戯の声で思考に耽っていたことに気づき、大きく息を吐いた。手にしていた煙草はそろそろ灰が重力に勝てず、落下せんとしているところだったらしい。なんとなく口をつける気になれず、そのまま灰皿へと押し付けて火をもみ消せば、いよいよ不審げに吊戯がこちらを見始める。
 面倒臭い。煩わしい。そんな思いが頭をもたげたが、視線ごと無視をしてしまえばさしたる問題にもならない。
 だというのに、それは平然と姿を現した。
「塔間くん、ここ、禁煙だよ?」
「今は吸っていないだろう」
「さっき消したばかりでしょ。煙たいよ」
 くすくすと笑いながらいう女に視線を送ることすらせず、映し出されるモニターをただ、見ている。なんら変わった様子のない支部の様子が映るそれは変化も乏しければ面白みなど何もない。
 さりとてこの女や暇を持て余す吊戯の相手をするよりは幾分マシだ。などという思いから、支部内の殺風景をただ、傍観する。
「なまえちゃん、ソレ塔間さんに言うだけ無駄だよ」
「わかっていても、言わなきゃいけないことはあるじゃない?」
「ここ以外では一応吸っていないだろう」
「あら。医務室でも時々嗜んでいるの、私知ってるのよ」
 これは面倒な小言でも始まるか。と嘆息を禁じ得なかった。彼の側近も面倒なほどに「禁煙」というものを振りかざしてくるのだが、限られた範囲内で吸っているのだからなんの問題があるというのか。ましてや自分と、ここにいる吊戯の健康が多少害される程度の話だ。
 だというのにこの女は、この組織内では古い付き合いということもあってか面倒なほどに干渉してくる。学生時代はさぞ優等生であっただろうなと皮肉を言えば、あらよくご存知で。と気にした風もなく返すような女であった。
「塔間くん、自由よね」
「……副支部長に対してその態度なお前も、自由な人間だと思うがな」
 棘のある言葉を放っても、女はやはりくすくすと笑みをこぼすだけだ。それどころか「今更塔間くんに敬語使ったりとか……気持ち悪いじゃない。ねえ、狼谷くん?」などと口にする始末だ。おまけに吊戯もそれに同意を示しているのがまた不快感を煽る。
 かといって、それを表に出すほどガキではない。これらはそういうものなのだと諦めてしまえばいいだけの話。使うべきに使えるものであればそれでいい。
「それにしてもまあ、冷たいこと」
「何を今更」
「しかも特に私にだけ。他の女の子にはそんなことないくせに」
「なんだ。女扱いでもして欲しいか? 悪いがそういうことはそこの吊戯に金でも払って頼むことだな」
 こんな面倒な女に優しさを振りまいて部屋に招き入れるような趣味はない。そういうことになら御誂え向きの女など山のようにいるし、自らの地位を確立させるような女なら他にもいる。
 誰が好き好んで顔馴染み、かつ面倒な女に優しくするか。という確固たる意志のもと、場を取り繕う労力を必要としないところ以外、この女に対して思うところはないと断じる。
 そんな俺の態度が流石に気にかかったのか、女は呆れたようにため息をつきながら、ポツリと「サイテー」という言葉を落とした。
 最低だろうがなんだろうが、自分にとっての女とは役にたつかたたないかの二択である。……いや、これは女に限った話ではなく、人間全般に言えることだ。
 自分以外の他人は全て、自分にとって利用価値があるか否か。使えるか使えないか。必要かそうでないか……。たいてい二択で済むような存在だった。
「塔間くんは変わらないなあ」
「知った口を聞くな」
「だって知ってるもの」
 にこりと意味ありげに笑うこの女は苦手だと思わざるを得なかった。はじめに会った時から今まで、その認識が覆ることなどなかった。
 そんな女の態度が気にくわない。それはあちらにも伝わっているのだろう。女は困ったように眉を下げて「私も嫌われてるなあ」と言葉を落とした。
 それに対し、何を思ったのか吊戯が取り繕うように「いや」と声を上げるのを視線のみで黙殺する。何を繕う必要があるのだろうか。自分はまちがいなく、あれを嫌っていると認識している。
 本来ならば視界の端に止めるほどの価値もないというのはわかるが、それはどういうわけか気に障る。そこにあるというだけで害されていくような、そんな気分に陥るのだ。
 それを知ってか知らずか、女は更に不快感を与え続ける。
「やっぱり塔間くんは、今も変わらず冬の匂いがするのね」
「……理解しかねるな。お前の言葉はあまりに抽象的だ」
「別に、理解して欲しいわけじゃないんだけどね」
 笑う女の顔は、どこか寂しげに映る。何を意図してこのような表情を作り上げるのか、理解に苦しむ。……まあ、もとより本気で理解しようと思っているわけでもないのだが。
 まさかそれを言うためだけにここまできたわけでもないだろう。ついでに、喫煙を咎めることもそうだ。わざわざこんなところにまで来て、小言を言って帰るようなことを目的にしているほど、女は暇ではないと認識している。
 本題を言え。と、言葉にするでもなく視線で訴えれば、女は肩を竦めて「少しぐらい無駄話に興じてもいいじゃない」とため息をつく。
 そんな無駄なことに割いてやる時間はない。特に、相手がこの女ならば尚更だ。
「はいはい。吊戯くんもいることだし丁度よかった」
「オレ?」
「そ。"上"からの"少し厄介なお願い"があるわよ。塔間くんと、狼谷くんと、私に」
「なまえちゃんも?」
 女は吊戯の問いに首肯し、唇で弧を描く。あたかも、俺に対して御愁傷様と言わんばかりの顔で、声で、「よろしくね」と言葉を紡ぐ。
 自らが俺に嫌われているという自覚があり、尚且つ俺の嫌そうな顔を楽しんでいるようなその顔は、この女もこんな顔ができたのかと驚くほどに皮肉を孕んだものである。
 しかし俺はそれに何かしらを返してやる必要などない。これは初めからここには存在しなかったと視線を外し、デスクの上へと置いていた煙草の箱を掴む。自然な動作で一本を手に取り、咥える。
 火をつけようとした瞬間、「禁煙だよ? 塔間くん」と言う声が飛んできた。そんなもの走るかと無視を決め込み、ライターで火をつけてやる。
「あーあ。……ま、いいや。お願いの件、よろしくね塔間くん」
 女がニタリと笑みを作るのを感じる。返事を返す気がない俺は、代わりに紫煙を吸い込みため息とともに吐き出すのであった。