この瞬間に、たぶん僕らは呼吸をやめた。
あの日否応なしに別った袂はこんなところで再会する為ではない。だというのに、なんでこうも世界はままならないのだろう。
「なんでお前、こんなところに居るんだよ。イクタ」
「それはこっちの台詞だよなまえ。なんで君、キオカの軍服なんて着ちゃってるのさ」
指摘された青年は、指差されるままに自らの衣服を見る。そしてそれはこちらの台詞だといわんばかりに「お前がそれを着る日が来るなんて思ってもみなかったよ」と笑った。
青年、イクタ・ソロークは無造作に切られた黒髪を掻きながら、この最悪な再会を噛みしめていた。向かい合うなまえ・みょうじは人のよさそうな顔を苦笑の形にゆがめて、少しばかり長いプラチナブロンドの髪を指で弄ぶ。
こんなところ、と称されるのはとある戦場の真っ只中、互いの軍のトップが顔を突き合わせ、終戦の条件をぶつけ合う場だ。
そんなもう一つの戦場にて、互いの幼き頃を知る友人同士は出会うこととなった。
もちろん一人ではないし、互いにトップは別に居る。その付き添いとしてやってきていた彼らを見て、帝国側の指揮官は「またか」と言わんばかりの顔でげんなりと俯いた。と言うのも、こうしてキオカ側にイクタの知人がいたのはこれが初めてではない。
何も起こってくれるなよ。そんな思いを抱きながら、男は木でできた簡素なテーブルを見つめてただ願うばかりだ。
「なんでまた軍人に?」
「成り行きっていうかなんというか」
僕が軍人になるなんてね。と困ったように肩を竦めるイクタに、なまえは何かを聞きたそうに口を開いて、思い直したように言葉を発することをやめる。
聞けるはずなどないのだ。「父親のこと」など。そんな彼の様子に何事かを察したイクタは、軽い調子で笑ってこの現状を嘆いて見せた。
「確かにあの頃別れた兄弟子に会いたいと思っていたけれど、こんなところでなんて僕は願っていないんだけどな」
「それは俺もそうだって。さっきも言ったろ? 弟弟子」
半ば呆れたように言い合って、地獄のような会議が始まる。
この延々と続いている戦争の、落としどころを決めねばならないのだ。それが決まらなければもちろん争いの再開になり、知人同士で殺しあわねばならないという現実が待ち受けている。
ただ、どちらも私情を挟んで物事を考えるような人間ではない。懐かしさに絆されそうになる自分を殺してでも、自らの籍を置く国の人間として割り切らなくてはならない。そういう立場になってしまっているのだ。
――結局、この日決まるはずのものは決まらず、後日出直す事になった。互いに譲れないものが大きすぎる。当然と言えばそうなのだが、今回は互いの要求を持ち帰り検討。一応の停戦である。
「じゃ、次会うときにはお互いうまいことやれることを祈ってる」
「そっちが妥協するならあるかもね」
「お前なあ……ま、なんだ。こんなところではあったけど、お前が元気そうでよかったよ」
「なまえには僕が元気そうに見えるのかい?」
「死んだと思ってたからな」
苦笑まじりに言うなまえに、イクタも同じく苦笑で返す。高仕手株愚痴を叩き合うことがあとどれだけできるのだろうか。少なくとも、彼らは本当の兄弟のように育った片割れを決定的なまでに失ってしまったのは間違いない。
ここが会議の場であったからこそ互いに五体満足での期間が許されているが、これが戦場の真っ只中であったらどうだろうか。いつかあるかもしれないそれを想像するだけでも身震いがする。
なまえは薄く目を細め、すっかりと成長している弟弟子を見る。いきているだけでも喜ばしいはずなのに、この男が敵だとなるとそうも言っていられない。
「なあイクタ。お前は生きてるよな」
「死んだ人間はこうやって現れないし会話もしないよ。珍しく非科学的なことを言うね」
「……ああ、確かに。爺さんに何言われるかわかったもんじゃねぇな」
ははは。と笑い声をあげて空気が和んだ。そう思った次の瞬間、和んだはずの空気が氷点下へと落ち込んだような錯覚をその場にいたものに抱かせる。
ただ、と続いたなまえの声は、その場の空気そのもののような硬さと冷たさを孕んでいた。
「俺の中でのお前は死んだよ、イクタ」
「……ああ、そうだね。それがいい」
「……だから、お前の中の俺も殺せ」
この先に、余計な感傷など不要だと言外に言い放つ彼の目は、何者も映し出してはいない。目の前にいるのは可愛い弟弟子"だったもの"だ。自らにそう言い聞かせるように吐き出されたものに、イクタも同じく真剣な表情を作り出す。
彼の言葉に頷き返し、それ以上の言葉を紡ぐことはなかった。
「次は多分、書簡でのやり取りになるだろうな」
ポツリと落としたなまえの呟きに返すものは誰もいない。
今度こそ本当に別れの時だと互いに背を向け、自らの陣営へと歩みを進めるのであった。
「すみませんね、大尉。出しゃばってしまいました」
「いや、なまえ。それがお前の役割だろう。……というか、あの男はこっちのどれだけの人間と関わりがあるんだ?」
「……ジャンのことですね」
なまえは以前鉱山の方で一悶着あったと言うことは小耳に挟んでいた。それがまさか自分の幼おなじみであり、弟弟子であることなど夢にも思っていなかったのだが。
あの騒動の後、誰よりも早くキオカへと渡ることになっていた彼は他のアナライの弟子達とは疎遠になってしまっていた。慣れぬ土地で生きていく為に軍に所属することにした。それがこんな結果を生み出すとは思ってもみなかった。
「ジャンと俺は違いますよ。そんな顔しないでください」
「つっても、なあ……常怠常勝は俺の鬼門でしかないな」
「それ、あいつのことだったんですよね……」
帝国に「常怠常勝の知将」と呼ばれる男がいることは知っていた。それの名がイクタ・ソロークだということも。その何思うところがないわけではなかったのだが、まさか本人だなんて思うはずがない。
なまえにとって、イクタ・サンクレイは死んだものと思われていたのだから。
神様という存在を信じているわけでもなければそれにすがることもなく、憤ることもなかった彼だが、今度ばかりはそうもいかなかった。
存在しているのかすらわからぬそれに明確な憎悪を乗せて絞り出すように呟いた。
「神様ってのがいるとしたらほんと性格悪いぞ……」
なんでよりにもよってあいつなのだ。そんな想いがどんどん増していくばかりだ。
何も幼馴染だからそう思うわけではない。イクタという男は、幼い頃からその才能の片鱗を見せてきた。最たるものは、あのヤトリシノ・イグセムが遊学に来た時の事だ。彼の父親が面白半分に色々やらせたからなのか、それとも元々成し遂げられるだけの才能を持っていたのか……その両方だろう。彼ら二人は大人でも舌を巻くほどに成長していったのを間近で見ていた。
故に、この勝負は分が悪い。
「もうこれ降りてえな……」
死んだと思っていた弟弟子が実は生きていて、現在敵対していて、さらに今から自分の中のイクタ・サンクレイを弟のように思っている自分を殺さねばならなくて……正直なところ頭も心も追いつかないのだが、やらねばならぬことだけは明白だ。
――俺を殺そう。
彼自身は知り得ぬことではあるが、かつて同じように自らを殺し尽くした少女がいた。それと同じことが今、繰り返されようとしている。
これは、二度目の君を失うための話だ。それでもやはり、自分達はこのままならない世界で生きていかねばならないという、戒めにも似た――。