(最後に一言、言わせて)

 ずっとずっと昔のことだ。自らが生まれ育ち、今を生きているこの国が、人の形をとって私達とともに過ごしているのだと祖母に教わってきた。
 お国様はいつだって私達を見ていて、同じように生活を送っているのだと聞いた時には、まだ自分が幼かったこともあって純粋に”会ってみたい”とすら思っていた。
 ただ、それは幼い頃によく抱く夢想的感覚で、成長するに連れてそんな幻想は徐々に薄れていった。……はずなのだ。
 今この瞬間までの私は国が人間として存在するはずがないと思っていたし、正直”本人”を目の前にしても冗談としか思えなかった。

 祖母の立ち上げた喫茶店は、今日もやわらかな光が差し込んで、独特の雰囲気を醸し出している。幻想的なものが好きだった祖母は、「いつでも妖精さんが立ち寄れるように」という思いからこの喫茶店を作ったらしい。
 それこそ小さな頃から聞かされてきた話だったから、大人になった今も少しだけ、「この店には妖精が訪れそうだ」などという幼子じみた感想が湧いてくるのだ。
 頻繁に人の出入りがある店ではないので、カウンター裏に用意している椅子に腰掛けて自分の分の紅茶を淹れる。祖母仕込みの私の腕は、この辺りでもちょっぴり評判だったりする。(評判なのに、お店は繁盛してくれる様子がないことは納得がいかないけど)
 今日はミルクティーにしよう。そう思って、のんびりと準備を開始する。どの茶葉にしようかしらとずらりと並んだ缶を睨んでいたら、不意にカランコロンとドアにくくられているベルが音を立てた。
「いらっしゃいませ」
 お客様だと笑顔を浮かべ、ドアの方を見る。――瞬間、息の仕方を忘れてしまったかのような錯覚を覚えた。
 見た感じ自分と同じくらいか、ひとつ、ふたつ歳が下であろうその青年は、店内に入るなりぐるりと中の様子を見回して何事かを考えるように、顎に手を当てて小さく唸った。
 外は珍しく快晴のようで、差し込む光が彼を照らし、まるで御伽噺のワンシーンを切り抜いたかのようだ。きらきらと、光に透けて輝く金髪も、エメラルドをはめ込んだかのような翠色の目も、思わず見惚れてしまいそうなほどに美しかった。
 そんな宝石のような目が、こちらを向いた。そこでようやく自分の仕事を思い出し、どうにか定型文を口にすることができた。
「お好きな席へどうぞ」
「……店主はいないか?」
 ……だというのに、相手の口から出てきた言葉は少し困っているような響きを持っていた。
 その言葉に困惑を覚えたのは、私も同じだった。この様子から見ると、どうやら祖母がここに立っていた時の客なのだろうと推測できるのだが、それにしてはいささか相手が若すぎる。
 店主――祖母に直接会いに来るという間柄にしては、若いよいうよりも幼すぎるのだ。祖母が店を切り盛りしていた時の常連は、すべて特徴などを書き残してくれていたのだが、その中に彼のことは書かれていなかった。……と、思う。
 しかし問いかけられて沈黙で返すのも失礼だから、「現在の店主は私ですが」と返したが、彼は私を訝しむように見て、「……お前が?」と呟いた。
 さすがに失礼過ぎないだろうか。そもそも、今初めて会った人物にお前呼ばわりされるいわれもない。しかし相手はお客様だから……と無理やり笑顔を作ってみせれば、彼も私のうちに渦巻く感情(しかもあまり褒められたものではない)に気づいたのか、苦笑交じりに頬を掻いた。
「失礼レディ。ミリィに用があったんだが、ここは彼女の店では?」
 その言葉に驚きが隠せなかった。なぜ、こんな年若い青年が祖母の愛称を呼んでいるのか。どう見たって四半世紀程度しか生きていないような男がだ。祖母から店を譲り受けて5年と少し経っているが、こんな経験は初めてだった。
 そもそも、この店自体が若い人向けではない。それも相まってか、幻想的な雰囲気を持って現れた美青年は一転、不審者へと私の中で印象が塗り替えられていく。
「祖母でしたら、5年前に他界致しました」
 その言葉に彼の目が丸くなる。無意識なのか「は?」という声まで漏れているのが、なんとなく面白いことのように感じられた。
 だが、彼から帰ってきた言葉により、今度は私が彼と同じ音を口にすることになった。
「……そりゃ久々に来たからな……あれから20年? 30年か? 悪い、後でで構わないから墓の場所教えてくれ」
 驚く場所が多すぎる。墓地の場所を聞くほどの間柄だったりというのもなかなかに衝撃的だが、それ以上に驚いたのは彼の口にした年数だ。
 そんな私の反応に彼は何を思ったのか、ニヤリと唇で弧を描き、悪戯っぽく片目を瞑る。
「あいつはそうだな……俺のこと、“お国様”とかなんとかって呼んでいたか? ……ミリィから聞いてないのか?」
 ――絶句。つまり、この人は自分がそれだと言いたいのだろうか。これでもしも私が祖母からそんな話を聞いていなかったらただの頭のおかしい人になってしまうのだが、残念ながら私はしっかりと幼い頃にその話を聞いて育っている。
 すっかりと成長してしまった今となっては、御伽噺の類だと認識していたのだが、この目の前の人物によってその認識も覆されそうだ。
 あくまでも、彼の言っていることが真実だとしたら、だ。
「その顔、信じてねえな?」
「あまりにも突拍子のない話だったもので」
 失礼だということはわかっていながらも、その自称❝英国❞さんを上から下までじっくりと眺める。
 何度見ても、第一印象から変わらず彼は私と同年代に見えるし、突然30年前がどうのと言われたところで信じられるはずがない。
 そんな私の不躾な視線に対して彼は、慣れているのか元々気にしない性質なのか……判別はつけられないが、別段不快に思っているような顔はしていない。あくまでも、見た感じの話だ。
 実際何を思っているのかはわからない。先の発言と同じだ。
「信じる信じないはお前の好きにすりゃいい」
「そういう感じですか」
「そういう感じだ」
 こちらの言葉を復唱して、彼は笑みを浮かべる。行っていふことは訳がわからないけど、この人物が恐ろしく美形であるということは揺るぎないらしい。
 これは自分の顔の造形を理解してやっているのではないか? と、恨めしく思うほどには綺麗な笑みだ。
 少しだけ、顔が熱くなるのを誤魔化すように「ご注文は如何なさいますか?」と問いかける。問いかけてから気づいたのだが、彼は祖母に用があってきたのではないか。ならば別に紅茶を飲みたい訳ではないかもしれない。
「あっ、すみません……祖母にご用だったんですよね」
「ああ、いや。頂こう」
 そう言って彼が口にした注文を慌てて書き留める。ブレンドを。と言った彼の表情が、どこか寂しそうに見えたのは気のせいだろうか。祖母と彼の仲がどんなものだったかなんて知りようのないことだけど、どうしてだか今は無性に気になる。
 気になったところで、この雰囲気では聞くことをためらわれる。ただならぬ仲だったのではないかと邪推してしまうけれど、そんなことを私が知ろうとしたところで意味が無いのだ。
 ……もしもここに祖母がいたのなら、二人はどんな会話を繰り広げていたのだろうか。
 カウンターで紅茶の準備をしながら、ぼんやりと考え始める。そこでふと、気づく。いくら祖母の知人だからといって、こんなにも気になるのはなぜなのだろうか。
 そんな思いに至ってしまってからは、もう二人の関係を邪推することがとてつもなく馬鹿らしいことのように思えて思考を切り替えることが出来た。多分そう。こんなにも見た目の綺麗で若い男の人が、自分が生まれるよりも前、祖母の若いころの知り合いだという事実に驚いているだけなのだ。
「お待たせ致しました」
「ああ、ありがとう。……これは?」
 紅茶とともにスコーンを騎乗に添えれば、不思議そうに彼がこちらを見る。キラキラと光を放ちだしそうな彼のエメラルドが私をじっと見つめている。
 サービスです。と片目を瞑れば、男はふわりと微笑んで例を述べる。それだけなのに、まるで世界の色が変わってしまったみたいで……って、今時分は一体何を考えていた? まさか、まさかであって数十分と経っていないこの男に?
「どうかしたのか?」
「あっ、いえ。ごゆっくりどうぞ」
 繕うように笑顔を浮かべ、そそくさとカウンターへと戻る。
 一体自分はどうしてしまったのだろうか。
 不意に思い出されるのは、”お国様”の話をしている時の祖母の表情だ。あの頃はただ、微笑みながら話しているだけのように感じられた。しかし今、その顔を思い出せばあれには他の勘定が込められていることに気づいてしまった。
 気づいてはいけないものに気づいてしまったような気まずさを覚えながらも、その頃の祖母の気持ちがわかるような気がして小さく息をついた。
 大変だよ、おばあちゃん。私、もしかしなくても一目惚れという厄介な感情を抱いてしまったみたいだ。
 ここにはもういない、その人に胸の内で報告をして、ちらりとその人を盗み見る。どこか懐かしげに目を細めながら、店内を見ている彼に、胸を締め付けられるような思いを覚える。これはいけない。いけないものだ。
 彼の言うことが、祖母の言っていたことが本当ならばこの想いは決していいものとはいえない。だから彼女もその環状をしまいこんでしまったのだろう。
 悶々と自分の思いの在り方について考えていたけれど、その時間にも終止符が打たれる時が来てしまう。ゆっくりとした動作で彼が席をたつのが司会に入り、もう帰ってしまうのかという残念さが顔を表す。それもそうだ。多分彼は、忙しい人間――この表現が正しいかはおいておく――なのだ。
「ごちそうさま」
 うまかったよ。とにこやかに言われ、ただそれだけのことなのに舞い上がってしまいそうな自信を必死に押しとどめる。
 ありがとうございます。差し障りのない返事とともに、会計を済ませる。店をあとにしようとする彼に、名残惜しさを感じてしまい、おもわず声を上げる。
「あのっ!」
「? 何か?」
 自分は何をしているんだろう。そんな疑問よりも、最後に一言だけ、言わせてほしい言葉があるのだ。何も特別な言葉ではない。ただ、考えるよりも先に口が動いてしまう。
「まっ、また、来ていただけますかっ? あのっ、今日はそのっ、あっ、いや……なんというか、昔の祖母の話とか、きっ聞いてみたいし……」
 適当に(しかし本音ではある)紡ぎだされた言葉は整合性がなく、どもりながらの拙いものだった。突然呼び止められた彼も驚いたように目を丸くし、数界まばたきを繰り返す。
 その居心地の悪さときたら、なんとも言いようのないものだ。穴があったら入ってしまいたい。羞恥心が自分の中を満たしきった時、彼はきょとんとした表情を笑顔に変える。
「ああ、また来るよ」
 歯を見せて笑う姿は一層幼く見える。それと同時に心臓を鷲掴みにされてしまうような感覚。なんだかもう、手遅れな気がするのだ、この感情は。
 カランコロン。と、ドアにくくられたベルが音を立て、ドアが開かれる。
 後ろ手にひらひらと手を振る彼の姿を、私はドアが閉まりきるその瞬間までじっと見つめ続けていた。