今日だけだよ、甘い関係は

「蜻蛉切」
「はっ、お呼びでしょうか」
 片膝をつき、恭しく頭を下げる巨漢を視界に入れ、思わず笑みが溢れる。普段からそんなふうにかしこまる必要はないと言っているのに、この真面目な男はそれを聞き入れようとしないのだ。
 ……刀剣男士。それが彼らを総括した呼び名であり、彼らが人間ではないことを示すような名詞である。人型をとり、審神者である自分とともに歴史の確変を防いでいくのが付喪神である彼らと自分の仕事である。
 ……ただ、現状それに満足できていない……と言うよりは、共に同じ道をゆくだけでは収まりきらぬ感情が芽生えているのが悩みの種である。
「だからさ、堅いんだってば。あんたは」
「……と、申されましても……」
「他の奴らを見てみなよ。最低限の事だけでいいんだって」
「しかし、」
「私がそうして欲しいって言ってるのに」
 やや脅迫めいた言い方をしているということは自覚している。しかし、どうしてもこう、仕える側として距離を置こうとする彼が許しがたかった。
 要は私は寂しいのだ。そして、審神者にあるまじきことだという自覚はあるのだが、あろうことか私はこのお堅い蜻蛉切に恋慕の情を抱いてしまっているらしい。
 自分の事とはいえどうにも理解し難いが故に客観的なものになってしまうのだが、恐らく余程の勘違いが起こっていない限り間違いはないだろう。
 蜻蛉切が困っているのが伝わってきて、どんどん愛しさが募る。もっと困らせたい。そんな悪戯心が沸き上がってくるのだが、どこまでが"審神者として"の接し方なのかいまいち判別がつけ難かった。"審神者"が"刀剣男士"に対する対応は、どこまでがセーフでどこからがアウトなのだろうか。
 やはり自分の立場を考えれば贔屓なしで公私を分けて接していきたいと思っている。いや、思っていたのだがそんな私の思惑は彼がこの本丸にやってきた時点で淡くも崩れ去ってしまったのだ。
「まあいいや。お茶の用意をしよう。今日は天気がいいからね」
「ならば自分が行って参りましょう」
「茶くらい私にも淹れられる」
「出来る出来無いではなく、自分がやりたいのです」
「……わかった」
 こういう言い方は本当にずるいと思う。彼はこうして私に多くをさせないのだ。それこそ今まで普通に出来ていたことすらも進んでやってくれるものだから、自分はダメ人間になってしまうのではないかと思ってしまうほどだ。
 なんといっても彼は器用な上に面倒見がいい。多少の我儘は聞き入れてくれるし懐も広い。そんな彼に心を奪われるのに時間はかからなかったし、こうして葛藤を抱くようになってもう長い。
 勘のいいやつらにはチクっと苦言を呈されたこともあるのだが、蜻蛉切は一向に気づく気配がない。あくまでも私が見た感じでは、だが。
 初めて恋を知った少女のような感情に振り回されるような歳ではないはずなのに、現実はそうもいかない。どうしたものかと深い溜息をついて空を仰ぎ見る。
「主はどうやらお疲れかな?」
「うん? ああ、光忠か」
「一人とは珍しいね。彼は?」
「今茶を取りに行ってくれてる」
「ああ、なるほど」
 笑いながらちゃっかり隣りに座る光忠を半眼で睨みつける。何故そこに座るのか。まさか居座るつもりではないだろうか。そうだとしたら蜻蛉切との折角の二人の時間が消えてしまうことになる。公私は分けると誓ってはいるものの、今はオフだ。オフということにしているのだ。合戦に向かう必要がない今、少しばかり自分に甘めの判断を用意してもいいだろう。
 そんな私の気持ちをわかっているのだろう光忠は、苦笑しながら「そんなに邪険にされるとは」と頬をかいた。こいつは私の気持ちを知っていながらこうしてたまに茶々を入れに来るのだ。まったくもって許しがたいのだが、普段から彼にも世話になっている分、頭が上がらなくなってきているのもまた事実だ。
 態とらしく息を吐き、気を取り直して光忠に向き直る。
「で? ほんとうに邪魔しに来たわけ? 何か用があったんじゃないの?」
「いや、それはもういいんだけど……」
 そう言って光忠は私の耳元に触れる。僅かに近づいた顔は相変わらず綺麗なものだと感心するような造形をしている。正しくイケメンというものはこういう男のことを言うのだろう。整った目鼻立に加えて優しく耳障りの良い声。面倒見がよすぎるところが難点ではあるものの、そこがいいという人もいるのだろう。総じて私とは無縁のものだが。
 などと感心していた矢先の出来事だった。何やら重量感のあるものが空を切って、私の顔の横を通り過ぎる。ドッ、と重い音を立て、それが塀に突き刺さった。息が止まる。やたら顔が近かった光忠が華麗に半身ずらし、その襲撃を逃れていたのだが塀に突き刺さるそれを見てから漸く何事が起こったのかを把握することが出来た。
「危ないなあ」
「失礼、光忠殿であったか」
 後ろを振り返れば茶をのせた盆を片手に笑顔を浮かべる蜻蛉切の姿がある。しかし、今正に壁に突き立てられた槍は間違いなく彼自身が放ったものだろう。それなのに彼の浮かべる笑顔からはそんな気配は微塵も感じられない。……というか、彼が仲間相手に槍を放ったというのがあまりにも意外すぎて理解がついていかないというのが現状である。
 そんな私を置き去りにして、光忠がゆっくりと蜻蛉切の方へ歩みを進めながらも笑顔で言葉を交わしている。
「些か距離が近すぎたように思えましたが」
「ああ、主の髪に塵がついていてね」
「そうでしたか。それは失礼をした」
「……いっそのこと言葉にしてしまえばいいんじゃないかな?」
「さて、何のことでしょう」
「あくまでそれを貫き通すってわけね」
「あんたら何の話してんのよ」
 いまいち聞き取り辛かったそれに混ざるべく二人の方に近づけば、二人に笑顔で誤魔化されてしまった。こう、刀剣男士には刀剣男士にしかわからない話でもあるかのように二人して同じ反応だったのが少々面白く無い。
 しかしまあ、僕はこのへんで。と退出する光忠をにこやかに見送ることでその面白くなさも軽減される事となった。別にいてはいけないわけではないが、なれるのならば蜻蛉切と2人になりたいという邪な感情のせいだ。おそらくそれは光忠もわかっていて、気を利かせてくれたのだろうと好意的な解釈をすることにした。
「主、こちらを」
 そう言って差し出された湯のみには今彼が注いでくれた温かいお茶が入っている。それを受け取って口に含む。その一連の動作はいつも通りだった。しかし、どうやら茶の温度はそうでもなかったらしい。
「んっ!?」
 鋭い痛みに思わずくぐもった声が上がってしまった。いつもならば飲みやすい温度になっているはずのそれが今日に限って熱湯並みの熱さであったことが敗因だろう。湯呑みの温度で気づきそうなものなのに、なぜ今日……しかもこの瞬間に限って鈍感になってしまったのか。
 痛みによりじわりと両目に涙が滲んでくる。それを見て蜻蛉切は慌てたように声を上げる。
「主っ!」
「い、いや……やけろしららけ……」
 若干どころか残念なほどに呂律がまわらない口調になってしまったが、とりあえず大丈夫だと片手で彼を諌める。
 自分の失態だと慌てる蜻蛉切が可愛くはあったのだが、どちらかというと大したことでもないのに慌てふためいている彼が少々可哀想だ。
 それにしたって本当に珍しい。普段の彼ならば飲みやすい温度になってから運んできたはずなんだけど。
「見せてくだされ」
「えっ!? 舌だよ!? ほら、呂律も治ったし大丈夫」
「そうは言ってもやはり火傷はしてしまったのでしょう?」
「そんなんすぐ治るし」
「ですが」
「じゃあ、舌見せたら舐めてくれるとでも言うの?」
 ほんの出来心で、ちょっとした冗談のつもりで、困っている蜻蛉切が見たくて吐いた言葉だった。小さい傷など舐めときゃ治るんだから、と笑い飛ばすような感覚で吐き出したのだ。それだというのに彼は相変わらず真面目な顔をして「仰せとあらば」なんて口にするものだから、私のほうが困ってしまった。
 つまり、命令ならば唇を重ねることも、舌を絡めることも構わないと彼は言っているのだ。あくまでも"命令とあれば"だが。その部分が無性に虚しくなる。しかし、目の前に下げられた甘い誘惑に、意志の弱い私はあっさりとそれを受け入れることとなる。
「ん」
 軽く舌を突き出せば、蜻蛉切のそれが絡みつく。普段の自分たちからは到底考えられないことをしている。そう思いながらも気づけば自然とその行為に没頭し始め、私は彼の首に腕を回していた。
 酸素の供給を絶たんと言わんばかりに荒々しい口吻に胸の奥が熱くなってくるのを感じる。蜻蛉切がどんな気持ちでこの行為を続けているのかは分からないが、私としては今最高に心地いい。
 このまま欲に塗れたまま行為に没頭し続けることが出来たのならば、きっと私は幸せになれるのだろう。そして最終的には我に返って虚しくなるのだ。そのことに気づいて慌てて蜻蛉切り首に回していた腕を解く。密着している体の隙間に手をねじ込んでぐい、と彼の胸板を押してみるのだが、気がつけば彼の手が私の頭を固定するように後頭部へと回っていて、抱きすくめられているせいでびくともしない。
 ……まずい。これは非常にまずい。何がまずいって既に酸欠で頭がぼんやりとしてきたところだ。このままでは本当に色んな意味で溺れてしまうと彼の胸を強く叩く。そこでようやく私は酸素を取り込むことに成功した。
「っは、とっ、蜻蛉切っ……あんた……」
「主」
 けほ、と小さく咳き込んで彼の名を呼んだのだが、まっすぐに自分を見据えてくる彼の目は珍しくも情欲の色に濡れている。今の今でそれは反則だ。反則なのだ。このまま進んだところできっと互いに虚しさしか残らないであろうということはわかっているのだが、理性なんてものに止められるほど簡単な感情ではないのだ。
 日も落ちていなければ人の目に触れずに居られる場所というわけでもないそこで、私は彼に組み敷かれることとなった。畳の匂いが鼻腔をくすぐり、なんだか不思議な気分である。正面を見据えれば熱に浮かされたような蜻蛉切と目があった。そのままどちらともなく唇を重ね、それを始まりの合図と言わんばかりにあとは行為に耽るのみなのだった。