1秒だけでいい、貴方のすべてが欲しい

 きらきらと、光をまとっているようなその姿に目を奪われるのは必然だった。
 この本丸において主と呼ばれる女は、その美しさゆえに天下五剣へと名を連ねる三日月宗近を前に、まるで呼吸を忘れてしまったかのように見惚れることしか出来なかった。
 自らの名乗りを口にしても、反応を見せない主に対し、三日月はその姿をまじまじと見つめる。
「三日月、宗近……」
「ああ、よろしくたのむ」
「夢……?」
 言葉の通り、どこか夢見心地な様子でぼんやりと口にする彼女に、三日月は声を上げて笑う。
 はっはっは。と笑うその姿を見てもなお、彼女には信じがたいものを見ているように感じられた。
 というのも、資材が尽きる寸前まで彼を求めて鍛刀を続けたり、彼の入手情報を聞きつけてはその場所を探し回ったり……と、相当な時間を割いても出会うことは叶わなかったのだ。
 無理が祟って、貧乏本丸街道まっしぐらである現在、半ばヤケクソで行った鍛刀で彼が現れるとは思ってもみなかった。
 自らの頬を思い切り抓ってみたら、当然のごとく鋭い痛みが襲いかかる。
 ――故に夢ではないのだと、そう認識しているのに……この心地はなんなのだろうか。
 彼女の内にあるものは、喜びというよりは疑問だ。なぜこの本丸に現れてくれたのか。そんな思いが止まることなく広がっていく。
 自分は、良くも悪くも平凡であるという自覚がある。
 審神者という職についてはいるものの、その中で何かしらの売りになる能力があるだとか、霊力が群を抜いて高いだとか、そういう部分がない。彼女がそれを理解しているからこその現象であった。
「なあ主よ。そう惚けるのも構わないが、俺にここの案内をしてはくれないか」
「あっ、えっ? はっ、はい!」
 凍った時間を動かすべく、三日月は柔和な笑みを浮かべたままに彼女に動くことを求める。言われてようやく気づいたように、彼女はピシリと背筋を伸ばして遅い挨拶を口にした。
 これからよろしくおねがいします。そんな単純な言葉を口にするだけなのに、果たしてどれほどの時間を要しただろうか。
 言葉を紡ごうとすれば詰まり、どもり、噛むという三重苦の中でようやく口にしたのだが、そんな対応に慣れているのか、三日月は笑みを崩さぬままにその様子を眺めていた。
「それではまず、三日月さんのお部屋にご案内しますね」
 そう言って彼を先導したのは、果たしてその美しさは目に毒だと判断したからか、それとも魅入ってしまうのを未然に防ぐための防衛だったのか。
 美しすぎるものは目に毒なのだと彼女が認識したのは、おそらくこれが初めてだっただろう。
 ゆったりとした歩調で後ろをついてくる天下五剣の気配を感じるだけで、彼女は心息が詰まるような、この場だけ空気が薄くなってしまったような、そんな錯覚を覚える。
 心が奪われるというよりは、今はまだ、緊張のほうが先立っているだろう。
 あれほどまでに求めていた存在だということに加え、手に入れたことによって自らとは全く違うものなのだと漠然と理解してしまったこと。
 他の男士たちだってそうだということはわかっているが、三日月と相対していると尚更に自分との違いを感じてしまう。
 部屋へと案内する間にも、本丸で通りかかる場所の説明を交えていく。一回で全ての案内を済ませようと横着したわけではないにせよ、極力二人きりで行動するのは避けたい。
 この男が、人の形をとった存在が、ただただ恐ろしいと感じてしまう。
 彼が何をしたわけでもなく、彼女が勝手にそう思っただけなのだが、そんな風に感じたのはその魔性故なのだろうか。
 見たものを虜にする。という言葉が彼女の脳裏をよぎったが、それは大袈裟ではない表現だろうと、彼女は実感していた。
「こちらになります」
「すまないな」
「いえ。何かあったらお呼びつけください」
「はっはっはっは。これではどちらが主かわからぬではないか」
 頭を下げてその場を離れようとしたその瞬間に、投げかけられた言葉に彼女の顔には思わず苦い笑みが浮かぶ。
 本当にその通りであると、顔を上げて三日月に向き合う。自らが主なのだと示せるような行動が取れたのならば、どんなに良かったことかと思いながら、彼女はにこりと笑みを浮かべた。
「それでは、重ね重ねではありますが本日よりよろしくお願い致します」
「ああ」
 ――それが、彼女と三日月の出会いであった。

 それからは鍛刀したての三日月の練度を上げることを主とし、周りと同程度までになるのにしばしの時間を要した。
 ……というのも、元来彼女が男士たちの傷を良しとせず、本人たち曰く「かすり傷」程度のものであっても気にしていたために、ある意味において必要な時間であったとも言える。
 彼らに優劣をつけているわけではないが、鍛刀したてであるという現実と、今まで求めても出会うことのなかった刀であるということも相まってか、彼女の過保護さはいささか度を過ぎているようにも思えた。
 初期からの付き合いである加州からは「そんなんだから練度の上がりが遅いんだよ」とごちられ、呆れられているのも承知で「だって清光、あの三日月宗近だよ?」と半ば泣きつくようにして訴えていたりもした。
 ……とまぁ、彼らの協力あってようやく、三日月宗近との距離を縮めつつ、練度を上げつつ、本日までを切り抜けてきた。
 おかげさまでというべきか、当初彼に抱いていた恐怖心は消えるとまでは行かずとも薄らいでいき、今では普通に言葉を交わすことができるほどにまで距離は縮まった。
「三日月さん、本日は……って、あれっ?」
 てっきり部屋に居るものだと思い、本日のスケジュールを彼に告げるべく足を運んだ彼女だったが、中の静けさに違和感を覚える。
 いつもならば何か一言くらいこの言葉の間に返ってくるはずなのに。今はどこか、出かけている最中なのだろうか。
「ああ、主か」
「っ!? あ、三日月さん」
 背後から声をかけられ、予想外のことに思わず肩が跳ねる。
 見ていてもわかるほどに全身で驚きを表現した審神者に、三日月はくつくつと喉の奥で笑いをかみ殺しながら「何か用か」と問いかける。
 相変わらず、その一挙一動が美しく、彼女の心臓を鷲掴みにする。話すことに慣れてきたとはいえ、その美しさに慣れることができないまま、しかしいつからか、胸に湧いて出る欲は日に日に大きくなっていく。
 彼女がその欲の存在に気づいたのは最近だった。独占欲のような、征服欲のような、あるいはその両方かもしれない。
 ただ漠然と、この計り知れぬ存在の全てが欲しいのだと、非現実的な願いを抱き始めてしまった。
 彼女自身、身に余るものを抱いているという自覚はあった。そんな感情を、願いを押し込めて、顔は笑顔の形を作り上げる。
「本日の日程をお伝えに来ました」
「わざわざすまんな」
「いえ、それが私の務めですので」
 本丸の中にバラバラに居る男士ひとりひとりに声をかけて回っていた習慣が功をなし、今になってここにきて彼に会う口実になるのが嬉しくもあった。
 ただ、彼に会うたびに自分とは違う存在なのだと思い知らされるような……そんな感覚も、彼女は同時に察していた。
 だからこそ、先に抱いたようなものは邪念だと振り払わねばならないのだ。自分は審神者なのだから、と自らに言い聞かせ、彼女は目を閉じる。
 目を開いたその時には、意識を切り替えることができるように。そんな願いを胸に目を開けば、自分を覗き込むようにしている三日月と、目があった。
 普段と様子のおかしい審神者が不思議だったのだろう。じっと見つめるその視線には、探るような色が含まれている。
「どうかしたか?」
「あっ、いえ。お気になさらず」
 彼女はただ、そう返すことで精一杯であった。やはり、直視して仕舞えばその美しさに呼吸すらも忘れてしまいそうになる。
 今の彼女にできることは、言葉を詰まらせながらも本日の日程を彼に伝えることだけなのだった。
 ――一秒、いや、一瞬だけでも構わない。この美しい存在のすべてを手に入れることができたのならば。
 絶えず沸き起こる邪な思いを、本日も苦労しながら抑え込むことで精神を張り詰めている彼女を、三日月は意味ありげな笑みを浮かべて見つめているのであった。